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第2章 継ぐ者たちの時代


7 オロンゴ岬


 朝を迎え、とうとうタンガナが行われる当日となりました。


 勇者候補である選手たちに軽い昼食が配られ、これを詰め込んだ腹がほどよくこなれた頃、いよいよ十人の若者たちが浜辺に立ち並びました。夏の太陽がジリジリと選手たちの体を照りつけます。


 テピト・テアナの南端に位置するこの浜辺は、島の人々から"オロンゴ岬"と呼ばれている場所であり、実は、あのラノ・カウ大火山のそばの海岸線でもありました。覚えておいででしょうか。六年前、セフィーネとコースタニヤが船出したのが、まさに、この海岸線だったのです。ですから、近くにはあの時の船着場もありました。


(セフィーネさま、コースタニヤさま......あなた方のためにも、私は今日勝って勇者とならなければなりません)


 いまや逞しい青年となったアサジが、心のなかでそう呟きました。

 

 

 

 やがて老勇者バッティーヤが選手たちの前に現れました。彼も歳をとり、筋肉もかなりそげ落ちてしまいましたが、まだまだ威厳ばかりは失っておりません。そんなバッティーヤが、高らかにタンガナの競技開始を宣言しました。

 


「精鋭たちよ、お前たちは、これからこの岬を出発し、遠泳によって彼方にある小島"モツ・ヌイ"を目指すことになる。モツ・ヌイに上陸した者は、そこで海燕の卵を手にいれ、それを割らぬようにしてこの岬に持ちかえるのじゃ。みな恐れずに進むがよい。さあ、準備はよいか」


 ハイ、とは誰も申しません。息苦しい空気のなか、若者たちの面前で、ただバッティーヤの手が勢いよく振り下ろされました。


 十名の選手たちは、歴代の勇者たちもそうしたように浜辺を駆け、一斉に海へと飛び込みました。まだ見ぬ小島モツ・ヌイ、鳥の産卵場という意味をもったモツ・ヌイを目指す彼らは、襲いかかる大波をものとおせず、どんどん浜から離れていきました。

 

 

 

 選手たちの泳ぐ速度に差が出来はじめ、その差から、やむなく勇者の座を諦める者たちが頻出してきた頃、目指すべきモツ・ヌイが、若者たちの先頭を切って泳ぐ者の目に見えてきました。その先頭を泳いでいる者というのは、他の選手にとっては何とも面目ないことですが、最年少選手としてタンガナに参加している巨漢イドでした。


 イドは、自分以外の水しぶきの音が遠くからしか聞こえなくなったのに気づくと、


(はん、もう近くには誰もいないぞ。振り返っても仕方ない。このまま奴らを引き離してモツ・ヌイに上陸してやる)


 と、まさにご満悦の表情を浮かべました。


 さて、このタンガナ、イドにとっては何としても勝ちたい勝負でした。


 島の勇者という役職、これを手に入れようという名誉心もさることながら、イドが本心から手に入れたいと思っていたのは、巫女チェリアその人であり、こちらは、より純粋な恋心が求めるものでありました。

 

 


 思えば一年前です。そのころイドは初めてチェリアに会ったのでした。


 島の農民、漁民には、その収穫の一割を巫女の砦に納める決まりがありました。たいがい農民は穀物を、漁民は干し魚を献上します。これらは、島における"もしもの時"に非常食として引き出されることになるのですが、それでも一部は砦に居住する人たち、つまり巫女たちの食料となっていました。


 このため巫女は、恒例行事として、年に一度村々を回ることになっており、そこで民たちにお礼を申し述べていくのです。ただし、今から一年前ごろにはすでに巫女の――バッティーヤの妻であり、セフィーネの母である人の――体調は思わしくなく、そのお礼参りには、巫女の代理としてチェリアが回っていたのでした。


 イドが最初にチェリアを目にしたのはこの時で、昔のアサジがセフィーネに対してそうであったように、まず、その無類の美しさに目を奪われました。少年イドの目に、一つ年上であるチェリアの美しすぎる姿は、ほとんど毒に近いものがあります。芳しい毒気にあてられたイドが惚けていると、その姿に気づいたチェリアが、


「大きな体をしてらっしゃるんですね。その体でしたら、お仕事は人の何倍も出来ることでしょう。どうか村や砦の私たちのためにも頑張ってくださいね」


 そう言ってイドに頭を下げました。

 


(こんなキレイな人が、僕の頑張りを必要としてるのか)


 そう思うとイドは胸が一杯になってしまい、何の返事もすることが出来ませんでした。それからというもの、彼の脳裏からチェリアに姿が消えることは一切なく、しかも日を追うごとに、それは激しい恋慕へと次第に変化していったのです。


「あの人は僕を必要としてるんだ。あの人には僕じゃなきゃダメなんだ。だから僕は......あの人を自分のものにするんだ」


 子供心に、イドは何度そのように思ったか分かりません。

 

 

 

 願いは、一年のときを経て、いまや現実のものになろうとしていました。依然としてイドは競泳の先頭を守っており、このまま行けば、間違いなく勇者の座は、そして巫女はイドのものになるはずでした。モツ・ヌイまであと僅かであり、前に誰もいない海を泳ぐイドは、思わずニヤリとほくそ笑まずにはいられませんでした。


 ですが、その緩んだ口元がそのまま固まってしまう瞬間が訪れます。モツ・ヌイの海岸線がはっきりと見えたとき、懸命に足を動かしていたイドの横で、さも何気ないことをしたかのように、彼が泳ぐのを追い越していく者があったのです。


(こいつ、いつのまに!)


 それこそ我らがアサジでした。イドは必死に追い抜こうとしましたが、どうしてもそれが出来ません。なぜならアサジには充分な体力が残っていたからです。


 アサジは今までイドの真後ろを泳いでいたのであり、そうすることで、イドの体を波の盾にすることが出来たのです。イドの荒々しい水しぶきは、そんなアサジの気配を見事に隠していました。そして、波をまともに浴びていたイドと、そのイドを盾にしていたアサジに体力には、いまや歴然とした差がついていたのです。


 焦るイドを尻目に、とうとうアサジは、イドの巨体をもってしても、追いつくのは絶対に無理、というところまで相手を引き離してしまいました。


(そんなはずはない。あんな奴が俺のチェリアさまと、ウソだ! ウソだ!)


 イドがそう思ったところで、今となっては後の祭りでしかありません。しかし、イドに勝ちを諦めることは出来ず、その執念は、ついに勝利のためには手段を選ばない決意を呼び起こしたのです。


(どんな事をしたって、あんな奴に巫女さまを渡すものか)

 

 

 

 この季節におけるモツ・ヌイはまさに"鳥の産卵場"で、この岩だらけの島には、じつにさまざまな種類の鳥たちが、繁殖のために羽を休めていました。中でも多いのが海燕で、今時その卵が一つもないなどという事は絶対にありえません。選手が、モツ・ヌイまでの往復をなした証拠に海燕の卵が使われるのは、まさにこのためなのです。


 海燕の巣が群集しているのは、島のほぼ中央あたりでした。そのためモツ・ヌイに上陸した選手は、そこまでの道のりを、たとえ無数の鳥の嘴が恐ろしかろうとも、甘んじて進まなければなりません。


 しかし実は、この道のりは、勇者をめざす者が通るべき必須の関門でした。いえ、タンガナの核心は、まさにここにある、とすら言えるのです。なぜなら、この関門を通るに際しての心得は、すでに昨日のうちに、バッティーヤから選手へと教えられていたからです。

 

 

 

 昨日、バッティーヤは、まず前置きとしてこう言いました、


「聞け。空は天と地の中間にあり、その空を飛ぶ鳥たちは、天界と私たち人間の世界を結んでいる。ゆえにそれは、テピト・テアナという島名の"天界と地上界を結ぶヘソの緒"という意味を、異なった形で象徴しておると言っていい。つまり鳥たちは、天意を伝える巫女と同じ役割を持っておるということじゃ」と。


 そして、タンガナ最大の核心について次のように語ったのです。


「空を舞う鳥たちの心は、巫女と同様にどこまでも高貴であり、彼らは、自分たちにとって敵と思われる者にしか攻撃しない。鳥たちのその高貴さと相容れない、卑しさという名の敵に対してしか攻撃しないのじゃ。


 では、鳥たちに敵として見咎められる"卑しさ"とは何か。


 まず、鳥の天翔ける翼をはぎとり、これを恥辱しようとする者。すなわち、本来は尊敬するべき者を、嫉妬心によって苦しめる者。


 次に、大空に舞い上がれない者。すなわち、高所からの視点を持たず、大局を眺めるのに無能な者。


 そして、自分が鳥であることを忘れてしまった者。すなわち、自分の高貴さを忘れ、その低俗なものの考え方によって、自分はおろか、他人までも堕落させてしまう者。


 卑しさとは、こうした者の心境をさすものだと言えるじゃろう。


 だから、お前たちは卑しさを捨てて心を高めよ。そうしなければ、鳥たちが群がる道のりのなか、お前たちが彼らの攻撃に晒されないという保証はない」

 


 この競技がタンガナ(鳥の人)と呼ばれ、そのなかで勇者が決められるのは、このような背景があるからなのでしょう。つまりタンガナによって、巫女(ヘソの緒)と同等の、勇者(鳥の人)が決められるということです。

 

 

 

 モツ・ヌイに上陸したアサジは、海燕の卵を得ようとして、その巣があるという島の中央に進んでいきました。周囲に目を向けると、数知れない海鳥たちが自分を見つめているのが感じられて不気味です。


(私は何のために卵を手に入れようとしているのか)


 アサジは、そう自分の心に尋ね、静かにその答えが導かれるのを待ちました。


(私のせいで、チェリアさまはご両親という、彼女を守ってくれる最大のものを失ってしまった。そんなチェリアさまを守るためには、自分の命よりも彼女の命を大切に思う者が必要であり、バッティーヤさまは、その役を果たす者としてこの私をお選びになった。


 もう三年も前になるだろうか。私が落ち着きを取り戻したころ、バッティーヤさまは当時の心情を私に教えてくださった。あのとき、本当は私に償いを求めたのではなく、私を見込んでチェリアさまの夫に選んだのだと。ああでも言わなければ、私の自殺願望を断ち切ることは出来なかったのだと)


 アサジは目をつむって自問自答を始めました。


(だから私はチェリアさまを守るために、まずは守る立場に就くために努力を重ねてきた。そのための六年間だった。


 だが、私は本当にチェリアさまのことだけを考えているのだろうか。


 自分が引き起こした惨劇の罪悪感から逃れるため、ただそれだけのために、これまで訓練を続けてきたのではないだろうか。でなければ、自分のような者が、あんなにも苦しい訓練に耐えられるはずがない。


 結局は偽善だったのではないか。私は偽善者なのではないか。もしかしたら、私は誰よりも卑しい者なのではないのか)


 こうした自己像が事実であることを裏付けるように、海鳥たちの嘶きがしだいに激しくなっていきます。鳥たちは、まるで無慈悲な傍聴人が被告を見つめるように、その厳格な法廷のような空気のなかでアサジを眺めました。そして、アサジの心についての判決が下される瞬間を待っているのです。彼は高貴であるか、それとも卑しいのか、と。  
 

 


福音書シリーズのご案内

福音書シリーズ


 旧約の預言者ダニエルによれば、再臨のキリストは2017年5月15日に現れるという。まさにその日からネット上に現れた「再臨のキリストによる福音書」シリーズ。


第一福音書 テロス第一  キリスト教の完成と終末について

完成と終末を意味するギリシア語である「テロス」。宗教の完成状態を提示し、キリスト教がその完成に達するか否かを論じる。


第二福音書 ヘルメスの杖、上 小錬金術

「神の人間化」の体現者であるイエスに対して、ヘルメスは「人間の神化」の象徴である。そしてヘルメスは錬金術の主催神だった。このヘルメス神がもつ杖をなぞりながら、私たちは神の高みへと昇っていく。


第三福音書 ヘルメスの杖、下 大錬金術

小錬金術のあとを受けて、ついに人は神の王座に辿りつく。それは「人間=神」という視座であり、これが達成したとき、人は「人の子となった神」となる。イエスは自分のことを「人の子」と呼んだが、これはまさに「人の子となった神(=キリスト)」のことである。


第四福音書 太陽をまとった女 自叙伝

私は一体どんな人生を歩くことで「人間の神化」を体現したのか。その答えがここにある。これはきわめて生々しい回想録である。


第五福音書 ヘイマルメネー 星辰的宿命と、神話の現実化

イエスは「人の子となった神」たるキリストであるが、彼は本当の意味では「人間になりきれていなかった」。だが、この書において、イエスは本当の人間となる。彼の影であるディオニュソスと一体化することによって。


第六福音書 テロス第二 再臨・審判・終末

第三福音書で「人の子となった神」になった私。それは現代にキリストが再臨したということである。再臨のキリストは、自らと教会とを裁き、その存続を否定する。


第七福音書 インターレグナム つなぎの王国

私によってキリスト教は、その終わりの時を迎えた。そして、それは多くの迷えるクリスチャンの発生を意味している。私はキリスト教に引導を与えた者として、キリスト教文明とは異なる、キリスト教以上の教えを提示しなければならない。その教えは「別のもの」が持っており、私の役割は、キリスト教と別のものをつなぎ合わせることである。

 


「再臨のキリストによる福音書」入門

 福音書シリーズ七巻を概説した入門書。まずこの書を読んでから、福音書シリーズに本編に入っていくのが、もっとも分かりやすいだろう。

 

キリストの再臨

 福音書シリーズを読むキッカケとなるべく編まれた、軽めのエッセイ。写真をふんだんに取り入れているので、楽しんで読むことが出来るだろう。

 

 


    
 


奥付



【2017-09-12】アトラスⅠ


http://p.booklog.jp/book/117066


著者 : 正道
著者プロフィール:http://p.booklog.jp/users/seidou1717/profile


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