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猫の死体を見つけた

 

 通勤の朝の話だった。空は冴えた青色をしていて、少し暑いくらいの、とても良い天気だった。

 自宅から職場は比較的近く、徒歩で20分ほどの距離である。給料は異様に安いが、大して学も無い自分を雇ってくれたし、家から近いのを理由に惰性で通っている。将来的にはもっといい場所で稼げるようになりたいが、今は修業期間だと思うしかあるまい。

 都会とも田舎とも言い難いこの地域。いつも通りに変わり映えのしない景色。住宅街を少し外れた、毎日通う同じ道を歩いていた。

 歩道の先に赤いものを見つけた。ぽつんと置いてあったのが目に入ったのだ。鮮明な赤色だから気付かないことは無い。最初は道にスパゲティでも落ちてるのかと思った

 こんな道路に食品を捨てるなんて悪い人がいるもんだ。そんな他人事のように思っていたが、職場への道はここをまっすぐ行かなければいけないので否応なしにそのゴミに近付いていった。

 臭いでもしたら嫌だなと考えながら距離が近付くと、それが食品ではなかったことが判明する。

 これは、猫の死体だ。

 腹が大きく開け、臓物がでろりと派手にはみ出している。スパゲティに見えたのは猫の腸だ。細長く、大量に出ている。腹は悲惨になっているが、それ以外の手足と頭は猫の形を保っている。

 大きさからして子猫だろう。毛皮がぬいぐるみのようにふさふさしている。剥製のような印象を受けた。車に轢かれたのだろうか。時間が立っているのか血が乾いている。あまり嫌な匂いもしない。近くで見るとそこまで真っ赤な印象ではなかった。物体にしか見えなかった。置物のような感じだ。

 猫は好きだ。家の都合で飼うことはできないが、道で穏やかに歩く猫を見つければ嬉しいし、テレビでも動物番組は良く見る方だ。

 しかしここにある子猫はなんだ。動かない。死んでいる。何も反応しない。生き物から生を抜くと、ただそこにある物体と化してしまうのか。

 猫の死体を見て、可哀想だとは思った。不運にも人間のせいで悲惨な死に方をしてしまったのだから。

 しかし同時に、とある気持ちが沸き起こった。写真を撮りたい、と思ってしまったのだ。

 目の前の、現実にある非現実。生き物の死。自分の手元に残しておきたいと思ってしまったのだ。

 とりあえずその時はこの場を後にした。突然のことで自分も頭が回らなったし、このままここに居座るわけにもいかない。仕事に遅れてしまっては困る。

 猫の死体をまじまじと見ていたのが他の人に見られていないことを祈りながら、逃げるようにその場を離れた。

 その猫の死体があった場所は、とても職場に近かった。すぐに職場には辿り着いた。

 職場についてから、社員と軽く挨拶を交わし、世間話をする。しばらく話していると、同じ猫の死体を見たと同僚が言った。

「かわいそうでしたよね」私がそう言うと、無愛想なその人は「気持ち悪かった」とだけ、発言した。

 気持ち悪い。そう言われてから、自分が猫の死体に対して気持ち悪いと思わなかったことに気付く。

 自分はそれなりにホラー映画や海外の刑事ドラマが好きであり、ホラー映画も海外の刑事ドラマもそれなりにグロテスクやバイオレンスなシーンがあり、偽物とはいえ死体や血、臓器などは出てくるから、何度か見ていた。

 そういう作品が、生と死のスリルがあってわくわくして私は好きだった。連日見ていたこともある。その中で死体の表示はやはりインパクトとして重要だと考えている。日本のサスペンスは無惨な死体を出さないからダメだとも思うほどだ。

 先ほど現実で見た猫の死体がそれと同列のようで、激しいショックや嫌悪感は感じなかったのだ。それほどテレビで映っていた死体が本物そっくりだったのか、猫の死体が偽物のように見えたのか。

 ショックを受けたり、気持ち悪いと嫌悪感を覚えるのが一般的な感性なのだろうか。気持ち悪いだなんて思いもしなかった。他人と自分のズレている。それがとても悲しくなった。

「猫の死体を見たとき、可哀想と思ってはいけないそうよ。猫にとりつかれるからね」

 他の同僚の発言。確かに猫は古くから魔力があるだの化けて出るだのだのなんだの言われる生き物だ。

「でもあんな死に方は可哀想ですよ、可哀想と思わないことなんて無理です」

 自分は素直に思ったことを言った。可哀想だと思ったことは事実だ。あの惨状を見て可哀想だと思わないことは他の人でも難しいだろう。先程の同僚のように「気持ち悪い」の一言で済ませられる人もいるにはいるみたいだが。

 しかしそれ以上に写真を撮るべきだったかそうでないかが頭を支配していた。写真を取りたくなってしまったのだ。気持ち悪いと言うよりそちらの方が罰当たりではないか、自分はそれが気がかりで仕方ない。

 同僚との話は別の話題に切り替わる。普通は猫の死体の話などしていたくないものだから。当たり前の流れだろう。猫の死体など大した事件ではないのだろうし。

 しかし私はあの死体についてとても気になって仕方なかった。気になる。写真を撮るべきか、もしもあのまま死体が置いてあったらどうなるのか、誰かが埋葬するのか、そうでないのか。

 それから時間は過ぎ、仕事が始まる。低賃金の下請けの作業。そんな作業をしている間にも、私は猫の死体のことを考えていた。

 可哀想、確かにそうだ。埋葬してあげたい気持ちもある。しかし一番の論点は、猫の死体の写真を撮るか否かだった。

 死体の写真を撮るなんて不謹慎極まりない。一般からすれば考えられないことだ。

 だがしかし、ホラーなどの作品を見る私からすれば、生きた資料なのだ。現実にある死、そのものなのだ。

 幸運にも自分は目の前で人が事故などで無惨に死んだ光景を見たことがない。ただ、親族を亡くした経験はある。葬式の時、遺体を見せてもらったが、あまりにも綺麗で等身大の人形かレプリカのようだった。

 しかしあの子猫はどうだ。臓物を派手にぶちまけ、現実の不幸そのままだ。

 生き物の中には臓器が詰まってる、それを証明している、現実として叩きつけているのだ。

 現実に死体が、その中身が、死がある。それを証明する証拠が欲しい。だから私は写真を撮りたいのだ。

 しかしやはり社会論として死体の写真は不謹慎ではないか。元々生きていたものに失礼ではないのか。写真を撮るのはありえないことではないか。

 仕事中、それを悩んでいた。考えがぐるぐる巡る。頭が混乱してくるくらいに。ため息の数が多かったかもしれない。

 しばらくして、仕事が休憩時間になった。今が唯一のチャンスだろう。職場を抜け出して、写真を取りに行くなら今しかない。あれだけ悲惨なものだから、帰宅時には猫の死体は誰かが埋葬していなくなっているかもしれない。

 もう一度あの死体の場所に行き、子猫の死体の写真を撮るか否か……。さて、どうするべきか?


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