閉じる


第6章 泥人形


29 再現

 チェリアは砦への帰路を翻し、そのままの足で、祖父バッティーヤの住まいへと向かいました。村はずれに切り立ってそびえる岸壁、その岸壁に寄りそうように建てられたバッティーヤの家は、民家とは思えないほど頑丈な石造りです。


「こんばんは」とチェリアが戸口を叩くと、かなりの時間を置いてから、右手に木槌を持ったバッティーヤが現れました。


 チェリアの前に立ったバッティーヤは、目の下に濃いクマがあって人相が悪く、着衣もずいぶん汚れています。そんなナリをしている上に、木槌まで持っているのですから、チェリアにとって、こんなにも祖父が恐ろしく感じられたことはありません。


「お、お祖父さま、何ですかその恰好は!」

 


 そうチェリアが叫ぶと、バッティーヤも訪問者の素性が分かったらしく、しかめ面をすぐさま綻ばせて、手の内にあった木槌も脇に放り投げました。


「おおチェリアか、驚かせてすまん。この汚い恰好は、ちょっとした彫りもの作業をしていたせいでな。

 

 しかも、ここ数日間、その作業に没頭しておったもんで、少しばかり疲れが溜まってきておる。面構えが険しくなってしもうたのは勘弁ねがおう。でもまあ、よく来た。お前がここに来るなんて久しぶりじゃ。とにかく入れ入れ」

 

 

 

 そうやって迎え入れた孫娘を明るいところで見てみると、その姿は、まさに濡れネズミと言うほかありません。風邪でもひくのではないかと心配したバッティーヤは、傍らの古い荷物箱に手を突っこみ、その中から手頃な衣服をつかみ取りました。


「ほれ、ババの服じゃ。体を冷やさんよう、早くこれに着替えなさい」


 ところが、こう言ったのにも関わらず、自分から目を背けようともしない祖父を、チェリアが軽く睨みつけました。


「なんじゃ、チェリア......おっ、こりゃすまん。年頃なんじゃな」


 持ち前の無骨さを露わにして口ごもり、必要以上にオタオタしながら隣室に向かう祖父を横目に、チェリアは、その雨に濡れた着衣を脱ぎだしました。


 そうして用意された、少しホコリ臭い服に着替えると、彼女は、祖父の寝床に散らかされた石板と彫刻道具を見いだし、何気なくそれへと近づいていきました。バッティーヤの言う彫りものとは、おそらくこの石板を指しているのでしょう。


「この石板は何なんですか。どうやら文字が彫ってあるようですが、ええ......


 島の勇者バッティーヤが記す。島の民、そのとき心汚れて、みずから空の災いを呼べり。しかし古文書は語る。救い、北にありしと。ゆえに巫女の命はくだる。北の大陸に使いを送らんことを。使いの者、その名をアサジという。この者、新しき勇者なり。


 やがて、民の頭上に、空の重石積み上げられん。苦しみの声は島に満ちる。


 されども、そのとき一条の光さし込む。苦しみの淵に一条の光さし込む。北より光は来たり。北より救いは来たり。彼らアサジと共に来たり。その救い、己が名をアトラスと名乗らん。巨人アトラスと名乗らん――――


 ......と、これは今までにあったことの記録ですよね」


 そう孫娘に尋ねられると、隣室のバッティーヤは、年甲斐もなくはにかんでみせました。

 

 

 

「うむ、子孫に残せればと思ってな、まあ書いてみた」


 そう言いながらチェリアの傍まで歩いてきたバッティーヤでしたが、孫娘の姿を近くで見ると、急に体の向きを変えて目をそらしました。それを不思議がるチェリアの「どうしたんです」という言葉に、バッティーヤは、


「いや、べつにお前を見たくない訳ではないのだ」


 そう妙に照れた声で答えました。


「わしの顔が、年甲斐もなく赤くなっているのを、お前に見せたくないだけなんじゃ。まさか、こんなところでババの若いころの姿を見るとは思わなかったのでな。不意を突かれてこの有り様じゃ。その古い服をまとった姿は、いかにもババに似ておるよ。わしが喜びを抑えられないほどにの......お笑い草じゃな」


 普段、まず見せることのない、そのように純粋な喜びを露わにする祖父に対してさえ、チェリアは、半ば厳しい口調で「申し訳ありませんが」と本題を切りだすことを辞しませんでした。ことの重要性を考えると、祖父の思い出ばなしに付き合っている余裕など、あるはずもなかったのです。


「ずいぶん切羽つまってるようじゃな」


 バッティーヤも、孫の厳しい口調を耳にして、すぐにいつも通りの固い表情に戻りました。が、しかしチェリアが、


「実は、島に蔓延している妙な病気に対して、アサジさんが気になることを言ってきたのです。そのことについて伺いにまいりました」


 と言い、さらにアサジとの先ほどの会話を再現させていくと、まるでアサジの真似をしているかのように、バッティーヤまでもが、厳粛にして長きにわたる沈黙を張り巡らせていくのでした。

 

 

 

 そして「そんな薬がないでもありません」というアサジの言葉までを再現し、これにかかる形で、チェリアが、


「......本当に、そんな薬があるのでしょうか」


 と言ったとき、バッティーヤの沈黙は、アサジ以上の痛々しさを感じさせるものになりました。その眉間は実に深々とした皺を刻んでいます。


(つまり、アサジはわしに全部話すように促しておるのじゃ。あの薬のことを。


 じゃが、誰ならその薬を見つけられるのか、どうやって手に入れればいいのかを話すとしたら、わしはどうしても、巫女セフィーネと、勇者コースタニヤについて、語らなければならなくなる。あの二人の最後について話さなければならなくなる。


 そうじゃ、これまでずっと、チェリアに隠してきたものを。アサジとチェリアの関係を考えて、ずっと隠してきたものを......)

 

 

 

 まさに観念して、という言葉がぴったりの口調で、バッティーヤが話し始めました。


「チェリア......不治の病をも治すといわれている薬、そのような薬があることは、わしも知っておる。"地魔"という難病はお前も知っとるじゃろう。薬は、その地魔にも効くというのだから、お前が懸念している病気にだって、当然効くじゃろうよ」


「地魔にも効く薬ですか。それはすごいですね」


「ああ、七年ちかく前、とある村に母と息子だけで暮らしておる家があってな、その母親が地魔にかかってしもうた。不治の病である地魔にな。


 息子は縋るようにして巫女に救いを求めたんじゃ。巫女セフィーネに、母を救ってくださいとな。たしか今日のような、激しい雨の降る日ではなかったろうか―――」


 バッティーヤの話は、その薬というのが海中に生えているサンゴの卵であること、セフィーネが巫女の第一律、すなわち"島を出てはならない"という掟を破ってまで、訴えてきた子供の母親を助けようとしたこと。それに同意したコースタニヤの宣誓。そして船着場からの出立。つまり、嵐の海のなかに消えていった巫女と勇者の描写に及びました。

 


「......じゃが......じゃが、それっきりじゃった。


『この命にかえてもサンゴの卵を手に入れ、そうして絶対に巫女を、雨で荒れる海から連れて帰りましょう』


 コースタニヤはそう誓ったのに、巫女と勇者は、船もろとも、二度と島に戻ることはなかったんじゃ。もちろん薬も手に入らず、ゆえに地魔にかかった母親も亡くなった。

 

 そうやって全てが終わったあと、息子は、降りやまぬ雨の下でこう言った、


『三人もの人たちが死んでしまった。そして巫女と勇者は僕が殺したも同然なんだ』


 とな―――」


 さらにバッティーヤの話は続けられました。自責に苦しみ、自らの命を絶ってくれと頼んできた少年に対して、バッティーヤが一つの命令を与えたこと。それによって、少年が"死にたい"という気持ちを思いとどめ、バッティーヤの命令を果たすことを、泣きながら誓ったこと。話はそこにまで及びました。


「その子供は、突きつけられた命令を受け入れ、自分のために生きる命を捨てた。わしに命を捧げたのじゃ。そうした経緯ののち、努力と忍耐を重ねたすえ、少年は約束したとおり、先ごろ島の勇者となった」

 

 

 

 ここまで祖父の話を耳にしたチェリアは、次第に生気を失っていった顔を、さらに青ざめさせながら尋ねました。答えが分かっていても、それでも尋ねずにはいられませんでした。


「では、その息子、少年というのは......」


 そのとき、戸口のあたりで大きな物音がしたので、チェリアとバッティーヤは同時にそちらを振り向きました。すると色あせた扉がゆっくりと開かれ、そこから堂々たる肉体を誇る若者が、雨にぬれた体をそのままに屋内に入ってきます。この若者を見て、チェリアが重い石を持ち上げるような調子で呟きました。


「アサジ......さん......」


 びしょ濡れのアサジは、入ってくるなり、チェリアと老人に深々と頭を下げ、まず最初にバッティーヤに向かって言いました。


「バッティーヤさま、私は過ちを告白しなければなりません。私は......怪我のためとはいえ、安穏とした療養生活に埋没することによって、島の危機に対して無関心になってしまいました。


 この怠慢によって、チェリアさまは一人で大きな困難を背負う形となり、蔓延する病気を前に、ずいぶん苦しい思いをされたようです。


 それだというのに、巫女を命がけで守るべき私は、危機を傍観するどころか、そうした危機があったことも知らずにいたのです。まさに勇者失格です。この事については、あとで、どんなお叱りも受ける覚悟です」


 アサジは、今度は目をチェリアのほうに向けて、真剣な、そして底抜けに寂しい声で言いました。

 

 

 

「あらましはバッティーヤさまからお聞きになりましたね。


 その話のとおりです。セフィーネさまとコースタニヤを死なせたのは私です。私はチェリアさまにとって、どんなに憎んでも憎み切れない、そういう素性の者です」

 


「......そんな」


「ですが、病に苦しむ患者たちを思うなら、今はそれを忘れてください。


 船着場に、整備をすませた船を用意しておきました。今も苦しんでいる患者を救うため、チェリアさまと私が乗り込むための船です。


 万病の治療薬となるサンゴの卵の話、それも聞きましたよね。私としましては、それを採りにいくのであれば"いつでも船を出航させられます"と言うことができます。そのための準備は全て済ませておきました」


「......」


「ですが、それほどの早急さを要する事でもないでしょうから、とりあえず風が止むのを待ちましょう。いま、外は猛烈な風が吹いているからです。風による波の高さを考えれば、待機こそが、いま最も必要とされている態度です。


 チェリアさまは、いったん砦のほうにお戻りください。天候が落ち着きましたら、私がお迎えにあがりますので」


 一気に言葉を連ねるアサジとは逆に、チェリアはとうから絶句しており、のみならず、その呼吸さえ、いまにも止まってしまいそうなほど細かくなっていました。何がなんだか分からず、世界がぐるぐると回っている感じです。


 そんな、混乱のなかで溺れているような気持のチェリアは、この恐ろしい破滅の淵から這い上がらんと、藁にもすがる思いで愛する男の名前を呼びました。


「あ、アサジ......さん......」


 しかし、この悲痛な呼びかけに、アサジは気づいてもいないようです。


「むろん、巫女を島外に連れ出すのは、たとえ勇者であっても許されないことです。巫女の第一律は絶対ですから。

 

 ですが、チェリアさまの心中には、掟を破ってでも、患者たちの病苦を払いのけてやりたい、そんな願いが満ちていることでしょう。

 

 ならば、私はその願いが遂げられるように努力するだけです。巫女の願いを、この命をかけて完全に果たしきる。それが私の存在理由の全てなのですから」


「......」


「私は誓います。大切なあなたのために、病に苦しむ患者のために、そして亡くなったあなたのご両親のために、この命に代えてでも必ずやサンゴの卵を手にし、そのうえで、あなたを無事に島に帰してみせると、そう」


 このアサジの言葉は誠意に満たされていたかもしれません。しかしそれは、今のチェリアにとっては、さして興味のわかない、ただ無情としか感じられない言葉でした。

 


福音書シリーズのご案内


奥付



【2017-11-08】アトラスⅡ


http://p.booklog.jp/book/117987


著者 : 正道
著者プロフィール:http://p.booklog.jp/users/seidou1717/profile


感想はこちらのコメントへ
http://p.booklog.jp/book/117987



電子書籍プラットフォーム : パブー(http://p.booklog.jp/
運営会社:株式会社トゥ・ディファクト




この本の内容は以上です。


読者登録

正道さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について