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第1章 見えない三本の柱


1 母と子と


 テピト・テアナ。


 これは島の名前です。三角形が少し押し潰されたような形をした火山島の名前です。

 


 人間も住んでいます。その人口は一千人足らずで、外国との交流はほぼ絶無でした。海の向こうにはまだ見ぬ世界とまだ見ぬ人々がいる、その程度の世界観は持ち合わせていましたが、まさに絶海の孤島に住む人たちと言っていいでしょう。

 

 火山島というからには、島には噴火口もあります。つまり溶岩の吹きだし口があるということです。それも一つや二つではありません。大小合わせて二十近くもあります。しかし、そのほとんどが休火山、あるいは死火山であったため、島人たちに危険が及ぶことはありませんでした。


 といいますか、どちらかというと、噴火や噴煙による被害よりは、天候による被害のほうがよほど深刻でした。テピト・テアナに吹きつける西風はひどく荒々しく、その風をしのぐため、島人たちの家は、どこの世帯においても、西側の壁ばかりは、頑丈な石造りにせざるを得なかったほどです。


 もっとも、そのような風が吹くのは、飽くまでも冬に限られたことであって、今は西風の心配などする必要はありません。なぜなら今は草木萌ゆる春だからです。


 ええ、今日のような春爛漫の頃であれば、島の景色は、その全てが美しいのだと島人たちは誇ることでしょう。鳥たちだって実に気持ちよさそうに空を飛んでいます。そこには気が遠くなるほど美しい空が広がっているのです。

 

 

 

 窓から空を眺めているオロティアもそう思っていました。なんてキレイな景色なんだろうと思いながら微笑んでいたのです。


 そんなオロティアは布団のうえに座っていました。


 体が弱い彼女は、このうららかな午後でさえ外に出ることができず、せめて、窓から見える限りの春の景色に、遠い憧れの眼差しを捧げていたのです。それが彼女に味わえる、叶うかぎり精一杯の春模様だったのです。

 


 ふと優しい風がオロティアを包み、彼女はゆっくりと目をとじました。まるで風の暖かさが自分を慰めてくれているような錯覚を起こさせます。


 慰め......オロティアの夫は、二月ほど前、不慮の事故によって亡くなっていました。その亡き夫が、風に姿を変えて自分を慰めているような錯覚、そんな優しい錯覚がオロティアの体を包んだのです。彼女は目をとじながら、心ゆくまでその錯覚を堪能しているようでした。


 ところが、そうして両の目をつむっているうち、窓から入ってくるはずの風が一切やんでしまい、そのかわりに、オロティアは誰かしら人の気配を受けとめることになりました。


「アサジ!」


 目をひらくと、そこにはオロティアの息子であるアサジが立っていました。アサジはなぜか右目の下を押さえています。そして、オロティアが息子の顔を確かめると、その押さえた手のせいでハッキリしないものの、どうやら涙をこらえているらしい様子が見てとれました。かすかに肩をしゃくり上げているのが分かります。

 

 

 

 今年で十一歳になるアサジは、つい先頃から水運びの仕事に就いていました。正確に言うと、父親が亡くなって収入がなくなった二月前からのことです。


 島の男たちの仕事は、その内容のほとんどが漁業と農業に占められていましたが、それらに次いで重要とされていたのが水運びの仕事でした。


 ここテピト・テアナには、まともな河川と呼べるものが皆無にちかく、散在する村落で用いられる飲み水は、死火山火口のたまり水か、あるいは島にいくつか設けてある、雨水を保存するための人口池から運ぶしか、これを得る手段がありません。ですから、この水を運ぶ力仕事は、島の人たちが日々生活していく上で、まさに無くてはならないものだったのです。


 オロティアの息子アサジも、父なきわが家の生活を支えるため、この重要な仕事に勤しんでいました。いや、勤しんでいる"はず"だったと言ったほうがいいでしょう。だって、そうやって仕事に勤しんでいるはずのアサジなのに、今は、終業時間を待たずして母オロティアの前に立っているのですから。

 

 夕方にならないと帰ってこないはずの息子が、この昼下がり、なぜか家にいるオロティアの前に立ち尽くしているのです。


 オロティアは息子の只事でない様子に驚きながらも、すみやかに彼を室内に招きいれました。アサジはしばらく黙っていましたが、やがて、いかにも言ってはならないことを口にするように、まるで母親の視線から逃れるようにして言いました。


「母さん......どうして僕を産んだりしたの」

 

 

 

 右のこめかみから目の下まで、という大きな青痣をこしらえたアサジの問いを耳にして、オロティアは、ただ困惑の表情を浮かべることしか出来ませんでした。


「一緒に働いているオジサンが言ったんだ。


『お前の母親はな、あのころ歳が若いうえに病弱だった。なのに無茶をしてお前を産んだんだ。そうしたら、大方の予想を裏切らず、出産と同時に体の衰えが進んでいき、今では家の外に出ることも出来なくなっちまった。ちきしょう、まったくオロティアがお前さえ産んでいなかったら! 彼女は今ごろ元気になっていたかもしれないのに。くそガキめ、お前さえいなかったら!』

 

 って」


 アサジが語る"オジサン"の言葉によって、オロティアには、息子の青痣がその"オジサン"に殴られて出来たものであることが分かり、また、その殴った"オジサン"が誰であるのかも明確に見当づけることが出来ました。

 


 アサジが悲しい訴えを続けます。


「だけど、それが本当の話だったとしたらさ、病弱な母さんが、わざわざ結婚して僕を産むことなんか無かったじゃないか。ねえ、子供を産むのって大変なんでしょう。もし僕を産んでなかったら、母さんだって、今ごろは元気に暮らしてたかも分からないよ」


 オロティアは、息子に座るよう促すと、痛みを与えないように気遣いつつ、その大きな青痣をさすってやりながら言いました。


「言ったのは、顎に赤い髭を生やした人でしょう。


 その人は、むかし母さんを好きだと言ってくれた人でね、私の体を心配して、最後まで出産を反対していた人なの。だから、私がこういう体になってしまった以上、生まれてきたお前を憎らしく思わずにはいられなかったのね。お父さんが生きていたら、まずそんなことはされなかったでしょうけど、私のせいで殴られてしまって......ごめんね、本当に痛かったでしょうに」


 俯くアサジを見つめながらオロティアが続けます。


「けれどね、母さんはどうしても子供を産んでみたかった。だからこそお父さんと......どんな非難をも受ける覚悟をして、私が妊娠出産することに賛成してくれた父さんと結婚したの」


 しかし"オジサン"に「お前さえいなかったら」と言われ、そのために自分の存在自体を罪悪視することになったアサジは、そんなことを聞いているんじゃない、とばかりに声を荒げました。


「どうして! 体の無理を押してまで僕を産むことないじゃないか!」


 そうやって息子になじられる三十路前のうら若き母は、ただ悲しく、力のない笑みを浮かべるしかありませんでした。


「でもね、無理をしなければ、母さんには本当に何もできなかったの。それぐらい、あのころの母さんは体が弱かったから。いつも、今にも自分は死んでしまうんじゃないかって思ってた。それぐらい母さんの体は弱かったの。


 そんなふうにね、黙っていても死は近づいてくるのだもの。それならば母さんは、無理を押してでも、したいことをしたかった。分かるでしょう」


「その、したいってことが僕を産むことだったってこと?」


「そう、母さんは、この体の中から新しい命を生み出してみたいと思った。その新しい命を生み出した瞬間に、そのせいでこの身が滅んでしまおうとも、ね」


「そ、それって、自分が死んじゃってもっていう意味?」


「そうよ、私は死を覚悟してた。死ぬこともあるだろうなって思ってた。


 でも、私が死んだとしても、私から生まれた命が生きつづけ、そうしていつか、その命がさらに新しい命を紡いでくれたなら......そう思うと、まるで消えてしまうはずの炎が、やどる松明を変えていつまでも燃えていくようで、それまで死の虚しさに押さえつけられていた胸がふっと安らいだの。


 ええ、私自身がどうなってしまうのであれ、子供が、つまりお前が在ること自体が、母さんの慰めになってくれるような、そんな気がしたのよ」


「僕があること、そのものが......」

 

 

 

 自分が在ること自体が母の慰め、それは、今しがたアサジを殴った男の言葉と、奇妙な対照をみせて響きました。なぜなら男はアサジにこう言ったからです。お前さえいなかったら、と。すなわち、母の言葉が、髭の男の与えた"存在悪"という蛇の毒にたいする血清の役割を果たしたようなのです。そのため、母の言葉を聴いたとたん、それまで青ざめていた少年の頬に、パッと赤みがさしていくのが認められました。

 


 オロティアの言葉はなおも続きます。


「実際にお前を産んだことで、母さんがどれほどの安らぎを得たことか。


 そして、無事に出産を済ませられたこと自体信じられないのに、私はそのうえ、十年以上もお前と共に暮らすことができた。いえ、それどころか、健康そのものだった父さんが亡くなってしまった今も、私はこうしてお前の傍にいられるのです」


 あの血色のいい夫の顔を思い出すと、オロティアには、運命の皮肉というものが感じられて仕方ありません。あんな健康な人が私なんかより先に亡くなるなんて、と。夫だって、きっといつまでもアサジの傍にいたかったでしょうに。それを思うと、ただアサジの顔を見つめているだけで、大粒の涙が溢れてしまいそうになります。


「母さんは、健康と安定した生活に恵まれている人たちよりも、自分の幸せが小さいものだなんて思わない。ううん、思えない。だって、アサジを産むことで得られた幸せは、そんなものよりも、ずっとずっと大きなものだったんですもの。


 だからアサジ、今度そのオジサンに会ったなら、母さんは誰よりも幸せなんだと言ってあげなさい。僕がいるから母さんは幸せなんだって、そう胸をはって言ってあげなさい。それが母さんの心からの真実なんだから」

 

 

 

 このように母は「お前を産むことで、私は本当に幸せになれた」と言ってくれました。この快雨のような言葉に、てらいや偽りの匂いはなく、また自分を見つめる母の眼差しには、傷つけられた幼い心を癒すに十分な優しさが込められていました。


「うん、オジサンにきっとそう言ってやるよ」


 そう言うアサジの表情には、もはや先ほどまでの険しさは微塵もありません。


 仕事の休憩の場で、とつぜん見知らぬ男に殴られたうえ、あまつさえ、その男に、


「お前は、母親の健康をむしばむためだけに生まれてきたんだ」


 という残酷な言葉を浴びせられたアサジでしたが、母の率直な気持ちを聴いて、やっと子供らしい明朗な気持ちを取り戻すことができました。


 そして、普段と変わらないだけの落ちつきを取り戻したアサジは、その仕事場で気になったことを、何気ない口調で母に問いただすのでした。


「オジサンが僕のことを殴ったとき、まわりにいた何人かがそのオジサンを抑えれくれたんだけどね、そのとき、オジサンを抑えた中の一人がこう言ったんだ、


『今日はこの作業場に巫女が来るかもしれないんだぞ。お前は、島の巫女にこんな姿を見られてもいいのか』って、そう。


 で、その言葉を聞いたら髭のオジサンは急に大人しくなっちゃってさ。まあ、そうなったおかげで、僕はオジサンの手から逃げられたわけなんだけど。


 ねえ母さん、あの乱暴なオジサンを、そんな風に大人しくさせる島の巫女って一体どういう人なの? 何かすごい力を持った人なの?」


「島の巫女?」


「うん、働きに出るようになってから、やたら巫女、巫女、っていう言葉を聞くんだけど、僕はまだその巫女がどんな人なのか知らないんだ。いい機会だから、母さん、巫女っていうのがどんな人なのか教えてほしいんだ」 

 

 


福音書シリーズのご案内

福音書シリーズ

 

 旧約の預言者ダニエルによれば、再臨のキリストは2017年5月15日に現れるという。まさにその日からネット上に現れた「再臨のキリストによる福音書」シリーズ。

 

 

第一福音書 テロス第一  キリスト教の完成と終末について

完成と終末を意味するギリシア語である「テロス」。宗教の完成状態を提示し、キリスト教がその完成に達するか否かを論じる。

 

第二福音書 ヘルメスの杖、上 小錬金術

「神の人間化」の体現者であるイエスに対して、ヘルメスは「人間の神化」の象徴である。そしてヘルメスは錬金術の主催神だった。このヘルメス神がもつ杖をなぞりながら、私たちは神の高みへと昇っていく。

 

第三福音書 ヘルメスの杖、下 大錬金術

小錬金術のあとを受けて、ついに人は神の王座に辿りつく。それは「人間=神」という視座であり、これが達成したとき、人は「人の子となった神」となる。イエスは自分のことを「人の子」と呼んだが、これはまさに「人の子となった神(=キリスト)」のことである。

 

第四福音書 太陽をまとった女 自叙伝

私は一体どんな人生を歩くことで「人間の神化」を体現したのか。その答えがここにある。これはきわめて生々しい回想録である。

 

第五福音書 ヘイマルメネー 星辰的宿命と、神話の現実化

イエスは「人の子となった神」たるキリストであるが、彼は本当の意味では「人間になりきれていなかった」。だが、この書において、イエスは本当の人間となる。彼の影であるディオニュソスと一体化することによって。

 

第六福音書 テロス第二 再臨・審判・終末

第三福音書で「人の子となった神」になった私。それは現代にキリストが再臨したということである。再臨のキリストは、自らと教会とを裁き、その存続を否定する。

 

第七福音書 インターレグナム つなぎの王国

私によってキリスト教は、その終わりの時を迎えた。そして、それは多くの迷えるクリスチャンの発生を意味している。私はキリスト教に引導を与えた者として、キリスト教文明とは異なる、キリスト教以上の教えを提示しなければならない。その教えは「別のもの」が持っており、私の役割は、キリスト教と別のものをつなぎ合わせることである。

 

 

「再臨のキリストによる福音書」入門

 福音書シリーズ七巻を概説した入門書。まずこの書を読んでから、福音書シリーズに本編に入っていくのが、もっとも分かりやすいだろう。

 


キリストの再臨

 福音書シリーズを読むキッカケとなるべく編まれた、軽めのエッセイ。写真をふんだんに取り入れているので、楽しんで読むことが出来るだろう。

 

 


    
 
    


奥付



【2017-08-30】アトラスⅠ


http://p.booklog.jp/book/116871


著者 : 正道
著者プロフィール:http://p.booklog.jp/users/seidou1717/profile


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