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  • 近目同心
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  • 幼い頃から近目で眼鏡が離せない真之介は、小身の旗本の次男坊である。 近目のため婿入り話もなかなか来なかったが、縁あって、急逝した定町廻り同心の一人娘百合の婿に入ることに…。 少女時代の百合を見て以来、心ひそかに百合を慕っていた真之介は、両親の杞憂を押して縁談を承諾する。しかし、百合はある秘め事を抱えていて、祝言の後も、真之介に心を許すことはなかった。 煩悶しながら慣れない定町廻りの仕事に励む真之介は、ある事件に遭遇する。
  • 連載 江戸時代 同心 人情

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川辺りの娘

 ここ数日の晴天続きで乾いた風が心地よい初夏の朝である。笠原真之介は中間の佐吉を連れて、その日最初に訪れる自身番を目指していた。笠原家の婿となり、定町廻り同心の職を継いで一月と少々、町廻りにようやく体が慣れてきたところであった。

 

 佐吉の方が先に気付き、「旦那様・・・」と声を掛けた。真之介が眼鏡を通して眼をこらすと、自身番の戸が開いているのが見える。何かあったということである。緊張して大きく息を吸うと、真之介は着流しの裾をつかんで全力で走りだした。佐吉が慌てて後を追う。走ってくる真之介達に気付いた月番の差配が、戸口から出て小腰を曲げながら出迎えた。 

 

 「先の河原で女の死体が見つかったそうで・・・」

 差配が示す方角を向いても、真之介の眼には土手の輪郭もつかめない。

 「何か見えるか?」真之介は中間の佐吉に尋ねた。

 「野次馬が集まり始めていやす。」

 「行こう。」 

 

 また走り出した真之介の後を佐吉が追うのを、差配が心配そうに見送った。差配は、溜息をついた。

「(数日前ならば戸崎様がついて廻っていたから、何が起きても戸崎様が始末をつけてくれただろうに。よりによって笠原様が独り立ちした途端に土左衛門があがるとは、笠原様も月番の自分もついていない・・・。)」

自身番の戸口の中を振り返ると、死体を見つけた大工が上がり框の隅に縮こまるように座っていた。 

 

 そんな差配の心配は真之介の頭にはちらりとも浮かばないが、佐吉の方はまったく同じことを考えながら走っていた。河原に近づくと、川岸に岡っ引きの栄三郎が仁王立ちをしている。その足元には莚を被せたふくらみがある。そこへ近づこうとする野次馬を、栄三郎の下っ引きの数人の若い男が竹棒を横にして止めている。土手から雪駄を滑らせるように駆け下りた真之介の体は、八丁堀の旦那の登場に慌てて道を開けた野次馬達の間を抜け、野次馬を押さえていた竹棒に押しとどめられた。

 

 「うわっ!」

 下っ引きの間の抜けた叫びにきっと眼を向けた栄三郎は、着流しの裾をつかんで息をはずませている真之介と、ようやく追いついて膝に手を当ててあえいでいる佐吉を見て、驚いた。 

 「笠原様・・・」 

 よく通る声で名前を呼ぶと、栄三郎は真之介の方に歩きだした。急いで開けられた竹棒の隙間をくぐるように抜けて、真之介も栄三郎に近づいて行った。 

 

 「女の死体が見つかったそうだが。」  

 「へぇ。流されて、ここで、川辺りの葦にひっかかっていたようで。」 

 

 定町廻りの同心は、死体が見つかったからと言ってわざわざ現場に出向く必要はない。番屋で事の報告を岡っ引きから聞き取り、指示を出す。それなのに息を切らせて駆け付けた真之介の生真面目さに、栄三郎は困惑した。

 

 栄三郎は、真之介の義父である笠原玄衛門から手札をもらって岡っ引き稼業についていた。玄衛門が不慮の死を遂げ、その後、一人娘の百合の婿に入った真之介もそのまま栄三郎に手札を渡している。挨拶やらあれこれ顔を合わせる機会はあったが、探索事で息を合わせるのは初めてのことである。とどのつまり、婿殿の同心としての力量については、推し量りようがないのだ。そのうえ、真之介は八丁堀の生まれではない。大番組の旗本の次男坊、それも婿に入るまでは手習いやら何やらの師匠をしていたという、栄三郎からすれば頼りない旦那である。

 

 「(お役目に一生懸命なのはありがたいが、野次馬の眼の前で土座衛門に腰が引けたりしなけりゃぁいいが・・・。)」

 

 ところが真之介は、 栄三郎の目線の先のふくらんだ莚に向かって一直線に歩きだした。 

 「か、笠原様、見良いものではありませんよ。」 

  栄三郎は慌てた。だが、その声が聞こえないかのように、真之介は丁寧に手を合わせると、莚を薄くめくった。そこには、まだ二十歳前と見える娘の色の抜けたような顔があった。

 

  「(むごいことだが、首には締められた跡がない。ざっと見たところ血も付いていないが、これは水に流されたかもしれない・・・。)」

 

 真之介が座ったまま振り向くと、心配そうに見ている栄三郎がいた。 

 「検視はどうするのですか?」

 「へぇ、近くの医者を呼びに行かせています。番屋に運んでよろしいでしょうか?」

 「お願いします。」 

 真之介は、莚を静かに掛けると、もう一度静かに手を合わせて立ちあがった。

 

 「(こりぁは驚いた。)」

 場違いではあるが、栄三郎の口元がほころんだ。番屋に向かって、戸板を運ぶ栄三郎の手下たちを先導するような形で、真之介と栄三郎は並んで土手を上がって行った。栄三郎は死体の見つかった経緯、身元がまだわからないこと等を説明し、このひと月で少し日焼けをした真之介の顔が、その一つ一つに頷く。その後ろ姿を、野次馬に加わった読み売りが興味深げに見送っていた。

 

 番屋の隅にいた大工は戸板に載った死体が運び込まれると、更に隅に縮こまった。栄三郎は戸を閉めると、大工にはお構いなく、もう一度真之介を試すようにかぶせてあった莚を勢いよく外した。娘のまげは崩れていたが、赤いてがらが絡まっている。着物は娘らしい花柄の小袖で上等な品に見えたが、栄三郎は袖口や裾周りに擦れたような生地の傷みをみつけていた。真之介はもう一度手を合わせてから眼鏡を外し、死体を隅から隅まで顔を近づけて観察し始めた。

 

 そこへ、勢いよく戸が開いて、駕籠ではなく走って来たらしい医者が大股で入って来た。続いて、医者を呼びに行った下っ引きの平太が薬箱を手に息を切らせて続いた。 

 

 「良庵先生。ご足労いただきやして、ありがとうございます。」

 「礼より、白湯を一杯もらえぬかな?あの若いのがいい走りっぷりで、まいった。」 

と言いつつ、良庵はさして息の上がった様子ではない。まだ息の整わない平太が、疲れた顔で頭を横に振る。良庵の年に似合わぬ健脚ぶりを良く知っている栄三郎と差配は笑っていた。

 

 真之介は死体の横で立ちあがり、挨拶をする機会を窺っている。気が付いた栄三郎があわてて、良庵に真之介を紹介した。 

 

 「先生、こちらが笠原様で・・・」

 「おぉ、百合さんの婿殿か。」

 「笠原真之介です。よろしくお願い致します。」 

 

 土間に立ったままではあるが、長脇差を腰から外し、深く礼をする真之介の折り目正しい姿に、良庵は目を細めた。なるほど、育ちの良い婿殿だが、さて、検視に付き合うつもりなのか・・・。

 


自身番

 自身番に運び込まれた娘の死体は、きちんと着物を着て、見えるところには争った跡はなかった。先ほどの真之介と同じように外観を観察した良庵は、栄三郎に手伝わせて娘の着物を脱がせながら、再びじっくり観察する。その傍らで、真之介も片膝をついて熱心に眺めている。

  それに気が付いた良庵は、一体この婿殿はどんなことをしてきた御仁なのかといぶかっていた。

  やがて、良庵は真之介の顔を見ながら、試すように娘のみぞおちを指差した。 

  「これは・・・うっすらとですが、痣があります。帯の上から当たった跡でしょうから、実際はかなり強くぶつかったと思われます。幅が広く色もほぼ同じところをみると、角のない丸太のようなものにぶつかったのではないでしょうか。」 

  真之介は学問所の教授方の口頭試問に答えるかのように、慎重に語りだした。おもむろに、番屋の入り口のつっかい棒を持ってくると、娘の死体の足元に端を揃えておく。痣の位置をつかんで立てると、それは、真之介の腰の上辺りである。

  「この高さの欄干にぶつかり、勢い余って川に落ちた・・・この高さ、幅の欄干を持つ橋・・・。それも、今朝の川の流れの速さから考えると、条件の合う、ここから一番近い上流の橋から落ちたと考えられます。」

  「そりゃ、日本橋ですよ。」 

  ようやく息の整った平太が声をあげた。もちろん、栄三郎は最初からそれぐらいの見当はつけていた。だが、それは長年の経験からの予測であって、真之介の答えの出し方は新鮮なものであった。 

  良庵も、新たな弟子の答えに満足したように頷いた。それを見た栄三郎は、躊躇なく下っ引きに指示を出した。

  「よおし、おめえは外で野次馬の相手をしている奴らを連れて、日本橋の両岸の番屋を当たって娘の身元を捜してきな。」

  平太を追いだすと、

  「さて、次は、どうやって落ちたかですね・・・」と真之介に問う。

  真之介はきょとんとした顔をして、「どうやって・・・」と意味を確認するように繰り返した。

  「つまり、誰かに突き落とされたのか、自分で飛び込んだのか・・・」

  「あ、あぁ、なるほど。」 

  そこが肝心要じゃないか、と栄三郎は心の中で苦笑していた。栄三郎同様に経験を積んでいる良庵は、すでに娘の体をうつぶせにしていた。再び、目を凝らして背中側を観察した真之介は、

  「突き落とされてはいませんね。」と自信ありげに答えた。

  「じゃあ、身投げですかね。」

  「身投げでは、腹を打つ必然性がありません。」

  「それなら、なんだって川に落ちたんで。」

  「それは、はずみでしょう。」

  真之介は、さらりと答えた。

  「はずみってぇのは、どういうことで。」

  栄三郎は、真之介の頭の中に興味を持ち始めていた。

  「(ずいぶんと理詰めに考えていくお方のようだが、考えの道筋を聞かないことには、納得するわけには行かねぇぞ・・・)」

  真之介が答えるより先に、良庵が「やはり・・・」とつぶやいた。

  良庵の方を振り向いた栄三郎は、今度は良庵が何に気付いたのかをすぐに察した。だが、真之介の方は良庵に物問いたげな視線を向けている。

  良庵は、将来有望な弟子に重要なことを教える喜びにあふれたような顔で、

  「ちょっとここを見てみなさい。」

  と真之介を手招きし、娘の死体にかがみこんで あれこれ説明しだした。真之介も熱心に聞いている。やがて、 

  「勉強になりました。」

  と良庵に礼を言い、真剣な表情で教わったことを反芻しだした。

  検視の終わった死体の着物を皆で着せてやり、三人が佐吉の用意した盥で手を洗う。そこへ、差配が番茶を用意して来た。

  上がり框に腰かけて茶をすすりながら、良庵は真之介ににこやかに話しかけた。

  「婿殿は、どこかで医者の修行でもされていたのかな。」

  手に取った茶碗を置くと、良庵の方に体を向けて生真面目な顔で答える。

  「いえ、まだ修行というような所までは行っておりませんが、養生所で手伝いをさせていただいたり、医学書をお借りして自分で勉強をしておりました。」

  「検死の心得もお有りの様だが、腑わけを見学されたことはあるのですかな。」

  「はい、二回だけですが、後方で見学させていただいたことがあります。」

  「よく勉強されている。頼もしいじゃないか、親分。」

  話を振られた栄三郎は、口に含んだ茶をゆっくり流しこみながら、返事を思案した。この一月あまりで、役所の仕事を飲みこんだ真之介の頭の良さは、戸崎から聞いている。育ちの良さは、立ち居振る舞いから漂ってくるし、人柄もまじめそうである。だが、この仕事には気の細やかさと同時に、肝の太さが欠かせない。そこのところは、まだまだ見極められていないとは、正直に答えられない栄三郎であった。

  「へぇ。」

  結局、あいづちでお茶を濁した。

  

  

  

  


奥付



【2017-09-09】近目同心


http://p.booklog.jp/book/117150


著者 : olea
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