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縁談

 元与力の宗井陣一郎は、笠原玄衛門の葬式の翌日から、ゆりの縁談をまとめるために動き出していた。まずは、ゆりの伯父で例繰方同心の庄司文太郎を訪ね、文太郎、瀬名夫婦に、笠原家の婿養子にと彼が心に留めていた人物の話をした。

 

 「宗井様、まことにありがたいお話ですが、格下の同心の家に婿に入って頂けるものでしょうか?」

 

 庄司文太郎は、生真面目に問い返した。

 

 宗井がゆりの婿にと考えたのは、かねてから懇意の旗本、橘正之介の次男の真之介であった。橘家は大番組の小身の旗本で、正之介はすでに隠居し、家は長男の誠之介が継いでいた。同心の家格は御家人で、不浄役人として、更に一段下がった見られ方をする。

 

 「父親の橘正之介と私は、古くからの囲碁仲間でね。なかなかの人物だし、家族のことも良く知っている。家格にこだわるような人達ではない。真之介にも、囲碁の相手をしてもらったことがある。頭が良くいから、私が楽しめるように打ってくれる。勝たせてはくれんがね。」

 

 橘家の人々の顔を思い出すと、宗井は心が温かくなった。あの家の息子なら、玄衛門も喜んでくれるだろう。

 

 「そのようなご立派な方では、他に婿のお話がいくらもおありでしょうに、本当に笠原に入っていただいてよろしいのでしょうか?」

 

 さすがに奥方は縁談のことについては、鋭いなあ…と宗井は舌を巻いた。瀬名は、旗本同士の縁組が叶わないわけがあるのかと、疑問に思っているのだ。

 

 「実は、真之介は子供の頃からひどい近目で、眼鏡が手放せない。大番組は武官の家柄、近目は敬遠されるらしい。しかし、眼鏡をかけていれば何の支障もない。同心に遠目は必要なかろう。」

 

 膝をのり出して説明する宗井陣一郎に、文太郎は恐縮し、瀬名はおっとりとほほ笑んで、夫婦揃って、深々と頭を下げていた。

 

 「何卒よろしくお願い致します。」

 

 宗井は善は急げとばかり、庄司家からまっすぐ橘正之介の屋敷に向かった。

 

 

 「急な話で申し訳がないが、そういうわけがあり、笠原玄衛門の娘の縁談には時がない。ぜひにお受け頂きたく、重ねてお願い申し上げる。」

 

 深々と頭を下げる宗井陣一郎を前に、橘正之介と妻の紗江は困惑していた。

 

 「宗井様、お手をお上げ下さい。まずは、笠原殿のことは、実に残念なことでした。お人柄もご立派で、奉行所にとってなくてはならない人材であったでしょうに。」

 「あなたは、笠原様にお会いになったことがあるのですか?」

 「うむ。私が隠居してすぐの頃かな。一度、囲碁の手合わせをさせて頂いた。」

 「そうそう、橘殿にお相手をして頂き、笠原は囲碁のおもしろさに目覚めておった。隠居したらじっくり取り組みたいと、楽しみにしていたのだ。」

 

 宗井陣一郎は眼が潤み、天を仰いだ。

 

 しばし感傷に浸る二人の男たちをよそに、紗江の胸には解決しなければならない疑問がいくつも湧いていた。

 

 「宗井様、お聞きしてもよろしいでしょうか。宗井様は、何故、奉行所のお役目とは縁遠い真之介にお声をかけて下さったのですか。」

 「おお、これは事を急ぐあまり、言葉足らずが過ぎましたな。申し訳ない。」

 

 宗井陣一郎は橘夫婦の方へ、ひとつ膝を進ませた。

 

 「笠原玄衛門の立ち回り先には、江戸を、いや、日の本を代表するような大店のある日本橋町の北と南が含まれているのです。自分の思い通りに事を運ぶためなら、千両箱を積むことのできるような商人ばかりだ。ここを治めるには、清廉潔白、公明正大、虚心坦懐、…」

 「まさか、真之介は家だけではなく、仕事も引き継ぐということなのですか。」

 

 さすがに、正之介も驚いた。

 

 「その通り、だからこそ、真之介殿以外にはいない。」

 「息子をかって頂くのはありがたいことですが、真之介は素人ですよ。」

 

 町廻り同心と言えば、たくさんある同心の役目の中でも花形であり、それだけ難しい仕事である。同心の中でも、経験を積んだ優秀な者が選ばれるということは、八丁堀の人間でなくても知っている。

 

 「奉行所の同心の中には、玄衛門の器量に追いつく者は見当たりません。それに、礼金の小判一枚ももらわなかった玄衛門の後を継ごう名乗り出る者もおりません。しかし、江戸の経済を陰ながら支えると言ってもよい、大切な、大きな仕事。真之介殿の頭の良さ、お人柄、器量をぞんぶんに生かして頂けると思うのです。」

 

 宗井の熱心な言葉に正之介の心は動かされた。部屋住みで算学塾や手習所で教えている真之介に、男としてやりがいのある仕事が与えられる。男親にとっては、何より嬉しいことであった。が、母親の紗江にはまだ心配事が残っていた。

 

 「笠原様を殺めた下手人は、まだわからないのでございましょう。お役目に係る遺恨となれば、後を継ぐ者も恨まれるのではないでしょうか…。あの子に危ないことが起こらないとは…。」

 「紗江、やめなさい。」

 

 正之介がめずらしく強い口調で妻を止めた。

 

 「真之介は武士だ。それに、戦に行くわけではない。」

 「申し訳ありません。」

 「いや、奥方のご心配ももっともです。お役目の後を引き受ける者がいない理由には、それもあるやも知れません。」

 「お役目に疎い真之介が後釜となれば、下手人は安堵して、大人しくなるやもしれん。」

 

 正之介が妻を安心させるように微笑んだ。

 

 「お話は、息子が帰宅しだい伝えます。決めるのは真之介だ、よいな紗江。宗井様、返事は今日、明日中に致します。よろしいでしょうか。」

 「むろん、真之介殿のお心しだい。話を通して頂けるだけでありがたい。」

 

 仕事を終えて帰宅した真之介は、父の話を黙って聞いていたが、話が終わると考える間もなく

 

 「そのお話、お受けいたします。」

 

 と答えた。いつもどおりの明るい声、やさしい表情ではっきりと答える真之介の表情は、ほんの少し興奮しているように見えた。


奥付



【2017-09-13】近目同心


http://p.booklog.jp/book/117207


著者 : olea
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