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第1章 見えない三本の柱


2 テピト・テアナの巫女

 オロティアは少し驚いたような顔をしています。


「私ったら、島の巫女のことをお前に話したことがなかったのね。何より大切なことなのに、それを話し忘れていたなんて、ほんと自分に驚いてしまうわ」


 彼女は、窓の外にひろがる景色を眺めるように促してから息子に語りだしました。


「アサジ、このテピト・テアナはね、さして大きな島ではないけれど、でも世界のなかで最も大切なところなの。なにしろテピト・テアナっていうのは"世界のヘソ"っていう意味なんだから」


「世界の、ヘソ?」


「そうよ、ほら、お母さんのお腹にいる赤ちゃんにとって、お母さんと自分をつないでいるヘソの緒ほど大切なものはないでしょう。それと同じように、この島も"世界"っていう赤ちゃんのために、大切なヘソの緒の役割をしているの」


「よく分からないよ。世界が赤ちゃんだったら、お母さんは何なのさ」


「それは、空の上にある"天上界"だと言われてるわ」


「赤ちゃんが僕たちの住んでいる世界で、お母さんが天上の世界だっていうこと? でも、僕はそんな天上界なんてところ見たことがないよ。そんな場所が本当にあるのかい」


 首を傾げてアサジが問いました。


「もちろん見えはしないわよ。見えなくて当然でしょう。だって、お腹のなかの赤ちゃんが、自分の母親の顔を見られるはずがないもの。


 それと同じでね、"守る"っていう言葉が完全に満たされているとき、守られている側というのは、その守ってくれている者の姿を見ることは絶対に出来ないものなの。それどころか、誰かに守られているという事実にさえ気づけない」

 

 

 

 いまだに首を傾げるアサジに、オロティアが続けます。


「でも、そんな胎児のような無知の中にあって、ひとり島の巫女だけが、この見えない母の意思を伝えてくれる。つまり私たちに、天上界の意思を伝えてくれると言われてる。ヘソの緒が、母体からの栄養を運んでくれるようにね。島の巫女の言葉は、そのまま天意を伝えるものだと言われているの。

 

 

 

 そして、このテピト・テアナで、巫女の言葉どおりに生きている私たちは、知らないうちに"世界のヘソ"あるいは"天上世界と地上世界をつなぐヘソの緒"の役割を果たしているのよ。少なくとも、島人たちは皆そんなふうに信じているわ」


「でも、天上の世界が見えないんだから、巫女の話が本当かなんて、誰も証明はできないよね」


「あら、アサジは証明できなければ何も信じないの?」


「それは分からないけど」


「でも、とにかくこの事は分かるでしょう。自分の母親がどんな姿をしているか知らなくとも、その母親とつながれたヘソの緒が切れてしまったなら、お腹の赤ちゃんなんて、即座に死んでしまうしかないという事は」


「うん、まあ」


「私たちがしっかりしなくては世界は滅んでしまうんだから、責任は重大よね。


 だから、私たちテピト・テアナの島民たちは、自分たちが"世界のヘソ"という重要な場所で生きていることを誇りに思っているし、その誇りの分だけ、島の巫女と、その巫女の言葉を大切に考えて生きているのよ。お前を殴った髭のオジサンも、その点では他の人たちと変わらなかったということね」

 

 

 

 オロティアがそこまで言うと、アサジがわずかに悔しそうな表情を浮かべました。


「ふーん、そうなんだ。巫女って何だかすごい人なんだ。そんなすごい人に、今日もう少し仕事場に残ってさえいればなー、僕も会えたかもしれないのに、ずいぶん惜しいことをしたんだ。あのオジサンが殴ってきたりしなければ、実際にこの目で見られたかもしれないのに......ねえ、母さんは島の巫女を見たことがある?」


「ええ、あるわよ。今の巫女さまの名前はセフィーネさまというの。すごくキレイな人で、母さんと同じぐらいの年齢だったと思うわ。本当にキレイな人でね、男の人だったら一目見ただけで好きになってしまうような方よ。ほんと誰もが結婚したがるような」


「僕でもかい」


「ええ、きっと好きになるから結婚しちゃえば?」


「ばっ、なっ、なに言ってるんだよ。母さんと同じぐらいの歳なんでしょう。そんな女の人と僕が結婚するわけないじゃないか」


「あら、じゃあ、お母さんの歳ってアサジにはオバサンなの? ひどいこと言うのね」


「えっ、そうじゃないけど......だっ、だって」


 思いきり動揺する息子を見てオロティアが声を出して笑いました。


「冗談よ。いくら好きになっても、巫女さまと結婚なんてありえない。だって、年齢の話をする以前に、セフィーネさまにはもう旦那さまがいるんですもの。でもねアサジ、セフィーネさまにはお子さんもいらっしゃって、その子はお前とお似合いの年頃らしいわよ」


「じゃあ、その子は女の子だってこと?」


「もちろん、きっと可愛い子なはずよ」


 オロティアは冗談めかして言ったに過ぎませんが、アサジはただ今十一歳。女の子の話が一番恥ずかしい時期の子供です。そのため顔を真っ赤にしながら、


「よしてよ、女の子なんて!」


 そう強く言って、どうも怒っているのか、照れているのかはっきりしない表情を浮かべました。そんなアサジを眺めるオロティアは、


(気づかなかったけど、もう、そんな年頃なんだ)と、幼い子供だとばかり思っていた息子が、すでに女性を意識できる"男の子"であることに妙な可笑しみを感じ、その息子から顔を背けると声を殺して笑いました。

 

 

 

 

 穏やかな陽気を惜しみつつ"世界のヘソ"テピト・テアナの季節は、次第に春から雨季へと近づいていきました。これから四、五か月は、ほとんど切れ目もないままに雨が降り続くことが予想されます。


 春の間ずっと、貯水池から村へと水をはこぶ仕事をしていたアサジでしたが、たくさんの水が島をうるおす雨季になると、その仕事の内容にいくらかの変化が生じます。


 というのは、雨季になると、まず雨の勢いが激しくなってきます。雨粒がほとんど弾丸のように島中を打ちつけます。すると、あまり底が深くない貯水池では、底に溜まっている細かな泥、主に火山灰なのですが、これがキレイな水と混ざってしまい、せっかくの飲料水が著しく汚されてしまうのです。


 ですから、水運び人夫であるアサジたちは、雨脚がおだやかな雨季のごく初期のうちに、まだ清潔さを保っている水を、急いで雨粒が届かない場所へと移しかえなければならなかったのでした。


 そしてこの、キレイな水を保管しておく場所には、島の巫女が住んでいる"砦"の貯蔵庫があてがわれます。


 その砦が、島のほぼ中央に位置しているのが主たる理由ですが、実際ここには丈夫な屋根もついていましたし、なにより広さの点で相当なものがありました。雨季のあいだ、村の家々には、ここで溜め置きされた水が運ばれることになるのです。

 


 アサジは大人に混じって水樽をかつぎ、貯水池から砦の貯蔵庫までの道のりを、それこそ数えきれないくらいに何度も往復しました。なにぶんいつ豪雨がおそってくるか分からないので、自然と、人夫たちの作業も急かされることになってしまうのです。

 

 

 

 さて、いつもどおり、アサジが砦の貯蔵庫に水樽を運び入れていたときの事です。


 彼と同じようにそこで作業している男たちの傍らに、それまで見たことのない女性が、ひどく疲れている一群の人夫たちを激励している姿がありました。アサジは即座に、


(もしかして、この女の人が島の巫女なんじゃないか)


 と思いましたが、事実、その女性の姿には、彼女が人々にとって特別な存在であることを納得せしめるだけの、それほどにも鮮烈にして澄んだ輝きがありました。


「あれが島の巫女なんですか?」


 見とれつつも、アサジが、隣で同じように女性を眺めている男にそう尋ねると、


「そうさね、あれが巫女セフィーネさまだ。あの若々しさを見てみろよ。子供を産んでいるうえ、もうすぐ三十なんだぞ。なのに、あれはどう見ても少女のようだ」


 そう答えてくれましたが、男は一向にアサジのほうを向きません。石にでもなってしまったように、じっと巫女の姿を見つめているのです。そして、この男と同様に、アサジもまた巫女セフィーネから目を離すことが出来ずにいました。


(こんなにキレイな人がいるものなのか)


 子供心にそう思いましたが、そうやって所為なく眺めているうちに、まっすぐセフィーネを目指して走ってくる幼女の姿が目に入りました。その幼女は巫女の膝に抱きつき、セフィーネのほうも、さも愛しげに彼女のことを抱きしめてやるのでした。


「あの子は誰なんでしょうか」


 アサジが、さきほど尋ねたのと同じ男性に問うと、


「あれはセフィーネさまのお子さんだよ。小さいけど、今ちょうど八つだったかな。チェリアさまっていうんだ」


 と、男は、それまで休ませていた手を、ふたたび作業のほうに戻しながら言いました。

 

 

(まるで子供でチンチクリンじゃないか!)


 アサジは、その少女こそが、母の言った「自分にお似合いの子」であることを知ると、自分の歳を顧みることもなく、ただただ母の言葉に憤然とするばかりでした。


(母さんは僕にあの子と結婚しろって言ったわけかい。もう冗談はよしてよ。たしかに歳は三つしか違わないけど、僕は......セフィーネさまのほうがいいな。断然いい。なのに母さんたら馬鹿にして。まったく、帰ったら文句の一つでも言ってやらなくちゃ)


 アサジが本気でそう思ったとき、彼の憤懣に呼応するかのように、頭上から、貯蔵庫の屋根をたたく雨音が一斉に響きわたりました。たいそう大きな音です。ついで、作業のまとめ役の男の声が貯蔵庫内に響きました。


「この雨の勢いじゃ、もう貯水池の水を運んだって仕方ねえ。もうあそこの水は濁っちまってるだろう。作業はここまでだ。ここの貯蔵庫は水樽で一杯になったことだし、みんな今日は家に帰っていいぞ」


 その言葉が終わらないうちから足を動かしていたアサジは、これ幸いとばかりに、


(早く家に帰って、母さんに、巫女さまがキレイだったこと、そして、それに比べて、巫女さまの娘が、幼すぎてチンチクリンだったことを言ってやるんだ。母さんを皮肉たっぷりになじってやる。だって、あんな子を僕にお似合いだなんて言ったんだから)


 こう胸に誓って貯蔵庫を出ていきました。


 しかし、そうやって駆け足で進みながらも、なお未練がましく巫女のほうを振り返ると、そこには二人で遊んでいる、セフィーネとその娘チェリアの姿がありました。

 


福音書シリーズのご案内

福音書シリーズ

 

 旧約の預言者ダニエルによれば、再臨のキリストは2017年5月15日に現れるという。まさにその日からネット上に現れた「再臨のキリストによる福音書」シリーズ。

 

第一福音書 テロス第一  キリスト教の完成と終末について

完成と終末を意味するギリシア語である「テロス」。宗教の完成状態を提示し、キリスト教がその完成に達するか否かを論じる。

 

第二福音書 ヘルメスの杖、上 小錬金術

「神の人間化」の体現者であるイエスに対して、ヘルメスは「人間の神化」の象徴である。そしてヘルメスは錬金術の主催神だった。このヘルメス神がもつ杖をなぞりながら、私たちは神の高みへと昇っていく。

 

第三福音書 ヘルメスの杖、下 大錬金術

小錬金術のあとを受けて、ついに人は神の王座に辿りつく。それは「人間=神」という視座であり、これが達成したとき、人は「人の子となった神」となる。イエスは自分のことを「人の子」と呼んだが、これはまさに「人の子となった神(=キリスト)」のことである。

 

第四福音書 太陽をまとった女 自叙伝

私は一体どんな人生を歩くことで「人間の神化」を体現したのか。その答えがここにある。これはきわめて生々しい回想録である。

 

第五福音書 ヘイマルメネー 星辰的宿命と、神話の現実化

イエスは「人の子となった神」たるキリストであるが、彼は本当の意味では「人間になりきれていなかった」。だが、この書において、イエスは本当の人間となる。彼の影であるディオニュソスと一体化することによって。

 

第六福音書 テロス第二 再臨・審判・終末

第三福音書で「人の子となった神」になった私。それは現代にキリストが再臨したということである。再臨のキリストは、自らと教会とを裁き、その存続を否定する。

 

第七福音書 インターレグナム つなぎの王国

私によってキリスト教は、その終わりの時を迎えた。そして、それは多くの迷えるクリスチャンの発生を意味している。私はキリスト教に引導を与えた者として、キリスト教文明とは異なる、キリスト教以上の教えを提示しなければならない。その教えは「別のもの」が持っており、私の役割は、キリスト教と別のものをつなぎ合わせることである。

 

 

「再臨のキリストによる福音書」入門

 福音書シリーズ七巻を概説した入門書。まずこの書を読んでから、福音書シリーズに本編に入っていくのが、もっとも分かりやすいだろう。

 


キリストの再臨

 福音書シリーズを読むキッカケとなるべく編まれた、軽めのエッセイ。写真をふんだんに取り入れているので、楽しんで読むことが出来るだろう。

 

 


    
 
    


奥付



【2017-09-02】アトラスⅠ


http://p.booklog.jp/book/116879


著者 : 正道
著者プロフィール:http://p.booklog.jp/users/seidou1717/profile


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