目次
飽食の時代
飽食の歪み
霊と肉
祈りと感謝
宇宙の統治者
貧しくとも心豊かに
今日無事
起こした交通事故
いのちの樹
いのちの樹
祖先あって
縁あって
子供は第二の自己
感謝は生命をひろげる
有恩所生
有恩所生
神の恩
皇威の恩
厳瑞のみ魂
祖先の恩
酒屋に関わる祖先
父母の恩
父母への孝養
子どもを轢いたタンクローリー
慈母の祈り
恩謝の生活
四恩について
従来の四恩
新しい四恩
大和山の四恩
不満の心
不満を捨てよ
不満大敵
むちうち症の妻
身を切られた不動滝水行
奇跡の治癒
感謝のまこと
馴れる心
馴れのこわさ
善光寺の暗い穴
激しかった目まい
健康の有難さ
感謝を深めるために
老境の悟り
感謝の心
闇を破る感謝
大へんな怠け者の亭主
成田しげさんとの邂逅
変わってきた亭主
感謝の心で救われた危機
救いは感謝より
人間としての謎
謎に満ちた人間
大和山の人間観
人間と動物との違い
死の問題
霊魂に起こされる
見えないもう一つの世界
陰陽の理
陰陽は一つ
現幽二界
現界は霊界の模写
科学と宗教の一致
神は天地の創造者
台風来襲
生かされて生きる
生かされている
祖先あって
諸力の恩
生活精神の会得
雑木林の初夢
薬研温泉へ
いのち
虫にもいのち
いのちの尊厳  
生命とは
松影先生のご臨終
人の幸せとは
物資世界で生きるため
条件の悪い白樺の山
不可能を可能に
天佑神助を受けて
奉仕にひそむ真心
金の在り方
金をもつ意味
失敗した夫の事業
神が教えたタレ
神示の味噌ラーメン
感謝の心
奥付
奥付

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貧しくとも心豊かに

 これまでの我が社会は貧しくても、各人が自分の置かれた境遇を素直に受け入れて感謝し、基本的な生活倫理があったので、乏しさを補って明るく生きてこれました。つまり物質的に貧しくても、心は豊かでした。物や金の量の多少をいつも人に比べて不満をもつ貧しい心をいだいていては、かりに物や金に囲まれ恵れた飽食の境遇に育っても、なお満足を知ることがなく、イライラして生きなければいけません。

 

ご神歌

  人のうへの高嶺の花も上みれば

      はてなき空のひろまりてみゆ

(九つの星 四二)

人と比べて自分の持つものが少ないと嘆く貧しい心の現代人は、満足を知らずに不安と焦燥に駆られて、生きなければなりません。


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今日無事

 感謝の心が開けてくると、与えられたことに感謝するだけでなく、あるものの中に喜びを掘り起して感謝できるようになります。

教主さまは新築のお家にご揮毫を依頼されると――今日無事――と書かれてお授けになられます。それを頂戴した方のなかには、もっと格調の高いみ教えか、名言であれば良いものをと一見思う人があるそうですが、よく考えて見ると、実に味わいのあるご教訓と悟られます。

病気になっても、交通事故にあっても、子供が非行を起こしても、商売上で大きい損失をしても、何か一寸でも事故があることは、家族の者がどれだけ心配するか分かりません。今日も無事故であった。日々そう過ごすことが、どれだけ幸福なことか知れません。


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起こした交通事故

 私の二番目の兄は、過疎地の村で支部長をしています。毎々巡講にくる先生から奇跡的な救いのお話をきいてきたので、ある日――長年信仰してきたのに、自分にだけどうして神は何も与えないのだろう――と、ふと心のなかに不満をいだきました。

すると、翌日用事があって、近くの村へジープで出かけた帰り路、ついうとうと眠気を催して、道路からはずれて横倒しになり、車が大破しました。幸い怪我は全然なく終わりました。この事故にあった兄は、今まで神さまに毎日護られてきたから、無事に過ごせたことを悟り、長い間のみ護りにあらためて深く感謝できたのでした。

与えられたことや、人々に授けられたもの以外にも、なお大きな神の恵みがあることに気づかせる感謝の心は、さらに感謝の心を呼び、池の面に波紋の輪が次々と広がるように、生きる喜びを与えてくれます。

現代の荒廃と不毛を救う力は、深い信仰に湧く霊性としての、感謝の心にあるのです。

(松原哲雄『おかげさまの世界』より 


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いのちの樹

 

 いのち、いのちあるもの、厳粛さよ。凝視(みつ)むればか弱き足本(あしもと)の一本の草葉にも、仰げば唯風にさやぐ緑樹(りょくじゅ)の姿にも、生くるいのちのひそむを思はば、いのちあるものヽ厳粛さを人は思ふべし。

(永遠の燈火 昭和十七年八月号)

 

 

今年は全国的に春が早く訪れ、神垣の里も雪は消え、山々の樹々が春の光を浴びて、いっせいに芽を吹きました。雪のなかでまず咲くのがマンサクの花です。タンポポの花びらを細かく枝に下げてひらひらさせたようなこの花が、まず春を告げるのです。

次は子供のこぶしを突き出した形の乳白色のコブシの花が、清楚な春の使者となって山里を訪れてきます。そのあとに山桜が紅の霞をたなびかせ、ブナをはじめとする木々が鮮やかな薄緑を吹き出すように萌え、本部は新緑の海に埋もれてしまいます。五月の神垣の里は、樹々が山峡に生命の交響曲を奏でます。

いのち、樹々にも生命があります。樹はものを言うことはありません。しかし、春がくると、呼吸する生きもののように芽は萌え、葉はひらき、枝を伸ばし、花を咲かせ、やがて秋には実を結びます。

考えてみると、一本の樹もひとりで生きるものではありません。宇宙の大なる神秘な力が種子に宿り、地と水とぬくもりに芽生え、苗は日の光りによって成長し、枝はそよぐ待機を呼吸し、大地にしっかりと根じめて立ち、大地より栄養を吸収して育ちます。大なるもの、つまり大自然のはたらきと力によって、生かされて生きています。春夏秋冬の時と、その場つまり空間と、芽生えたいのちがあって、そこに一本の――いのちの樹――があるのです。


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祖先あって

   

  人間のいのちも、一本の樹のいのちと変わりません。いのちの誕生には、神秘な生命の根源があり、その生命を守りつづけて伝えてくれた、数多くの祖先がありました。

   計算によると二十代遡れば、直系の祖先だけでも、五十二万四千二百八十八人で、三十代前になると、四億六百万人を超えるおびただしい数になるのです。その数多くの祖先たちは、その時代時代に、労働と生活苦に喘(あえ)ぎつつ、艱難辛苦のなかで生命を護り伝えてくれたのでした。

それらの数多くの祖先たちも一本の樹と同じで、水と光りと土の恵みを受けて、生命を保つことができました。人間は植物や動物と違って、さらに衣食住や言語などの先人による文化遺産の恩恵を受けます。つまり人の生命は、自然の恵みと衆恩に支えられ、長い時代にわたって受けつがれて存続し、今日に及びました。

自然は人間以上の神の働きによって存在するのですから、人の生命は神と多くの恩(めぐみ)によって「生かされている」と申せます。



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