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本当のインド

6.本当のインド

 今日のお話をまとめてみますと、インドの教えの中心は響ということで、立派な教えとかお説教とか経典の良いお話とかいうことが中心ではないということです。大昔から大昔から大昔から地の底に、あるいは空気の底に染み込んでいるバイブレーション、真実なバイブレーションがインドという国をこしらえているんだと思いますね。どんな雄弁なお説教よりも、その地の奥に空気の奥に流れている、あるいは一般民衆の声のバイブレーションの中に流れている真実なるもの、それをつかむことがインドに行くに当たって一番大切なことだと思います。また同時にインド人そのものが、それを知っていないといけないと思いますね。インドのお坊さんといったら、口がものすごく達者です。ペラペラペラーッと喋って人を感動させてね、そんなお坊さんが偉いお坊さんになっているんです。インド人はもう記憶力がよくてね、何年何月何日何分、どこどこであなたと会いましたね、こう言います。そんなことばっかり一生懸命に覚えるんですね。頭の中に詰め込むんです。で、お説教をする時でも、あの本読んでこの本読んであの本読んでこの本・・・それを皆集めてお説教をブワーッとしている。あの本にはこういうことが書いてあった、どういう人の書いたこういう本にはこういうことが書いてあったと言って、ベラベラベラーッと三時間でも四時間でも喋ります。そんなお坊さんが偉いお坊さんだといわれていますが、そんな人は偉いお坊さんと全然違いますね。お説教がいいということがいいのと違って、本当にわけのわからない、空気の中にあるインドの大昔からの真実な響、これこそ本当のインドですね。我々がそれを知っていないといけないように、インドの人々もそれを知っていないといけないと思いますね。そうしないと、インドというのは立ち上がることができないと思います。立ち上がるどころか、それを忘れたらインドはもう今の経済の波にあおられてブワーッとインド人全体が経済界の荒い渦に飲み込まれていくと思いますね。

 

 当ソサイティの三十周年記念ツアーで、芝川君というのが十人程の人を引っぱってインドへ行きました。彼は何度もインドへ行っているんですが、今度インドへ行ってもうゲッソリしたと言うんです。どうしてかというと、カルカッタ駅に行ったらカラーテレビがあって、ディズニーランドが映っていたというんですね。それでもう嫌になってきたというんです。インドはインドでいいんですねぇ。それがインドの駅にカラーテレビがあった、カラーテレビがあることは悪くはないですけれどね。アメリカでもディズニーランドのことがビャーッと映っていた、そのようにインドも段々段々段々変わってくるんですね。町では一年おきに、村でも五年おきに変わっていく。五年経ったら村がビャーッとひっくりかえってしまっている。町は一年経ったらもう変わっている。インドの中が段々賑やかになってきて、日本みたいになってきていますね。新しくなっていって、そのたんびに今言っている真実なる響がどこかへいっているんだと思いますね。なくなっていっているんだと思います。

 

 そこで、我々は今人類全体が失っていっている真実なる響を見つけたのだから、これをもう一遍自分のものとしなければいけないし、また人類のものともしないと、人類全体が滅びますね。人類全体が悲しみの中に入ってしまいます。派手やかな宗教、お説教ばかりの宗教、経典ばかりの宗教をするような人間、または本ばかりを読むような頭でっかちな人間になってしまいますね。人間全体がもう違う人間になってしまいます。だから、我々は真実なる響というものを人々に教えていかないといけないですね。