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窓の向こう

  ラジオをつけてみた。電波の届きにくいその地方では、その音声が精一杯だった。くもりの空は未だ晴れる兆しがなく、外を歩く兵隊の靴を見るしかなかった、顔は見えず、足音も聴こえず、ただその足跡をつける靴を見るしかないのである。退屈を悟ったその日、普通にドアを開けて外に出たところ、兵隊に気付かれ、射殺された。
 様々なスリラーものを書く小説家、皆人間にかわりない。それが儚く、空しい。〝ハッピー〟でもおかしくないのだ。
 スリラーとハッピーは同じものだ。人間と動物は同じようで違う。人間と神も同じようで違う。人間と動物を創られたのが神であり、その動物を統治できるように創られたのが、二つの内、人間なのだ。では天使の存在は?一説に、堕落した天使が、悪になった、というのもある。見たわけではない、僕と同じ名前の人は、この世にあとどれだけいるのか…。解決するべき問題と、すべきでない問題、その二つしかないのだ。できない問題、というものは、存在しない、人間の空想にすぎない、夢である。神の想像と人間(ひと)の想像は違うものであろう。その距離が、人間を途方に迷いこませるのだ。
 映画を創る上で、 作者の細かな心理までは、スクリーンに映せない。無意識下なりとも、意識下なりとも、大勢でものを創る場合、どうしても、ひとりの感情は薄れてしまう。十を想像したらスクリーンに映せるのはせいぜい八まで。あと二は、そのまま作者の頭の中に残ってしまうのだ。そしてやがてはきえる。そう言ってしまえば夢と華がない。
 今晩友達に誘われて、また遊びに行った。はじめ、Mr・Fの名前を聞いた時点で、半分は嫌気が差していたのだ。それでも、電話が鳴ったその驚きの拍子で、やはり〝O・K〟と言うのだ。そして、そいつの車に乗り込む。いつものように(予想通り)、横には嫉妬を乗せており、役者は揃っているらしかった。音楽(流行音楽)をめいっぱいにかけ、我をあしらう。そんな気はあったにせよ、ないにせよ、そう思うのは、人間(ひと)、仕方がないで済ますしかないのだ。Mr・FはMr・Yに電話したが、疲れているので来られない、と。我は、自分の腹立たしさを紛らすために利用しようと、Mr・Yを横に置いておこうと思った、もう、これまでに見て来た今まで通りである。しかし、〝どうしても行きたくない〟と、半狂乱だったので、仕方なく、利用は諦めた。まだ、F氏は、気を利かしてくれて、今度はT氏を呼ぼうとした。結局、我々三人で行くこととなり、それでもF氏とその嫉妬にしてみれば、役者は揃うのである。〝来たからには、楽しくしないと損だ、〟とお金のことも考え、今後に備えた。カラオケBOXである。唄っても、沈黙ができる、どうしようもない空間であった。話を聞いていると、人の集まるところでいつも起きる面倒事を腹立たしく話している。我も、〝I God…〟と思いながら、聞いている。嫌でも耳に入ってくるのだ、両手で塞ぐほどのことでもないのだが。面白くはなかった。最後に車から降りる時、〝また遊ぼう、〟と一言。我は心では黙っていた。生きる以上、今後が必要だったからである。これが、人間(ひと)の世の中なのである。悪しからず。


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氷雨のカナリア

空は灰色だった。映画にはできない様だが、とても嫌な雰囲気だった。俺の心には何て言えばいいのか、とても迷う。それでも、俺の友達は来る。その中に女はいないのが不幸なのか幸なのかわからないが、女はいない。冷たい現実だ。どうして悪いのだ、俺がここにいることが。声の出てないデモープを聞きながら、ヒーターの音はとてもうるさい。目は少し痛く、嫌な予感をさせる。おかしな文章は、まだまだ続く………………。
 あの星の数ほどの幸福?不幸?…空想。氷雨のカナリア。
~氷雨のカナリア~
 水曜日の朝、氷が降っていた。とても冷たい窓には、嫌な人の名前が。〝お代金いくら…〟の紙がカナリアの鳥カゴの下敷きに敷かれてある。〝お代金いくら?〟とカナリアはしゃべる、外は氷がふり続く。……
 ガスコンロの火はパチパチ音をたてて、燃えさかる。人は、本を読みながらゆり椅子にもたれる。ぎこちない音楽を聞きながら、表紙をめくる。表紙をめくる音だけが、部屋中にこだます。コーヒーができたのでコーヒーをすすって、味をいただく。その時、ふいにスプーンの〝貴金属〟の音がした。それに反動して、カナリアが、〝お代金いくら?〟としゃべった。意味はわかっていないのだろう、と少し安心して、人は、テーブルに向かう。キレイ言はもうやめにしようではないか、と、人はカナリアに話しかける。カナリアが次に覚えた言葉は、〝キレイ言はもうやめにしようではないか〟である。人は笑った。
 淡い白日夢は唐突に夢をかき消すが如く、もったいつけた主人の手先へとその旋律を奏でる。主人はドラマ仕立ての心境を少し一新して、また一張羅をむさぼり、デカンタから滴る水の透明を眺めている。すきま風が吹く。おかしなことに、鳥カゴが吊ってあるところから少し左にある窓が開けられている。
〝誰か来たんだろうか?〟
 無心に訴えながら主人は、コーヒーを一度テーブルに置いて、窓を閉めに行く。言葉が聞えた。
〝お前は一度空を飛びたいと、心から願ったことが少年の時期にあったね。その夢、叶えようではないか。私ときなさい。〟
 何気なく訴えてきたその言葉の主に、主人は見憶えがあった。
〝あの時のシャンデリアの下にいた黒いハットを被った男だ〟
 そう思うが早いか、主人はカナリアがいるそのカゴのことも忘れて、一度閉めたその窓を全開にして、顔を突き出し、空を見た。次に、下方を見下ろして、通りを行く二台の馬車と、御者を携えた若い夫婦が、しずしずと歩く姿があるのを知った。
〝あなたは今どこにいるのですか?もし本当にいるのでしたら、今こそ私の目の前に現れて私の永年の夢を叶えて下さい。〟
 無心にお願いをする主人をカナリアは、ただじっと見ている。風が滅法吹きこむその部屋は、主人の普段読む雑誌や新聞、誰かの論文、また自筆のノートで散乱しており、それ等の一つ一つが異なる様子を以て、バラバラとやみくもな音を立てており、カナリアは主人の声を聞きとれないでいた。ほんの一瞬、主人は妙に動く対象に目をやった。鳥の習性なのか、カナリアは小刻みに動いている。毛繕い、主人の行動を見ること、風に驚いたあとの体裁の繕いを、我が物顔でやっており、その詰った行動が主人の関心を呼んだのである。
 薄らいだ光が雲間から漏れ始め、主人の顔を差したあと、街全体を包み始めた。主人は少々気落ちしたような体裁を以て桟に両手をつき体を支え、たそがれていた。カナリアはまだじっと主人を見つめる。主人は気付かず街並み、戯れる人、目的に向かう人、また次に雨が来そうな予感に躍起になって踊る野鳥をぼうっと見つめていた。理想を奏でる思惑を共にして。カナリアは二度、おじぎをした。主人は気付くことなく、ずっと街並を眺めている。
〝きみの願いは叶えられた〟
 不意に声がして、主人は部屋を見回すが、変化のない光景がそこに横たわっている。何だったのか、不意に気を改め、部屋を見回すついでにカナリアを見る。カナリアは水を飲んでいる。雨が降ってきた。怒涛のような激しさを終えたあと、次第にゆるやみ本降りとなった。
〝ああ、夢だったのか。いや、気のせいだ。少し休もう。〟
 主人はそう言って、またテーブルに向い、読みかけていた雑誌を手に取り、今度はあまり浸ることがないように、読み始めた。コーヒーはさっき飲んだ分、淵に丸い輪っかを残したまま少し減っている。
 鳥は人の夢、空をとぶことができる。一生のテーマである。
 主人はテーブルにあったペンをとり、野鳥とカナリアの素描を仕掛けたノートに、この一文を刻んだ。


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シンドラーのリスト

 戦争、ひとつひとつを見れば痛々しく、見られない。金と欲、理解できない。今のわずらわしさなど消える。言葉はすでに消えている。人間とは苦痛を感じる、会社の経営者は〝失格だ〟と言う。ある人は痛みのないように死なせる、と言う。神はどのように聞かれているのか、沈黙はまだ続いていた。これだけの数に命があるとは思えない、人は他人の中に入れない。だが、経営者は言う。〝ようこそプリンリッツ(永眠地)へ〟と。信じることは、人に対してできるものなのか。寒い地方だ、信じる集中力に欠ける。男は、天を見上げ続ける、女は、欲を忘れることはできない。安楽地と思って着いてみれば、そこは地球の果てだった。人は、この世に自ら地獄を創り上げた。〝なければ寂しい〟と言うのだ。それを言わせたのは、神か、悪か。僕(ひと)はそれをも信じるしかない。
 今の世の中、幸福の真っただ中。戦争に終わりがあるように、平和にも終わりがあるのか。死ぬのに、リストがある。それを作ったのは誰か、わずかな平和の余韻に、善者と悪者に分かれた。この平和の世の中は、どういう時なのだ、これがわからないとは悲しすぎることだ。紙一重で、人の命は決まる。殺人鬼がこの殺される衆の中のどこにいるかわからない。冷たい人間の命の出所は、どこなのか、考えれば怖くなる。人の心理を考えれば、その数は果てしない。人が頭の中で考えられる数の限界は?男と女の力の差がはっきりと出ている。天国と地獄がこの世にあるように思える、人の世界はもう嫌になる。頭がいい、と言うのは、得てして、神に喜ばれるとは限らない。誰が救世主なのか、考える前に、人は天に生きたい。ある人は紙に毎晩書きつづける、〝光あるところに悪がある〟と、女は仕事はしない。男の仕事はできないのだ。戦争時に、安息日とは?イエスキリストは戦争中に来られた。信じる者は信じ、不安がる者は不安を抱いた。イエスを動かしたのは神、あの頃を僕は知らない。ただ、教会で神様の話を聞く時だけ、その頃を想像する。でも、僕には欲があり、命がある。この世で、死以上の不幸はないという。人を救うのは、人ではない、神だ、と。僕は苦痛を忘れたい。そして、神に祈って、この欲を取り除いて欲しい。人は金で、人に人を救うように頼んだ。ユダヤの人達は、その苦しみを知っている。僕はそれなのに、神を幾度か呪った。そのつけは、廻ってくるのか、僕はただ、神に創られた人間(ひと)として、素直に欲を嫌っただけだ。どこに行っても、聖地外国には、十字架がある。これほどに、キリストは人を救おうとするものがあるのか。一時に六〇〇万もの命が、人に奪われた。その命の行き先は、天か地か、今は、この地球には、石としてしか残っていない。通り過ぎた人の多さと、時間の多さは、神の手の中にあると信じたい。あれからどれくらいの時が過ぎたか、わずかかも知れない。僕は、この世の中で神を見失いかけている。殺される時を見れば孤独に狂う程なのに、この平和の間が僕の持って生まれた欲を引き出す。人である以上、生きるために欲はある。それは、本来どういう姿のものなのか。僕にはわからない。ただ、殺されかけた大勢の中の一人の人を救う人を見た時、僕は感動したのだ。〝シンドラーのリスト〟を見ながら文字を書く僕の姿が、テレビのブラウン管に映るのが見える。

 

 


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ニュークロスの悲劇(上)

 前日に雨が降れば、翌日の町では、濃霧が漂い、場所によっては、先が見えないところがあった。ニュークロスという、ロンドンから少し離れた町があり、その土地の者、又よそ者は、その町を「郊外」としきりに呼ぶ。貧民街が中に数点あるが、過去の歴史に於ける見栄えから「田舎」とは呼ばれない。そのような外観と内実とは、常に、人の喜びと悲しみを見据える視点を曇らせていた。よそ者に対しては、特定の用事でもない限りは、そこへ近づくことをさせず、土地の人々に対しては、水たまりを思い出させて、少々の空想を共に「ポンドロット」との別名を立てさせ、又その町を出る者に対しては、ありふれた感動にピリオドを打たせて終点を仄めかす様子があったという。冬は雪が町を彩り、車で五マイル行くのが至難の場合もある。霧が出るのは大抵冬が訪れる前であり、今である。風は冷たく、雨はぬるい。心地よいものは、見知らぬ人の情である、等の噂がちらほら飛び交う。都会で思い通りに楽しんだ後で、散在する路地に入れば、コツコツ、という靴の音がやけに響いた。
 コツコツ、と長い歩幅を思わせる靴の音がした。見知らぬ町では市が催されており、そこに集った雑踏をかいくぐり、あの男はやって来る。建物は、スカイラインを幾つも重ねて、空を隔てる為、間道であるその通りは暗い。その闇に紛れながらこうもり傘をさすあの男は、沈黙を以てやって来る。「コニーロッド」という酒場へ向かう様子であり、その十数年流行り続けた新鮮なギャンブルができる場所を、あの男は好んだ様である。その場所は、酒場ながらに、あの貧民街でくたびれたジャンキー達が、鈍った感覚を取り戻す為の挫折と戯れることができる安楽な空間を醸し出し、バイカーと呼ばれる安酒をあおってルーレット、ポーカー、又悪い夢を売る女が盲目を与えるひとり遊び、等の内で、つかみたい者が勝利をつかむことができる、という酷くつまみ易い強制と暇を御馳走としている。その魅力を知ったよそ者、又、ジャンキー達は、その後、間違いなくそこへ行った。こうもり傘をさしたその男の名はトムソンといい、役者であった。暫く芝居小屋へ通う内に、良くない妄想に駆られてしまって財産を売り、とかく商売敵と噂された娼婦の女に夢を寝取られてしまい、手の平の皺を数えている内に光が差して、その後まもなく、その貧民街で働くことを夢に見たのである。又、よくある家計の誤算が肩を押して、幾度かは敵に、商才の内で挑んだ日々もあったが、要の十八番がどうしても冴えずに、心身、環境、共々滞り、ついにこの場所へ堕ちて来た、というのが本当らしい。その貧民街に友人が居た彼は、沢山の太陽と月の下を通った後で、その友人に頼った。彼の父親が仕事の都合で町に戻るまでの間でもある。友人の名は、デストロイといい、彼の旧友である。彼もデストロイも、ニュークロスの出身ではなく、元々の生れはロンドンである。彼の遠祖を辿れば貴族階級にあり、デストロイは農家であった。青年の時代に仲たがいをし、しばらく疎遠になっていた彼等は、ここ、ニュークロスで再会し、確執を忘れるようになった。デストロイには妻子がなく、中流家庭の身の上だったが、彼に対しては、やはり親身になり、仕事を世話して、アパートを見付けてやり、それ等の援助のお陰で、彼は働きに出ることになる。
 木曜日の朝十時、目覚ましが鳴り、〝ジリリリリ…〟という不快音がトムソンの眠りの内に響く。トムソンは、もそもそとベッドから抜け出して、右足の親指に、ぽっかり開いた穴の感覚と、きっとその為の隙間風に、妙に気忙しくさせられて、倦怠に捕われたか、一旦離れた沈静を再度取り戻した後、コーヒーをデカンタからコップへと注ぐ。靴下を履き替えた後、一度、窓を開けて空を見た。途端に形相を変えてバスタブに向かい、浴槽の罅と僅かに残る水滴の一面を省みた後で、洗面台に行って歯を磨く。タオルをさっと取り、顔を拭いた後、暫く黙っている。さっき見た空は、曇っていた。不意にネズミが一匹、天井を走った。妙な軽快音に少々困惑しながら、なつかしいピンナップをとめてあったコルクボードの横には、小さく貼られたカレンダーがあり、それを手に取り、空想と堅実とを以てゆっくり眺める。三口目のコーヒーはトムソンを覚醒させて、躍起に駆られながらトムソンは、その日を辿った。シュッシュッと鳴っているストーブの上の薬缶には、少ししか湯がなく、あと一杯分のコーヒーを作ることはできたが、それだけだった。トムソンは、二杯目のコーヒーを飲んだ。飲みながらテーブルの上に無造作に広げられた新聞に目を通して、その日の自分を確認した後、他人の真似をした。惜しいのは、昨日の新聞だったことである。しかし、トムソンの計算の内のことである。これから自分は働きに出るのだ。一般人と変わらない、そんなことを呟くトムソンの心中には、乖離し得ない両者の立場が、無造作に設定されていた。それは何度も見て来た経験であり、何度も回想してきたその過去が、見知らぬ情景とその背景とを思考の源に居座らせることにより、トムソンの感覚に白日夢を覚えさせている。そのような経過をトムソンは知っている。独歩と乱歩とを以て憂鬱が思索に耽り終えてから、やがては無関心を覚えながらにして、自然が魅力だけを残す形を以て雑事を除去してゆくのであろうと、密かにトムソンは期待する。変えられない運命は予定外の感動をトムソンの心中に取り込ませて、トムソンはいつしか夢の実現が自分に来ると、丈夫に、心に花を咲かせていた。何でも経験済みである、そう思わせる魅力的な虚構は、この現実に息づいていた。しかしトムソンは、それ等がどのようにして連動するのか、その真相について知らない。知っていたのはむしろ、対岸にいる憧れの騎士、デストロイであったことは、トムソンにも薄々気付かされる処であった。
 デストロイが階下で、車で迎えに来ている気配がした。車のマフラーから漏れる静かなボイルの音が、カラコロと彼の耳にこだました。彼は、とりあえず、一張羅は鞄に直して、二つ目の余所行きとして身に着けていた作業着を、鏡を背にして身に付けて、残ったコーヒーと薬缶の湯を流しに捨てた後で、部屋を出ようとした。その時、ネズミが走ったあの天井を覗くようにして見た。又、右袖のボタンは付いているのかどうか、確認しながら靴を履きかけた際、背後にしたベッドの方で、〝ジリリリ!!〟と鳴る。さっき消した筈の目覚ましが、又鳴った。消し忘れていたようであり、さっき読み掛けていた新聞を、足下にする形でもう一度眺めながらベッドまで行き、うるさい時計を消した。十時半を指していた。大きな月が太陽に照らされる神秘のことを、少し思った。
 デストロイが来た。彼の身なりは、安っぽいアパートに住んでいるとは思えないくらいに見栄えのするテカリの入った黒いタイに、黒のスーツ、薄茶色のストライプが入ったワイシャツで彩られている。トムソンのアパートの部屋には、ちょっとした螺旋階段を上らなければ辿り着くことができない。郵便受けが鳥の巣箱のように備え付けられた壁を挟んで、螺旋階段は細い螺旋を描きながら上階へと伸びてゆき、その階段を下りた所には小さな駐車場があり、その駐車場は別段住居人の為のものではなく、管理人のものであり、管理人が車を使用する外出中には誰が停めても良い、という約束事は、その辺りに住むジャンキー達と、住居人達との間の暗黙の内に決められたことだった。
 「遅かったな」トムソンが囃して言う。「なあに、道が混んでいたのさ。一昨日の晩から降り積もった、いや違った、夕立のような霧雨が気まぐれで作った霧が出ててね。」躊躇いなくデストロイは応えた。二人の友情に於ける関係は幼少の頃からそれ程変ってはいない。いつになっても二人は、友情を確かめ合う、等ということについては考えず、喜怒哀楽に、いつでも情を掻き立てることができる、このような自然の在り方は、自分達にとって必定のことであり、良し、としていた。又そのようにさせる根拠についての確信を、どうしても消すことができなかった。作業着の胸のポケットにボールペンを差して、トムソンは車に乗り込んだ。デストロイの運転する車はゆっくりと動き出す。

 

 


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アル・パチーノのような男

 イタリアの街をコートで身を包みながら歩いていた。向こうから来る女に目をやりながら男は、少し灯りの漏れる窓を気にしていた。空の雲ゆきはあやしくなり、雨が降り出しそうだった。女は、その男の横を通り過ぎ、何食わぬ顔で歩き去った。男はプライドの持ち主で、コイン片手に酒場へ入るのだ。ふらりふらりとルーレットは回っていて、嫌気がさすような人の多さとタバコの煙に、酒の瓶は見えない程だった。
 〝外国の街〟をいろいろ考えていたが、結局、そこ、今いるところのことしか考えられなくなった。男はさっきの女のことも忘れて、ただゲームに夢中だった。ルーレットは、さっきよりも早く回り出し、客入りもよくなってきている。それは次第とよくなる、だんだんと増えていっているのだ。
 バーボン一杯で酔いが回り始めた、外国の酒に慣れていない男は、タバコの煙も吸わないまま、眠りに堕ちた。さっきからにぎっているコインを使う間もないまま、うつら、うつらする時、少し〝どうしようか〟迷っていた。このままでいいのだろうか。何も遊ばなくても、今夜このまま終わらせてしまっても…明日になれば、また考え方もかわっている。人間とは、いい加減なもので、さっき言いかけたことも忘れる。頭の回転が遅いんじゃない、口の回転が早くないのだ。そして、結局、コインをにぎりしめたまま、睡魔に堕ちてゆく男はその瞬間、〝あの男はアルパチーノに似た男だ、〟と呟き、眠った。
 その夜は急に気忙しくなり、そこの主人も早く店を閉めたいらしく、そのアルパチノに似た男の話し相手になったまま、カーテンを閉めた。タバコの煙はだんだん薄くなった。

 

 



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