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アジメールの賤民

2.アジメールの賤民

 私も長い間そういう本当の真実な響というのがわからずにきまして、三十八歳あたりに初めてインドへ行きました。それから四十一歳かにまたインドへ行ったりと、何回もインドへ行きましたが、いつも舞台がアジメールという所になるんです。そこはデリーとボンベイの中間よりも北の方で、回教徒のメッカなんです。回教徒の大きなお寺があって、回教徒がたくさんいるんです。第二次世界大戦の後にインドが独立しましたね。その時にヒンズー教徒と回教徒が分かれたんですね。回教徒は皆東パキスタンと西パキスタンに行きました。ところがそのアジメールの回教徒はおとなしい人が多くて、パキスタンへ行かずにアジメールに残った人々もたくさんあったわけです。そういうことで、アジメールは回教徒とヒンズー教徒が仲良く平和に暮らしている町なんです。

 

 そしてその辺にはその辺特有の賤民と言うんですか、アウトカーストの人々がいるんです。アウトカーストの人々というのは、インド中にいるんですが、アジメールのあの辺り、ラジャスタン州と言うんですが、そこには特別な賤民階級の人々がいるんです。そういう人々の住んでいる部落へ行って、私はいろいろな文化活動をやっていたんです。日本とインドのカルチュラル・エクスチェンジ・センターをしていました。診療所をそこでしていたんですがね、そこの医科大学と話をして医科大学のお医者さんとインターンの女の子たちに来てもらいました。週に二回、村人の病人を集めて、診療して薬をあげるんです。病人はたくさんワンサワンサと来るんですけど、その週二回以外にも私や弟子が薬を持ってオートバイで村中を回っていました。村の家は石を組んで作ってあって、大雨が降ったらもう石が崩れたりするような家で、中に何があるのかと言うとね、木で組んだベッド二つと鍋一つか二つ、それからアルミのお皿が一つか二つ、それぐらいしかないんです。かわいそうですね。そういう人々の住んでいる所へ時々オートバイで薬をあげに行ったり、おできなんかに薬を塗ってあげに行ったりしていたわけです。

 

 ある時、そうして行ったら、向こうの人が喜んでね、山羊や水牛や牛のお乳をくれるわけです。飲めと言って持って来てくれるんです。それでベッドへ腰を降ろして、牛乳を一杯飲んで立ったら、わずかニ、三分の間にもう南京虫がいっぱいひっついている。赤い小豆程の血を吸う虫があるでしょう。で、もうかゆくかゆくなるんです。

 

 そんな部落だからインドの普通の人々は入っていけません。カーストの低い人々が集まっている村なので、普通のインド人が入って行ったら怒られるんです。追い出されるんです。その村の人々の方は町へ買い物に行けるんですよ。で、いろいろな物をお金で買うんですが、映画館へ入ったらいけないんです。気の毒ですね。それで日本で集めたシャツとかパンツとかたくさん送ってね、その辺の子供たちを集めてあげるんです。すると子供たちや親たちが喜ぶでしょう。

 

 で、終わりの方にはインド政府からミシンをもらってきて、仕事を教えました。日本語で言えば職業訓練所ですね。ミシンの使い方と洋服の縫い方を教えたわけです。そして教えてもらう村人はお給料がもらえるんです。アハハ…、反対ですね。インド政府から我々がもらったお金を習いに来る村の女の人たちに百ルピーあげるんです。インドで百ルピーといったらものすごく大きなお金なんです。お金をもらってそのうえ仕事も教えてもらえる。いいですね。まぁそういうように政府地交渉して村人を喜ばせてあげていったわけです。ね、いいことしていたでしょう、アハハ。

 

 そうしていたら面白いことにね、あちらのお巡りさんやお金持ちがどういうかと言うと、「あなたたちはインドに来て、一銭のお金にもならないのに、なぜそんなことをしているのか」とこう言うんですね。我々は奉仕で行っているのに、インドの人にはそれがわからない。お金ももらわずに人々のために働いて、そればかりでなく、自分の懐からお金を出してまで、なぜそんなことをするのかと思うんですね。

 

 まぁそういうような中でそんな仕事を続けていたんですけれども、また我々の方にはそういう部落から受ける何かいい恩恵というものがあったわけです。何かいいものがもらえるわけですね。どういうものがもらえるかと言いますと、お金とか物とか野菜とかと違ってね、村人の持っているその心、美しいハート、真実なるバイブレーション、それを見てね自分たちが勉強していくわけです。村人の中には日本人が持っていない何かいいものがあるんです。

 

 その村人というのは五百年昔にはトライバルだったんです。トライバルといって山の中をお猿さんみたいにね、弓と矢を持って動物をうち、生きていた人々だったんです。原始人ですね。家を持っておらず、農耕ということもせずに、山から山へ山から山へと動物を弓矢で追って生きていました。アフリカにもオーストラリアにもブラジルの山奥にも裸でそういう人々がいますね。五百年昔はそんな人々だったんです。で、そういう人々が畑をつくることを覚えるんですね。それで今まであっちへ行ったりこっちへ行ったり山の中をウロウロしていたのが、定着と言うんですか、その土地にちっちゃな家をこしらえているようになったわけです。その当時の家と言ったらね、竹のようなものを組んで、そこへ直径五十センチ以上もあるような大きな葉っぱをペタペタペタペタ貼りつけるんです。雨も降らないから、それで充分なんです。で、その山奥へ行ったら、未だにそんな生活をしている人々がいました。まぁそういう人々であったわけです。