目次
飽食の時代
飽食の歪み
霊と肉
祈りと感謝
宇宙の統治者
貧しくとも心豊かに
今日無事
起こした交通事故
いのちの樹
いのちの樹
祖先あって
縁あって
子供は第二の自己
感謝は生命をひろげる
有恩所生
有恩所生
神の恩
皇威の恩
厳瑞のみ魂
祖先の恩
酒屋に関わる祖先
父母の恩
父母への孝養
子どもを轢いたタンクローリー
慈母の祈り
恩謝の生活
四恩について
従来の四恩
新しい四恩
大和山の四恩
不満の心
不満を捨てよ
不満大敵
むちうち症の妻
身を切られた不動滝水行
奇跡の治癒
感謝のまこと
馴れる心
馴れのこわさ
善光寺の暗い穴
激しかった目まい
健康の有難さ
感謝を深めるために
老境の悟り
感謝の心
闇を破る感謝
大へんな怠け者の亭主
成田しげさんとの邂逅
変わってきた亭主
感謝の心で救われた危機
救いは感謝より
人間としての謎
謎に満ちた人間
大和山の人間観
人間と動物との違い
死の問題
霊魂に起こされる
見えないもう一つの世界
陰陽の理
陰陽は一つ
現幽二界
現界は霊界の模写
科学と宗教の一致
神は天地の創造者
台風来襲
生かされて生きる
生かされている
祖先あって
諸力の恩
生活精神の会得
雑木林の初夢
薬研温泉へ
いのち
虫にもいのち
いのちの尊厳  
生命とは
松影先生のご臨終
人の幸せとは
物資世界で生きるため
条件の悪い白樺の山
不可能を可能に
天佑神助を受けて
奉仕にひそむ真心
金の在り方
金をもつ意味
失敗した夫の事業
神が教えたタレ
神示の味噌ラーメン
感謝の心
奥付
奥付

閉じる


<<最初から読む

7 / 76ページ

試し読みできます

起こした交通事故

 私の二番目の兄は、過疎地の村で支部長をしています。毎々巡講にくる先生から奇跡的な救いのお話をきいてきたので、ある日――長年信仰してきたのに、自分にだけどうして神は何も与えないのだろう――と、ふと心のなかに不満をいだきました。

すると、翌日用事があって、近くの村へジープで出かけた帰り路、ついうとうと眠気を催して、道路からはずれて横倒しになり、車が大破しました。幸い怪我は全然なく終わりました。この事故にあった兄は、今まで神さまに毎日護られてきたから、無事に過ごせたことを悟り、長い間のみ護りにあらためて深く感謝できたのでした。

与えられたことや、人々に授けられたもの以外にも、なお大きな神の恵みがあることに気づかせる感謝の心は、さらに感謝の心を呼び、池の面に波紋の輪が次々と広がるように、生きる喜びを与えてくれます。

現代の荒廃と不毛を救う力は、深い信仰に湧く霊性としての、感謝の心にあるのです。

(松原哲雄『おかげさまの世界』より 


試し読みできます

いのちの樹

 

 いのち、いのちあるもの、厳粛さよ。凝視(みつ)むればか弱き足本(あしもと)の一本の草葉にも、仰げば唯風にさやぐ緑樹(りょくじゅ)の姿にも、生くるいのちのひそむを思はば、いのちあるものヽ厳粛さを人は思ふべし。

(永遠の燈火 昭和十七年八月号)

 

 

今年は全国的に春が早く訪れ、神垣の里も雪は消え、山々の樹々が春の光を浴びて、いっせいに芽を吹きました。雪のなかでまず咲くのがマンサクの花です。タンポポの花びらを細かく枝に下げてひらひらさせたようなこの花が、まず春を告げるのです。

次は子供のこぶしを突き出した形の乳白色のコブシの花が、清楚な春の使者となって山里を訪れてきます。そのあとに山桜が紅の霞をたなびかせ、ブナをはじめとする木々が鮮やかな薄緑を吹き出すように萌え、本部は新緑の海に埋もれてしまいます。五月の神垣の里は、樹々が山峡に生命の交響曲を奏でます。

いのち、樹々にも生命があります。樹はものを言うことはありません。しかし、春がくると、呼吸する生きもののように芽は萌え、葉はひらき、枝を伸ばし、花を咲かせ、やがて秋には実を結びます。

考えてみると、一本の樹もひとりで生きるものではありません。宇宙の大なる神秘な力が種子に宿り、地と水とぬくもりに芽生え、苗は日の光りによって成長し、枝はそよぐ待機を呼吸し、大地にしっかりと根じめて立ち、大地より栄養を吸収して育ちます。大なるもの、つまり大自然のはたらきと力によって、生かされて生きています。春夏秋冬の時と、その場つまり空間と、芽生えたいのちがあって、そこに一本の――いのちの樹――があるのです。


試し読みできます

祖先あって

   

  人間のいのちも、一本の樹のいのちと変わりません。いのちの誕生には、神秘な生命の根源があり、その生命を守りつづけて伝えてくれた、数多くの祖先がありました。

   計算によると二十代遡れば、直系の祖先だけでも、五十二万四千二百八十八人で、三十代前になると、四億六百万人を超えるおびただしい数になるのです。その数多くの祖先たちは、その時代時代に、労働と生活苦に喘(あえ)ぎつつ、艱難辛苦のなかで生命を護り伝えてくれたのでした。

それらの数多くの祖先たちも一本の樹と同じで、水と光りと土の恵みを受けて、生命を保つことができました。人間は植物や動物と違って、さらに衣食住や言語などの先人による文化遺産の恩恵を受けます。つまり人の生命は、自然の恵みと衆恩に支えられ、長い時代にわたって受けつがれて存続し、今日に及びました。

自然は人間以上の神の働きによって存在するのですから、人の生命は神と多くの恩(めぐみ)によって「生かされている」と申せます。


試し読みできます

縁あって

 

我れてふいのちの樹の、そこをいのちの宿として生くるを思へば、正しく一つの縁あり。己れと共に生くる人も一つの縁。己れを生かす在り場も一つの縁。人の兎角(とかく)の我さはれひとりよしとなす心根も畢竟此の理を覚らざるが故ぞ

(永遠の燈火 昭和十七年八月号)

 

人の生命が生きるのは、時間的には祖先につながるものですが、空間的には家庭のなかに育ちます。父と母によって誕生の縁と、兄弟姉妹と共に育つ縁ができます。祖父母、叔父、従兄とも縁ができます。つまり縁によって支えられ護られ、生命はそこに存在できるのです。

 家庭を宿として、人という一本の生命の樹が育っている、それがわが生命であると気付き、さらに家以外の社会の恩を受けていると思えるとき、数々の支えてくれるものに対する感謝の心が、泉のようにふつふつと湧いてきます。

 生命を深くみつめられず、またこれらのことを悟れない人は、自分の欲望の充たされないと、ただ不平と不満にいらだち心を暗くし、人が妬ましくなり、呪いの言葉をはいて心を乱し、のたうちまわる憐れな人となるだけです。そうなれば生活のことが負担となって重くのしかかり、溜息(ためいき)をついて毎日を苦悩のうちに生きるだけです。すべては生命の実相(すがた)を覚(し)らないために、感謝の心が開けないからです。


試し読みできます

子供は第二の自己

 子どもが生まれることも縁があっての故です。親子の出会いによって関わりとつながりができ、第二の自己として我が肉をついでもらい、この地上に肉体もまた永遠に生きてゆくことになります。子どもがあることによって、親として次代への希望と喜びが湧いてきます。その縁を尊重し、子どもの生命が生き生きと躍動するように尽くしてあげることが、真の親心だと思います。

 しかし、われわれは自分の体面や世間体をおもんばかって、自分の欲望のために、子どもの生命をそいでいることも少なくありません。次の小学校五年生の作文は、このことを教えています。

 

  通信簿をもらってみると「4」が二つもついていた。ぼくは大急ぎで帰った。お父さんは庭先で牛のせなかをかいていた。

「お父ちゃん、これみい。通信簿もらったぜ」

というと、お父さんは牛のせなかをかきながら、

「あっちにおいとけ。あとでみる」

といった。ぼくはつまらんので「ふーん」と思い、あとでといって家の中へはいっていった。

 お父さんは見ていたが、

「なんじゃ『3』が四つもあるじゃないか」といった。ぼくは「4」が二つもあるのにと思った。



読者登録

白川龍一郎さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について