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カートゥーン
カートゥーン
カートゥーン
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言葉
文学研究
孤独の妙
孤独の妙
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正確を期す
「晩夏の便り」(「現代日本文学への、現代日本人による認識の粗末な在り方」)
「晩夏の便り」(「現代日本文学への、現代日本人による認識の粗末な在り方」)
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大阪の黄金風景と、東京の黄金風景」(二〇一五年九月二四日《一〇時四二分》記)
大阪の黄金風景と、東京の黄金風景」(二〇一五年九月二四日《一〇時四二分》記)
大阪の黄金風景と、東京の黄金風景」(二〇一五年九月二四日《一〇時四二分》記)
大阪の黄金風景と、東京の黄金風景」(二〇一五年九月二四日《一〇時四二分》記)
大阪の黄金風景と、東京の黄金風景」(二〇一五年九月二四日《一〇時四二分》記)
大阪の黄金風景と、東京の黄金風景」(二〇一五年九月二四日《一〇時四二分》記)
大阪の黄金風景と、東京の黄金風景」(二〇一五年九月二四日《一〇時四二分》記)
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ハチ公のヒストリアを観て
ハチ公のヒストリアを観て
ハチ公のヒストリアを観て
ハチ公のヒストリアを観て
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ホーリネスの牧師譚
ホーリネスの牧師譚
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ホーリネスの牧師譚
ホーリネスの牧師譚
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ああ
不通のゆきこ
不通のゆきこ
不通のゆきこ
分身
作品・小説の作法
信仰の為に
ゆきこを、ブロック
改革派の信徒譚
改革派の信徒譚
改革派の信徒譚
改革派の信徒譚
作家、誕生
女の度胸
教会の女性
教会の女性
教会の女性
教会の女性
教会の女性
現代人の残念
天川文学賞受賞資格
「インタビュー」(二〇一五年一〇月三日《一五時一二分》記)
「インタビュー」(二〇一五年一〇月三日《一五時一二分》記)
「インタビュー」(二〇一五年一〇月三日《一五時一二分》記)
「インタビュー」(二〇一五年一〇月三日《一五時一二分》記)
直感
文学について―知人からの質問とその返答
文系・理系
殺人計画
「日航機123便墜落事故」(二〇一五年一〇時一分《二〇時五分》記)
『夢日記』の一作品について
無視される物
我、非俗作家哉
心の声
決定と当然
アメリカン―カートゥーン
むだぼね
むだぼね
むだぼね
洗礼の園―職場にて、私を助けて下さった方々に捧げる
日本への嫌悪
あの男
あの男
あの男
あの男
作家へ
作家―独歩への決意、表記
作家―独歩への決意、表記
作家―独歩への決意、表記
作家―独歩への決意、表記
作家―独歩への決意、表記
作家の存続
群青の記(き)
群青の記(き)
独身
俗世人
「君の作家」(~思い付く事を書け~)
女に対し
或る舞台女優に対して―
待つ―追憶
例えば
浅い
上記の作品について
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カートゥーン

 「カートゥーン」いかにも洋米の響きである。俺はこの洋米の響きを、ことアニメを見る際には、ひどく嫌っていたものである。原色が勝ち、実に詰らない遊びばかりで終始構成されており、いかにも幼稚な子供だけが楽しめるような、そんなディズニでのアニメが確立されている、或る一定の詰らなさ下らなさのようなものを想起させられるからである。「原色」とは、殊にこの「一定」の空気を確立してしまうものと思われる。何か、複雑な奥行が無く、平面的であり、殊に「複雑なスト展開描写表現」等を望む者には、この平面では、全くその退屈を破る刺激に成らないように考えられる。「奥行が無い」詰り深さが無いのだ。俺はこれまで、アニメにも「深みのあるストと空気空間」を期待し、それ等を味わい、愉しんで来た。俺はことアニメに対しても、そのような見方を以ている。故に、そうした「深みを示さぬ、平面的な空気」を、この原色が勝つ洋米のアニメは持ち続けるように思われたのだ。これは実体験に基づく言である。実際に俺は洋米製のアニメを観て来て、この倦怠にも似た「詰らなさ」を一定に感じさせられていた。この感想は、暫くどうにも変らなかった。全く、ずうっと、この詰らなさを洋米のアニメは持っていると、俺に思われ続けて来たのだ。全て、観た上での言である。しかし、違った。俺はこの洋米のアニメに、何というか、漸く「楽しみ、刺激、活力源」のようなものを感じさせられたのである。そう思わす洋米製のアニメを、漸く俺は見付ける事が出来たのだ。発見であろう。この発見が無かったからこそ、俺はずうっと洋米製のアニメを軽視し、分らずに毛嫌いしていたのである。やはり、常に観察反省が重要である。

 


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カートゥーン

 KCAT―TVで、俺は『アンクルグランパ』というアニメを観た。たまたまチャンネルを廻したらこれをしており、俺はそれほど観る気も無かったのだが、何と無くこのアニメの魅力のようなものに引き摺られて、悉く最後までを観た。このアニメには、独特の「いやらしさ」のようなものが在る。独自に築き上げた、妙な「怖さ」のようなものが在り、俺はこの「癖」に、しつこい程の「妙」を感じさせられていた。奇妙、不思議な程のいやらしい世界そこから出る「呑み込む力」、この「力」こそが、この『アンクルグランパ』の独特の強さのようにも思う。引っ切り無しに続けられて行くこの「奇妙の世界怖さと癖」に、俺はずっと観せられていたようである。その前から、離れられずにいた。まるで「勢い」で、俺をそこに釘止(くぎど)めていたようでもある。とても強いアニメである。又、斬新なアニメである。この斬新さを俺は底から気に入っていた。あとから、じわじわ来る魅力を、このアニメは呈している。群れの様な魅力を、このアニメは秘めているのだ。又このストの内で遣われる、台詞廻しも洒落ている。その台詞に遣われる表現が冴えているのである。「言葉選び」が又、実に好く活きていた。見ていてそう感じられ、最近のアニメにしては実に爽快を感じさせられていた。このアニメの制作は、二〇一三年である。日本のアニメなんかとはまるで違う、言葉の遊び、その台詞(ことば)を以て奥行を成せる「空間」への配慮が、実に行き届いている。日本のアニメが(これを観ると)、実に窮屈で、無駄な格好ばかりを付けており、ひどく滑稽で、稚拙幼稚な物とまで思えて来ていた。それ程この『アンクルグランパ』と、日本のアニメとの実力の差には、はっきりした、「越えられぬ実力の壁」のようなものが確立されていたのである。文化習慣習性の相異による、実力の違いであろうか。

 


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孤独の妙

 孤独は人に付き纏う。ことさら楽しんで、「自分は孤独なんかじゃないぞ」と低吟したところで、その次の瞬間には、やはり、いつからか見慣れた孤独の影が、ふとふと、自分の目の前、背後、左右に、忍び寄っているものである。俺は、これを何度も経験して来た故に、ここでこう語る。暗い夜道を歩いていると、もうそれだけで「孤独だ」と感じる事は儘あることだが、あれは、環境によって、感覚によって、そう覚えさせられるもので、きっと、本当の孤独とは、人の心の中にあるのだ。俺はこれをいつしかどこかで、確かに痛感していた。憶えているのだ。しかし、俺はこの孤独ともう何年も付き合って来ているが、「このままではいけない」と思い直し、この孤独による落胆を活力へ換える為の、或る妙法を思い付いたのである。この孤独を、自分の供や糧にしようと思い付いたのである。これを憶えると、人が「孤独だ」と言う処で孤独でなくなり、人が「楽しい」と言う処でも、孤独でなくなる。詰り、いつでも穏やかな幸福を味わえるという、あの煩悩を断ち切れたような、不動の心理に近付けるのである。神の教えにより作り変えられた、あの永遠に変らぬ人達の立場や心境へ近付けるのだ。活きながらにして、という事でもあり、達観の境地とは少し違っていると思う。この心境に立つ為に、日夜、俺は訓練している。まるで鍛錬だ。その鍛錬する際の一つの道具となるのが、俺の場合は小説だった。物書きである。詩、随筆、評論、小説、これを自分に合せて書く。誰かの小説を読むというのは、ほんの気晴らし程度で充分である。憂さを晴らすように「自分の孤独」を救うものは、やはり自ら執筆する事である。俺は孤独の時によい物を書く。ただただ信じる。それしか出来ないからそう信じるのである。これまで書いた自分の記録を読み返し、「恐らくこの事に変わりは無い」と、心の何処かで安堵を射止める。仕留めるように安心を得る。しかし俺には理想があって、「誰々みたいに、見栄えの好い物を書きたい」という、不埒な思いが去来する。(そう、自分の素直に誤った書き方をすれば必ず、筆が止まってしまうのだ。ただただ従順…、これを忘れちゃ先へは行けぬ)。太宰治に憧れていた。高校の頃。これ以来、俺はこの太宰の「執筆法」を如何でも真似して自得したいと、本当あれ以来、躍起になって物を書いた。「それが自分の素直だ」と言い聞かせて書き続けていた。これがいけなかった。これはステップである。自分の「法」を無視して居れば、いつか必ず書く物書く物総てが可笑しくなって、自分を見失い、果ては自滅に繋がるものだと、俺は太宰の作品の内で図星を突かれて諭されたのだ。又太宰であるが…。『風邪の便り』である―。

 


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「晩夏の便り」(「現代日本文学への、現代日本人による認識の粗末な在り方」)

 作品を書くと、「これで君は何を伝えようとした?」とよく言われたものである。そんな時、「いやこれは『自分』を書いただけで、伝えようとか、何かを人に説明する為に書いたんじゃなくて、もっとこう、何か、自分の中にある、もやもやとしたものを、とにかく、白紙に写してみたかったわけで…」等と言っても、人は余り良く聞いてくれるものではない。俺には特にこのような説明をする時、言い訳口調のようになる癖が在る為か、淀んで話して仕舞う事が儘あるのである。故にか、人はその「淀み」に付け込む形で箴言を云うように又口を挟み、俺が言い終わらぬ内に再度、自分の主張を被せて来るのである。「いや、何か無きゃ駄目なんだよ。もっとこう、人に伝わる、何か決定的なものが無くては…。そう、その為にはもっとこう、もう少し、説明的な描写が無くては、人は分ってくれないんだよ。惜しいのは説明不足の点だ。読者はもっと複雑でも、分かり易い物を好んで読むわけだから。実に惜しいよ。これじゃあ君、読者は君が何を伝えようとしたのか、何を書きたかったのか、さっぱり解らないんだよ。書きたい事は山ほどあるみたいなのに、残念だね」。こうなると、もう俺の真言など当てが外れたようになって空中を跳び、誰もその糸を手繰れぬ程になって、俺の真意は他所へ置かれて事無きを得る。無論「事無き」とは、それ以上の成果を得られぬという意である。

 日本人は特にかも知れぬが流行というものに弱く、その流行により挙げられている例えば「標語」等を見ると、その標語に書かれた内容が「全てなのだ」等と言う様に、譬え自分がそのとき違う感想を以て居たにせよ、違う事を思っていたにせよ、周りに合せて流され、自分の本意を隠し、周りが認める意見へ同調して行く傾向がある。そんな光景・情景を実際俺はこれまでよく見た。故にこの日本人の質の傾向をよく知るのである。日本人とは恐らく、この「周りにより挙げられた、訳の分らぬ認識」に程無く程好く流されて行くのを交流の一手としている。見ていてそう思うのである。その傾向とは群れの内に居続けると中々自身では変える事が出来ず、どうしても「お偉方」の意見を聞く形で、自分の主張を卑下して閉じ込めさせるものである。この「卑下」は或いは「確保」に置き換えてもよい。こんな謙虚な日本人はもう現代において余り見られなくなったとは思うが、それでもこの「自身の思惑を隠す(画す)」という行為だけは何故か継続させられているようであり、別の法を以て、現代日本人は「群れの内での自己主張」を殆どせぬように成った様子がある。「せぬ」と言うよりは出来ぬのである。この「別の法」とは、例えば無関心である。無関心を装う事によって「自分とこの群れとは関係ないですよ」等と自己に「自己に依る標語」を刻み込み教えながら、「自分は別の所で自己主張するからいいのですよ」等と言う具合にして、その群れではとにかく、自己保全、安全を求めて、滅多な事をせず、自分のテリトリーだけをとかく守り通すような、そんな性質を持ち合せるように成ってしまった。


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ハチ公のヒストリアを観て

 今日、二〇一五年九月二三日(今はもう九月二四日の夜中一時三三分であるが)、俺はハチ公を扱ったドキュメンタリ番組『ヒストリア』というのを観た。観ながら俺は、太宰治の『待つ』という作品を想起していた。「待つ」、好い響きではないか。俺はこのドキュメンタリ「ハチ公」を観ながら、高校の頃に自分を立ち返らせて、クラスの中、作文を書かせる哀れな国語の授業中に、「待つ」と題して、作文を提出し、そのとき教壇に立つ初老の女教師に偉く褒められる、という想定を置き、独り楽しんでいた。哀愁に耽りながら、独り、自分の楽を観て楽しんでいた。母が、同じ番組を一緒に観ながら、居間のベッドで寝て居る。母は、何時の間にか寝入っていたようだ。いつ寝たのか知れない。俺はその母と一緒に番組を観ながら、思わず又、泣いていた。動物、犬の人間に対する純粋な忠実に対し、自然に涙が出て来るのを感じていた。客観的に自分が観える程、又その時の俺の心境は、端(はた)からの刺激に弱く脆く、酷く純朴な胸裏に縋っていたようである。「俺も犬を飼いたい」そう思い、まだ眠る前の母に一度お願いしてみた。「駄目」な事は分かっちゃ居たが、それでも言ってみたかった。猫、犬、昔うちに居た二つの命が俺の空想中を通り過ぎた。俺は奴らを愛していた。もう一度、ぎゅうっと抱きしめたいと、密かに、何度も何度も思ったものである。タイミングが悪い…、こう思えて成らぬ事が、どんな時でも度々ある。―この「待つ」、ひどくよい響きに思われていた。太宰は流石によい作品を書く、そう思いながら羨ましくなった。又、他人を羨み崇める、どうにも処置を施せない自分が現れていた。この「待つ」。俺は悔しくも、暫く心奪われていた―。

 



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