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ぼくの家族は、いい家族

 死んだふりをした弟がどこかに潜んでいるはずだ。

 ショッピングモールの立体駐車場の三階で、ぼくはきれいに並んで停められた車の陰に隠れて弟を探していた。お父さんとお母さんはまだ中で買い物をしていた。

 死体を見つけたら、真面目くさった様子でじっと観察するのだ。つついてみたり、服をめくってみたり、体をひっくり返してみたり。そうやって本当に死んでいるかどうか確かめる。

 死んだふりをしている方は、だいたいこらえ切れなくなって途中で笑い出してしまう。確かめる方は死体が笑い出すまでやるのだ。

 ぼくが考えて弟に教えた遊びだった。

 駐車場は誰もいなくて静かだった。一台の車がスロープを上がってきて、きゅきゅっとタイヤがこすれる音が響いた。そのすぐあと、隣の通路でその車が何かに乗りあげたような音がした。何だろうと思って身をかがめて見に行った。

「あ」と思った。弟が、うつ伏せの状態で車の下に頭を突っ込むようにして轢かれていたのだ。車は左側の前輪で弟の首のつけ根を押しつぶしていた。太ももの辺りから背中にかけて轢き、そこで停まったのだ。弟はそこで死んだふりをしていたらしい。

 ぼくはしゃがみ込んで弟の顔を確かめようとした。そのとき、車がゆっくりと動いて前輪が弟の上からどいた。ぶにゅっという音とごりっという音が混ざったようないやな音がして、弟の首と頭のうしろの方がつぶれた。ぼくは、弟の口から赤い泡が溢れだし、目玉が内側から押し出されるように飛び出すのを見た。

 車が停まり、運転していた人がおりてきた。太った醜いおばさんだった。

 おばさんは助手席側に回り込んで自分が轢いたものを見ると、はっと息をのんだ。それから殴られでもしたみたいに苦しげに顔を歪めた。

 ぼくが立ち上がると、おばさんはどきりとしてこちらを見た。だけど、ぼくが子供だと分かると、まるで文句を言うように「何も見えなかったの」と言った。ぼくはふらふらと車に近づいた。足に力が入らなくて、立ち止まって少し吐いた。吐いたものがはねて靴の先が汚れてしまった。おばさんは「クソガキが」と悪態をついた。

 警察が来ると、おばさんは自分こそ被害者だという顔をして罪がないことを訴えた。ぼくが轢かれた子供の兄弟だと知ると、目を合わせようともしなかった。

 無残につぶれた弟を見たお母さんは激しく取り乱し、お父さんが車に連れていってなだめた。ぼくは救急車で運ばれていくまで、弟の死体を何度も見た。そうせずにはいられなかった。誰もぼくと弟が駐車場で何をしていたのか訊かなかった。頭の中がぐるぐるかき回されるようだった。

 それ以来、お父さんとお母さんは目に見えて元気がなくなった。

 家の中はいつも暗くて、誰も笑わなくなった。今まで言い争いなんてしたことがなかったお父さんとお母さんは、ときどき口げんかをするようになった。二人のけんかがはじまると、ぼくはなぜか弟の上からタイヤがどくあの光景を思い出すのだった。

 何の前触れもなく思い出すこともあった。弟の顔が破裂する場面が何度もスローモーションで再生され、頭にこびりついて離れなかった。ぼくは自分の目玉が飛び出すのではないかと怖くなり、まぶたの上から両手でぎゅっと押さえつけた。

 お父さんが人が変わったようになったのは、それからまもなくのことだった。

 ときおり血走った目つきで虚空をにらみつけ、「殺してやる、殺してやる」と憎々しげにつぶやくのだ。何かよく分からないことをわめきながら家のものを壊すようにもなった。

 お父さんが暴れはじめると、お母さんはぼくを他の部屋に連れて行き「大丈夫よ」と言って抱きしめた。だけど、怖がっているのはお母さんの方だった。

 いや、ぼくも怖がってはいた。だけど、ぼくが怖いのはお父さんではなかった。ぼくが怖いのは弟だった。

 頭がつぶれて目玉がたれさがった弟が、お父さんの耳元で「殺して、殺して」と頼むようにささやいているのだ。お母さんには見えてないみたいだったから黙っていたけど、お父さんはそれでおかしくなったのだ。

 ある夜、電話が鳴った。

 電話に出たお母さんがヒステリックに「うそよ!」とくり返した。どうしたのと訊いても、お母さんは何でもないと言うだけだった。でも、手がぶるぶる震えてひどく動揺しているのが分かった。お父さんはまだ帰ってなかった。ぼくには何が起きたのか分かったような気がした。

 その夜遅く、今度は誰かがインターホンを鳴らした。

 お母さんは警戒するみたいに身を固くした。お父さんではなかった。玄関の向こうでどこそこのテレビ局のものだと名乗る声が聞こえた。お母さんは何度インターホンを鳴らされても決して対応しなかった。

 お父さんは、弟を轢いたあのおばさんを殺したのだった。

 ぼくはそれを次の日のテレビのニュースで知った。車で何度も何度も轢いたのだ。

 おばさんの体はねじ切れて、すりつぶれて、真っ赤な絨毯みたいにぺしゃんこになったという。テレビの人が、血の海、血の海と何度も言っていた。

 お父さんはその直後に首を吊って自殺したということだった。

 ぼくとお母さんは知らない街に引っ越した。

 親戚も知り合いも誰もいないところだった。お母さんは化粧品工場で働きはじめ、ぼくはその街にある学校に転入した。お母さんはお父さんのことでうそをついた。死んだとは言わず、仕事でしばらく帰ってこないと言ったのだ。

 これから二人でがんばっていこうとか、強くならなくちゃだめよとかいろいろ言ったお母さんだけど、自分は少し変になった。

 ときどき、見えない誰かに話しかけたりするのだ。相手はお父さんだったり弟だったりするように感じることもあったけど、ぼくには何も見えなかった。

 ぼくに見えるものはお母さんには見えないようだったから、お母さんに見えるものがぼくに見えないとしてもおかしくないかもしれなかった。それでもどこかで、お母さんは自分に都合のいいものを見てるだけなんじゃないかとか、そういうふりをしているだけなんじゃないかとは思わないではなかった。

 引っ越してまもない頃から、マンションの玄関ドアを誰かが叩くようになった。インターホンを鳴らさず、直接ドアをごんごん叩くのだ。音は家じゅうに響いた。夜遅い時間にしつこく何度も叩かれることもあった。

 誰が来ても応えないことにしていたお母さんは、いつも聞こえないふりをした。ぼくも無視するように努めた。

 マスコミの人たちか、あるいはぼくの家の事情を聞きつけた誰かのいやがらせだろうと思ったけど、中に入れろと言ってるような叩き方に聞こえることもあった。もしかしたら、お父さんか弟なんじゃないかと思うこともあった。

 お母さんはお酒を飲むようになった。

 最初はこそこそしていたが、そのうちぼくの前でも平気で飲むようになった。朝から一日中飲むようになると家のことを何もしなくなり、部屋は散らかり放題になった。

 ぼくは新しい学校のクラスメイト数人を家に連れてきて、お母さんのどうしようもない姿を見せた。面白いものを見せたつもりだったけど、クラスメイトたちはやっぱり外で遊ぼうとか何か言ってすぐに出て行ってしまった。

 それ以来、学校では誰もぼくの相手をしなくなった。ぼくもそのうち学校に行かなくなった。お母さんは何も言わなかった。

 ぼくはいつも一人で過ごした。

 あるとき、神社の裏手で弱った犬を見つけた。かわいそうに思って食べ物を与えてみたけど、ほとんど手をつけなかった。もう自分で立ち上がることもできなかった。

 こいつはもうすぐ死ぬんだと思ったら、ぼくはなんだか変な気持ちになりはじめた。この犬を弟と同じ目に合わせなきゃいけないと思ったのだ。ぼくはもう一度あれが見たくなった。弟の上からタイヤがどくときのあの光景だ。

 犬をいったん社の下に隠して、道具を探しに行った。

 あちこち探して、取っ手の壊れたバケツと、口のところが割れたビール瓶と、錆びたスコップを見つけた。これだけでうまくできるかどうか不安だったけど、神社のトイレの脇のところにレンガブロックが転がっていたことを思い出した。あれは使えそうだと思って嬉しくなった。

 神社に戻ってくると、先に犬を確認しにいった。生きてるうちにやりたかった。

 ところが、犬はいなくなっていた。誰かが連れていってしまったようだった。

 ぼくはとても大事な仕事を失敗してしまったように感じて、そいつを恨んだ。集めた道具はまた使うことがあるかもしれないと思い、見つからないように別のところに隠した。

 家に帰ってみると、お母さんがキッチンの椅子に座った見知らぬ男にまたがって、変な声をあげて腰をこすりつけていた。一瞬別の人かと思ったけど、お母さんだった。

 男はだらりと垂れさがった手に酒ビンを持っていた。部屋の入口に立ったぼくに気がつくと、男はそれを投げつけてきた。

 まだ中身の残ったそのビンは、ぼくの左腕に当たって鈍い音を立て床に落ちた。中身はこぼれたが、割れはしなかった。一瞬間をおいてから、腕がものすごく痛くなった。

「閉めて! 閉めて!」

 お母さんが悲鳴をあげるように叫んだ。

 ぼくはまるで悪さをしてるところを見つかったような気になって、逃げるように表に出た。腕は赤黒く腫れて、しばらく動かすこともできなかった。

 男はたびたびぼくの家に来るようになった。

 そうすると、ぼくは顔を合わせないように自分の部屋にこもって息をひそめていなければならなかった。

 お母さんと男は一緒にお酒を飲んで、物を投げつけたり怒鳴ったりする激しいケンカをするのだった。そのうちお母さんのいやらしい声が聞こえはじめると、ぼくの顔はどうしようもなく熱くなった。ぼくは隠れるように布団をかぶって、じっと聞き耳を立てた。怖くてたまらないのに、股間が痛いくらいに膨らんだ。

 男が来ていたある夜中、ぼくはどうしてもお腹が空いて台所に食べ物を取りに行った。すると、リビングで消音状態のテレビを茫然と眺めていた男と出くわした。

 男は抜け殻のようだった。ぼくには男が神社の裏にいたあの犬に重なって見えた。あとは死ぬだけの、かわいそうな犬。

「なんだよ、その目つきは」

 男は言った。ぼくは何も答えなかった。

 男は突然ぼくの頭をわし掴みにすると、引き倒すようにして顔を床に叩きつけた。ぼくは鼻を強く打って、涙で何も見えなくなった。殴られ、蹴られ、踏みつけられた。抵抗してもとてもかなわなかった。ぼくは壁に投げつけられ、床に倒れた。

 そのまま動けなかった。体中がじんじん痛んだ。

 お母さんがぼくのことを見ているのが分かった。目が開かず直接見ることはできなかったけど、すぐ脇にいるのを感じることができた。でも、何もしてくれなかった。

 ぼくは床を這いつくばって部屋に戻り、ベッドに横になった。布団が血で汚れたけどかまっていられなかった。そのまま何時間も寝た。どれくらい寝たか分からなかった。

 気分が悪くなって目が覚めると、布団の中に吐いた。手の指が二本ぱんぱんに膨れあがっていた。骨が折れてるんだと思った。頭も割れるように痛かった。遠くで罵り合うような声が聞こえたかと思うと、やがていやらしい声になった。

 そうやって何度か寝たり覚めたりをくり返した。

 ふと気がつくと、ベッドの傍らに誰かが立っていた。お父さんだった。首の骨が折れて頭が横にだらんとたれてしまっていた。喉のところには、縄の跡なのか黒々とした痣が残っていた。

 ぼくは怖くて動けなかった。

 お父さんは、すうと影みたいに動くとお母さんの部屋に向かった。ぼくは布団から出てあとについていった。あちこち痛んだけど、何とか動けた。

 ドアがわずかに開いていた。

 中を覗き込むと、お母さんがあの男に馬乗りになって首に手をかけている後ろ姿が見えた。その隣で、お父さんもお母さんの手を上から押さえつけるようにして男の首を絞めていた。

 男は足をばたつかせてもがいた。首を絞める手をはずそうとしたけど無理みたいだった。男は手を伸ばしてスタンドを探り当てると、それでお母さんを殴りつけた。

 お母さんは壁に倒れかかり、男はその隙にベッドから床へ転がり落ちた。男はげほげほと苦しげに咳込んだ。

 お母さんははっと我に返ったようになって、ドアの陰から様子をうかがっていたぼくに気がついた。自分が何をしたのか分からず、ひどく混乱しているようだった。お母さんは急に泣き叫ぶような声をあげると部屋を飛び出していった。

 ぼくはあとを追いかけた。

 お母さんは裸足でマンションの階段を駆けあがっていった。ぼくが階段をよろよろあがっている途中、上の方で「ひっ」と息をのむような声がした。顔をあげると、目の前の空中をお母さんが落ちていくのが見えた。

 下からどしゃっという音が響いてきた。

 熟れた果実が地面に叩きつけられたような音だった。踊り場から下を覗き込むと、お母さんがアスファルトに仰向けに倒れていた。体の下から血が流れだした。

 ぼくは下におりてお母さんに近寄った。落ちた音はかなり大きかったから、同じマンションの人が何人か出てきていたし、ベランダから覗いている人もいた。お母さんは側頭部が擦り減ったようになって、首が折れていた。足も変な風に曲がっていた。

 あの男もおりてきた。男は遠くからぼくを見た。

 ぼくの傍らにはお父さんと、弟と、それからお母さんが立っていた。ぼくたちはみんなで男をじっと見返した。男は青白い顔になって逃げていった。

 それから、ぼくはあちこちの施設を転々として過ごした。どこにいっても周りから気味悪がられ、しまいには追い出されてしまうのだった。

 最後に病院のようなところに入れられると、ぼくは他の人たちから隔離されて専用の個室に放り込まれた。窓には鉄格子がはめられ、ドアは外から鍵がかけられた。

 だけど、その部屋にいるのはぼく一人ではなかった。

 お父さんと、お母さんと、弟もいた。

 みんなぼくにまとわりついてくるけど、ぼくは一緒にいたくなかった。

 いやでいやで仕方がなくて、ときどき頭がおかしくなりそうになった。何としてでもここから出ようとして、ドアや壁に何度も何度も体当たりした。でも無駄だった。

 ぼくの体はいつも痣だらけだった。泣いても叫んでも、誰もここから出してくれなかった。

 ある朝、急に体から力が抜けていったかと思うと、目の前が真っ白になってぼくは死んだ。四十六歳になっていた。

 

 

*『足のうら怪談 全』はこちら

 

 


この本の内容は以上です。


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