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第6章 泥人形


30 魔術の必然

 一向に止むことを知らぬ長雨は、かの風穴に暮らしているデルフィー中毒者たちに対しても、大きな影響を与えるようになっていました。


 まず前提として言っておくべきは、住環境の不備についてです。


 すなわち、風穴という自然物に過ぎない住処では、雨は、岩肌を伝わり、容易に中毒者たちが暮らしている空間まで届いていってしまうのです。これは、いくら固く戸を閉ざそうとも同じです。とくに激しい雨の日はてきめんで、そういう日には、風穴のなかには幾つもの水たまりが出来てしまいます。


 そして、そうした湿気と不衛生さが、中毒者たちの体を、まさに暴力的なまでに痛めつける――これは先に「村に戻った中毒者の苦しみ」として述べたことですが、その苦しみが、風穴で暮らしている中毒者たちにも、同様に降りかかっていたのです。


 ただし、この苦しみの大本になっているのは、飽くまでも、デルフィーを飲めないことによる禁断症状です。はじめに禁断症状による苦しみがあって、その苦しみを、湿気や不衛生さが助長するのです。ですから、まず禁断症状が起こらなければ、その後の、湿気や不衛生さによる苦しみの増大もない。そのように言うことが出来るでしょう。

 

 

 

 デルフィーを飲んでからしばらくすると、薬の効能が薄くなって禁断症状が始まります。


 そのとき、村に戻っている中毒者には、その苦しみに甘んじ、喘ぐ以外のことは出来ません。手元にデルフィーがないのですから、そのようにならざるを得ません。


 しかし、風穴で暮らしている中毒者たちは違います。


 彼らの場合、禁断症状の兆候が現れ出したら、その時には、すぐさま新たなデルフィーを飲むことが出来るからです。なにしろ、彼らの傍らには、デルフィーを補給してくれるキンナラもマゴラーも、ちゃんといるのですから。


 そして、新たにデルフィーを服用すれば、とたんに禁断症状も消えるわけで、そこに村に戻った中毒者たちとの決定的な違いがあるわけです。そればかりか、真新しいデルフィーの快楽は、世界に苦痛というものが存在すること自体を忘れさせてくれるのでした。


 しかし、このようにして服用されるデルフィーは、その服用者の中毒症状を、さらに重度のものとせずにはおきません。


 中毒の重度化とは、すなわち「薬が切れたときに味わう、より激しい禁断症状」と「薬の効能を感じられる時間の短縮化」を意味しています。


 そのため「苦しいからデルフィーを求める。そうして求めれば求めるほど、苦しみから逃れていられる時間が短くなっていく。だから、さらにより多くの回数、デルフィーを求めるようになる」という悪循環が始まります。そして、この悪循環によって、中毒の重度化は、いよいよ加速度的になっていくのです。


 そのため、風穴暮らしを始めたころには、一日三回の服用と決められていたデルフィーは、今や、なんと一日に八回の服用をすら必要としていました。この事実によって、中毒者たちの体と心が、いかにボロボロになったか、その進行の具合がはっきりと察せられることでしょう。

 

 

 

 そのような中毒者たちに囲まれながら、朝、明るさを殆ど感じられない風穴の中で、イドは、老婆キンナラに頬を叩かれました。眠っていたのを起こされたのです。


「起きなイド。今日はめずらしく雨が止んでるから"マゴラー"が外に出ても平気なんだよ。顔に塗ってある泥が落ちちまう心配がないからね。外にお前に見せておきたいものがあるから、さっさと起きてあたしの後を付いておいで」

 


 キンナラは風穴の出口に向かいながら、続けて言いました。


「まだ寝ぼけてるようだから先に行くよ。行く先は、地面にめりこんだ足跡で、ちゃんと分かるだろうからね。昨夜の大雨のせいで外はドロドロだよ」

 

 

 

 そのキンナラの命令は忠実に守られたとみえて、起きて風穴から出て行ったイドの足跡は、まもなくキンナラがつけた最後の足跡に重なろうとしていました。


 そこにキンナラ自身の姿は見えませんが、目の前には洞窟が口を開いています。老婆の足跡は、どうやらその洞窟に吸い込まれたようでした。


「こりゃ、かなり広そうだな」


 そう言いながら洞窟に入ると、キンナラの声と、老婆が手にしているらしい松明の炎が、同時に認められました。


「やっと来たね、イド。で、さっそく本題だ。この洞窟はそう深いものじゃないけど、入り口のあたりが広場状になっていて、作戦の準備をするのにお誂えむきの広さを持ってるんだよ」


「作戦の準備?」


 察しが悪いイドに、キンナラが呆れるようにして言いました。言いながら、妙な動作で洞窟の内壁をまさぐります。


「巨人を倒すための作戦、そして、その準備に決まってるだろう。その分じゃ、夜な夜なあたしが風穴を抜け出しては、ここに来てたっていうのも知らないんだろうね」


「悪かったな......」


 イドがさらに何かを言い足そうとしましたが、その時、丸みをおびた洞窟内を巡るように、何本かの松明が順次燃え上がりました。自動で発火するような装置を作っておいたらしく、先ほどキンナラがまさぐっていたのも、どうやらその装置の一部だったようです。これにより、一気に洞窟内が明るくなりました。

 

 

 

 突如明るみに出された洞窟内の様子に、イドが驚きのあまり叫び声を上げようとして、それがままならず、逆に絶句してしまいました。


「......」


 広い洞窟内には、無数とも思える"人の形をした泥"が転がっています。言わば「泥人形」といったものが、松明に照らされた空間一杯に並んでいるのです。一つだけでも気味が悪いでしょうに、全部を合わせたら、それが百体もあるでしょうか。本当に、一つ残らず人型をした泥なのです。


 しかし、イドを驚かせたのはその事であっても、イドを絶句させたのはその事ではありませんでした。これ以上に衝撃的なものが彼の目に映ったのです。すなわち、洞窟の奥のほうでは、その泥人形が勝手に自分の手足を動かし、傍らにある泥をこねて、新しい泥人形を作りだしていたのです。


 泥が泥を捏ねるというのも奇怪ですが、暗がりでうごめく彼らの肢体は、表面を潤す水分によって妙に艶やかに光っており、その冷たい肌の質感といったら、まるで海蛇のようにおぞましいものでした。


「何だよ、こいつら......何で動いてるんだよ」


「ひひ、そいつを尋ねる前に、まず泥たちの顔を見てごらんよ」


 顔だって? と、キンナラの意向に従ったイドが見たものあ、彼を底なしの驚愕に陥れるに十分なものがありました。


「ど、泥の顔......風穴で暮らしてる男たちの顔とそっくりじゃないか。うわ、見たことがある顔ばかりだ。あれも、これも、それも......泥の一体一体の顔が違っていて、そのうえ、それぞれの顔にソックリな人間がいるなんて、どうなってるんだよ、こいつは」


「つまり分身ってことさ、あいつらのね」


 と、キンナラはさも嬉しそうに話し始めました。


「この泥人形は、中毒者たちの憎悪が生みだした、奴らの分身なのさ。


 ひひひ、ことの始め、あたしはまず数体の泥人形を作って、その泥人形に、中毒者たちの憎悪が乗り移るようにまじないをかけた。あの巨人たちに対する憎悪が乗り移るための呪文をね」


「巨人て、あのラノ・ララク山に立ってる奴らのことかい?」


「そうさ、中毒者たちの敵意を巨人に向け、さらに、その敵意をいや増すために、苦労して芝居の台本まで書いたんだからね。そして、そうやって煽った憎悪を、泥の人形へと乗り移らせたわけだ。


 これによってね、荒い輪郭しか持ってなかった泥人形に、まず、中毒者たちの中でも、もっとも憎悪が激しい奴らの特徴が浮かんできた。つまり、泥人形の顔が、見覚えのある男たちのそれへと変わっていったんだ。こいつは実に見ものだったね。


 そして、泥が風穴の男たちにソックリになるにしたがって、泥人形たちは自分で体を動かせるようになっていった」

 

 

 

 そうやって体を動かせるようになった泥人形は、さきに見たとおり、今度は自分でも新たな泥人形を作っていったのでしょう。泥人形たちは、自らの手によって新しい仲間をつくり出し、その新品の泥人形に、また新たな中毒者たちの顔が宿るのです。

 


「中毒者たちの顔をした泥人形はどんどん増えていった。面白かったねえ、あたしがこの洞窟を訪れるたびに泥人形の数が増えて、毎回新顔に会うことになるのはさ」


 そう言うキンナラの嬉しそうな様子とは対照的に、イドが引きつった声で尋ねました。


「あんたは魔法使いなのか......こんな事ができるなんて」


「魔法使いはいいね、ひひ、恰好いいね。だが、そいつはちょっと荷が重い。なぜなら、あたしの呪力は、あのアトラスに対してのみ発揮できる、ひどく限定されたものなんだからね」


「アトラス?」


「あの巨人のことさ。ご主人から色々と教えてもらったんでね。名前ぐらいはとうの昔から知ってるのさ」


「婆さんの力は、そのアトラスにしか使えないってことか」


 そうさ、と語りだしたキンナラの口調には、僅かに"哲学者的な威厳"のようなものが漂っていました。


「自然は自然によって自然になり、不自然は不自然によって自然になろうとする。分かるかい、結局、世の中には自然なものしかありえないんだよ」


「は、はあ?」


「あの巨人は、知ってのとおり、この世のなかで"不自然この上もないような存在"だ。まったくな。けど、まあ実際にいるもんは仕方がない。


 ただ自然はね、奴がいることを許容するために、奴を打ち消すような力が生まれることをも認めた。

 

 不自然が自然になるためにはね、不自然を打ち消すための、別の不自然を作る必要があったんだよ。

 

 その"打ち消しの不自然"が、この呪力であり、この泥人形なんだよ。お前には難しすぎるかい?」

 
 

 


「アトラスⅡ」から「アトラスⅢ」へ

 ご愛読ありがとうございます。

 

「アトラスⅡ」は、ここまでです。

 

 すでに「Ⅱ」の「27 民の苦痛、巫女の苦悩」以降は、物語のクライマックスに足を踏み入れていますが、つぎの「Ⅲ」は、その全体が、まさに「アトラス」のクライマックスそのものです。

 

 だから、面白さの面でも、「Ⅲ」は圧倒的です。早く皆さんにもお見せしたいです。

 

 そういう訳で、11月の14日から「アトラスⅢ」が始まります。

 

 どうか、楽しみにしていてください。では。

 

 


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奥付



【2017-11-11】アトラスⅡ


http://p.booklog.jp/book/117998


著者 : 正道
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