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誰そ彼と われをな問ひそ

 

その日は少し変則的だった。仕事が早めに終わったので三葉と連絡を取り合い、神田のカフェで待ち合わせ。着いてみると三葉と一緒に四葉がいた。

「ちょうど部活終わってなー、瀧くん」

「…くん付け?」

姉と一緒にカフェのイスに座っている理由を、四葉はそう説明した。

そして三葉に影響されてか四葉まで瀧のことを『瀧君』と呼ぶようになっていた。

 

ちょっとひっかかるけど、ま、いいか。せっかくだからみんなとどこかで夕飯を、という算段を瀧が始めたとき、四葉が思いもよらない提案を発言した。

 

「うち、瀧くん家行きたい!!」

「えっ!?」

 

スマフォをテーブルの上に置いて三葉と話し合っていた瀧は文字通り硬直した。

三葉も四葉の方を向いて停止していたが、すぐ瀧の方に向き直り、

 

「私もちょっと行ってみたいかも。いい?瀧君」

 

と言った。すっげえ唐突だな!とは思いつつ、

 

「あ、ああ」

 

と瀧は応じた。とにかく、さっさと戻って部屋を片付けるか。

 

三葉の笑顔を前に、瀧はそう決心した。

 

***

 

二人が食材を調達している間、スーツを着替えた瀧は全身全霊で部屋の整理清掃に打ち込んだ。

三葉と付き合い始めた後また自炊していたからゴミは少なかったが、代わりに洗いものが台所を占拠していた。

 

まずはそれらを片付け(スポンジ瀕死)、ついでにリビングを埋め尽くしている仕事の資料を寝室兼仕事部屋に押し込み(おかげで仕事部屋がカオスになった)、フローリングにワイパーをかけ(小走り)、仕上げた。

 

壁には色々な風景・建築物の写真や図面が貼ってあるけれど、これはいいだろう。ここまでわずか30分の早業だった。手持ち無沙汰になった瀧は、綺麗になったフローリングの上で中学バスケ部時代に習得したムーンウォークをやってみる。

 

お、案外まだやれる—呼び鈴が鳴った。

 

三葉と四葉はいろいろと買い込んでいた。

その勘定で少し堂々巡りしたのち、四葉の提案で瀧が料理する分二人がお金を持つということで落ち着いた。

 

三葉もそうだけど、四葉は特に学生なんだからたかれよ。そんな感じのことを瀧が言ったところ、

 

「いいにん。自分の食い扶持ぐらい自分で払うでな」

 

と返された。四葉はやはり、なんか、達観している。

 

瀧がてきぱきと料理を進める一方、三葉と四葉は瀧の了承を得て資料が山積している仕事部屋を見物していた。

 

「見てみ、お姉ちゃん。設計図やよ!こまかぁ!」

「四葉、こっちのスケッチもすごいよ!」

 

という会話を背中で聞きながら、瀧は鶏肉と大豆のトマト煮に取りかかる。

 

冷凍あさりは白ワイン(冷蔵庫にあった)とバターでネギと蒸し、残った出汁を合わせて即席のキャベツ入りコンソメ風スープを作る。

 

葉もの野菜と豆腐があったので適当に切って皿に並べ、軽く火を通したバルサミコ酢(これももとからあった)と一緒に冷蔵庫に入れておく。これは食べる直前にオリーブオイルとかければいいだろう。かつおぶしも買ってあったし乗せて。

 

主食はまさかの米。トマト煮に醤油でもぶち込むか……、と瀧は白米に合うアレンジを考えてみる。とりあえず今は煮込むだけ。

 

スープとトマト煮の火加減を弱火にして三葉と四葉の様子を見に行く。二人とも机の近くの壁に留められた糸守町のスケッチに見入っていた。

 

瀧君、これ、と言ってイラストを指さしながら三葉が振り向いた。

ああ、と瀧は答える。

 

「高校んとき、描いたんだ。写真とかいろいろ見ながら」

 

壁から絵を外し、差し出すと三葉が受け取った。横で四葉が「よく描けとるなぁ」と呟いている。

 

「まるで、見て来たみたい……」

 

そう評する三葉に、瀧は何も言えない。しばらく三葉は絵を見つめて、それからだんだん、むぅ、と考え込むような表情になっていく。何を思って三葉がそんな表情をしているのか、瀧には分からない。

 

四葉が台所の様子を見に行ったあともそうしていたが、ふいに顔を上げ、

 

「瀧くん、今度は、ゼッタイ忘れんからね!!」

 

と言って瀧の方に向き直った。咄嗟に、

 

「ああ、俺も」

 

と口を衝いて出る。“何を”忘れないのか、わからない。

 

わからないけど。三葉も、きっと何か大切なことを、今も探してるんじゃないか。そんな気がする。

 

そのままなんと言っていいかわからず、神妙な顔つきのまま二人とも見つめ合っていたが、台所から、

 

「瀧兄、煮詰まっとるよー」

 

という四葉の声が聞こえて、あわてて瀧は台所に戻っていった。

 

***

 

瀧の料理は二人の予想とだいぶ違っているようだった。

 

「あさりがみそ汁じゃなくて皿に盛られとる!」

「冷や奴にレタスとオリーブオイルや!それにこの醤油(バルサミコ酢のこと)甘酸っぱ!」

「キャベツがスープになっとるよ!」

 

なんていいながらいちいち驚くからすぐ分かる。そうは言いながらも、決して不満そうという訳ではなく(主食=米、と総菜=イタリアン?のマッチには瀧も説明を放棄したが)、箸の進みはすこぶる良かった。

 

「なんか懐かしいなあ。こういうゴハン」

 

そう切り出した四葉に、瀧と三葉は怪訝そうな顔を向ける。あさりと白米を飲み込んでから、四葉が言った。

 

「覚えとらんの?お姉ちゃんもいっとき、こんなゴハンつくってたじゃん」

 

言われた三葉はますます不思議そうに首を傾げる。ほら、糸守にいた頃やよ、という四葉の言葉に瀧もちょっと気にかける。

 

あのど田舎で、たぶんまだ高校生くらいの三葉が?そういうドラマでもやってたっけか。何せ瀧が中学生の頃だからよく覚えていない。

そこまではのほほんと豆をつまんでいた瀧だったが、続く四葉の発言に箸が止まった。

 

「この前も思ったけど、やっぱお姉ちゃん、あの頃東京に彼氏おったんやない?」

「それはない」

 

間髪入れずに三葉が否定する。すかさず瀧も聞く。

 

「この前って?」

 

瀧の質問に、四葉が瀧の方に向き直った。

 

「お姉ちゃん東京に友達がおったんよ。女の人やったけど」

「だから知らない人だってば」

 

いまいち話が読めない。そりゃ三葉も東京に来て長いんだから友達だっているだろ。でも知らない人だと三葉は言う。話がややこしくなると思ったのか、三葉が話を進める。

 

「奥寺さんに会ったんよ。瀧くんは知っとるとおもうんだけど」

「奥寺先輩かぁ」

 

去年、瀧がまだ就活していたときに会ったのが最後だ。あの人、ちょくちょく東京に来てるんだろうか。

にしても、どういう流れで三葉と?

 

「喫茶店で四葉と話してたら、ちらちらこっち見てくる人がおって」

「お姉ちゃんが『前にどこかでお会いしましたか?』って聞きにいったんやよ」

 

瀧の疑問を汲み取ったかのように姉妹が話す。なるほど見ず知らずの相手になかなかできることではない。

ただ、面識があったにせよ、その思い切りの良さは三葉らしい気がする。

 

「それで瀧くんのこといろいろ話ししてくれて。就活のこととか」

「ああ、それで『ちゃんと生きてる?』ってわけか」

 

瀧は三葉から来た突然の安否確認を思い出す。就活中の瀧がそれなり周りを心配(とまではいかないか)させてたのは事実だし、奥寺先輩に聞いたんじゃそう思われるのも無理ないか。

 

瀧は安否確認の件に納得し、同時に、誰かを探し続けていたあの感覚を懐かしむ。ああ、出会えてホントに良かった———。

 

「瀧兄の好きそうなタイプやったなー」

「あ、そうそう、瀧くん。あの人とデートしたことあるんやろ?」

 

そんな余韻もつかの間、瀧は手を伸ばしてコップをつかんだまま動きを止める。酔ってるせいか、四葉はともかく三葉まで遠慮がない。

 

「その話、どっから……」

「そりゃ、奥寺さんやに」

 

苦笑いしてちぐはぐなことを聞いてしまう。四葉が答える。

 

「奥手かと思っとったけど、案外瀧兄もスペック活かしとんのやなー」

「ほんにな」

 

三葉が相づちを打つ。やめてくれ、妹。お前、俺を応援してんなら話をややこしくしないでくれよ。それに、その話は。首の後ろに手を当てながら瀧が話す。

 

「あんま、その辺は触れて欲しくないっつーか。俺もどういう経緯でそうなったのかよく覚えてねえし」

 

微妙な作り笑いを浮かべたままの瀧だけど、それは苦い思い出に触れられたから。

高木と司、二人に太鼓判を押されるほど女性を心得ていない瀧がどのようにして奥寺先輩とのデートにこぎ着けるほどの手腕を発揮したのか。

当日の焦りまくってた自分は覚えているけれど、その前に存在したであろう超スマートな瀧については、もはや別人なのではないかと思うくらい記憶にない。

 

三葉が話を続ける。

 

「まあ、そうやよねえ。あの人、瀧くんより年上やったし」

 

すこし大人びた視線でそう笑いかける三葉に言われて、ん?と、瀧は今更ながら疑問がわいてくる。

 

「その場合、三葉はどうなんだ?」

 

瀧の言葉に、三葉は一瞬『えっ』という表情になる。考えてもみなかったことを言われたような、そんな感じの。だがすぐ屈託ない笑顔をうかべて、

 

「どう思う?」

 

と聞き返された。

 

***

 

気づけば結構いい時間だった。三葉の気持ちについては話題が流れてしまったので分からないままだけど、その後も他愛ない話で結構盛り上がった。机上のデジタル時計を見て、いつだったか高木と司に言われたことを頭の片隅に置いて瀧が切り出した。

 

「もう遅いし、二人ともうちに泊まってけよ」

 

三葉はもうそんな時間、と言って時計を見た後四葉に話しかける。それまでどうなるかなーと成り行きを見守っていた四葉は、

 

「うちは明日部活やし帰るに。お姉ちゃんは泊まってき」

 

と言った。

 

***

 

「なんか、結構無理やりだったな……」

「そんなもんやさ」

 

夜道を瀧と四葉が歩いている。そろそろ夏も近い。肌にまとわりつくような湿気を感じる。

あの後、事実に思考が追いついていない三葉に風呂と服の場所だけ示し、仕事部屋兼寝室を大急ぎで整理した瀧は、四葉に急かされるようにしてマンションを出て彼女を家まで送っていた。

 

特急で話を進めたのもそうだけど、ちょっと、その他にも気になることがある。

 

「どうしたん?」

 

思案顔の瀧を覗き込むように四葉が尋ねてくる。ああ、と少し間を置いて瀧が答える。

 

「その、『着替え』とか大丈夫かなって」

「心配いらん。うちが買っといた」

「マジか!」

「お姉ちゃんも妙に抜けとるでな。うちが手を貸すで安心し」

「お、おお。ありがとう」

 

礼を言う場面なのか、という自問自答はさておき。少し真面目な口調で、瀧は聞く。

 

「いいのか?三葉を置いてきて」

 

そう言われて、ややいぶかしげな顔をした後、うーんと唸って四葉が言う。

 

「まあ、瀧兄にお姉ちゃん泣かすほどの度胸ないやろ」

「む」

 

また小生意気なことを、と思ったが反論できない。瀧は渋い顔をする。ただ、度胸のあるなしに関わらず、三葉を泣かせるような真似をする気ははなからない。

 

「冗談やに」と言いながら四葉が笑う。

 

「瀧兄ならええよ。あんたの描いた糸守、あらあ良かった」

 

ずっと前にどこかで言われたような台詞だ。既視感に浸る瀧に、四葉がまた続ける。

 

「それに、ずっと前から知っとるような気がするに。瀧兄のこと」

 

横を歩く四葉が、少しはにかみながら、でもにっと笑った顔を瀧に向けてくる。咲くような笑顔に、瞬間瀧はさっと顔を背けた。酔ってるから、姉妹だから。そんな意味のない言い訳が頭の中を駆け巡る。

 

「なんや。あんたうちにも惚れたか。気の多いやっちゃ」

「惚れてはねえよ」

 

得意げな顔をしてみる四葉と、必死に険しい顔を作っている瀧。惚れてる訳ではない。

でも、何かが触れた。かつてこの手にあったのに、いつの時からか遥か遠くに行ってしまって、もう戻ってくることはないだろうと思っていた、そんな何か。

 

「ま、瀧兄はもうちょっとしっかりせんとな」

 

四葉がそう呟くのを聞いて、瀧は我に返る。しっかりしろ、とはしっかりしていないということか。…どういうことだ?

 

「というと」

 

あくまでのんきな瀧の反応に、四葉は普段の表情に戻って言う。

 

「お姉ちゃん結構モテてたみたいでなー。大丈夫やと思うけど、決めるとこは決めな」

「例えば」

「帰りしな、いきなり押し倒して唇奪うとか」

「君のお姉ちゃんに平手食らいそうなんだけど」

「当たり前やさ」

 

そんな何も得るものがない会話をしているうち、姉妹の家の前につく。お礼を言って家に入っていく途中、四葉が半身振り向いた。

 

「とりあえず、今夜、がんばり!」

 

サムアップしてそう言われたものの何をがんばればいいのか、がんばってよいのか全く分からない。とりあえず瀧も右手で小さく親指を立てて応じておく。

 

「あ、でも早まったらいかんで!」

 

***

 

マンションに戻るとすっかり出来上がった三葉に「おかえりー」とおかしなテンションで出迎えられた。

風呂入って俺の服を着たあたりで、たぶん何かが吹っ切れたんじゃないだろうか。瀧はそう思う。

とりあえず、決めるところは決める。三葉、と落ち着いたトーンで呼びかけてから、相手の目をまっすぐ見据えて、瀧はおもむろに口を開いた。

 

「す、すきだ」

 

その瞬間、瀧は己がどれほど真面目な顔をして今の台詞を言い放ったのか気がつかない。

三葉はきょとんとした顔でしばらく静止した後、台所に行きコップに水をたたえて戻ってきた。

 

「…これは?」

「まだ酔っとるんかなって」

「…酔ってねえけど」

 

三葉はますます目を丸くして瀧を見つめ、瀧は相変わらず真剣な顔つきで三葉の反応を待っている。想像と違う方向に進んでいるのは自覚がある。

でもどう軌道修正すれば良いのか瀧には見当がつかないからどこかに着地するのを待っている。

 

「へ、じゃあ、その、そんな真顔で?」

 

こくん、と瀧がうなづく。三葉の肩が小刻みに震えだす。持っていたコップを傍においたとき、ついに三葉が笑い出した。

 

「あは、あはは!ちょっ、瀧くん、ごめ……!」

 

右手を瀧の左肩に置いて、左手を口の前にかざして、前屈みになって三葉が笑う。

え、何?今、俺そんなに面白いこと言ったのか?それとも顔が?顔が面白かったのか?

 

瀧は想定と目の前の事態とのギャップに理解が追いつかない。帰り道アホほど真剣に考えて決めた覚悟は何だったのか。

 

しばし笑っていた三葉が、ようやく顔を上げて瀧の方を見た。まだ笑ってる。ちょっと泣きながら笑っている。

 

「ごめんごめん。わ、私も、瀧くんのこと、す、すき……」

 

そこまで言ってまた三葉が笑い出す。今度は両手とも瀧の方に置いて、しかも最後の方は「すき」なのか「すく」なのかわからないくらいの発音で。

 

三葉に肩を叩かれながら、瀧は支えてやる。まあ、いいか。三葉が笑ってるなら。そう思うことにした。

 

食器や鍋などの洗いものを綺麗にしてくれていた礼を三葉に言って、シャワーを浴びて部屋に戻ったとき、三葉は瀧のベッドの上で壁に背を預けて座ったまま寝ていた。後で横にしてやろう。

 

あと枕がないと思ったら瀧まくらは三葉に抱かれていた。洗濯、しておけば良かった。

 

寝る前に資料を片付けていると、ふと赤いものが視界の端をよぎった。見るとそれは糸守のスケッチの横に置かれた三葉の髪紐だった。机上のそれはあまりに画になる光景で、知らず知らず瀧は、その赤い紐を手に取っている。

 

———誰かがいる。人ごみの中、一差し舞い込んだ夕日のような紐の先に、誰かがいる。三葉だ。

 

制服を着たその女の子は、三葉よりずっと幼い、今の四葉くらいの歳の少女なのに、瀧には彼女が三葉だと分かる。

 

だけど、分からない。

 

なぜ、そんな泣きそうな顔をしているのか。なぜ、そんなところにいるのか。

やっと見つけた。やっと出会えた。なのに、俺はまだ逢いに行けていない。

 

かつてこの手にあった、大切なもの。それは———。

 

組紐を机の上にそっと置いて、瀧は資料を整理する。整理しながら考える。

もう一度、糸守に行こう。時が流れてしまう前に、もう一度。

 

そうして作業を終えて、ちょっと思い悩んだあと、瀧はベッドの上で三葉の横に座る。

 

温かいのは、自分か。それとも三葉か。それすら判然としないけれど。

 

 

 

あと少しだけでも、一緒にいたかった。

もう少しだけ、くっついていようか。

 

 

 


この本の内容は以上です。


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