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変わった子供だった。勉強もできた。スポーツもできた。でも、教師には怒られてばかり。警察に補導され、家庭裁判所に呼び出されたこともあった。今となれば、自分がアスペルガー症候群でADHDだとよくわかるが、その当時はそんなものなかった。

 

とにかく、一つのことばかりやる。小学生でRPGゲームの裏技見つけてステータスマックスにしてボスを最短で倒すことに喜びを感じていた。

 

そんなオレが大学時代、初めて面白いと感じる授業が出来た。コーポレートファイナンスだ。企業の財務分析のようなものだが、教えている教師が証券会社のアナリスト出身で、企業分析を実務にのっとって授業を行う。オレはすぐに決めた。オレも証券会社でアナリストになる。外資で稼ぐ。そんな夢を見ていた。

 

就職活動、現実は厳しい、英語もできないオレが外資で就職できるはずもなく、ステップアップとして準大手証券で専門職採用してくれるところに就職することにした。就職してみると、茶髪のアナリストはいらないという理由で、日本株のセールストレーダーになっていた。そしてオレは当時流行ったベッカムヘアーになっていた。

 

常識のないオレは社会生活に苦しんだ。なんせ、まともな敬語が話せないのに、顧客は機関投資家。ミスを連発した。2年半後、オレは支店に異動になった。オレはいい機会だと思った。海外に行こう、そう思った。それもオーストラリアに。20歳のころからサーフィンにはまっていた。仕事がつらいので、サーフィンに行ってリフレッシュしていた。

 

そしてオレは、オーストラリアにあるヘッジファンドに就職した。コモディティのナイトトレーダー、聞こえはいいがデータ分析やらなんやら、そんなのをしていた。でも最高にハッピーだった、昼サーフィンできるからだ。1年後、会社がシンガポールに移るという事になり、シンガポールはサーフィンが出来ないという理由で、会社を辞めて日本に帰った。

 

英語も多少できるようになって、今度は日系証券会社の外人チームに執行トレーダーとして雇用された。そこでもいろいろあったが、半年たつと外資からのスカウトが来た。20歳に夢見て6年、ついにオレは外資系証券で働くことになった。

 

そこは別世界だった、同期が有名人の妹だったり、香港の財閥のお嬢様だったり、そもそも新卒を採用してなかったから、転職組しかいない。オレのそこでの仕事も、執行トレーダーで、顧客の注文を執行する仕事をしていた。外資の中でもトップの証券会社、システムが全然違う。ユーザーエンドにたったシステムで、使いこなせればいくらでもさばける。オレはいつの間にか、一日平均100銘柄100億円、マックス300銘柄300億円を執行できるようにまでなった。

 

仕事をすれば給料がもらえる、その通りだった。オレは20代半ば、執行トレーダーで2000万以上稼ぐようになっていた。だが、突然上司が変わった。相性が良くない人に。そしてオレはクビになった。

 

プライベートで結婚することになった。それもあって次の仕事を探したいところだったが、リーマンショック前の不穏な空気があり、なかなか就職できなかった。なんとか、運用会社でトレーダーとして働けるようになった。

 

そして、リーマンショックが起こった。オレは、リーマンの決算を見て、他の証券会社と損失を出すタイミングがずれていることから、粉飾決算をしていると考えていた。だから、最終的な買い手は出てこないと。そこまでは読んでいた。でも、政府が救うと思っていた。公的資金注入で。

 

しかし、リーマンはつぶれた。その瞬間オレは畑を耕そうと思った。貨幣の価値がなくなったと。まあ、今でも貨幣の価値があるのでその読みは外れたが、LIBORは跳ね上がり、信用不安の連鎖が起きた。

 

そんななか、子供が出来た。しかしオレは、リーマンショックのストレスや、妊娠や育児のストレスで大変だった奥さんに責められ、ついに頭がおかしくなった。躁うつ病になったのだ。即オレは入院。退院まで2か月半かかった。

 

離婚届に印鑑を押したのは病院の待合室。それでいいとおもった。仕事も復帰したけど、すぐやめた。そしてオレは、小さいころ好きだったゲームをやるようになっていた。

 

それから、2年オレはまた入院した。引退はしたが祖父が社長だった会社で仕事をさせてもらっていたが、祖父が亡くなった。それでまたオレはおかしくなった。また入院だ。いろんな人に迷惑をかけた。でも、病院で知り合った友達もできた。そこで、オレはアスペルガー症候群と診断された。要は、知的障害がない自閉症的なやつだが、まあ変わった人がそう診断されることが多い。

 

オレは、病気だと認めたくなかった。だから、薬を飲むのをやめた。でも、2回入院したら、もう認めざる負えない。逆に、薬について、処方について、むさぼるように勉強した。退院してからの減薬も自分の判断を医師に伝えて、認めてもらい減薬した。

 

躁うつ病なので、躁で入院した後に、必ずうつが来る。上がったら下がる、そういうことだと思うけど。オレのうつは長い。その間はゲームをやっていた。ただひたすら。サーフィンもたまにしていたが、アレはオレの中で仕事をしたストレスをリフレッシュする方法だったらしく、仕事をしてないとサーフィンもする気になれなかった。

 

そんな4年をすごした後、また再発した。また入院だ。今回は特にそれらしい原因がない。ただ言えることは、酒で眠ろうとしたのが悪化させた理由だ。酒と薬は相性が悪い。なのに眠れないから、酒を飲んだ。素直に睡眠薬をもらえば、入院まで行かなかったと思う。

 

実際入院時どういう状態かというと、現実が分からない。幻覚が見え、妄想で何が現実か判断できないところまで行っている。そういう場合は保護室で刺激を抑え、薬を増やす。ここでいう薬は、オレの場合エビリファイであり、ドーパミンを抑制する効果がある。そんな入院で、ついでにADHDという診断ももらった。まあ正直、なんでもいい。

 

入院するたびにオレは、保護室で歌を歌う。歌が好きなんだろう。単純だ、だからオレはバンドでボーカルやろうと思った。トレーダーは、プレイヤーとして登り切ったんだと思う。あとはマネジメントに進むかどうかって話だけど、その当時全く興味がなかった。

 

3度目の退院の後、オレはバンドのボーカルをやることした。またうつになり、去年の冬は何もできなかったけど、今年の春から自分で曲を作り始めた。単純に楽しい。

 

VALUに上場するとき、オレは結局なんだろうって悩んだ。結局オレはバンドのボーカルでもあり、マーケットコメントをする人間でもあるんだ。それを評価してもらおうと。これからも、何が起こるかわからない。でも自分の好きなように生きたい。人に迷惑をかけない、それだけは出来るだけ守って。


この本の内容は以上です。


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