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言い訳社会は、覚悟がない社会?

今日も朝から誰だかの問題行動が報道されていますが、今後、どのよ

うな釈明(言い訳)がなされるのでしょうか。

 

常日頃言い訳ばかりしている私がこのような内容を書くのは問題があ

るのですが、問題があるということは、その問題についてよく理解し

ているということかもわかりません。

 

人間というのは、一人ひとり違った存在であるため、なにか事が起こ

れば、あるいはなにか事を起こそうという場合でも、ほかの人にその

説明をしなければなりません。

これはなかなかむずかしいことでもあります。

例えば、仕事における企画提案であっても多くの人の前で説明しても、

これでもか、というほど反論や反対意見がでてきます。

まぁ、納得して賛成してくれる人などないと思っておいたほうがよい

でしょう。

稀れに企画内容はわからんがやらせてみようか、といってくれる経営

者がいることもありますが、他人に説明するときに反対意見などをく

らってしまうと、企画内容の詰めが甘くて、つい言い訳がましいこと

を言ってきたものです。

それでもめげずになんども企画書を出して実行することにかけては諦

めないのが、他人には往生際が悪い、と言われますが、しつこくやる

のが私流でしょうか。

 

だいたいなにをやるにも自分の覚悟が足らんようです。

家庭を振り返れば、女房に怒られそうなことをしておきながら、帰宅

後、怒られると、すぐに言い訳に終始します。

なんでも質問(詰問)されると、小さなことから大きなことまで言い

訳は続きます。

また、とくに意識していなくとも、女房に鋭い話をされると、ただち

に言い訳がでてきます。

 

この程度の能力で仕事をし、家庭生活をしているのですから、自らの

自覚のなさ、覚悟のなさは、元々明白なのです。

本当の意味で言い訳がない仕事は、人生のうちで数回でしょうか。

 

 

 

 

 

言い訳のない仕事は、徹底して現場を見て段取りをし、調査し、課題

の本質に迫っていく集中力が違います。

我ながら尋常ではなかったのですが、有能な人間はこれらを継続して

おこなえるのですから驚嘆です。

仕事における言い訳、法律や倫理?に触れることはやっていなくとも、

いとも簡単に言い訳をする私は、覚悟なき社会を作っている一員とい

うことになるでしょう。

 

私も結構ひどい言い訳をしますが、この頃の世間を見ていると、言い

訳のオンパレードでしょうか。

言い訳なら可愛いほうで法律違反をおこなっているにも関わらず言い

訳に終始する度胸というか、神経のなさというか、鈍さというか、社

会に立つ自覚がない人間がいることには本当に驚いてしまいます。

 

それもメディアによって白日の下にさらされてからも、堂々と言い訳

を放つこと自体、覚悟のなさを物語っています。

本来であれば、いろいろやる前に事の顛末をイメージして覚悟を決め

ておかなけれなりませんが、想像が足りないというか、純粋というか、

社会に立って仕事をするという自覚そのものがないかもわかりません。

私のように家庭内における言い訳ですら、自分の自覚のなさと決断力

のなさを感じるのですから、せめて公の立場に立って税金で仕事をす

る人達は覚悟をもって行動してほしいものです。

 

物事の結果とは自覚や覚悟があろうとなかろうと、会社で問題を起こ

せば辞職、家庭であれば妻からの離婚を受け入れるなど、自分がやっ

たことの帰結は、最初から自覚や覚悟がなくともその時点でも覚悟を

もって受け入れるしかありません。

人間ほど複雑な生き物(一人として同じではない)はいないのですか

ら、いろいろことをやってしまうこともあるでしょう。

しかし、その結果がでたら社会という仕来りの中で潔く覚悟を決める

しかありません。

 

 

 

 

 

 

 

失恋などを含む多くの失敗とて同じです。

その苦しい結果と現実の中から、自らの意思で前を向いて歩いていく

しかありません。

その原因は、ほぼ自分にあるのですから。

出処進退は、自らが決めて行動するしかありません。

勿論、法律に違反すれば相応の処遇がまっています。

 

社会における覚悟なき人間のひとりとして他人のことを言うのは簡単

ですが、改めて自分の胸に手を当てて考えてみることが必要な今日こ

の頃です。

覚悟なき社会を作ってきたのは、ほかならぬ自分だったのかもわかり

ません。

 

 

 

 

 

 

 

 


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最終更新日 : 2017-09-07 14:12:09

この本の内容は以上です。


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