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合議制を作った男 伊藤毅志インタビュー

 2010年10月11日に清水市代女流王将と対局する、コンピュータ将棋の「あから2010」。「ボナンザ」、「GPS将棋」、「激指」、「YSS」の最強4ソフトが多数決で指し手を決める、合議システムを採用している。
 これは、それぞれのソフトが指し手を示し、もっとも多かった手を多数決で採用する単純な仕組みで、もし指し手が同数となって多数決できない場合は、あらかじめリーダーに指定されたソフトの手を採用する、というものだ。

 この合議システムを発案したのが、国立電気通信大学情報理工学研究科情報・通信工学専攻の伊藤毅志助教だ。エンターテイメントと認知科学研究ステーション代表も務めている。
 対局を間近に控えた9月末、伊藤さんに対局の合議システム発案までの経緯や今回の対局の意義について聞いた。

 伊藤さんは名古屋市出身。もともと、心理学や人工知能、言語学などをバックボーンに、脳や心の働きを内側から解明しようという認知科学に関心があったという。北海道大学理Ⅰ系に入学した後、文学部行動科学科へ進んだ。当時の指導教官は、北大文学部助教授で、後の慶応大学塾長になる安西祐一郎氏(情報科学・認知科学)だった。
 「もともと、人間が行う複雑な問題解決過程の思考や、直感的な思考に興味があり、理系から文学部の行動科学科に進みました。直感的な思考ができるのは人間だけで、機械ではうまくいっていません。人間のように柔軟に学習して、直感を獲得するメカニズムというのは、よくわかっていません。このメカニズムを解明したかったのです」

 伊藤さんが関心を寄せる人間の直感的な思考を研究する題材として、将棋は最適だったという。伊藤さんは羽生善治永世六冠、今回の情報処理学会「トッププロ棋士に勝つためのプロジェクト」副委員長である公立はこだて未来大の松原仁教授とともに『勝負する頭脳』を2006年に著している。
 なぜ、将棋は最適なのか。伊藤さんはこう説明する。
 「人間は直感だけではなく、論理的な推論もしています。将棋は両者がミックスされた問題です。ルールや勝ち負けがはっきりしているのにもかかわらず、答えの出ない複雑さがあります。認知科学の研究題材として、気がつくと10年以上、将棋に携わっていることになります」
 もっとも、実は認知科学の問題として将棋は、学部生のときも大学院生のときも、問題が難しすぎると考えていた、と伊藤さんは言う。
「認知科学の研究対象も、最初は答えがよく分かっているパズルが対象でした。それがだんだんと広がり、問題の構造が分からない方へ進んだのに合わせて、自分の研究も移りました。北大のときには将棋部でした。そんな縁もあって、将棋は面白いテーマだなと研究を始めるようになったのです。将棋はアマ四段、学生時代にとりました」

 ここ数年で、コンピュータ将棋はとても強くなった。伊藤さんは、その理由の一つとして、現在、同じ電気通信大助教の保木邦仁さんが2006年に開発したBonanza(以下ボナンザ)を挙げる。ボナンザは、コンピュータ将棋にとって、一つのブレイクスルーと評価されている。それは、それまで人間が手作業で行なっていた、局面の形勢判断につかう評価関数の作成を、コンピュータ自身にやらせる、機械学習という方法に成功したからだ。(第4章参照)
 「コンピュータ将棋ソフトはボナンザ以前から強くなってきました。これに加えて、さらにボナンザが機械学習の手法に成功したことで、プログラマーに将棋の知識なくてもプログラムが書けるようになりました。これは大きな変革です。機械学習は無理だと思われていましたが、保木さんはそれをエレガントなやり方で成功させた。それまでは、ある程度棋力のある開発者の手作業、いわば職人技に頼っていましたが、ボナンザによって開発の裾野が広がりました」


 今回の合議システム「あから2010」のベースとなったのが、伊藤さんの行なってきた研究だった。そもそも、合議制のアイデアを出したのは、2008年の夏休みに行なった「プロジェクト」の合宿だったという。
 伊藤さんが合議システムに着目したのは、チェスを題材に1980年代に行われていた「3-hirn」システムの研究からだった。「3-hirn」では、複数のコンピュータソフトが提示した候補手のなかから、それらのソフトよりも棋力のある人間が最終的な指し手を選択することで棋力、勝率があがったという。
 「3-hirnが私の直感を刺激して、上手くやれば絶対に強くなるはずだという確信はありました。その方法が多数決かどうかというのはぼんやりしていたけど、人の手を介さないですべて自動でできれば、きっと素晴らしい方法だと確信がありました」

 ただ、合宿では「うまくいかないのではないか」という空気が支配的だったという。コンピュータ将棋同士を対局させ、優勝したソフトが人間のトップと対戦する方法も検討されたという。
 それでも、伊藤さんが合議にこだわったのは、直感を刺激されたのとともに、せっかく強いソフトが集まっているのだから、その力を一つにできないか、という思いだった。
 「せっかくこれだけの強いプログラムがあるのですから、協力できる道はないかと考えていました。それで、試しにぼくの研究室で合議を研究してみると言って、合宿から課題として持ち帰ったのです。
 研究室では、学生が開発した5五将棋(注)のプログラムを使いました。同じプログラムでは同じ指し手が出ますから、プログラムの評価値をばらつかせて多数決をしてみました。すると実際、明らかに強くなったのです。そうなれば、多数決で強くなるのは5五将棋だけなのか、普通の将棋ではどうだ、と考える。今度は手作業で「激指」など市販のプログラムを使って100局対局させました。それでも、やっぱり多数決が強くて、単体ソフトに対して勝率は6割になりました」

※5五将棋:通常9×9の盤面を使う9九将棋より盤面が小さい、5×5の盤面で、「玉」「飛」「角」「金」「銀」「歩」の6種6枚の駒を使う将棋。ルールは通常の将棋とほぼ同じ

 伊藤さんが提案した合議システムが画期的なのは、そのシンプルさにある。CPUやコンピュータ単体の処理能力を向上させるという方法は、近年、限界に達しつつある。そこで最近、複数のコンピュータをつなぐ並列化といった技術が出ていて研究者がその技術の向上に取り組んでいるが、まだ研究途上である。(第4章参照)
 「コンピュータを並列につないで強くするという研究も、素晴らしい研究者たちのおかげで日々進んでいますが、今はまだ難しい技術でもあります。将棋というゲームをコンピュータがやる際、ゲーム木(第2章参照)を探索、つまりあり得る将来の局面を計算していくわけですが、局面の数はほぼ無限で、膨大な計算が必要になります。この探索の仕事を並列でつないだマシンにどうやって効率的に割り振るか、そのためのプログラムはどう組めばいいのか、まだわかっていないのです。これに対して合議システムは、わりと単純な方法です。これで、よりよいパフォーマンス得られれば画期的ですよね」

 こんな伊藤さんの実験に最初に反応したのが、ボナンザを開発した保木さんだったという。すでに、ボナンザはオープンソースとなっていて、自由に使うことができた。
 伊藤さんの研究室では、保木さんの協力を得て、ボナンザを使い学生らと「文殊with Bonanza」を開発し、2009年の第19回世界コンピュータ将棋選手権に出場した。
 5五将棋と同じく、同じボナンザでは同じ指し手になってしまう。そこで、乱数を使って微妙なゆらぎを持たせた6台の兄弟ボナンザをつくり、5つ以上の意見が一致しない場合には、探索を延長するなどしていた。
 「6台のボナンザを使ったわけですが、何台を使い、どれくらいの乱数でばらつかして、データを取るということやっていました。それは本当に繰り返しの作業で、少しずつ乱数の大きさ変えたりと結構大変なんですよ。合議システムの技術自体はそれほど難しくないのですが、データとって実証するのが大変でした。合議システムには効果があるのだ、ということを科学的・客観的に説明しなければなりませんから」

 世界コンピュータ将棋選手権で「文殊with Bonanza」は、総合成績3位となった。本家ボナンザとの直接対決には敗れたものの、総合成績で5位だった本家ボナンザを抑えた。
 「本家に負けて、総合では上位ということも、一発勝負だとあり得ます。勝率が6割といっても、一発勝負だと、残りの4割が出ることもある。1000回やって6割ですから。しかも、そのときは、保木さんの本家ボナンザは8コアのマシン1台、文殊は8コアマシンを3台、それを6つに分けていました。1つのBonanzaとしては少し弱くなっている。単純比較はできません。本当は『文殊』用に8コアマシンを6台集めればよかったのですが、あのときはそれが精いっぱいでした」

 とてもシンプルな合議システム。関連する先行研究「3-hirn」もあったが、これまで注目されなかったのはなぜだろうか。
 「単純な手法なので、だれがやってもおかしくないだろうとは思います。ただ、時代環境も影響しているでしょう。「3-hirn」の研究がされていた1980年代当時、マシンがいまのように潤沢にあるわけではないですし、処理能力も現在に比べれば、それほどではなかった。ネットワーク・通信環境もあるでしょう。そういう意味で、まだ機が熟していなかったのかもしれません。でも、技術自体は単純なので、なぜやらなかったのかなとも思います。不思議ですよね。ラッキーでした」

 伊藤さんは、清水女流王将に、コンピュータ将棋についてレクチャーをしてもいる。清水さんと「あから2010」、対局をどう予想しているのだろうか。認知科学者らしく、「プレッシャー」と「エラー」がカギになるとみている。
 「予想は難しいですね。8~9割、コンピュータが有利とは思っていますが、清水さんもずいぶん研究されているようですから、いい勝負になると思います。というのも、コンピュータ将棋には必ず穴があるからです。穴を突かれたら『あから2010』も危ないでしょう。ただし、個人的には、清水さんはそれほど自分のスタイルを変える人ではない、という印象もあります。
 対局では、どうしても人間の側のプレッシャーが大きいと思います。人間はプレッシャーを感じ、焦ると、エラーをすることがあります。将棋はエラーをすれば明らかに不利になるゲームです。人間同士だと、自分のエラーが相手のエラーを誘うこともありますが、コンピュータだとそうはなりません」

 伊藤さんや「プロジェクト」のメンバーは、清水さんに勝って、より強い男性のトップ棋士と対局することを目標としている。
 一方で、将棋ファンの間には、コンピュータ将棋に対してあまりいい印象を持たない人もいる。「そんなことをして何か意味があるのか」とか「人間の楽しみを機械が奪う」といった嫌悪感を覚えるのだろう。それはそれで、理解もできる。
 しかし、コンピュータ将棋の開発や挑戦は、それほど無意味なものなのだろうか。
 局面をより深く、効率的に読んでいくための探索技術、局面局面の有利不利を判断する評価関数、そして伊藤さんの合議システム、ボナンザが成功した機械学習……、コンピュータ将棋に使われている技術は、気づかないところで生活にとけ込んでいる。
 例えば、長期気象予報では、複数のコンピュータに初期値をわずかに変えたデータを与え、複数の結果の多数決や平均を取ることで精度を高めているし、迷惑メールを自動的にはねのける電子メールのスパム・フィルタ、交通手段の経路探索などにも応用されている。
 伊藤さんも、そんなことに、少しでも世間の目が向けば、と考えているようだった。
 「例えば、私は保木さんがボナンザで実現した評価関数の機械学習で、人間の直感に近いものができていると思っています。これまでは評価関数をつくるには、手作業で人間の知識を入力してたわけです。それをゲームレコード、プレー履歴(棋譜)を元に学習できるようにした。これは、人間が経験や他人のそれから学ぶことに近いですよね。コンピュータが自動で、多くの棋譜から学び、そこから意味あるものを作り出しているわけですから」

 また、合議システムはどうだろうか。伊藤さんは、例えば「ブースティング」という分野との関連性を挙げる。ブースティングというのは、ある問題を達成するため、性能のよくないプログラムを複数使い、より良い結果を目指そうという技術だ。
 「清水さんと対局する4つのソフト、ボナンザや激指、GPS将棋、YSSはどれも、もちろんかなり強いけど、神様の視点からみると弱いですよね。そういうソフトが集まってよいパフォーマンスを得ようと目指しているわけです。複数のプログラムをつなげることによって、補えあえることがある、よりパフォーマンスがあがるということで、他の分野にも意味があると思っています」

 さらに、この合議システム、コンピュータだけでなく、人間社会でも適用できないだろうか。数年前、『「みんなの意見」は案外正しい』という本が話題になった。一部の専門家や優秀な人たちが行う意志決定よりも、そうではない一般の人が集まる集団の意志決定の方が有益だという内容だ。
 その話をぶつけると、伊藤さんは、ニコリ笑って、関係があると思いますよ、といって、こう続けた。
 「認知科学の分野でもそういう研究があります。最初は、複数の人が集まって相談して問題を解かせようとすると、1人より複数の方が正解率あがると言われていました。しかし、これに反証する研究結果が出ていて、10人集まったとしても、1人賢い人がいれば、その人の意見を超えることはないと。『文殊』にとっては、ちょっと残念な結果を支持する研究が出ています。ただ、これもやり方だと思うのです。顔を突き合わせ相談すれば、強い人、声の大きい人、最初から優秀だと思われている人の意見が通るかも知れません、しかし例えば将棋では、人間が10人それぞれ個室に入って、他者の影響を受けない状態で『これがいい』と選択して、単純に多数決すれば、恐らく1人よりも強くなるでしょう。でも、これは、実験するのが大変ですね。コンピュータ同士だと1000局対戦するのも簡単ですが、人間だとそうはいきません。1000局は実験しないと、科学的に有意な差は得られませんから」

 最後に、伊藤さんは今回の対局に、こんなことを期待していると語った。
 「情報処理の分野は、何をやっているのか世間に認知されにくい分野ですね。技術が目に触れにくい分野です。どれだけ役に立っているかどうかは別にしても、さまざまな技術を集めることによって、ハードもソフト、あるいは機械学習や探索技術といった手法を、トップに立っている人と対局することで見てもらい、『ここまできたんだ』と思ってもらえることに意義があると思っています。この分野に興味を持ってくれる若い人が増えれば、と思うのです」

 伊藤さんに話を聞いたのは、コンピュータオリンピアードの会場となっていた石川県金沢市の「しいのき迎賓館」。
 そこでは、コンピュータ将棋の大会も行われていて、伊藤さんを含め開発者や関係者がパソコンや将棋盤を囲んで、本当に和気あいあいと、対局を楽しんでいた。
 科学者や開発者の、とても理想的な空間が広がっているようだった。
 確かに情報処理、コンピュータ将棋の技術やアイデアが生活に結びついていることは、想像しにくい。だからこそ、清水市代女流王将と「あから2010」の対局には、世間と情報処理技術をつなぐ意味もあるのだろう。伊藤さんはそれを強調したかったのだろうし、それはこの対局に関わる研究者、開発者たち、みんなの思いでもあるのだろう。


この本の内容は以上です。


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