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 私の息子は今、四十歳。アスペルガー症候群との診断を受けている。これは汎性発達障害、あるいは知的障害のない自閉症といわれる。先天的な脳の機能障害で伝達の仕組みが特別らしい。その結果こだわりや偏りが著しく、コミニュケーションがとりにくく色々な生きづらさが生じてしまう彼は太っていて着こなしがうまくできないのでダラーとした感じを漂わせている。また、緊張が強いため表情がこわばっていることが多い。

 生まれてからごく普通に発育した。言葉数は少なくシャイだが、数字や文字を覚えるのが早く、我慢強い手のかからないだった。私は何か違和感を覚えつつも、「これも個性かな」などとのんびり構えていた。

 

 幼い日のことを思い出す。一緒に歩いているとき話しかけると、立ち止まって答える。食事をしていても、話すときは食べるのをやめる。今から思えば、「ばか丁寧な子だなあ」と得心していた自分の無知が腹立たしい。れが正に、『同時に二つのことが出来ない』特性だったのだ。

 またあるとき、いつも電気などをつけっぱなしているので注意した。

「お部屋を出るときは消してね」

 翌日みんながいるリビングを出るとき、息子はスイッチを切って出た。

「あするの、これ!」

 彼はキョトンとしている。私も訳が分からない。これも『空気をよまない』典型であった。その時は呆れ果てながら、くどくど注意したけれど、息子はおろおろするだけであった。

 数字には強かった。携帯のない頃、電話番号帳はなくてはならないものだったけれど、我が家は息子が全部覚えているのでほとんど使わなかった。計算も早く『歩く電卓』と呼んでいた。プロ野球を見るのが好きだったがこれもゲームそのものよりスコアとかデータに興味があったようだ

 

 正式に診断を受けたのが二十四歳の時であった。その当時現在のような情報がなく、私は、訳が分からなかった。不可解だった息子の言動に納得出来た気もしたが、頭の中はクエスチョンマークばかりが激しく点滅していた。

 

 私は息子を育てるのに無我夢中だった。誰にも逆らわず、不器用ですべてがスローなのに、数学だけはものすごくできる。そんな彼はかっこうのイジメの的だった。私は日々、原因を突き止めようとせず、対処だけに明け暮れていた。事あるごとに「母親のしつけが悪い」と言われ、少しでも社会性のある強い男の子に育てなければと、肩に力を入れて 神経を張りつめて暮らしていた。全く方向が違うことにエネルギーを使い、疲れ果てていたのだ。

 

 彼に関わる教師たちも、無理解で、見当はずれな励ましや叱責ばかりを繰り返していた。友だちからのイジメよりむしろ教師からの罵倒や体罰が息子を委縮させたように思う。ただ、その中で元凶私なのだ。

「あいさつをしなさい」

「きちんと片づけなさい」

「勉強しなさい」

 人間関係を築くのが苦手なのだからなんとか学歴とか資格をつけて世の中に出さなければと、眉吊り上げて叱咤していた。私をがんじがらめに縛っていた『一人前にしなければ』という呪いのようなものは何だったのだろう。どうして息子の内面に入り込んで包み込んでやれなかったのだろう。抱きしめてやれなかったのだろう。息子を守るために戦っているつもりの自分が彼を一番苦しめていたのだと、後になって、悔いの棘が体中を突き刺した。

 夫は企業戦士で単身赴任、姑からは「この子はうちの癌です」と言われ、歳下の妹にも色々つらい思いをさせた。そして、忘れない脳』の息子は、私たちの言動をフラッシュバックさせ苦しんでいた。

 

 成人してからも様々なことがあった。数学推薦で入学した大学を中退せざるをえなくなったとき、私はきつく言った。

「自動車学校くらいは卒業して」

 紆余曲折はあったものの息子は卒業した。しかし、いくら待っていても試験場へ行かない息子がやっと言った。

「お母さん、自動車学校卒業してと言ったから僕は卒業した」

 私は口をあんぐり開けたまま固まってしまった。私の中では、免許取得は卒業結果当然のものだったけれど、息子はただ言葉通りだったのだ。

 こんなこともあった。気軽に声をかけて下さる奥さんがおられ、息子にやさしくおっしゃった。

「また遊びにいらしてね」

 しばらくして、その方から電話があった。

「何度も来られて迷惑しています」

 驚いた私が息子に尋ねると、重い口をやっと開いた。

「いらしてねと言われたから行かなければならないと思った」

 彼は外食が苦手だ。食べることは大好きだけれど、周りのざわざわ感が嫌なようだ。娘たちと外食するときも、最近は誘わない。彼はお気に入りの近くの焼肉屋さんの「特製大盛り弁当」を買って来る。一人のんびり食べるのが一番楽しいみたいだ。何も知らない人が見たらきっと言うだろう。

「うんまあ、あのお兄ちゃんきっと先妻さんの子やね。顔はお父さんそっくりやものね。かわいそうに」

 

 本で読んだのだが、彼らは舞台俳優が脚本を暗記するように、先のことをシュミレーションして必死で練習するらしい。でも現実は突発的なことばかりが起こる。アドリブでかわせないのでパニックに陥るらしいのだ。息子もっと先の予定手作りのカレンダーに書き込み、変更があると顔色が変わっていた。今は苦手ながらもずいぶん柔軟に対処できるようになってきた。

 

 社会で、息子は偏狭で扱いにくい人間として排除される。人と関わっても叱られるか笑われるか無視されるかしか体験してこなかったから、いつの間にか、関わることをやめてしまった。かし、本来人が大好きで、穏やか優しい静かな人だ。家の三匹の猫を可愛がり餌をあれこれ買ってきて時間通りに食べさせている。その猫に対して命令したり大声をあげたりしたことを聞いたことがない。

 

 今は、仕事をしていない。いろんな職種を経験してきたが、刀折れ矢尽きたのだろう。働かなければと、昼間家にいることすら出来なかった頃と比べると、やっと落ち着いて暮らせるようになったのだ。私が一人前に呪縛から逃れられたからだと思う。私もいろんなことを学び、体験し、様々な方と接して、得たことがたくさんある。また、交通事故に遭い、『生きること』を考え直したことも大きいだろう。その人間のあるがままを受け入れる。生きるに値しない命など絶対ないのだと、お腹の中にどんと入れることができた。

 

 母が変わると息子も変わる。まだまだ道は遠いし、親亡き後を考えると不安だ。でも、ある講師が言われた。

「彼らは親亡き後の方がしっかり生きていきますよ」

 その時は笑ってしまったが、その言葉は一つの真実だと思う。いろんな方の支援を受けながらゆっくりと暮らしていきたい。

 うれしいことは

「雨降るかな?」

このクイズわかる?」

 など、とりとめのない会話が自然にできるようになったことだ。

 

 たった今、パソコンに向かっている私の方に、息子が扇風機を向けて黙ってリビングから出て行った。それだけで私は泣きそうになった。

 分かりたくて、もがいてきた。でももういいのだ。私は母だ。感じればいいのだと思うようになった。

 

 息子のことをずっと書きたかった。書くことが自分の気持ちを整理することだと気付いたからだ。今、厳しかった周りの風景がずいぶんゆるみ、静かに佇んでいる私がいる。これを書き終えたら、一歩を踏み出せそうな気がする。幸い夫も退職しとても協力的だし、案じてくれる娘夫婦もいる。支援して下さる方ともしっかり繋がっている。状況は決して楽観的なものではないけれど、息子のやわらかな表情を胸に、さあ、今から新しい一歩を踏み出そう。


この本の内容は以上です。


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