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次、いつ会える

9月も半ばを過ぎた土曜日。午前10時ちょい過ぎ。新宿駅上のカフェ。

タバコの吸えるテラス席で、グリーンのパラソルの下、大きなシダ植物?を背景に「ハニーソイミルクオリジナルベルガモットアイスティー」なる難解な飲み物を、スマホ片手にストローで飲んでいる3つ年上の女。

丸テーブル越しに女と向かい合い、「ああ眠い。」と怠そうに引いた椅子の背に持たれ足を投げ出した九嶋は、いつまでも終わらない女のスマホ操作の邪魔をして「俺、昨日ジャケット着てた?」と聞いた。

 

「着てなかったわ…たぶん。」

 

 昨夜どこかに飛んだらしいシャツの第一ボタンはともかくとして、買ったばかりのサマースーツのジャケットは車にあることを願っている。

 

「旦那、なんて。っで、」

 

 背後を通った客のかばんが後頭部にぶつかる。「させん、」と言って去った男子を振り返り、椅子を引き、九嶋は椅子のスペース分だけにおとなしく小さく手足を折りたたんだ。

「 大丈夫」と女がスマホをバッグに入れた。

 

「うん。」

 

 九嶋は後頭部を撫でた。

 

「夫が。」

 

あ、そっちね。九嶋はそぅっと頷く。 日の光の下で、改めて目が合って、何となく照れて、意味もなく九嶋は周囲を見渡した。まばらな客。鳩が行ったり来たりしている。

 

「二日酔いね。」 

 

「別に。」

 

「今日も車には乗れないわね。それでもまた飲みたくなるものなの?」

 

九嶋は「なんでだろーな」と笑った。

 

「ひとごとみたい。」

 

「なんというか、まあ、ビョウキ?」

 

女が目を見開く。

 

「悪気はない。」

 

九嶋は困ったように口元だけ笑った。両手を腿の間に挟み、叱られた子のように肩をすくめる。

 

「昨日の事覚えてます?」

 

ストローで氷をつつきながら女が言う。

 

「覚えてますよ?勿論。」

 

 ふふん、と低く笑って九嶋はタバコに火をつけた。

 

「あんくらいじゃ記憶飛ばないよ。」

 

「自慢するとこ?」

 

女王様、と声に出さずに煙を吐く。

 

「違うわ。」

 

肩を揺らして九嶋は笑った。

 

「飲み会での事よ。」

 

「あー、もしかして怒った。ちょっとやな事言ったかもなあ。」

 

女は手を止める。氷が澄んだ音をたてる。

 

「それもまぁ…、」

 

「悪気はない?」

 

「そういう事。」

 

終始一人で笑った後で、すいません、と謝りかけた九嶋を女が遮った。

 

「怒ってなんかないわ。聞いてみただけ。」

 

風で頬にかかった短い髪を女は耳にかける。そして九嶋を見て微笑んだ。煙を吐いて九嶋も口角を上げた。足元に寄ってきた鳩がぽくぽくと鳴く。

 

「鳩も九嶋さんが好きなのね。」

 

「も?」

 

発車ベル、遠い喧噪、氷が鳴る音、シダ植物?が揺れ、遅い朝の弱い影がゆらゆらと揺れる。

 ストローをくわえるその唇を見つめる。白い首筋をたどって胸のふくらみを視線でなぞる。昨夜からついさっきまでの記憶がタイムラプスで巻き戻り、最初から通常再生されるのを、後で後でと強制停止するようにきつく目を閉じ、深呼吸して開いた。

 

「九嶋さん。」

 

九嶋はタバコを消した。軽く咳ばらいをして姿勢を正し、ワイシャツの裾を引っ張った。

 

「なんでしょう。」

 

「まだ気になります?」

 

「何がです。」

 

九嶋はコーヒーを飲み干した。

 

 「おっぱい。」

 

正しくは、音声には出さずに女は真似して口パクで言った。飲み込む直前で九嶋がむせた。

 

「気に…なるかならないかといえば…」

 

九嶋がとぼけると女は冷めた目で笑った。

 

「すいません、とても気になります。はい。あの、かなり。」

 

「そうなんですね。」

 

「そうですよ…そうでしょう。」

 

「そうなのね。」

 

頷いて九嶋は「で、」と続けた。

 

 「次……いつ会える。」

 

改札までに言えずここまで引っ張った言葉を勢いで九嶋はやっと言った。

 

 「さあ。」

 

しかし女は素っ気ない。

あー…と繋いで九嶋は引かずにスラックスのポケットからスマホを出した。

 

「連絡はさ、何がいいかな、」

 

しかし難解な飲み物を飲み終え、女は立ち上がってしまう。スマホを差し出したまま九嶋は女を見上げる。

 

「もう行くわね。」

 

向こうで鳩が一斉に飛び立った。

43歳既婚者。で部下。会社の飲み会の翌朝。ホテルの出口で繋いでた手は解かれて、少し後ろを付いて歩く事10分。別路線の改札前で無理やり進行方向を変更させて駅上のカフェに来た。

年上おっぱいゆるふわボブエロ可愛女王様。

好きなやつだ。つまりどストライクとも言う。一人残され、九嶋は最後のタバコに火をつける。目が合った鳩に小さく会釈した。


鱗雲

離婚して8か月が過ぎるから8回目の面会日だ。子供達との。

 右に娘、左に息子の手を握り、交互にその手を振りながら九嶋は近所の大きなショッピングモール駐車場をゆっくりと、大股で、堂々と歩いた。

 

「何が欲しいの。」

 

「何を買ってくれるの?」 

 

「なんでも買ってあげるさ。」

 

「いくらまで?」

 

「いくらでもいいよー。」 

 

「じゃあ僕は1000円。」 

 

「私は2000円。」

 

「じゃあ僕も2000円。」

 

「だめよ。」 

 

「なんで?」 

 

「弟なんだからお姉ちゃんのほうが高いの。」 

 

「 えーそれってハラスメントじゃないの。」

 

「そういう弱いふりがハラスメントなの!」 

 

「ずるいずるい、」 

 

可愛い兄弟げんかに九嶋は立ち止まった。

 

「いーよ二人とも、そんなこと気にしないで好きなものを買えばいいじゃん、」

 

 息子が喜んで跳ねる。娘が涙目でふくれ、息子を押した。息子が押し返す。手つないだまま二人が追いかけ合うかぐるりと回転した。

 

「こらこら、あははは。」 

 

ああ可愛い可愛い。

なんで自分はこの手を離してしまったのだろう。あの時。

二人は自分に父親としての存在価値を与え、帰宅する場所と意味を教え、無条件に慕われているという安心感と家族を立派に養えているという自信を持たせてくれていたのに。

失って気づく家族の尊さ。元妻はそんな九嶋の想いを「白々しい」と吐き捨てたが…。

思い出して凹み、しゃがんで二人を抱き寄せた。

ああ、宝…。

 

「ねえパパ。」 

 

娘がくぐもった声でつぶやく。 

 

「もう一緒には住まないの?」 

 

胸が詰まる。

 

「そうだな…、うーん。」

 

「これからもお買い物に連れて行ってくれる?」

 

「勿論だ。」 

 

「新しいパパが出来ても?」 

 

「そりゃ…うん? 」

 

二人の肩を離して交互に顔を見つめた。宝たちは無邪気ににっこりと笑った。

 

「良かった、モトパパやっぱ気にしない人だー。」

 

「シンパパは厳しいから300円までだもんねえ。」 

 

「モト…シンパパ?…ていうかさお姉ちゃん、ちょっと、今の話さあ、たかし何が300円なの。」 

 

唐突に息子がなんたらキャノンパンチ!と奇声を上げ、九嶋を思い切り突き飛ばして駆けていく。

 

「痛てて…なにパンチっつった?こらー危ないぞ!」

 

その先に風船を配ってる牛っぽいゆるキャラが手招きしていた。なんだろうな、あれ、と娘を見上げると同時に娘も跡を追って走り出す。

 

「花!」

 

九嶋は娘の名前を呼んだ。

娘は振り返り、キラキラを振りまいて叫んだ。

 

「パパも来て!早く!」

 

ずいぶん伸びたツインテールを揺らして駆け出していく娘に九嶋は目を細める。

 

「たかし!こらー。お姉ちゃんが先よ!」 

 

牛が5名ほどの子供たちにもみくちゃにされ、手渡し損じた風船の紐を離した。

九嶋は後ろ手にしりもちをついたまま空を見上げた。 

鱗雲に、赤。

 


再会

横浜の事業所に出向いた九嶋は偶然三枝頼子に再会した。

例の女である。

部下だから別に不思議な事ではないのだが、頼子はほぼ直行直帰で担当20か所の事業所をランダムに移動しているため、直属の上司ではない九嶋の立場ではリアルタイムの頼子の居場所を把握できないから本当に偶然。

狭い事務所のPCの前で一人何やら業務をしている頼子らしき後姿を見つけて動揺し、その背後で外廊下を3往復した。

 

「…九嶋さん?」  

 

「あ、三枝さんじゃないですか。どうも。今日は、ここ?」 

 

「ええはい。」 

 

「偶然、だね。だよ?」 

 

数秒見つめ合ったのち、「珍しいですね。」と頼子が言った。 

 

「現場の方になど。何かございました?」  

 

「いやね、新しく入ったほら、あの子、話があって。」  

 

「ああ、あの件九嶋さんが。すいません、私が上手く処理できず…。」  

 

謝られて九嶋は「いいんだ。」と萌えた。  

 

「…呼んできますね、少々お待ちください。」  

 

「いや、あ、待って。」 

 

「はい?」 

 

「いや、なんでもない。 」 

 

「なんです? 」 

 

「いや…ははは 」

 

 照れて頭をかく九嶋に、頼子も微かに笑った。  

 

「呼んできます。」

 

 そっけなくそう言い、頼子は事務所を出て行った。  

 

これは染めてるんじゃなくて抜いてるんです。

と意味のわからない主張をした二十歳そこそこの金髪の女子従業員に、とにかく抜いたならまた入れて来いと適当に注意し、直ぐに業務に戻らせた。 

 

「二十歳だっけ。」

 

「…21です。」

 

「まぁ、大丈夫でしょ。」 

 

「といいますと?」 

 

「厳しく注意したし。この件は様子見で。」 

 

 頼子がゆっくりと瞬きした。 

「それより」小声で話しかけた所で背後で名前を呼ばれた。 九嶋が驚いて振り返るとさっきの金髪が泣きそうな顔で立っている。

 

「なんだ。どーした。」

 

 棚の上の物が取れないという。中の人に頼んでと頼子が言うと、どうせ言っても自分の頼みは聞いてくれないとしおらしく言う。

 

「だめだろ、」

 

 九嶋は言った。 

 

「どうせなんて。話す前から諦めちゃ。」 

 

「でも…。」

 

 しょーがねーなと言って九嶋はついて行き、段ボールを下ろしてやって、重いというから更に奥まで運んでやり、中の男性従業員に、この子頼むよと声をかけた。ついでに少し世間話をしてから急いで戻ると頼子はいない。しかしデスクの上にスマホが置きっぱなしになっている。 ラインの通知が表示されているのが見えたから、九嶋は背後を確認し、そろりと近づき少し体を傾けて覗き込んだ。

 

「お茶いかがですか。」

 

「あーりがとうっ。」と九嶋は振り返って立っている頼子に笑った。

 


スーパーアーマー

「狭いですよねここは。でもどうぞ、お掛けください。」  

 

頼子はそう言いながら小さなテーブルに湯飲みを置く。 

 

「お茶もお出ししないで…すいません。」 

 

「ああ、気を使わせちゃって、こちらこそすいません。」 

 

九嶋は奥のソファーに座った。 

3畳くらいのスペースにデスクと棚と一人ずつが向かい合える程度のテーブルとソファーが置いてある。 

事業所のメインのシステムは中にあり、この事務所は主に従業員の勤怠と総務的な受発注を行っているだけの場所だ。

頼子は自分の湯飲みはデスクに置きそこに座った。 狭い事務所内で対角線上に一番遠い位置取りとなっている図だったが、地味なグレーのスカートから斜めに揃って伸びるストッキングの足が無理のない視界にあって実に良い眺め。 そしてこれまた地味な白いリボンブラウスの腕がほんのわずかに透けていて良い。 そして更にそのリボンの乗っている… 

 

「五円お持ちですか?」 

 

 九嶋の妄想を遮断して頼子が言った。 

 

「ご、ごえん。」 

 

「はい。1円で5枚。従業員に買い物を頼んだのですがお釣りがなくて。」 

 

「あ…はい。」  

 

ジャケットの内ポケットから財布を出し、一円玉を五枚探した。 

 

「10円分はあります?」

 

「ないな五円しか…ご縁なだけに。」

 

 頼子はスルーし、立ち上がって九嶋のそばにきた。 差し出された5円玉を受け取り、1円玉を五枚束ねて返した。白くてひんやりとした指に指先が触れた。

 

「三枝さん。」 

 

「はい。」  

 

一瞬の間のあと、九嶋は言った。 

 

「ライン教えて。」 

 

財布をポケットにしまい、どうということもない素振りで顔を上げる。同時に頼子は背を向けてデスクに戻った。 

 

「…やってません。」

 

 そそくさと引き出しから伝票の束を取り出して、入力を始める。 九嶋は湯飲みを持って立ち上がり頼子の後ろに立った。イスの背もたれに片手を乗せ数字が打ち込まれていくディスプレイを覗き込みつつ茶を飲む。ごくりと喉が鳴った。 

 

「速いな。」 

 

「ただの伝票入力ですよ。」  

 

マニキュアのない白い指が滑らかにテンキーを打つ。 その指がもたらした記憶が生々しく九嶋の脳裏に再現される。 

胸を静かに上下させる微かな息遣いを感じる。 そのブラウスの下がどんな風か九嶋は知っている。

あれからずっと、リアルな妄想が展開され続けている。 あの夜その唇にかかり、九嶋が梳いてやった髪に僅かに寄った。

掴んでいた背もたれがキシリと音を立てる。 

打ち間違い、DELを3回押して頼子が「近いかと。」と呟いた。 =322+1187+で止まった点滅するカーソルを見つめながら九嶋は言った。 

 

「仕事の連絡を取りたいだけ。」 

 

「上を通していただけますか。」 

 

「その判断も俺。」 

 

「セクハラです。」

 

 冷たく言い切られ九嶋は身を引き茶を飲み干す。

ふぅ。強いな。  

振り返った頼子の怒った顔に九嶋は眉を上げた。

 

「帰ります。」 

 

 ごちそうさま、と差し出した湯飲みを受け取り、頼子は目を伏せた。

 


待ち伏せ

両端が黒ずんだ蛍光灯が点滅している。

ホラー映画か誰かの悪夢のように薄暗く何かよどんだ空気の匂いがする湿っぽいエントランス。 重たい鉄のドアを押し開けると「ゆう」と風が鳴った。  

 

「わー、雨降ってるなー。」 

 

「ではお疲れさまでした。」

  

会話を拒む冷淡な声に九嶋は背中から一突きされたような気分になる。胸を押さえゆっくり振り返って頼子を見下ろした。 

果たして本当に一度は口説けた相手か。

全ては酔って見てた夢か。 

いやいやいや違う。

沈黙の後、「幸せですか。」と九嶋は反撃した。 

 

「仕事も…家庭も。」 

 

「はい。」 

 

即答。カウンター。 

 

「そうか、良かった。うん。」 

 

「雨ですのでお気をつけて。」

  

更にモンスターは九嶋に一撃を浴びせる。

 

「追い出されるようで寂しいな。」

 

 九嶋は死にかけでわずかながら反撃。返答なし。 点滅する蛍光灯の下で頼子の表情からは何も読み取れない。

体内で何かが…血だろうな…ざわめく様な不気味な感覚がし、九嶋は両腕をさすった。 

 

《この人とすぐにでもまた手足を絡めて抱き合いたい。蔓のように。》 

 

視界のスクリーンに無遠慮に打ち出された正直な感情に九嶋は緑のシロップを飲んだみたいに高揚した。 

頼子が一歩下がったから反射的に九嶋は一歩踏み出した。背中から離れたスチールのドアが風で勢い良く閉まり、まるで雷でも落ちたような轟音と共に圧が九嶋の背中を押した。 

伸ばした手はスローモーションで避けられ空を掴んだ。 白くて薄いブラウスに身を包んだ、予想外にやたら強い獲物はひらりと背を向けて…逃げた。

 エントランスに一人、九嶋は取り残される。

 蛍光灯が今にも切れそうにじくじくと鳴る。 

 

 

雨から雪に変わるでしょう。

ナビのテレビでお天気お姉さんが言っている。 細かい雨はとても冷たく風も強い。 歩行者たちは傘の柄をしっかりと握り盾のようにして風に立ち向かって足早に歩いていく。

家までは遠く1時間以上かかる。 いやこの調子で混んでいたら2時間かかるかもしれない。 

コンビニで弁当でも買ってくか。どこかで食って帰るか。 

国道に向かう途中、信号で止まる。にじむ赤信号を見つめる。 

あれから2週間後手後手で捕まえられず、従業員名簿に登録されていた個人番号に思い切って電話をしてみてもメッセージを送っても返答なし。

やっと見つけたのにラインも聞きだせないどころかまるで追い払われて。だからってこのまま帰ったら今度いつ偶然は来る。

 

「こないよなぁ…。」

 

 九嶋はつぶやいた。だからっていっそ家の前で張るのはさすがに。

 

「まずいよなあ…。」

 

 国道手前でウインカーを出しハンドルを切る。ゆっくりと住宅地の路地を迂回してさっきの事業所の入り口前まで戻り、少しバックして植木の陰に路駐した。

煙草に火を点けてシートにもたれる。 鉄扉の上の小窓から、点滅している灯りが見える。 

激しい雨にワイパースピードを上げて、九嶋は煙を吐いた。

 



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