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第2章 継ぐ者たちの時代


6 鳥の人

六年が過ぎました。


 そして島の巫女が亡くなってから半年が過ぎていました。もちろん巫女といっても、セフィーネの事ではありません。六年前セフィーネが亡くなったために、巫女の仕事を代行せざるを得なくなった女性のことです。つまりバッティーヤの妻であり、セフィーネの母であった女性が亡くなり、それから半年が過ぎていたのです。


 彼女の死は、そのままテピト・テアナにおける巫女の不在を意味していました。当然のことながら、島人たちは新しい巫女を必要とし、新たな巫女が襲名される日がくることを切望していました。


 その新たな巫女となるのが誰なのか、それは言うまでもありません。六年前には単なる幼児に過ぎなかったチェリアも、今ではもう十四歳の娘となっており、亡き祖母の訓育によって、島の指導者たらんとする教養にも不足はありませんでした。とうとう彼女が島の巫女となる日が到来したのです。

 

 

 島の巫女が襲名される日は、また島の勇者が襲名される日でもあります。


 この二つの役割は不可分のものであり、島の勇者を任命してこそ、巫女も、その巫女としての活動を許されます。表向きは、巫女が島の統治者としての肩書を担っていますが、実質は、あくまで勇者あっての巫女であり、巫女あっての勇者でした。

 

 

 

 勇者の座に就くことは、島の男性諸氏にとって大変に名誉なことでした。


 その座にあることは、そのまま島でもっとも優れた男であることを意味していたからです。また、巫女が成年にいたれば、自動的に彼女と夫婦になることが定められていたので、巫女が、最近とみに美しくなったと評判のチェリアであっては、これまでの平均をはるかに超える数十人の男たちが、


「我こそ島の勇者とならん!」


 と勇ましげに名乗りを上げたのも、およそ無理なかったのかもしれません。


 勇者となれるのは、むろんその中の一人でしかありませんが、勇者たらんと立候補した男たちは、まず海上において船の操舵技術を試験されます。島の生活のなかで船を操る技術はかなり重要視されており、この分野での審査に合格した者たちだけが、勇者選抜の本戦である「タンガナ」に参加することが出来るのです。

 

 

 

 操舵技術の試験はすでに行われ、明日はいよいよタンガナの本番です。


 タンガナとは直訳で"鳥の人"という意味ですが、その実際の内容は、なぜか遠泳でした。泳ぐのに鳥ですから確かに妙かもしれません。


 十名の選手がこれに参加することになりますが、彼らはタンガナの前日を、その開催場所となる浜辺で過ごしていました。みんな一緒にです。つまりタンガナの教義説明のために一か所に集められていたのです。


 その説明をするのはバッティーヤですが、説明をされる側、すなわち十名まで絞られた勇者候補のなかには、勿論われらがアサジの姿もありました。ちょうど十七歳の誕生日を迎えたばかりの彼でしたが、めでたく予選を通過することができたのです。


(とうとう、ここまで来たか)


 彼はこのタンガナのためだけに、六年という歳月を費やしてきたと言ってよく、勇者に選ばれるべくバッティーヤに鍛えられた体は、今や、隅々にいたるまで鋼のような筋肉に覆われていました。そして、引きしまった顎の線、つり上がった眉、まさに若武者の風貌と言えましょう。

 

 

 

 さて、十人とはいえ、数が集まると、やはり自然に、目立つ者というのは現れてくるものです。


 そのうちの一人は、選手のなかの最年長にあたる者で、その名をカラマと言いました。おそらくは三十歳を過ぎているでしょう。体は鍛えられているものの小柄で、その表情からは、およそ勇者たらんとする迫力は感じられません。どちらかというと文化人のような印象を与える人物でした。


 もちろんアサジも目立っています。


 まず見た目として体が大きいこと、そして、勇者バッティーヤと生活を共にしてきたという経歴のためにです。


 彼に話しかける者は多く、威圧せんと息巻く者はさらに多くおりました。が、それによってアサジが冷静さを失うことはなく、彼はただ自分自身との賭けだけを見つめていました。つまり"勝てば勇者、負ければ死"ということです。なにしろバッティーヤから「負けたら殺す」と宣言されているのですから。


 つねづね自分の生死について考えている者が、他人の挑発を馬耳東風に聞き流すなど、実にたやすいことでしょう。


 ところで、一見して目立つほどですから、アサジは若者の中でもとりわけ体が大きいほうでしたが、そんなアサジですら影を薄くするような、それほどにも大きな体をした者が一人ありました。

 

 

 その若者の名はイド。実はまだ十三歳の少年でした。


 タンガナの参加資格は十五歳以上の男子にしか与えられませんが、彼は、その大きくて立派な体によって、特例によるタンガナの参加資格を手に入れたのです。彼の巨体はそれほどのものでした。それほどのものだったからこそ、タンガナを開催するにあたって組織される委員会が、次のようなことを言ったのです。


「彼の体力を埋もれされるのは惜しい。イドはまだ十三歳だし、決まりは決まりだが、はたして、あの子の巨体を無視してよいものか。精神面の幼さを補って余りある、あの立派な体は、守られる巫女のためにもなるのではないか」


 そして、その委員会からの恩恵に応えるように、船の操舵技術におけるイドの成績は、ほかの候補者を大きく引き離した最優秀のものでした。


 ちなみに、この操舵試験におけるアサジの成績は、手先の不器用さがたたって、あわや選もれか、というほどお粗末なものでした。

 

 

 

 さて、そのイドですが、彼は勇者候補たちが集まった中で、ちょっとした問題児になりつつありました。イドは、自分よりも年上でありながら、巨大で逞しい自分の体と比較すると、いかにも貧弱そうに見える周りの者たちを、


「はん、こんな奴らなんて」

 

 と低く見がちであり、そうしたさげずみが、彼の言動や仕草の中に、嫌味なものを滲みださせていたのです。

 

 こうなると、イドに対して周りが距離を取るようになっても当然ですし、実際のところ、まさしくそうなっていました。勇者候補たちの誰もが、彼にだけは近づきたがらなかったのです。


 ただし、そんなイドに対して、周囲の冷たい視線とは違って、どこか彼を憐れむような、そうした特別な眼差しを与える者がありました。最年長の選手であるカラマです。しかし、その眼差しの意味を知る者は誰一人としてなく、イド自身も、そのようなカラマの視線には全く気づいていませんでした。


 こうしたカラマの視線でしたが、彼の視線がアサジに向けられる時には、どういうわけか、それが急に親しく快活なものとなり、話しかける言葉にも、どこか好意的な気持ちが表れているように思われました。


 夜を迎えて、カラマがアサジに今日最後の言葉をかけます。


「アサジくん、君は実にいい目をしているよ。君が勝ってくれれば、勇者の座は、ちゃんと実のあるものになるだろう。もう今日も終わる。明日、どうか頑張ってくれたまえ」


 アサジは、倍ほども年齢の離れたカラマの言葉に戸惑ってしまいます。


「何を言っているんですか。明日、私とあなたは敵同士となって戦うんですよ。それなのに私を応援してどうするんですか。意味が分かりません。それとも、今のうちにいい顔を見せておいて、明日、私に手を抜かせようとでもいうのですか」


「なに? よく言うね。君が手抜きなんかするものか。どんなことがあろうとも、絶対に勝利を掴まんとする、そういう不撓不屈の面構えをしているくせに。そんな君が手を抜くとはいい冗談だ。ははは、君は想像していたよりも面白い男みたいだな。じゃあ、明日、がんばれよ」


「がんばれよって......それはがんばりますよ」


 そう答えるアサジの顔は困惑に満たされていましたが、立ち去るカラマの顔は、逆にいたずらっぽく微笑んでいます。まったく奇妙な対照でしたが、アサジが疑問を深める間もなく、ついに就寝時間をつたえる鐘がならされました。

 


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第三福音書 ヘルメスの杖、下 大錬金術

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第六福音書 テロス第二 再臨・審判・終末

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私によってキリスト教は、その終わりの時を迎えた。そして、それは多くの迷えるクリスチャンの発生を意味している。私はキリスト教に引導を与えた者として、キリスト教文明とは異なる、キリスト教以上の教えを提示しなければならない。その教えは「別のもの」が持っており、私の役割は、キリスト教と別のものをつなぎ合わせることである。

 


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キリストの再臨

 福音書シリーズを読むキッカケとなるべく編まれた、軽めのエッセイ。写真をふんだんに取り入れているので、楽しんで読むことが出来るだろう。

 

 


奥付



【2017-09-10】アトラスⅠ


http://p.booklog.jp/book/116992


著者 : 正道
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