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自分の響を耳で聞け

3.自分の響を耳で聞け

 そこで、その村人の生活をじっくり見ていますとね、インドの大昔の大昔、私の言うリグ・ヴェーダ当時ありますね。その一万年程昔のリグ・ヴェーダ当時のお祭りの形式が残っているんです。その当時のサーマ・ヴェーダ、ヤジュール・ヴェーダ、アタルヴァ・ヴェーダのお祈りを未だにしているんです。大昔のことを変えずに、百年経っても二百年経っても三百年経っても千年経ってもね、同じことを続けているんです。そのお祈りを見た時、本当にもう大昔に返ったような気分になりました。夜は真っ暗闇でしょう。明かりが全然ない。その真っ暗闇の中で、一か月に一遍か何か、村人がシヴァ神とかドゥルガ神のほこらのある所に集まってね、お祈りをして、そこで踊るんです。それがものすごくいいんです。真っ暗闇の中にランプをともして、その真ん中で一人が踊る。男の人が踊る場合もあるし、女の人が踊る場合もある。女の人が頭の上へ水壷を三つも載せて踊る時もあります。それを見てますとね、もうインドの大昔の大昔の大昔に返ったような気持ちが起きてくるんです。その人たちは貧乏でしょう。貧乏で何も持っていない。そういう人々が昔から昔から昔から伝わっていることを素朴にと言うんですか、飾り気なくやっているわけですね。だからもうとっても良かったです。

 

 もう一つ今お話をしていて思い浮かんだことを話しましょう。インドにホーリーという大きなお祭りがあります。それは春三月に「ああ、春になった、春になった」といって喜ぶお祭りで、アメリカのイースター復活祭で、春、これから畑を耕すのに神様の恩恵を受けて、にんじんやじゃがいもなど食べ物をたくさん作れるといって喜ぶでしょう。そんなふうなお祭りです。三月から始まるんですが、三月になったらものすごく暑くなるんです。朝の十時になったらもう表を歩けないんです。朝の十時から夕方の六時までは動けない。それで皆家の中でじっと寝てるんですが、十時から六時まで寝るといったら大変です。しんどいです。だから四時頃になったらウロウロと起きてきて、お茶でも飲むんですがやはり暑いので、また六時までおとなしくしているわけです。それ程暑いんです。インドの三月になったら一遍に暑くなってきます。そのときにホーリーというお祭りがあるわけです。

 

 このお祭りは田舎のその村人のいるところでもやるんです。夜になったら、あちらの部落こちらの部落で太鼓を打ってね、ドンドンドンドンドンドンドンドン。ずーっともう真っ暗がりでしょう。音だけしかないんです。あっちでもドンドンとお祭りをしているな。ずーとあっちでもドンドン音がしているな。お祭りを始めるな。こちらの村でもお祭りをしている。ドンドンドンドンドンドン鳴って。で、自分たちの部落のお祭りに行くと、広場にお米の藁や麦の藁がいっぱい積んであるんです。そしてその藁の真ん中に高い高い棒が立っているんです。そして真っ暗がりの中、藁に火をつける。すると藁は乾いているので、火がブワーッと燃えるんです。その回りには村の男の人たちがいっぱい集まっています。さらにその回りには女の人たちがいっぱい集まって、手を打って歌を歌っているんですね、火に顔が照らされてね。で、男の人たちはどうするのかというと、火の中へ飛び込んで、その棒をつかみに行くんです。上がっていって、その棒の一番てっぺんをつかんだ者が勝ちなんです。火の中へ入っていくのだから熱いです。勇ましい行事ですね、ものすごくいいです。

 

 その時その村の長老が私の横にいて、歌を歌っていたんです。長老といったら一番年のいった偉い人です。大体八十歳かそこいらの人です。その長老が歌を歌う時の動作がものすごく印象的なんです。自分の耳のところに手をもっていくんです。耳の遠いおじいさんがよく手を耳のところにもっていくでしょう。そういうふうにね、その長老が自分で歌いながら自分の声を聞くんです、自分の声を耳に手を当てて聞くわけです。これを見た時、本当になんと言うんですか、感動したと言うか、ハッと思いましたねぇ。そしてなぜそんなことをしているのかなぁと思いました。

 

 で、インドの文献を読んだりしてインドのことを勉強していてわかったのですが、<響を耳で聞け>そういう言葉がインドの教えの中にあるんです。自分のお腹の中にあると言っていいのか、自分の持っている体全体の、肉体も心も精神も全てがもっている響、その響を聞けというわけです。響がインドの教えの中心になっているんです。まぁそういうようなことで、その長老が歌を歌いながら、自分の全身からまとめられて出てくる声を聞く。例えばいやらしい人間だったら、いやらしい歌とか声しか出ないでしょう。そのように自分というものが透明できれいだったら、きれいな声、バイブレーションが出るわけです。それを自分でもう一遍聞きなおすわけです。まぁそういうインドの古い古い古い昔のしきたりと言うんですか、素朴な本当の真実なやり方があるわけです。原始的と言うんですか、大昔的ですね、昔、昔、昔の昔のような響が自分たちの中にも伝わってくるわけです。そういうのを見ていますといいですねぇ。

 

 どこの国でも長老っていいと思うんです。長老といったら、もう年もいった、その部落で一番偉い人格のある人、皆から尊敬されている人ですね。これはもうソビエトへ行ってもそうだし、アメリカへ行ってもいい、どこの田舎へ行ってもいい、どの町へ行ってもいい、日本でもブラジルでも、そういう長老というような人ね、皆立派だと思うんです。皆立派な響をもっていると思います。