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 「地下展示室」へと階段は続く。ここはいやに道幅が狭く、また一段一段の高さも普通の階段より高いように感じる。下から誰かが上がって来はしないか、潤一は階段の先に目を凝らすが、現在のところ人影は見えない。天井の孤独な蛍光灯は今にも息絶えそうにぼんやりと薄暗く、時折不規則的に瞬く。潤一の手は手すりにしっかりと置かれている。
 最後の一段まで慎重に下り終える。顔を上げるとすぐに視界に入った正面の剥き出しのコンクリートの壁には、潤一の目線より少し上あたりに、「節電――電気をだいじに―― 7月・8月は節電強化月間です 内閣府」と印刷されたポスターが貼られていた。最近人気の若手女優が、正面を向き清楚な笑顔を浮かべている。学校でも街中でもよく見かける、ありふれたポスターだったが、既に最大限まで節電運動に貢献していると思われるこの地下一階にて対面すると、潤一にはそれがなんだか滑稽に思われた。今以上に節電を試みると、つまり階段の踊り場の照明をあともう一本だけ抜けば、おそらく辺りは真暗闇に包まれ、その紙切れの存在自体、忘れ去られてしまうだろう。笑顔も消え失せる。
 潤一は壁を迂回するように、ポスターの脇をゆっくりと通る。行く手には、先ほどの階段と同じく、むしろそれ以上に暗い廊下が続いている。天井に等間隔で設置されている蛍光灯は、規則正しく二本置きに電球自体が抜かれているようだ。明暗暗、明暗暗。完全なモノトーンの空間。誰もいない。たぶん。左の壁に貼られている「順路→」という案内プレートに従い、自身の心臓の鼓動をBGMに、潤一は前方へゆっくりと歩みを進める。
 狭い廊下のすぐ右側の壁にも同様に「順路→」と貼られていて、左側のプレートとは逆方向に、潤一の背後へ向けて矢印が指示を出している。一瞬、潤一の頭は混乱するが、すぐに、右の矢印は帰り道の案内だろうと判断する。わかりづらい。この博物館が抱える数多くの不備の新たな一つとして、職員である母親に指摘してもよい。いや、そんなことをすれば、立ち入り禁止である地下フロアへ足を踏み入れたことを知られてしまう。
 心臓と共に廊下を進みながら、今日の日記にはいつもとは違ったことを書けるぞ、と潤一は思う。謎のベールに包まれた、秘密の地下展示室を探検する。そこで彼は何と出会うのか。探検、冒険、その響きは、映画や漫画やTVゲームの中でしか触れられなかったものだ。もちろんそんなことを書けば、無断侵入を教師に知られてしまう。これも却下だ。結局、提出する日記帳には今日も何も書けないのだ。
 順路を辿って行き、突き当りを左に折れると、開けた空間に出た。

 

 背の順に並ばされる際、潤一はどの学年の時も前から三番目以内の成績をキープしていた。今のクラスではトップだ。「前へならえ」の号令のとき、一人だけ他の生徒たちとは違う、両手を腰に当てるポーズをやらされる。馬鹿みたいだなと潤一は思う。胸を張り堂々と構えるべきこのポーズは、似合う人と似合わない人がいる。筋骨隆々とした漫画のヒーローなら似合うだろうが、そんな人は一番前になんか来ない。「姫」というあだ名を付けられている潤一は、もちろん似合わない。
 背が低い潤一は、比例して脚のコンパスも短い。そして歩く速度も緩慢だった。急ぐ必要というものを感じないのだ。急いで、自分のものでないようにも思えるぎくしゃくする二本の脚を速く動かして、そこまでして早く辿り着きたい場所なんて、この地上のどこにも存在しないと思っていた。
 終着点。ここは随分とがらんとした、広い空間だった。相変わらず電球が間引かれているため、暗く、寒々しく、余計にだだ広く感じた。展示室と言うからには、おそらく以前には確かに何かを展示していたのだろう。壁や床にはところどころに、何かを掛けて、あるいは置いてあったような形跡が見受けられた。その部分だけがわずかに他と色が違う。今はもう何も物語らない、大小さまざまな四角。天井の小さなスポットライトの残骸(もちろん電球は抜かれている)もまた、かつての見せ物の在りかを暗黙の内に示していた。蛍光灯の無機質な明かりが、静かに宙に漂うほこりだけを照らし続けている。この地下室では、ほこりと潤一だけが生命を持っているようだった。

 

 地下展示室には何が展示されているのか、その説明はどこにもなかった。全くなかった。博物館の大階段前に置かれている大きな館内図にも、その下に積まれている細長く三つ折りにされたパンフレットにも、地下一階は書かれていない。母親の口からも、地下フロアに関する話題が出たことはない。博物館は一階と二階に分かれており、それ以外はないはずなのだ。三階も。地下一階も。
 一階。入口の感度の悪い自動ドアをくぐり抜けたすぐ右手の壁には、入場券を売る古びた自動販売機が二台設置されている。うち一台には、「故障中」の貼り紙が随分長いこと貼られている。そのすぐ横には受付ブースがあり、暇そうな受付の職員へ入場券を渡すと、半券だけが返ってくる。そのまま二階へと続く大階段を目指せばよいのだが、ここでの注意点は、階段へ向かう際に決して左側を見ないことだ。左の壁には、巨大な横長の絵が展示されている。視界の端には侵入してくるが、それは無視しなくてはならない。
 絵は、横の長さが教室の幅くらいはあり、白と黒と灰色だけで構成されている。それは奇妙な絵だ。小学生の時、初めてそれを見た潤一に刻み付けられて今も拭えないのは、掴みどころのない濁った恐怖の感情だった。その絵に描かれている者たちは、皆まるで子供の落書きのようないびつな造形をしていて、そして明らかに何らかの苦痛や苦悩に身体と心を痛めつけられているように潤一の目には映った。静かに、声もなく、でも圧倒的な強さで、彼らは、絵は、何かを訴えていた。
 絵に描かれている不気味な情景の中に自分も閉じ込められてしまう、そんな恐怖にもその後しばらく襲われた。寝る前にベッドで目を閉じると、絵が浮かんできた。朝、顔を洗うときも。風呂場で頭を洗うときも。目をつぶればいつも。そのたびにすぐに目を開けて、石鹸液が瞳を冒す痛みと共に、自分が今ここにいることを確かめるのだった。
 中学生になった潤一は、今はもう絵を見ても動揺したりはしない。(しかし、あえてまじまじと観察することもしない)。絵の横に貼られている小さな説明用のパネルには、「ゲルニカ」と大きく印字されていて、その下にはやや小さい字で「(レプリカ)」と補記されている。その他の、より小さな文字で書かれている詳細な説明書きを読むには、絵にぐっと接近しなくてはならないため、潤一は作品についてそれ以上の情報を持ち合わせなかった。
 階段を上り二階に上がれば、いよいよ博物館の展示を見学することができる。展示室の始まりの壁に掛かっている大きなパネルの一枚目には、展示全体のタイトルとして、「人間の文化とその発展」と記されている。展示品は芸術作品、建築物のミニチュア、機械製品、兵器類などだ。二階はそのほとんど全てが展示室として使われているが、階段を上ってすぐ左の廊下を進んだところには小さな資料室があり、展示に関連する様々な文献と、長机と椅子が用意されている。
 地下フロアのことを唯一認めていたものは、一階の階段左脇の通路を奥へと進んだ先、袋小路の手前、鉄の扉の上部に貼られていた「地下展示室」というプレートと、扉に直接貼り付けられていた紙の、「関係者以外の立ち入り禁止」の文字だけだった。

 

 地下展示室の長方形の広間の突き当たりには、大き目のドア程度の、アーチ型の穴が空けられていた。そこをくぐり抜けると、次の間に出た。先ほどの広間よりは少し小さいその空間には、部屋が作り付けられていた。
 奥の壁に沿って、三つの大きな立方体の箱が、間に少しの空間を開けて並んでいた。立方体はどれも手前側の壁のみが無く、中が見えるようになっている。箱のひとつは食堂、ひとつは浴室、そしてひとつは寝室のようだった。どの部屋も、そのまま生活ができそうに整えられていた。二つの部屋は無人で、寝室には、少女がいた。
 展示品がある――潤一は目を見張る。寝室は、潤一の自室の二倍くらいの広さがあった。机、椅子、天井に届くほど背の高い、ぎっしりと本の詰まった本棚。低い横長の箪笥。地味な色彩の薔薇模様のカバーが掛けられたベッド。丸く編まれた敷物。家具はどれも、過ぎた年月と懐かしさを感じさせるような深い焦げ茶色で統一されていて、天井から吊られている電球は、傘越しに橙色の暖かな光を部屋と少女へ控えめに振り注いでいた。
 少女は後ろ向きで、部屋の左奥の机に向かい、椅子に腰掛けていた。椅子の背もたれが高く、少女の後ろ姿はあまりよく見えなかった。黒い髪。白っぽい服。座面の下にぼんやりと覗いている、揃えられた二本の白いふくらはぎ。脚は細く真っ直ぐで、すとんと下ろされたそれは、まるで人形の脚のようだった。
 三つの箱部屋の前には、ぐるりと取り囲むように、潤一の腰くらいの高さの柵が立っていた。柵には「入らないでください」と注意書きが貼られている。柵の手前には、譜面台のような形の立て看板が二枚並んで立っていた。一枚には、「人間」と書かれていた。その横にやや小さな文字で、「―少女―」と、その下に更に小さな文字で、「(レプリカ)」とある。もう一枚には、「一日の行動」と題されて、タイムスケジュールが示されている。0700起床、身支度。0730朝食。0830読書。1200昼食。1300午睡。……。
 レプリカなのか、と潤一は思う。でもまるで本物の人間を見ているみたいだと、潤一は思う。教科書の写真で見たのと何も変わらない。そして、僕と何も変わらないようだ、とも思う。正面から彼女を見てみたい。そうすると、何かが違うのだろうか。潤一は柵をまたぎ越え、少女の模型の方へそっと歩み寄る。うつむく少女の横顔が少しずつ見えてくる。
 少女には「お手を触れないでください」と注意書きが添えられている。正確には、彼女が向かい合っている壁に、そう貼られている。先ほどからと同じ、角ばった筆跡。少女は袖のない白い無地のワンピースを着ている。髪は長く、柔らかそうにゆるく波打つその艶やかな黒髪は、胸の下あたりまである。潤一は少しずつ、静かに少女へと近付く。
 それは動き出した。机の上で、少女のほっそりとした剥き出しの右腕が、右に左に素早く小さく動き続ける。突然、右腕は止まる。少女は左の肘を机につき、指先を口元のあたりに置きながら右斜め前方に小さく頭を持ち上げて、何かを見つめる素振りをする。そこには壁があり小さな窓枠があり、窓枠の中の壁は黒く塗り潰されている。彼女がその、ところにより不均一な闇の中に何を見ているのか、潤一にはわからない。潤一は少女を見つめている。彫刻のように整った横顔だった。
 もう一歩、近付いてみようと思うのだが、潤一はその一歩がなかなか踏み出せないでいる。「お手を触れないでください」を再度眺める。触れられるものか、と潤一は思う。教室で可愛い女子と偶然目が合うだけでも、すぐに視線を反らしてしまうほどなのに、触れるなんてこと、現実の中ではできるわけなどないのだ。
 潤一はしばらくそのまま、少女を見守っている。人間の少女のレプリカ。レプリカ。これは機械仕掛けの人形なのだろうか。それにしては動きが自然に見えるが、しかし、
「もし」
 突然背後から声を掛けられ、息を呑む。危うく悲鳴を上げるところだった。振り返ると、少女の部屋の入り口あたりに、一人の男が立っていた。
「ねぇ僕、その眼、調整が合ってないよね。扉の貼り紙見えなかったかな? 立ち入り禁止の。たち、いり、きん、し。最近の子供はこんな簡単な字も読めないのかな」
 白衣を羽織った痩せ型の男は、早口にまくしたてながら近付いてくる。年は三十代の後半くらいだろうか。照明が暗いので、眼鏡の奥の表情はよくわからない。
「読めます。でも、」
「そう。読めた。お見事。勝手に人んちに土足で上がって来んなよって言ってんの」
 潤一は反射的に男の足元に目をやる。ビニール素材の青い平たいスリッパを履いている。「すみません。でも、鍵がかかってなかったので」
「かかってなかったとしてもだね、普通はね、鍵なんかかけなくたってね、立ち入り禁止と書いてあれば人は入って来ないんだよ。普通は開けないんだよ。それがこの世界の常識なんだよ。わかる? この世界には決して開けてはいけない扉ってもんがあるのよ。さっさと出て行ってくれよ。俺の責任が問われるんだよ。こっそりね。見つからないようにこっそり出て行ってね。まったく、いいよ、明日から鍵を付けるよ」
「あの、あれは、」
 少女のことを尋ねてみようと、顔を彼女の方に向けると、そのレプリカは椅子に腰かけたまま、上体を潤一の方へねじって彼を見据えていた。黒く澄んだ大きな瞳が潤一を捕らえていた。それはごく普通の少女みたいに見えた。いや普通じゃない、と潤一は思った。彼女はとびきり美しい顔立ちをしていた。天使がいるのならこんな風かもしれないと思った。そんなことを考える自分が恥ずかしいが、それ以外の形容は見つからなかった。白く滑らかな肌は血色が乏しく、唯一赤味のある小さな唇の色が、ひときわ際立っていた。もし自分が画家だったら、その姿を絵に閉じ込めたいだろう。決して枯れないように。意志のある強いまなざし。潤一は声が出せなくなった。
「私が人形なんじゃないかって思ってるんでしょう」と、少女は目を細める。
「え?」
「機械で動く人形じゃないかって。そして髪を触ったり手を握ったりするんでしょう。もうそういうの嫌なの。私に触らないで。こっちに来ないで。三上さん、どうして中に入れたりするの」。少女は椅子の上で身を引き、不快感と怒りを隠しきれない口調で一息に話し、今度は三上と呼ばれた男のことをにらむ。
「今の話聞いてなかった? このボクが勝手に入って来たんだよ。とうの昔に展示は止めてるんだから、入れるわけないでしょ。招かれざる客って奴だよ。たまに馬鹿なガキが入ってきちゃうんだよね。君のことだよ。さぁさぁ、帰った帰った」
「え、あの、僕は、」
 ぽん、と後ろから両肩に手を置かれ、細身の身体に似合わない強い力で、潤一は身体をぐるりと入口の方へ向けられる。少女の黒い瞳と、真っ直ぐな黒い眉が、一瞬で潤一の網膜に焼き付けられる。潤一は力に抗い、振り返ろうとする。
「あ、あの、な、何を書いてたの?」
「……え?」。少女はわずかに眉を寄せる。声をかけられた少女も、かけた潤一も、驚いている。
「さっき。すごく真剣に、一生懸命に何か書いていたみたいだったから。何を書いているのかなって、思って」
「……。日記」
「日記?」
「そう」
「すごいね。僕、日記書くの苦手で。というか、日記じゃなくても文章全般そうなんだけど。作文とか、読書感想文とか。夏休みの宿題で毎日日記を書かなくちゃいけないんだけど、最初の三日間くらいでもう止まっちゃって。何も書くことなんかないし。毎日同じことしかないし」
 自分の口が別の生き物のように勝手な行動を起こす様子を、潤一は止められないでいる。
「君、毎日この博物館に来て油売ってるだけだもんね」
 それまで黙っていた白衣の男が、唐突に口を開いた。
「何で知ってるんですか」
「知ってるに決まってるでしょ。君、高橋さんの息子でしょ。年間入場券持ってるから毎日来ても、もちろんいいんだけどさ、他に行くところはないわけ? せっかくの夏休みでしょ。よくもまぁ飽きもせず」。男は胸の前で腕組みをし、潤一をまじまじと眺める。
「毎日?」。少女が尋ねる。
「母が、この博物館で働いていて、だから年パスをもらえるんだ。博物館とか図書館って昔から好きなんだ。静かで、時間の進み方が緩やかで、落ち着くから。古い匂いも。空気の感じも。帰って来た、みたいな気持ちになる」
「じゃあ図書館に行けよ」
「……図書館はうちから遠いんだ」
 図書館に行くと、夏休みの宿題や受験勉強をしている同級生たちに会ってしまうから。その理由は心の中だけに留めておく。さすがに図書館では格闘技の技をかけられるようなことはないだろう。だからといって、遭遇しないに越したことはない。「二階の資料室は大体誰もいないから、いつもあそこで勉強してる。勉強したり、ぼおっとしたり。静かなんだ」
「ここもね。いつもなら静かなんだけど」。少女は三上の方を見上げる。
「何。俺は無口でしょ。そうでしょ。あんたらがべらべら喋ってんだろ。展示室では静かに、が鉄則なんだよ。俺の平和を乱さないでくれよ。そして少年、いい加減出てってくれよ。誰かに知られたら俺が館長に怒られるんだよ」。男は急に再び早口になる。
「私、日記書くの得意なのよ」
 椅子の背もたれに片手を置き、少女が先ほどまでとは違う声色で潤一に話しかける。
「ねぇ、日記帳持ってきてよ。私があなたの日記、書いてあげる」
「きみが?」。潤一は面食らう。
「材料は揃ってるわ。鉛筆もペンもある。絵日記がよいのなら、色鉛筆とクレヨン、少しだけど絵の具もある。あとは私の頭がある。色とりどりの毎日を作り出してあげる」
 少女の頬は少し紅潮していた。桃色の頬。瞳は卓上ランプの光を受けて輝きを放っていて、こんなに綺麗な瞳は見たことがない、と潤一は思った。こんなに綺麗な瞳を持つ人は。「ええと……」
「はい、帰って。興奮させないで。もうおしまい。イッツ・ジ・エンド」。三上は潤一の背中を押し、回れ右をさせる。「いいか。もうここには来るなよ。来るなよ。わかってるな」。後ろから肩越しにささやく。
「また明日」。後ろから少女の声がする。
「明日?」
 潤一は振り返る。少女はじっと彼を見ている。潤一が微かに頷くのと、明日はないんだよ、と男が言うのがほぼ同時だった。潤一は心を残したままくるりと向きを変え、うつむき加減に小走りに部屋を抜け広間を抜け、順路に従順に地上へ戻る。鼓動はずっと速いままだし、脚までそれに協調して動く、走る、あっという間にいつもの一階へ出る。静かな博物館の一階。帰って来た。

 

     *

 

 八月×日水曜日。晴れ。気温四十一度。昨日同様、博物館へ行った。勉強をした。

 

 八月×日木曜日。晴れ。気温四十二度。博物館へ行った。人間のレプリカの少女と出会った。彼女と話をした。


「これだけ?」。少女が眉を持ち上げる。「もっと書けばいいじゃないの。行がたくさん余ってるのに」
「でも他に書くことがないし」と潤一が答える。少女の目はノートの他の行をさまよう。言われた通り、潤一は日記帳を持参している。表紙に「夏休みの記録」と印刷されている、ホチキス綴じの薄い冊子だ。まず初めに夏休みの目標を書く欄があり、一日のタイムスケジュールを書き込む円グラフがあり、その後が日記の頁となる。
「八月×日月曜日。晴れ。気温……。この天気と気温って毎日書く意味あるの?」
「その日を思い出すよすがとなる。らしい」
 潤一の言葉に、少女がふうん、とだけ返答する。少女は今日も白いワンピースを着ている。ボリュームのあるスカートが、椅子の上でふんわりと広がっている。少女は椅子の背もたれには寄りかからず、ぴんと背筋を伸ばして腰掛けている。潤一はやや猫背ぎみに、少女の隣に所在なげに立っている。まるで職員室に呼び出された生徒みたいな気がする。
「それに、そもそもこの日記帳の全てが、書く意味なんてない」
「意味があることを書けばいいじゃない」
 少女の白く細い指が、ぱら、ぱら、と日記帳の頁をめくっていく。数日前に飲みかけのお茶をこぼしたため、乾いた頁は波打ち、一枚めくられるごとに、ぱら、と大仰な音を立てる。
「僕の人生自体、意味なんて特にない」
「……それは、私だってそうだけどさ」
 少女の指は唇をいじる。
「でも、私は書くこといっぱいあるよ。何だって書けるよ。この部屋から出たことがなくても、毎日、同じ毎日の繰り返しでも、何だって書ける」。少女の視線は、潤一の日記帳ではない何かを見ているようだった。
「……きみは日記にどんなことを書いてるの?」
少女はにんまりと口元を引き延ばす。
「これは、アリカの日記」
 そう言って、机の上に置かれていた中から一冊の薄いノートを片手で持ち上げる。よく見ると、机には同じようなノートが幾冊も無造作に積まれている。少女が手にしたノートは、薄桃色の表紙。「今までいろいろな日記を書いてきたけど、一番長続きしているのがアリカの日記」
「君はアリカっていうの」
「違うよ」
「何て名前」
「私は名前が無いの。こっちは、エマの日記。でも一冊も終わらなかった。こっちはケラ。これは三冊続いたわ。今でも気が向くとたまにケラの日記を書く。そっちの方はトゥーリル。トゥーリルっておかしな名前でしょ。でも響きが素敵だと思ったの。どこかの塔に囚われているお姫様みたいな名前じゃない? トゥーリルは実際、囚われの身なの。高い高い、雲の上より高い塔の上に住んでいて、出られない。彼女はね、いつか王子様が助けに来てくれるなんて信じていなくて、塔の長い螺旋階段を、毎日少しずつ降りて行くの。そんな日々の日記」
 潤一の頭は混乱してきた。「ええと、つまり、他人の日記を書いてるの?」
「そうよ。でも他人じゃない。みんな、私の中にいるんだもの」
 少女は、天井から糸で吊られている人形のように、相変わらず上体をぴんと伸ばしたまま、潤一をじっと見つめる。その瞳はどこまでも黒くて、潤一はその黒の中に何かを探そうとする。
「意味わかんないでしょ」
 何の前触れもなく、男が会話に割り入ってきた。潤一は身構える。男は今日も長袖の白衣を羽織っている。胸元に留められている小さなプレートには、「三上」とだけ書かれている。
「真面目に相手しなくていいからね」。三上は近寄りながら人差し指でとんとん、と自分の頭を叩く。
「はーい、トゥーリルちゃん、お熱の時間ですよー」
 そう言って、少女に体温計を手渡した。少女は慣れた手つきで細いガラス管を左の脇に挟み込む。固定されるようにひじを曲げて、もう一方の二の腕を掴む。掴まれた部分の肉が柔らかそうにわずかにへこむ。白い腕だ。三上は片足に体重をかけて、楽な体勢で立って待っている。
「……熱?」
 潤一が遠慮がちに尋ねると、「検温は一日二回」との返答が返ってくる。「飼育日誌 No.38」と表紙に書かれたクリーム色のファイルを小脇に抱えている。三上は潤一を横目で一瞬ちらりと見て、視線を少女へ戻した。
「だからね、きみも書けばいいのよ。書きたいことを何でも」
 唐突に会話が戻る。少女の目も口元も、スカートのようにふわりと微笑む。
「……ええと、それじゃ創作だよね。僕の宿題はあくまで日記で、その日本当にあったことを書くものだから……」
 少女は、ふん、と鼻を小さく鳴らす。「マジメだなぁ」。片手で再び日記帳をめくる。
「ねぇ、この私と会ったところ、もう少しふくらませてよ」
 少女の指先は昨日の日記を指し示している。小さな桜色の爪は短く丸く、清潔に切り揃えられている。
「膨らます?」
「人間の少女のレプリカと出会う。って、たったこれだけ? 説明が足りない。これだけじゃどんな少女なのか全然わからない。外見や性格の描写が必要。あと、だいたいの年齢とか、そうね、どんなことを話したとか、彼女に対してどんな印象を持ったとか。私なら半頁は埋められるな」
「え、何、そんなこと書いてんの? 宿題? ちょっと見せてよ」。三上が日記帳を奪う。「ああもう、だめだよ、書いちゃ。消して消して。この子のことは公にしてないんだから。きみだってねえ、こんなこと書いたら、妄想癖がありなおかつ欲求不満です、って公言しているようなもんだよ」
「そうか」
「ほれ」。男が机の上の、角の丸くなった消しゴムを投げるように手渡す。
「じゃあ、『博物館で少女に出会った』、でいいですか。人間とレプリカを消すから」。潤一は立ったまま机の上で消しゴムをかける。
「だから、描写が足りないの。どんな少女」
「髪が黒くて、長くて……」
「ほら、書いて」
「髪の長い少女と出会った」。潤一は身をかがめながら日記帳に書き込む。
「もう終わっちゃった。もっと、もっと」

 

 髪の長い少女と出会った。彼女と話をした。

 

「だから? 彼女に対して抱いた印象や会話の内容、そしてその感想は?」
「感想……。あの、そんな風に見られてると書きづらいよ」
「書いているところを見られるのも、書き終わってから見られるのも、どちらも変わらなくない?」
「そうかな……」
「だいたい、人に読まれることを前提で日記を書いているわけでしょ?」
「そうだけど」
 もう、貸して、と少女は空いている右手で日記帳を自分の方へ引き寄せる。次に潤一が握っていた鉛筆をすっと抜き取り、頁の上にさらさらと硬い芯を滑らせる。少女は教科書の字体のような整った文字を書く。

 

 知らない人と話すのは苦手なので、初めはとても緊張した。彼女は絶世の美女で、

 

「美女って」。ぽろっと潤一が言う。
「いいじゃない。どうせこれを読む人は私のことを知らないんだから、何書いたって自由でしょ」
「でも、正確に言うなら美女じゃなくて美少女だよ」
「美少女?」
 少女が瞳で問い返す。口を滑らせた気がして、潤一は目線を日記帳に戻す。
「ねえ、熱は?」。三上にうながされ、少女はようやく脇の下から体温計を取り出す。「三十五度七分」「はい了解」。三上が立ったまま日誌に書き込む。
「それ、毎日書いてるんですか?」と潤一は尋ねる。
「そうだよ。特に毎日書く意味なんてないんだけどね。見る?」。片手でぱららら、とめくりながら三上は何気なく言う。
「いいんですか?」
「別に」
 逆さの状態のまま、三上は潤一に開いた頁を見せる。

 

 体温(朝): 三十五度三分
 健康状態: 異常なし。
 精神状態: 前日同様。
 特記事項: 特になし。

 

 少女が再び鼻を鳴らす。「やる気のない日誌」
「異常がないのはいいことでしょ。平常運転が一番。何事もね」。そう言って、三上は日誌を閉じる。
「ボクもね、余計なことは書かないようにね。前日同様、それでいいんだよ。昨日同様、明日同様、全部同じ。同様、それが一番」。そう言い残し、去って行った。潤一はしばし三上の背中を目で追い、目線を日記帳へ戻す。
「前日同様」。潤一は翌日の行へ書き込んでみた。
「やる気なーい」。少女がとがめる。

 

 八月十五日土曜日。八月十四日同様。

 

「それ、さっきと変わらないでしょ」
「変わるよ。前、日、同、様。四文字。八月十四日同様。一、二、……計七文字。より空白が埋まる」
「そういう子供みたいな真似はよしなさいよ。もう、本当に私に貸して。ちゃんとした日記書いてあげるから」。少女が細い腕を伸ばす。
「駄目だよ。筆跡が違うんだから他人が書いたってわかっちゃうよ」
「じゃあ、」少女は机に積まれているノートの山から、無造作に一冊を抜き出した。紺の背表紙に、青色の表紙のノートだ。一頁目を開くと、紙は黄色がかっていて、古い紙とほこりのにおいがした。学校の図書室のにおい。
「これに書く。きみの日記。何て名前?」
「え。……潤一」
「どう書くの?」
 潤一は自分の日記帳の裏面を見せる。裏表紙下部の「氏名」の欄に、四角い小さな文字で、一定の間隔を空けて氏名が書かれている。少女は机のペン立てから一本のサインペンを引き抜き、すぽん、と音を立ててキャップを外す。
「潤一の日記、っと」
 古いノートの表紙に、艶々とした黒色でタイトルが書き込まれる。No.1、と書き加えられる。「これでよし」。少女はしばし満足そうな表情で表紙を眺めてから、潤一の方を向く。
「ねえ教えて。きみってどんな人? 実在する人の日記を書くのは初めてだわ。いつもは作り上げてしまうから。でも今回は特別。あなたを無視してはいけないものね。私ね、新しく日記をつけ始めるこの瞬間が大好きなの。これからどんな出来事が、どんな日々が書き込まれていくのだろう、って思うと、とてもわくわくするの」。少女の瞳は一段と輝きを増している。
「僕の日記なんて、何も書くことはないよ。つまらない人間だし、毎日同じことの繰り返しだし。永遠に続くみたいな夏休みだし」
「そんなことない」。とつとつと話す少年の語りを、それまでサインペンを弄びながら聞いていた少女が、口をはさむ。「きみは何だってできるのよ」
少女の真顔は、潤一に気まずい思いを覚えさせる。あ、と少女は何かに気付いたような声を出す。
「ごめんなさいね、立たせっぱなしで。この部屋は人を呼ぶようには作られていないから。椅子がこれ一脚しかないのよ。どうしようかな。三上さんから借りてきてくれる? 余っているパイプ椅子か何か、出してくれると思うから。この部屋を出て左すぐのところに扉があって、そこが三上さんのオフィス」
 そう言って、壁の向こう側をサインペンで指し示す。
「うん、ありがとう、でもやっぱり日記は自分で書くよ。人に書いてもらうのって、なんか変な感じがするから。僕の宿題だし」
「あ、そう。うん、わかった」。何気ないような口調でそう言う少女は、しかし明らかに機嫌を損ねたらしく、口元がへの字になっている。表情が変幻自在にころころと移り変わる。面白い子だな、と潤一は思う。
「代わりに、さっきみたいにアドバイスをもらえる? こうするといいよ、とか。こういうことを書いたら、とか。それを元に僕が書けば、僕らしい日記ができると思う。二行程度の」
「二行って」。少女は笑う。「遠慮しないで、書ききれなくなるくらい書きましょうよ! 何文字でも、何行でもいいのよ。頁を文字でいっぱいにするの。毎日。これから毎日が楽しみね。あ、そうだ、椅子。取ってきて」

 

     *

 

 図書館で知り合った少年と今日も少し話をした。彼は身体が弱く、家族以外の人と長時間会話をすると疲れてしまうとのことで、他人と一日に会話できる時間は三十分だと彼の保護者から言われた。少年とは図書館の休憩スペースで椅子に座って話した。夏休みの宿題の話など。ちょうど三十分で保護者が迎えに来て、そこで別れた。

 

     *

 

 潤一は日記帳の文章を読み返した。事実からあまりにかけ離れているわけではない。しかし、事実ではない。学校に提出する日記に本当ではないことを書いている事実に、潤一は少しの不安と、少しのスリルと面白みも感じた。あまりに創作めいてはいないだろうか? 教師が怪しまないだろうか。完全なる創作は書かない、と潤一は決めた。無から有を作り上げるようなことはしない。その日に本当にあったことだけを書く。そうすれば多少はリアリティがあるだろう。僕自身も、読み返した時にその日のことを思い出せるだろう。
 少女を少年に、三上さんを保護者に、博物館を図書館に変える。他、変える必要があると思われる個所は変える。それだけだ。噂によると、日記も進路指導の材料として使われるとの話だ。内容には注意を払う必要がある。

 

     *

 

 今日も図書館で友人と話をした。三十分と言う時間はあっという間だ。とても短い。今日も宿題のこと、それと僕自身の話を少しした。彼からあれこれと聞かれたからだ。でも彼へは質問を返していいのかよくわからない。身体のことなど、聞かれたくないこともあるかもしれないと思う。彼と話すことはとても楽しく感じた。彼も同じだといいと思う。

 

     *

 

 少女の部屋が作られている広間には、隅の方に目立たない扉があり、そこには「PRIVATE」の札が掛かっている。潤一はそっと扉をノックし、一呼吸を置いて唸り声のような濁った「はい」が返ってくるのを確認してから扉を開ける。三上が広い机に向かっている。机の上には、コンピュータの大きなディスプレイとキーボード、それが二セット載っている。画面には何も映っていない。三上は顔を持ち上げ、来訪者をちらっと眺めてから、再び視線を手元に戻す。
「なによ」
「話してもいいですか」
「俺さぁ、今勤務中なんだよね」
 そう言いながら、手元の雑誌の次のページをめくる。
「三上さんは、漫画の編集者か何かでしたか。それとも批評家」
「読者様だよ」
「僕もそれ読んでます。あの漫画家が一番好きです、ほらあの、しょっちゅう連載休んじゃう人」
 潤一の声がはずむ。三上はざらざらとした紙質の漫画雑誌を閉じた。「来月から、隔週発売になるそうだね」
「つまんないですよね。何もかも、どんどんつまらなくなってく」
「何、話って」
「彼女のこと」
 三上は後ろに反り返りながら大きく伸びをする。灰色の椅子の背もたれはたわみ、嫌な音を立てる。倒れるんじゃないか、と潤一は思うが、椅子はそのような扱いに慣れているらしく平然と細い背中を受け止める。
 細長い部屋の中は、何もかも綺麗に整頓されている。様々な色と厚さのファイルや書物は、一定の秩序を保ち書棚に収まり、キャビネットの全ての抽斗や扉には、中身の品を示すラベリングシールが貼られている。「筆記具」、「封筒・切手」、「クリップ」、「ラベルシール」、「医療器具」、座ったら、と三上が隣の机の同じような椅子を、鼻先で示しながら言う。潤一が腰かけると、ぎいいい、と音を立てる。「で」と、三上は長い脚を組む。潤一は一瞬躊躇した後に、切り出す。
「あの、彼女は何なんですか。し、飼育って何をしてるんですか」。どもるな。潤一は思う。
「人間のレプリカだよ。そう書いてあったでしょ。俺はお世話係」
「なんで展示してないんですか」
「前はしてたんだよ」。三上は眼鏡を額に上げ、両手の指先で目を強く擦る。眼球が痛むんじゃないかと潤一は気になる。
「二階の展示室、君も見たでしょ。〈人間の文化とその発展〉。あの後、階段を下りて、この地下の展示室まで進むのが順路だったんだよ。〈人間の生態〉。これが地下の展示のテーマ。順番が逆だろって思うけどね。まず生態があって、文化でしょ。でもね、レプリカと言えど人間を展示するなんて非人道的だ、って世論が強まったんだよね」
 潤一は頷く。「それで、展示を止めたんですか」
「今は他の博物館もそうしてるんじゃないかな。レプリカを今でも持っているところがどれくらいあるのかわからないけど。そもそも、人間関連の展示自体、今は当局にあまり良く思われてないよね」
 三上は机の上のマグカップを手に取り、渋い顔をしてコーヒーを一口飲む。潤一と目が合う。「きみもいる?」。潤一が返答に迷っていると、三上はよいしょ、と言いながら両手をついて立ち、壁際の小さな台の上に置かれている電気ポットの方へ向かう。薄暗い電球に照らされて、幾本かの白髪が銀色に光る。
「前にも言ったけど、彼女のことは日記に書かないで、誰にも言わないでね。君が展示品ではない彼女を見ていることも問題だし、ここが彼女をまだ持っていることも問題かもしれないからね。外野から何言われるかわからないからさ。展示することは非人道的で、処分することは人道的なのかね」
 三上はガラス扉の棚からもうひとつのマグカップを取出し、コーヒーの粉をティースプーンで一杯だけ入れる。ポットから熱い湯を勢いよく注ぐ。
「砂糖とミルクはないけど、いいかな」「はい」。潤一は答える。コーヒーを申し訳程度に混ぜてから、三上は戻ってくる。
「あの子は甘いものが好きなんだよね。ときどきクッキーやなんかを欲しがるんだ。手がかかるんだよ。甘いものなんぞ食べなくたって死にやしないのにね。女の子はないと死んじゃうんだってさ。ははっ」
 コーヒーを三上から受け取り、潤一はしばらくその暗い水面を見つめていた。
「家にお菓子か何かあったらさ、カンパしてやってよ。彼女、喜ぶよ」
「はい」、そう言って、潤一はコーヒーに少しだけ口をつけた。ひどく熱い。

 

     *

 

「さあ、お姉さんに見せてごらん」
 リュックサックから日記帳を出そうとしていた潤一の手が止まる。「え、何、お姉さんって」
「いいじゃない。じゃあ、先生。日記の先生。なんていったって、私の日記歴はかなりのものだからね。年季入ってるからね」
 少女は机の左側に積まれたノートの塔に誇らしげに顔を向ける。潤一もそれを眺める。焦げ茶色の大きな書き物机の潤一の側には、インク壺と見事な羽根ペンが揃えて置いてある。その隣のガラス製のペン立てには、様々な種類の筆記具が無秩序に放り込まれている。万年筆。よく尖った鉛筆。何色かの色鉛筆。無愛想なボールペン。三色ボールペン。サインペン。
「さぁて、昨日の潤一くんはぁ」。身体を椅子の上で小さく左右に揺らしながら、歌うような口調で少女は言う。潤一は日記と筆入れを取り出す。潤一が動くと、古いパイプ椅子がぎしぎしとうなる。
 身体つきから察するに、少女も自分と同じくらいの年齢だろうと、潤一は思う。少女が着ているワンピースは、腰から上は細身な作りで、彼女の上半身にすっきりと寄り添っている。何歳なの、と聞いてよいのかはわからない。そもそも、レプリカは年をとるんだろうか。
「ええっと。八月××日。金曜日。友人と会った。彼と夏休みの宿題について会話をした。彼。私、彼だったの。あ、前の方も少女じゃなくて少年になってる」
「書き直したんだ」
「なんで? それになんで男」
「女子と毎日会っているというのも、ちょっと。まるで毎日遊び歩いているみたいだし」
「お休みなんでしょ。いいじゃない、遊んだって。母、残業で帰りが遅くなるというのでひとりで夕食を作って食べた。何を食べたの?」
「簡単なものだよ。母の帰りが遅い日は僕がつくるから、冷蔵庫にあるもので適当に」
「昨日は?」
 少女がまだ見つめているので、潤一は昨夜の夕食を思い出す。キャベツと魚肉ソーセージの炒め物。大根ときのこのスープ。まだ目を見開いたまま、少女はふうん、とだけ言う。この子はいつまばたきをしているんだろう、と彼は疑問に思う。少女は次に母親のことを聞きたがった。
「別に、普通の母親だよ。話すことなんて特にない」。潤一が打ち切ろうとすると、夕ご飯のことは話してくれたのに、と言われる。仕方なくまた簡単に話す。
「母はこの博物館で働いている。たぶんもう勤め始めて五年くらいになるかな。勤務はシフト制だから、平日に休みだったり、土日にいなかったりする。月曜は休館日だから、休み。最近は忙しいみたいで、ときどき帰りが遅くなることがある」
「あとは? どんな人? どんなことが好きなの?」
「ええと、最近はあまり話さないんだ。だから母のことはあまりよくわからない」
「なんで話さないの?」。やっぱりまばたきをしない。
「特に話すこともないし。僕も、あっちも」。した。「そうなの?」
「毎日一緒に暮らしていると、そんな話すことなんてないんだよ。それにこのぐらいの年の男は母親とそんなに会話なんてしないんだよ」。少女がまだ潤一を見つめたままなので、弁解するように潤一は説明をする。
「私と三上さんもそんなには話さない」
「それと同じだよ」
「前はもっとよく話してた気がする」
「そういうものだよ」
「前はどんなことを話していたのか、よく思い出せないの。日記をつけておけばよかったわ」
 少女は目を細めて笑う。

 

    *

 

「母さん、三上さんて知ってる」
 夕食の席で、潤一は母親に切り出してみる。帰宅後の母親は、カールされた髪を後ろでひとつにまとめ、エプロンを着けている。エプロンの胸元には、洗濯をしても落ちないらしい薄茶色の染みがいくつか付いている。潤一は三上の真っ白な白衣を思い出す。母親の姿は、出勤時に比べ三、四歳ほど年をとって見える。仕事で疲れて帰ってくるせいもあるのかもしれない。目は少し落ち窪んでいて、三重まぶたみたいに見えるし、小さく見える。化粧が落ちかけていて、目の下が少し黒ずんでいる。潤一は化粧をしていない顔の方が好きだった。風呂上りや、朝、起き立ての顔。
「みかみさん?」。母親はまるでわからないという表情をしている。
「博物館の」
「……。ああ、飼育員さんね」
 しばらく中空で静止した後、彼女の箸が活動を再開する。
「飼育員さん」
「そうよ、何で? 彼に会ったの?」
 彼女は詰問するような口調になる。
「うん。ジュースを買いに行ったときに、休憩スペースで。ちょっと話をしたんだ。白衣着てたから何の人だろうと思って」
母親のペースに巻き込まれないよう、潤一は逆にわざとゆっくりと喋るようにする。淀みなく嘘が出てくることに潤一は驚く。「そう」。母親の視線は食卓に戻る。
「何の飼育員なの?」
 潤一は芋の煮物をつまむ。母親は再びじっと潤一を見つめる。
「展示品のよ。今はもう展示していないけど。それより、勉強の方はどうなの。宿題は終わったの」
「とっくに終わったよ。日記以外は終わったって何回も言ってるだろ」
「受験生なんだからね。宿題なんてさっさと終わらせて勉強をしっかりしなさいね。塾に通わせてあげられなくて申し訳ないと思っているけどでも潤一はやればできる子だし、山縣さんのところの俊平くんだってね、塾に行かずに学区のトップ校に合格したんだしね。就職だってやっぱり市の職員にさえなれれば将来ずっと安定しているしね、このようなご時勢でも……。私は準職員にしかなれなかったから、潤一には……」。
 呪文の詠唱が始まった、と、潤一はいつものように意識を内側に切り替える。母親の呪文もしくは呪詛は永遠と続くように思われる。「うん」と「そうだね」を合いの手として挟む。相手の言うことを否定しないのが受け流しのコツだ、と潤一は経験から学んだ。何の効果も生み出さない呪文は、回ったままの換気扇のプロペラの隙間から、油臭い空気と共に外へ吐き出される。

 

     *

 

 月曜日は珍しく朝から強い雨が降っていた。目を覚まし、自室のくすんだ薄い青色のカーテンを開けた潤一は、ざああああああと絶え間なく流れる音を聞きながら、三階から外の風景をぼんやりと見下ろした。そこは高層アパートに囲まれた小さな公園だが、今は誰もいない。斜め正面から降る雨に対し、黒色の大きな傘を斜めに傾けて差しながら、一人の女性が足早に脇の歩道を歩き抜けていった。
 子供の姿はまったく見えない。ブランコ、滑り台、ジャングルジム、鉄棒が静かに雨に打たれている。ジャングルジムにはしばらく前からぐるりと紐が回され、「故障中 ※危険。遊んではいけません」と書かれた紙が貼られている。その紙も雨によく濡れている。
 潤一もこの家に越してきた当時はまだ小さかったので、公園ではよく遊んだ。日曜日の午後、陽の差し込む明るい部屋で勉強をしていると、時々外から近所の友達が呼ぶ声がした。潤一くーん、あーそーぼー。大声でそう叫ばれると、やりかけの問題集に後ろ髪を引かれながらも、窓をがらりと開け、今行くと大声で返事をして、急いで階段を駆け下りて行った。
 母親は勉強ばかりして休みの日も閉じこもっている潤一のことを心配していたので、外に遊びに出かけると言うと、うれしそうに送り出してくれた。勉強はほどほどにね、という母親の言葉は、いつから聞かれなくなったのだろうと思う。今日は月曜日で休館日なので、潤一にはどこにも行くところがない。母親は今日は友人と会うと言っていた。台所にもう姿はない。
 とりあえず、潤一は冷蔵庫から牛乳の軽くなった紙パックを取り出す。牛乳のパックには以前は一リットル入っていた。少し前に九〇〇ミリリットルになり、最近は八五〇ミリリットルに容量が少なくなったが値段は殆ど変らないため、実質的な値上げだと母親は文句を言った。うちは牛乳の消費がばかにならないのに、とこぼしていた。潤一は朝昼晩、と欠かさず牛乳を飲む。背はなかなか伸びない。この液体はどこに吸収されているのだろう。牛乳だと思わされているだけで、実は違う何かなのかもしれない。残りがわずかなので、潤一は紙パックの口を開き、そこから直接に飲む。紙パックの臭いは、学校の給食を思い出させる。牛乳には嫌な思い出しかない。
 雨の音と、時計の針が夏休みの残りの刻を刻んでいく音だけが聞こえる。規則正しい秒針の音。ちく、たく、ちく、たく。ちくとたくは、なぜ違う音のように聞こえるのだろうと潤一は思う。今日の日記はろくな内容にならないな、と潤一は思う。書くことがない。(時計のちくとたくは、そんなことを書けば、高校以外の場所へ進路が決まってしまうかもしれない。)少女にまた駄目出しをされるだろう。ひどい雨だったので一日家の中にいた。時計の音を聞いていた。あとは? 他にすることはないの? 何をすればいいんだ?
 着替えをして、漫画雑誌を買いに行かねばならない。発売日だ。

 

     *

 

 翌日、学校から郵便が届き、三つ折りにされた藁半紙を開くと、「夏季休暇延長のおしらせ」が入っていた。二週間延長されるとのこと。

 

     *

 

「いつも、ここで何をしてるの」
 少女は机から顔を上げた。「日記を書いてる」
「うん、知ってる」と潤一。少女は丸い目で潤一を見つめながら小首をかしげると、再び書き物に戻る。
「でも、一日中ずうっと日記を書いてるわけじゃないでしょ? そういうとき、何をしてるのかなって」
「日記に書く内容を考えてる」。潤一は下唇を噛む。
「あとは、日記を書いていないときは、よく本を読んでる。部屋にもともとあった本は何度も読み返しちゃってるから、最近は三上さんが図書館で借りてきてくれる本を読んでる」
「三上さん、親切だね」
「それがお仕事だから」。少女は爪を点検する。「でも、この間借りてくれた本は全部読んでしまって。平日は仕事があるから図書館に行けないでしょ。月曜は休日だけど、図書館も休館日だし。だからあまり行く機会が作れないみたい」
「じゃあ僕が借りてこようか?」
「え。いいの? ありがとう!」。少女は信じられないような顔をし、その後でうれしそうに笑う。
「潤一くんも親切だね」。少女に名前を呼ばれると、くすぐったいような気持ちになる。「そうだ、ほら、見て見て」
 少女は一冊のノートを取出し、潤一に見せる。青色の表紙にはサインペンで「潤一の日記 No.1」と記されている。
「……どういうこと?」
「やっぱり私もきみの日記、書き始めたの」。少女はまた笑う。「これは検閲が入らない、オリジナルで自由な日記」
「へえ」。潤一の相槌はぎこちなく響く。「オリジナルで自由」
「うん」。少女はまだ微笑んでいる。
「どんなことが書いてあるの」
「うふふ、秘密」
「地下室で絶世の美少女に出会った、って書いてあるんだろ」
「そしてその瞬間、僕は一目で彼女に恋に落ちてしまった、って書いてあったりしてね。うふふふ」。潤一は咄嗟に何も言えなくなる。
「見せてよ」
「駄―目。これはプライベートだから」。少女はノートを胸の前で抱える。
「なんか不公平だと思う」
「じゃあきみも私の日記を書けばいいじゃない。公平でしょ」
「だから、僕は日記を書くのが苦手なんだから」
「書いているうちに上手になるよ。継続は力なり」。取り付く島がない。
「ノート、一冊あげる」
 そう言って、少女は机の左の隅に積んであるノートを漁り始める。ごめんね、もう新しいのがないみたい、そして一冊を手に取り、中をぱらぱらとめくり確認をした後、最初の数頁を破り取り、くしゃくしゃと丸めて机に転がす。表紙のタイトルの一部を、サインペンできゅきゅきゅきゅきゅ、と素早く黒く塗り潰す。「■の日記 No.1」となる。
「はい、どうぞ」
「どうもありがとう」。潤一は仕方なくノートを受け取る。「日記帳が増えた」とつぶやく。少女はにっこりとする。
「僕はこれに、きみの日記を書くの」
「そう。私と同じように。公平で対等」
「……この、名前の部分はどうすればいいの」。潤一は表紙の黒い四角を指し示す。少女は肩をすくめる。
「なんでもいいよ、きみの好きな名前をつけて。私もいつもはそうしてるから」
「好きな名前なんて特にないんだけど」。潤一が言うと、少女は困惑した表情をする。
「私はいつもインスピレーションで付けてるの。ぱぱっと思いついた名前。だって本当に、名前なんてなんだっていいんだもん。内容があればいいの。日記の名前なんて、ただのタイトルだよ。日記の文章の中に自分の名前なんて出てこないんだから。でしょ」
「うん」
「今、ぱっと思い付いた名前は?」
 女性の名前でぱっと思い付けるのは、母親の名前だった。それを潤一は頭から振り払い、チョコ、と言ってみた。
「チョコ?」。少女が目を丸くした。
「じゃあ、ミルク」
「ミルク?」。今度は細くなった。「なんかペットの名前みたい」
「だって思い付いたのっていうから」
「でも、いくらなんだって適当じゃない」
 潤一はため息をつく。「じゃあ、何がいいの。どんな名前で、どんな日記を書いてほしいの。言って、書くから」
「だから」。少女は強い口調で言う。「きみが書きたい日記を書くの。私じゃない」
 潤一は再度深いため息をつく。「じゃあチョコでいいの」
「チョコは、ちょっと。好きだけど」
「……食べたい?」
「え?」
「チョコ」
「あるの?」
「配給でもらったのが、たしか家に一箱あった」
「くれるの?」
「わからない。もし、持って来れたら」
「うん」
「あ、でも暑いから溶けちゃうか」
「そっか」
「クッキーは?」
「クッキーも好き」
「違う、名前」
「もっと女の子っぽいのがいい」
「女の子っぽい」
「うん。じゃあ、宿題ね」
「名前?」
「うん」
 宿題が増えた、と潤一は思う。「お時間でーす」と部屋の入り口で三上が投げやりな調子で声をかける。

 

     *

 

 今日は一人で過ごしていた。雨が降っていた。この部屋には窓がないから、雨は見えないし音も聞こえないけど、雨の匂いは少しだけする。どこからか外の空気が入って来る。目の前には窓枠があるが、この窓枠からではない。これは外にも内にも開かない窓。開かない窓。ガラスはない。純粋な窓枠。窓枠の後ろの壁には、ちょうどよい大きさに切り取った黒い紙を貼り付けている。だって壁しか見えない窓なんて、そんな窓の外を眺めるなんて、とんちじゃあるまいし、何かの拷問みたいだ。黒い紙、そこには白の絵の具で星をいくつか置いた。出鱈目な星座を形作る、出鱈目な星。でも星も見飽きてしまった。景色を変えようと思う。今は夏だから、夏みたいな風景がいい。照りつける太陽と青い海、白い雲、みたいなの。青の絵の具と水色の絵の具、白の絵の具。あと赤。明日は絵を描こう。

 

     *

 

 潤一のリュックサックは重かった。図書館で借りた本が三冊入っていたからだ。
 久しぶりに図書館へ行くのは、久しぶりに学校へ行くのと気持ちとしてはほとんど変わらなかった。誰かが自分のことを見て、噂をしているような気がした。自動ドアが開き、直進すると対面する受付カウンターの中には、母親くらいの年頃の女性ばかりがいて、その前に列を作って待っている人々もいて、皆忙しそうに仕事をしていた。
 図書館はあまり冷房が効いていなくて暑かった。冷気に身体を包まれる感覚を想像していたので、がっかりする。潤一の汗が再び我が物顔に勢いを増してくる。それでも外よりはましだ。
本が好きな人はこんなにたくさんいるのか、と潤一がいぶかしがるくらい、想像以上に図書館は混み合っていた。一人掛けの椅子もベンチも、大きな長机の椅子も、どれもほぼ埋まっている。館内の案内図の間で潤一は立ち止まり、書架の位置を確認すると、「人間文学」の棚を目指した。

 

     *

 

 今日は図書館へ行った。友達に頼まれて本を借りに行ったが、図書館には本が多く、どれを借りればいいのかさっぱりわからなかった。受付の人に相談すればいいのかもしれないが、混んでいたのでやめた。結局、なんとなく聞き覚えのあるタイトルの三冊を借りた。「レ・ミゼラブル一」、「風と共に去りぬ一」、「ドン・キホーテ一」。

 

     *

 

 今日は図書館へ行った。図書館へ行くのは久しぶりだ。読みたい本はたくさんある。でもこれらの本をすべて読み終えてしまったら、その時はどうすればよいのだろう。もう新しい本は入ってこないそうだ。でも今は考えないことにする。大切に、少しずつ読む。以前に読んだ本をまた借りたりもする。「風と共に去りぬ」は少なくとも三回は読んだ。間隔を空けて再読すると、ストーリーをあまり覚えていなくて、初めて読んだかのように楽しめる。私に記憶力が欠けていて幸いしている。いっそのこと、記憶なんてまるきりなければいいのかもしれない。すべて忘れてしまえれば。毎日が、新しい一日の始まりであるように。見知らぬ白い一頁であるように。でも、それならばなぜ私は日記なんてつけているのだろうか。

 

     *

 

「潤一くんは読まないの?」。潤一から手渡された本をぱらぱらとめくりながら、少女が尋ねる。
「何を?」
「小説」
 潤一はしばし考える。「まったく読まないわけじゃないけど。読書感想文の宿題もあるし」
「読書感想文?」
「本を読んで、その感想を書くんだ。原稿用紙に何枚も」
「潤一くんは何の本を読むの?」
「課題図書が何冊かあって、その中から選ぶ。どれもつまらなそうな本。大人が読ませたい本。伝記とか。どういう感想を抱くべきかも透けて見えるから、そのシナリオ通りにそれっぽいことを書くだけ。伝記が一番楽かな。自分の行動と比較して、自分を卑下して相手を持ち上げればそれで一丁上がり」
「日記とは違うんだね」
「日記?」
「日記だって、大人が喜びそうなことを書くことはできるじゃない。先生がいい点数をつけてくれそうな、模範的な日記」
「いい点数……」
「考えなかったの?」。少女は大きな目をさらに見開くので、こぼれ落ちてきそうだと潤一は思う。
「うん。日記っていうのは、本来、その日にあった出来事や感じたことをそのままに記すものだし……」
「私に真っ向から反論しているわけね」
「いや、そういうつもりじゃないんだけど……」。潤一はしばし自分の日記帳を眺める。「そうだね、理想的な読書感想文を書けるなら、理想的な日記を書けばいい。……でも、すぐに嘘だって先生にばれちゃうよ。僕はそんな理想的な生徒じゃないし、そんな行動をとりそうにないもん」
「嘘とか正しいとかなんてないよ。その人が生きたしるし、それが日記でしょ」
「しるし」
「そうだよ」
「でも実際には」
「何」
「ううん」。潤一は小さく首を振る。
 書くことがない日記。内容のない自分の日記。それが自分の生きたしるしということだとしたら、自分は生きていないみたいだと潤一は感じる。その感覚は今に始まったことではない。
「ねえ、きみの日記は、」
「私、日記は人に見せない主義なの」。少女の返答は速い。
「そうだったね」。潤一は苦笑する。
 少女は別の本に手を伸ばす。「ねぇ、外に出たくはないの」。潤一は尋ねてみる。
「外」。少女の手が止まる。
「うん」
「外って、何だろう」
「何って……。この部屋の外。地下室の外。博物館の外」
「この島の外。この国の外。この星の外?」
「ええと……」。少女の目はどこを見ているのかわからない、と潤一は感じる。
「そうね、出たいよ、もちろん。でも」。少女の言葉はそこで止まる。「潤一くんは、外の何が好き?」
「何が……。何だろう。この博物館は好きだよ」
「それって、私にとって外じゃないよね」
「僕にとっては外なんだ」
「私はどこにも行けない。でももし行けるんなら、海に行きたい」
「海に行っても、何もないよ」
「行ったことあるの」
「ないけど」
「ほら」。少女は生意気そうな顔を向ける。
「砂浜に座って、潮風を浴びながら、ただ海を眺めていたいの。生暖かい風が髪を揺らし、遠くでかもめが飛んでいて、私の近くではやどかりが、どこかへ行こうと歩いてる」
 砂浜なんて今はないよ、とは潤一は言えない。

 

     *

 

 砂浜にはいろいろな物が落ちていた。白や灰色の小さな貝殻、ときどき、薄紅色の綺麗な貝殻。綺麗なのはいくつか拾って、ポケットに入れた。今は机の上にある。あとは、ガラスの破片。透明のや緑や青。茶色。角が取れて丸くなっている。割れる前は何だったんだろう。大小さまざまの、白い骨。特に大きいのは私の後ろにあり、私はそれに寄り掛かっていた。それは単体の骨ではなく、大きな骨格の一部だった。骨と骨とがばらばらになる前の。それはなだらかに湾曲した骨たちで構成されていた。あばら骨かもしれない。あばら骨たちは等しくカーブを描きながら、何かを包むような形を保っていた。その空間には、今はもうなにもない。でも守り続けていた。

 

     *

 

 


2ページ

 博物館へ向かう道のりの最後は、急な下り道だった。潤一の自宅から向かう道のりの最後も、また、反対側から博物館へ向かう場合の道の最後も、同様に下り坂だった。博物館は谷底に鎮座していた。博物館はどの鉄道の駅からもほぼ平等に距離があり、不便な立地と展示の魅力の乏しさから、稀に小学生や中学生の団体が校外学習で訪れる他は、来訪者は少なかった。
 博物館の前にはバス停があり、鉄道の最寄駅のひとつから、一時間に一本の間隔で市営バスが出ていた。停留所の名前は「博物館前」。バス停には背もたれのない古い木の腰かけが備え付けられていたが、そこに腰を下ろしてバスを待つ乗客の姿を潤一が見かけたことはなかった。
 潤一の自宅を出発してからしばらくは、平坦な道が続く。周囲には潤一が住んでいるのと同じような外観の建物が立ち並んでいる。A棟からF棟までがX地区第一団地で、G等からN棟までが、第二団地だった。第二団地の方が新しく、より高層で、部屋が狭かった。
 潤一と母親が住んでいるのは第一団地のE棟で、昔風の造りの台所とリビングを除いて三部屋ある。それぞれ一部屋ずつを自室とし、残った一番狭い部屋は、物置部屋となっていた。物置部屋。古いピアノ、ピアノ椅子、黄ばんだ本が詰まっている書棚、ほとんど着ない服が入っている衣装箪笥、中に何が入っているのかわからない、埃をたんまり吸い込んでいそうな段ボール箱(幾つも積み上げられている)などが、その部屋の住人だった。
 子供の頃から、四方を家具と箱に囲まれた、この小さな秘密基地に入り浸るのが好きだった。成長してからも、隅に放置されている古くて大きく使い勝手の悪い掃除機の上に腰掛け、書棚から適当な本を出してきては読んだ。母の蔵書を読むこともあったが、潤一の漫画本を読むことの方が多かった。小学生の頃から読んでいた漫画の単行本は、成長してから読んでも、変わらぬ昂揚感と暖かみを潤一に与えてくれた。そこは努力が報われる世界で、友情が眩しく何よりも強い価値を持つ世界だった。
 母親の漫画本や、近いうちに捨てる予定で積まれている(そしてそのまま放置されている)、母親の雑誌も読んだ。彼女の所持する漫画本は、全てが少女向けの恋愛漫画だった。ぱらぱらと読んではみたが、展開がまどろっこしく、潤一の好みではなかった。雑誌の方は頻繁に恋愛に関連する特集が組まれているので、覗き見をしているスリルを味わいながら、そのような個所をピックアップして読んだ。幾種類かある女性誌のうち、最もきわどい恋愛特集を行う雑誌の名前を潤一は覚え、掃除機の上で、熱心に読みふけった。書棚の一角に置かれている、文字盤に数字がないタイプの小さな置き時計が、ちく、たく、と、母親の帰宅する時間が近付きつつあることを告げる。
 潤一は、博物館へ向かうなだらかな下り坂を、軽やかに下って行った。

 

     *

 

 少女のティーカップには、茶色い角砂糖がひとつ添えられている。少女はそれを大事そうに紅茶に落とし、スプーンでかき回す。取っ手を持ち、左手を器に添える。潤一は勢いよく水筒の麦茶を飲む。喉が渇いていたのでひと口飲むごとに、ごくっごくっ、と大きな音が立つ。「すごい音」と少女は笑う。少女は静かに 紅茶を飲み、カップを皿に置く。皿の上のティースプーンが小さく震える。はあっ、と満足そうに息を吐き、「起き抜けの一杯」と少女が言う。
「起き抜け?」
「さっき、ちょっと寝ちゃった」、そう言って、照れ隠しのように薄く笑う。
「まだ午前中だよ」と潤一が言うと、「だって、昨日遅くまで書いてたから」。そう言って、大きく伸びをする。続いてあくびもする。少し遅れて、手を口元に当てはしたが、その大きく開いた口を隠す効果は薄い。
「そんな遅くまで、誰の日記を書いてたの」。潤一は聞いてみる。
「潤一くんの! 読む?」
「あ、いいや……」
「聞いて聞いて。潤一の日記。早くも二冊目突入!」。そう言って、ひとりで満足げに小さく拍手をする。
「よくそんなに書けるね」
「きみのキャラクターって想像力をかき立てるから」。潤一は褒められているのかよくわからない。
「午睡もするの?」
「午睡?」。少女が聞き返す。
「ほらあの、一日の行動のところに、十三時から午睡ってあったから」
「ああ、あれね」。少女は眉間に皺を寄せる。「機械じゃないんだから、あんな決められた通りに動くわけないじゃない」。紅茶をひと口飲む。ごくり、と白い喉が鳴る。「まだ展示されてたときは、あれがスケジュールだったの。寝る時間は、解放された。奥に引っ込んでいられたから」。そう言いながら、いつの間にか椅子の上で体育座りの形をしている。
「奥?」
「奥にもうひと部屋あるのよ。こっちは展示用。こっちみたいに豪華じゃない。ベッドもこんなにふわふわじゃない」。少女はゆっくりと立ち上がってベッドの方へ歩み寄り、ふわっ、とその上へダイブする。長い髪が一瞬宙を舞い、落ちる。少女はベッドの上にうつ伏せになったまましばらく動かない。目をつぶっているのかな、と潤一は思うが、髪に隠れて顔がよく見えない。潤一は少し待つ。
「クッキー持ってきたんだけど」
 少女が勢いよく上体を起こす。

 

     *

 

 今日も海へ行った。今日は夜に。夜の海。暗い海。私の他は誰もいなくて、貝さえ無垢な眠りについていて、波の音だけがただ静かに律儀に繰り返される。音と共に、生暖かい湿った風が、ゆるりと吹いてくる。海のにおいがする。水平線の上の空は、ところどころ雲がかかっているが、月を隠すほどではない。小さな月が出ている。月は満月に近いかたちをしている。満月ではない。それが満ちてくるところなのか、欠けていくところなのか、私にはわからない。わからないので、その日の気分で決める。今日は、満ちてくるところ。あと数日で、満月。ぼんやりと、星たちの中でいちばん明るい星。
 砂浜に腰を下ろした。砂はまだ暖かかった。人肌のように。砂浜に寝ころんでみた。初めは横向きに、海を眺めながら、腕を枕がわりにして。腕や脚が暖かい。次はごろりと仰向けになる。今度は背中とお尻がじんわりと暖かい。思わず目を閉じたくなる。視界から海は消えるけど、音は聞こえる。月は見える。
 ざくっ、ざくっ、と砂を踏みしめる足音が響いてくる。ゆっくりとだんだん近づいてくる。足音の主が誰かは知っているので、そのまま待つ。いつもの少年だった。何してるの、と彼は私を見下ろしながら訊く。月、と私は答える。永遠に満ち欠けを繰り返す、あの小さな星。月なんて見えないよ、と少年は言う。見える、と私は答える。空が霞んでいるから見えづらいだけだ。私はまだ寝そべっている。少年は見えない月光を浴びながら、私のそばに立っている。

 

     *

 

 午後の強烈な日差しを全身で受け、手に持っているハンドタオルで顔や頭や首の汗をぬぐいながら館内に入る。潤一の背後で自動ドアが閉まる。ハンドタオルは、絞れば雑巾のように水が滴り落ちそうだ。帰り道でまた使えるよう、クーラーの風に当てて乾かす必要がある。
 博物館の中は昼間でもいつも少しだけ暗く、涼しい。そしていつも誰もいないみたいに静かだ。入ってすぐの受付で、潤一は慣れた手つきで財布の中から取り出した年間入場券を、係の女性に見せる。頭だけの小さな会釈をし、通り過ぎる。その時、受付の眼鏡をかけた姿勢の悪い中年の女性が、潤一を呼び止める。
「潤一くん。ちょっと待ってて」
 彼女は大儀そうに席を立ち、受付ブースのすぐ背後の扉を開け、どこかに姿を消す。顔見知りではあるが一度も話したこともない人物から、いかにも馴染んだ口調で下の名前で呼ばれたことに、違和感と居心地の悪さを覚える。母親が職場で自分のことを話しているに違いない。息子の名前。年齢。どこにも行かずに博物館に入り浸っているとか、遊ぶ友達もいないとか、そういうことをだ。
 閉ざされた扉を見つめたまま立ち続けている潤一が気配を感じて振り向くと、エントランスの奥から、長身のよく日に焼けた男性が近づいてくるのが見えた。男は低い声で話しかける。
「やあ。潤一くん。はじめまして」
 誰も彼もが潤一を知っているようだ。「はじめまして」。潤一は無表情を維持したまま応える。それは潤一が唯一得意とすることだ。思っていることを顔に出さないこと。男は潤一の母親より少し下くらいの年齢だろうか。彫りが深くくっきりとした顔立ちの男は、白いシャツの第二ボタンまで外していて、顔面と同じく小麦色の肌を覗かせていた。男は笑顔を作る。
「館長の大和です。ちょっとだけ時間、いいかな。悪いね」
「……はい」
 悪そうな様子のまったくない大和に対し、引き続き無表情のままで、潤一は答える。大和は潤一を見下ろしたまま、少しの間、潤一のことを眺めている。再び微笑み直すと、じゃ、こっちに、と言い、ゆったりとした速度で館内の奥へ歩いて行った。大和は自然な調子で歩く。潤一は広い背中を目で追いながら、少し距離を空けてからついて行く。
 正面の大階段の脇を過ぎ、右に折れて暗く細い廊下を進む。廊下の奥には職員の事務室があるのを知っている。事務室の入り口の扉は開け放たれたままで、光が漏れているが、そこまで行きつかぬうちに、大和は別の扉の前で立ち止まり、きいいいい、という高い音と共に扉を内に開く。「どうぞ。入って」
 立方体に近い形の、小さな応接間だった。窓がないので、余計に狭苦しい印象を与えた。黒い革張りのソファが二脚、その間に置かれているローテーブルは天板だけがガラスだった。ガラスの灰皿も置かれていた。左手の壁にはポスターが一枚貼られている。博物館の既に終了した企画展の広報ポスターだ。何年も前のものだ。その隣には、市の発行したカレンダー。暦の下に黒く太い文字で、「S市 安全と安心と市民と共に」のスローガンが印刷されている。七月と八月の頁に画鋲で固定されている。潤一は無意識的に八月の今日の日付を探す。どうも違和感を感じた後、こちらも数年前のものであることに気付く。
「ああ、うちの博物館だよ」。潤一の視線をたどり、大和が解説をする。カレンダーの写真は、言われてみれば確かにこの博物館の外観だった。お前のじゃないだろう、潤一は心の中で呟く。
 博物館を正面から捉えた写真は、とてもよく撮れていた。開館当時の写真かもしれない。真新しい博物館は、完全に左右対称の形をしていて、二階建ての中央の建物に、左右の細長い塔のような形状の建物が、一階と二階部分の計四本の渡り廊下で連結していた。子供の頃、潤一は、有事の際には中央棟の屋根が大きく開き、中から密かに建造されていた巨大ロボットが片手を天に掲げた姿勢で、建物内から出撃していく様子を何度も想像した。ごごごごご、と凄まじい音を立てて、足裏から白い煙を絶え間なく噴射しながら、中空に浮かび上がる。その様子は神話の中の一シーンのように神々しく、潤一は、ロボットのパイロットに選出された、世界でただ一人の特別な少年だった。
「座って」
 大和の言葉で潤一の妄想は中断される。反射的に、失礼します、と断ってから、潤一はぎこちなく腰を下ろす。まるで生徒指導室に呼び出された学生みたいだ、と潤一は思う。コックピットではない。大和は少し微笑む。笑うな。潤一は思う。
「夏休みはいつまで?」。潤一の正面に大和が腰掛ける。
「元々は八月三十一日です。でもこの間おしらせが来て、二週間延長されるとのことでした」
「へぇ。いいなあ。学生はいいよな、僕のところにもそんなおしらせが来ないかな」。大和は脚を組んで朗らかに話す。「そもそも、夏休み自体今年は取れないんだよね。嫌になっちゃうよ」
「お仕事、忙しいんですか」。特に考えずに口にしてから、愚かな質問だと潤一は思う。母親がこの職場で働いているのだから、その繁忙度合いは潤一だってなんとなくわかっている。近頃は残業が多い。
「そうだねぇ。最近ちょっとバタバタしていてさ」。意に介さない様子で大和は答える。
「あ、母がいつもお世話になっています」。そう言って潤一は慌てて頭を下げる。
「いえいえ、こちらこそ、なつみさんにはいつもお世話になっております」。笑いながら、大和も潤一にならう。名前で呼ぶな。潤一は思う。「礼儀正しいんだねぇ。しっかりしてるね」。大和はまだ笑みを浮かべている。
「閉館の話は聞いてる?」
「え?」
「あれ、まだ聞いてなかった? ここ、閉館することになったんだ」。何気ない口調で大和は話す。
「え。何で。いつですか」
「今月いっぱいで」
「すぐじゃないですか」
「そうなんだよ。僕たちもとても残念なんだけど、上の決定だからね」
 潤一は言葉が出ない。
「まぁ、こういうご時勢だからね。来場者は少ないし、予算も人員も年々削減されてきたし、いつかは潰されるかもしれないと思っていたけど、実際にお達しが来てみるとやっぱり、うーん、ショックだよね。無くなってしまうなんて」
 ショック。そんな単純な言葉で片付けないでくれ、と潤一は思う。無くなってしまう。あの少女も?
「あの。ええと。……ええと」。感情が渋滞を起こして喉から出てこない。一列に綺麗に並んで出てきてはくれない。そんな潤一に大和はすまなそうに声をかける。
「潤一くんには申し訳なく思ってるよ。足繁く通ってくれていたしね。こんな結果になってしまって。でもしょうがないね。職員の再就職先については、我々もできる限りのことはするから……」
 しょうがないね、が潤一の頭蓋骨の中でこだまする。少女はどうなるのだろう。「あの子はどうなるんですか」。潤一は口に出してしまう。しまった、と思うが遅い。
「あの子」。大和は復唱する。短く整えられたあごひげを触りながら。「あの子って、誰のことかな」
「彼女もしょうがないで済まされるんですか。人の命もしょうがないんですか」
 大和はソファにもたれ、脚を広げて座っている。腿の上で長い指がピアノを弾くようにかたかたと動く。指までよく日に焼けている。左手の薬指には輝きを失った銀色の細い指輪がはめられている。母親の薬指にはない指輪だ。
「あの子ね。……潤一くん、きみとは一度ゆっくり話をしなければとは思ってはいたんだ」。そう言って、ソファに浅く座り直す。「ただ、今も言ったように、もうすぐ閉館するさだめの我が博物館だ。きみが彼女と会っていることに気付いているのは、職員の一部だけだ。僕たちの異動先のこともあるし、今、事を大きくして上の耳に入れるのは得策ではないだろう。おそらく、受験を控えている潤一くんにとってもね。だから、きみの行為には目をつぶっていようかとも思っていたんだ。どうせもう、あと少しの期間だしね」
 大和は一旦間を置く。
「聞いてみたいこともあったんだけどね。潤一くんはどうやってあの扉を開けたの?」
「開けたというか……最初から開いていましたよ。不用心だと思いますよ。入られる方にも落ち度があるんじゃないですか」
 大和は苦笑する。「そんなはずはないんだよ。館内の扉の鍵は全てオートロックだ。扉の横には操作盤が付いていて、カードキーを通すか、4桁の暗証番号を打ち込まないと開かない」
「操作盤?」。潤一は記憶を手繰り寄せる。「地下室への扉にはそんなのは付いてませんよ」
「付いてるよ。全ての扉に付いてるんだよ。だからカードキーを持っているか、暗証番号を知らないと、『あの子』のところには行けないんだよ。だからどうやって開けたのかって聞いているんだよ」
 潤一は口をつむぐ。
「職員証の裏面がカードキーになっている。でも職員の誰かがカードを貸すとは考えづらいし、スペアのカードは事務所で保管している。つまり暗証番号で開けてるということだよね。誰かから聞いたのかな」
「聞いてません。知りません」
「そう言うだろうね」
 潤一は大和をじっと見据えている。大和はその視線をよく切れる笑顔でカットする。「いいんだよ。大丈夫だから。さっきも言ったように、僕は事を荒げるつもりは全くないんだ。今ごたごたを起こしたくはないんだよ。だから、もし三上くんがきみに暗証番号を教えたからといって、彼のことを報告して処分するつもりはないことも、言っておくからね。そこは安心してくれていいよ。すぐに代わりの人員が配置されるわけではないし、今のところは何か被害を被ったわけでもないしね」
 大和は一息つく。「ただ、不思議だったんだ。三上くんは勤務中はずっと地下に籠っていて、これまでにきみと接触している様子はなかった。だけど潤一くんは、カメラの映像を見る限り、ある時期からほぼ毎日、地下室へ下りていき、一定の時間を過ごしてから地上に戻ってくる」
「……監視カメラがあるんですか」
「防犯カメラね」。大和が訂正する。そんなものがあったとは潤一は知らなかったが、設置されていてもおかしくはないとも思う。
「僕が立ち入り禁止の地下室へ下りていく様子が、監視カメラに映っているんですか」
「正確には、扉を開けるところと下りていくところは、映っていない。カメラの位置の関係で、あいにくあの扉は映らないんだ。奥の方へ廊下を歩いて行くきみ、また廊下を戻ってくるきみが映っている。でも、あの廊下の先には地下への階段しかないからね」。大和は口元だけで微笑む。
「地下室へ入ったことは謝ります。すみませんでした。でも本当に鍵はかかっていないんです。いつも。壊れているんじゃないですか」
 扉が直れば、もう地下室へは行けないのだろうか。潤一は思う。大和の視線を額で感じる。「ここが閉館したら、彼女は……展示品は、どうなるんですか」
「希望する博物館があれば、そちらへ寄贈される。もしくは研究室か。組織内で引き取り先が出ない場合は、オークションにかけられる」
「オークション」
「マニアが高値で買い取るケースも多い。もちろん、一般には解放されていないオークションだよ。いずれにせよ、まだわからないね。上からのお達し待ちというところだ」
 潤一は黙り込む。大和もしばらく口をつぐみ、再び喋り出す。「というわけで、状況はわかってくれたかな。今後はもう地下へは行かないでもらいたい。悪いね。もちろん、博物館へは今まで通り自由に遊びに来てくれていいよ。いつでも歓迎するから」。そう言って、しめくくりにビジネス用らしい笑顔を作る。潤一はその顔から眼を反らす。大和は腿の上で指を組んでいる。薄暗い小部屋の中で、くすんだシルバーの指輪は輝かない。指は長く、節ばっていて、潤一は自分の白く細い指のことを思う。母親譲りの、関節が目立たずすべらかで、女の指みたいな自分の指。
「あの。挨拶をしていいですか。あの子と、三上さんに。僕、夏休みの宿題を手伝ってもらっているんです。ちゃんとお礼も言いたいので」。大和の目を見据え、潤一は声に出す。
 大和は驚いたような表情を浮かべる。「いいよ。夏休みの宿題?」
「夏休みの日記です。大丈夫です。地下室のことや、彼女のことは書いていません。当たり障りのないことだけです」
「そう。……じゃあ、今日の日記にはどんなことを書くの?」。潤一は少し間を置く。
「……わかりません。僕は日記を書くのが苦手なんです。毎日、書くようなことは何も起こらない。昨日と今日の間に何の変化もない。でも、最近はそうじゃなかった」
 大和は潤一の次の言葉を待っている。しばらく経ってから、
「彼女、本物そっくりでしょ」と大和は満足そうに言う。
「僕、本物を見たことがないんで」
「そうか」。彼は笑う。「昔はここでも本物を展示していたんだけどね。と言っても、僕が赴任してくるよりずっと前のことだけど」
「本物の人間をどこかで見たことがあるんですか」
大和はじっと少年を見つめる。「おじさんくらい長く生きているとね」
「本物と彼女はどこが違うんですか」
「違わないよ。レプリカだから」。大和はそう言い、口角だけをわずかに上げる。
「そうですか」
「そうだよ」

 

     *

 

 ここから出して。いつもそう思っていた。でも、本当に出たいのかはわからない。出てどうしたらいいのかもわからない。お金もない。IDカードもない。配給も受けられない。薬だって、飲まないといけない。飲まないとどうなるんだろう。死んでしまうんだろうか。寿命が短くなるのだろうか。それはいけないことなのか? それは悲しいことなのか? どこか痛くなったりするのかな。それは嫌だな。

 

     *

 

 潤一は応接室を出て、来た道を戻り、博物館のエントランスを床だけを見ながら横切る。反対側の廊下を進む。そこには小さな休憩スペースがある。飲み物の自動販売機と(いつも何かしらの品が売り切れになっている)、四種類の分別ごみ箱と、ベンチがいくつか並んでいる。通り過ぎる。
 廊下の両側の壁には窓が並んでいる。晴れた日はよく日が差してくる。今は薄暗いわけは、地下室と同じように天井の蛍光灯が間引きされているのと、外が急に陰ってきたからだ。一雨来るのかもしれない。潤一のリュックサックには黒い折り畳み傘が入っている。小さな丸い缶入りのクッキーも入っている。麦茶を詰めた細いステンレスの水筒も入っている。それらはぶつかり合い、音を立てる。どこかでカメラの単眼が、潤一を静かに見下ろしている。
 廊下を進み切ると、突き当りの手前の右の壁に、地下室への扉がある。扉の左横の壁には、小さな操作盤が付いていた。
操作盤。潤一はまじまじと操作盤を見つめた。1から0までの数字のボタン、Cボタン、Eボタンが並んでいて、右側にはカードを通すスリットが付いている。操作盤はこの博物館と同様に、真新しいわけではないが、古く薄汚れているわけでもない。それは博物館の少し灰色がかかったざらざらした白い壁に、しっくりと馴染んでいる。潤一は立ちすくむ。きみはどうやってこの扉を開けているのか? 廊下は更に暗くなってくる。どこからともなく、雨のにおいが漂ってくる。重い湿気のにおい。潤一の首の後ろを汗がたらりと伝い落ちてゆく。
 この世界には開けてはいけない扉がある、三上のその言葉をふと思い出しながら、潤一はドアノブを掴み、ゆっくりと右に回す。

 

     *

 

 三上さんが青い絵の具を持って来てくれるはずだったのに、青は品切れだったと言われた。青がないなんて、信じられない。赤と白と黄色と緑だけ。あと黒。それで何を書けというのか。黄色い空に赤い海? それとも緑の方が斬新? 黒い空、黒い海。絵を描く気が失せた。何もする気がしない。日記を書き始めては、気が乗らず、頁を破った。今日は空気が湿っている気がする。こういう日は頭が痛い。どこからともなく、雨のにおいが入ってくる。こんな日に限って、潤一も来ない。全然来ない。つまらない。前はそれが当たり前だったのに。毎日一人だったのに。頭が痛い。痛い。もう嫌だ。もういや

 

     *

 

 ノブはあっけなく素直に回り、手前に引くと重い手応えと共に鉄の扉がゆっくりと開いた。下りの階段が見える。なんだ開くじゃないかと、潤一は拍子抜けする。やっぱり鍵なんてかかっていないじゃないか。潤一は手すりに手を添えながら、暗い階段を下り始める。背後で、潤一の手を離れた扉がゆっくりと元の位置へ帰っていき、階段はますます暗くなっていき、最後にずしん、と大きな音を立てて閉まる。
 潤一は完全な暗闇の中で静止する。何も見えなかった。階段も、自分の足も。頭上に蛍光灯の明かりがあるはずだが。電球が切れたのか、もしくは停電か。電球が全て消えているということは、停電かもしれない。予定外の停電はまれに起きるが、よりによって地下の階段を下りている最中に起きなくたって――潤一は左足を階段の下の段に下ろしている状態で、右足は上の段に置いたまま、そして右手で手すりを持っている。それはひどく不安定な体勢のように感じられ、自分の足が確かに階段の上に乗っているという確証が持てなくなった。身体がまっすぐに立っているようには思えなかった。バランスを失い、体はもつれ、傾き倒れ、頭から闇の中へ落下していくような、今そうなっている最中のような気がした。頭が下で、足が上にあるようだ。底の深いプールに飛び込みをしたみたいに、どこまでも深く、進み、落ちて、進み、進むごとに遠ざかる。その時、録音された音声のアナウンスが大きな音量で続けざまに流れた。
「電源が入りました」
「電源が入りました」
「電源が入りました」
 そしてそれは沈黙した。暗闇の中へ還っていった。

 

     *

 

 さっき警報が鳴った。いつもの訓練の避難警報だ。避難してくださいと言われたって、どこへ行けばよいのかわからない。安全な場所なんて、どこにもないからだ。ここしかないのだ。どこにも行けないのだ。いつか、本物の警報が鳴るのかもしれない。警報が鳴るたびに、今度こそ本物かもしれないと思って、びくっとしてしまう。気が弱いと思う。

 

     *

 

 けたたましくサイレンが鳴り響き、潤一の体がびくっと震える。
「C級警報発令、C級警報発令。直ちに避難場所へ避難してください。これは訓練ではありません。繰り返します、これは訓練ではありません」
 鋭い声のアナウンスが流れる。潤一は頭を持ち上げる。蛍光灯が何度か瞬き、点灯した。薄い明かりに晒された潤一は、両手で階段の手すりにすがりつくようにもたれている。腰が引けている。アナウンスが再び最初から繰り返される。
「……これは訓練ではありません。繰り返します、これは訓練ではありません」
 この文言は初めて聞いた、と潤一は思う。サイレンはけたたましく鳴り続けている。C級警報の意味するところは知っている。直ちに第一避難場所へ、この博物館の場合はエントランスへ、避難しなければならない。しかし潤一の脚はすぐには動かなかった。少女はどうしているのだろう。
 しばらく待っていても、それ以上の情報は得られなかった。アナウンスは沈黙し、サイレンだけが一瞬も途切れることなく鳴り響いている。下り階段の正面の壁には、例の節電ポスターが貼られているのが見える。的を外している標語だ。今は節電どころじゃないはずだ。
 潤一は考える。地下室の出入口はこの階段のみだ。少女と三上が避難してくるのならば、ここで待っていれば必ず出会うはずだと潤一は思う。潤一は階段を下まで降り、暗く長い廊下の先を見る。しばらく待つが、二人の姿は見えない。何をもたもたしているのだろう。避難行動は迅速にしなければならないのだ。学校では何度も訓練をやらされている。
 サイレンがうるさい。少女は本当に避難してくるのだろうか? という疑問が頭をよぎる。まさか、いくら展示品だからって、展示室に留まっていなければならないなんて、あるはずがない。だって彼女は――生きているんだ。
 潤一は廊下を展示室目がけて駆け出す。サイレンの音圧が背中を押してくれる。いや、それは正面から潤一の侵入を阻んでいるのかもしれない。気ばかり焦るのに、潤一の手足は彼の意思が望む速度で動かない。順路の標識が、潤一の前と後ろを同時に指し示す。
 少女は閉館のことを知っているのだろうか、と潤一は考える。知らないような気がする。知っているようにも思える。三上さんは知っているのだろう。その日が間近に迫っているのに、職員が知らされていないはずはない。母親だって知っていたはずだ。僕に言わなかっただけだ。自分だけが蚊帳の外に置かれているようで、不快になる。響き渡るサイレンの音があまりにもうるさいので、不快感に拍車がかかる。サイレンは途切れることなく鳴り続けている。もうわかったから、誰か止めて欲しい。大和が止めればいいのだ。狭い廊下で音が反響し、頭がおかしくなりそうだと思う。これだけの大音量で鳴らし続けることで目減りしていく貴重な電力のことを思う。潤一は学校の二十五メートルプールのことを連想する。少しずつ、でも確実に減っていく水位。郊外にある巨大なダムでもいい。今年の夏は水不足が懸念され、夏の初めにニュースでそう言っていた。学校のプールは、端から中央に向けて深くなっており、途中から潤一の身長では足が底に付かなくなる。泳ぎ始めたら最後、二十五メートル近くを泳ぎ切らなくてはならない。途中で疲れ果ても、立ち止まることは許されない。それを思うと水泳の授業はちょっとした恐怖だった。僕の背も足りない。度胸もない。僕は足りないものだらけだと潤一は思う。逆に、僕が十分に満たされているものって何があるのだ? 水筒の中のお茶。二十五メートルのプール。

 

 この廊下はこんなに長かったかな、と思う。走りながらふと、潤一は気付く。これはむしろチャンスなのではないかと。本物の避難警報が鳴っているのだから、地上へ避難するという大義名分が出来たことになる。三上さんは博物館職員として、貴重な所蔵品を保護した、とかなんとか、そういうことだ。少女は生まれて初めて外に――と言っても、まだ博物館の敷地内ではあるけれど――出られるのだ。
 少女は地上に出ることをどう思うのだろう? 喜ぶのか? 不安がるのか? どさくさに紛れてそのまま逃走したらどうだろう? 僕と一緒に。行くあてなんてないけれど。三上さんも仲間に入れてあげよう。少女の健康状態を保つには、彼の医療技術が必要かもしれない。そうだ、彼の自宅に匿えばいい。僕はそこへ彼女に毎日会いに行く――。
 廊下はようやく左に折れ、がらんどうの展示室へ出る。潤一は息を大きく切らせている。少女と三上はまだ姿を見せない。遅い。今頃は避難場所で大和が点呼を取っているのではないか、と潤一は思う。職員たちは、潤一の姿がないことに気付く。母親が心配するだろう。でも、すぐに戻るから、と潤一は思う。アーチ型の壁の穴をくぐり抜け、少女の部屋の間に出る。そこにも誰もいない。寝室の箱にも、食堂の箱にも、浴室の箱にも。机の上には、数冊のノートが散らばっている。前日同様。少女はどこだ?
 潤一は三上の部屋へ向かう。心臓が波打ち、額にも首にも脇にも身体中に汗をかいている。「PRIVATE」のプレートが貼られている扉を眺める。ドアの左にはオートロックの操作盤が付いている。潤一はノブを掴み、ドアを開く。ドアは開く。
 部屋の中は、空き巣にでも入られた後かのように、雑然としていた。キャビネットの多くは扉が開け放たれたままで、中の書物やファイルは斜めになったり横倒しになったりしている。棚には隙間が目立つ。「薬品」と書かれた深い引出は、中が空になっている。机の上には文房具や書類などが散らばり、口の空いた段ボール箱が置かれている。箱はいくつも床の下にも置かれ、積まれ、道を塞いでいる。紐で結わえられたままの、まだ組み立てられていない状態の段ボールの束も壁に立て掛けられている。人の姿はない。
 この光景は、三上が引越しの準備を始めたということだろうか。三上と少女はなぜいないのだろう。潤一が来るより前、サイレンが鳴るより前に、二人は地上へ出たのだろうか。でもなぜそんなことを? 潤一は眉間に皺を寄せたまま、立ち尽くしている。机の上の、まだ封が閉じていない段ボール箱には、同じ大きさの紙製のファイルが何冊も入っている。背表紙にはどれも「飼育日誌」と三上の字で書かれていて、この箱にはNo.1から12までが収められている。「飼育日誌No.1」を潤一は抜き出し、ぱらぱらとめくってみる。

 

○月×日(水)
体温(朝): 三十五度二分  体温(夕): 三十五度四分
健康状態: やはり体温が低いが昨日よりは少し上がる。この地下室が寒いせいもあると思われ、館長へ頼み、今後地下の空調の設定温度を一度上げてもらえることになった。冬用の上着も調達してもらう約束を取り付ける。食欲がなくあまり食べない。施設にいた頃から食は細かったと聞いていたが、連日これでは身体の維持に必要なカロリーを満たせない。食事内容に検討の必要あり。ストレスを感じると頭を掻きむしる癖があり、頭皮が傷だらけで痛々しい。かさぶたが出来てもまたすぐに取れてしまう。掃除をしてもすぐに床がかさぶただらけになる。とりあえず頭皮に軟膏を塗り、爪を短く切った。こちらも対応及び投薬内容に検討の必要あり。(別途報告します)対応としてさしあたり思いつくのはミトンの着用。
精神状態: 非常に不安定。
特記事項: 特になし
確認: (大和、と丸い判子が押されている)

 

 どの頁も、三上の均整のとれた丁寧な字でぎっしりと書き込まれていた。潤一は次々に頁をめくっていった。少女は次第に食事をとるようになる。頭の傷が治らないので、髪を短く刈り上げられる。薬が塗りやすくなった、と三上。徐々に少女は口をきくようになる。初めて「三上さん」と名前を呼ばれた日のことを、三上は感情を交えずに淡々と、しかし詳細に書き残している。力強い字体だ。少女は部屋の本を読むようになる。紙とペンを欲しがるので備品のノートなどを渡すと、毎日黙々と何かを書き付けるようになる。徐々に体重が増え、十四歳の少女らしい体型になる。髪が肩に付くくらいまで伸びる。
 ふと潤一は我に返る。こんなことをしている場合ではない。少女を探さないと、振り返ると、部屋の入り口に少女が立って潤一を見ていた。潤一は慌てて日誌を閉じる。
「どこにいたの」。サイレンと張り合う大きな声で言い、潤一は少女の元へ駆け寄る。
「忘れ物しちゃって」。少女は立ち止まったまま、いつもと変わらない声で話す。
「何を忘れたの」
「わたし」
 少女の大きな瞳が真っ直ぐに少年を貫く。
「え」
「取りに行ってくる」。少女は開いたままのドアから立ち去ろうとする。
「でも、避難しないと」。さっきまで日誌を読みふけっていた自分が言っても説得力がないと潤一は思いながらも。「警報が出たんだよ。危ないよ。一緒に上に行こう。終わってから、また後で来ればいいから。三上さんは?」
「三上さんは、上」。肩越しに潤一の方を振り返り、少女は答える。
「三上さんも心配してるよ。一旦逃げよう」
 少女は潤一の声が聞こえないかのように、静かな足取りで自室の方へ歩く。「ねえ」。少女は箱に入り、机に向かい、いつものように椅子に腰掛ける。机に向かったまま、「ごめんなさいね、この部屋には私の椅子しかないの」と言う。机の上に積まれたノートの中から一冊を抜き取り、ぱららら、とめくり始める。
「行こうよ。逃げよう。……じゃあ日記帳を持っていこうよ。この辺のでいい?」
 潤一は返事を待たずに机の上に散らばったノートを急いでかき集める。集めたそばから少女は乱暴にノートを奪い取る。ノートの数が多いので、少女は両手で抱きかかえるように持つが、ぱらぱらと床に落ちる。少女がそれを拾おうと身をかがめると、また落ちる。
「僕も持つよ」。潤一は落ちた数冊を拾い、これで全部? と尋ねる。少女は首を振り、本棚を見る。本棚の一角には、確かにノートと思われる薄い背表紙の冊子がずらりと並んでいる。棚の二列ほどを占めている。「あれ全部?」。少女はうなずく。
 潤一は数冊ずつ纏めて抜き出していく。ふと床を見ると、色あせたステッカーが何枚も貼られた、古めかしい旅行用トランクが転がっているのに気付き、それを開き急いで中にノートを詰めていく。少女が抱えていた分も入れる。すべてのノートが収まる。最後にトランクを閉め、二か所の留め金をぱちんぱちんと掛ける。「よし」、持ち上げると、予想していたよりずっと重い。
「私が持つ」。少女が手を出す。
「いいから」「でも」「早く行かないと」「どこに行くの?」「とりあえず、上に」

 

     *

 

 何の前触れもなく警報が鳴り、友人と一緒に避難をした。彼の保護者は近くにいなかったので、二人で避難場所へ向かった。彼はこのような状況に慣れていないようだったので、僕が先導した。慌てている僕に対し、彼は不思議なほど落ち着いていた。彼の鞄を持ってやった。何が入っているのか、とても重かった。

 

     *

 

 廊下まで出ると、まるで待っていたかのように、再び停電する。同時にサイレンも止まる。
 ほんの小さく、辺りが振動し始める。機械から出るような、ぶーん、という微かな音がどこからか響いてくる。何も見えないので、どこから聞こえてくるのかわからない。足元からのような気もする。天井からのような気もする。壁の中からもしれない。音は続いている。潤一は壁につかまりたくて、四方へ手を伸ばす。何にも触れない。両腕を前に突き出して、あちらへ数歩、向きを変えてこちらへ数歩、と歩いてみる。狭い廊下なのになぜ一向に手が壁に触れないのか。ここはどこなのか。「大丈夫?」。少女へ尋ねるが返事はない。
 ちかちか、と少し瞬いてから明かりが点く。天井の蛍光灯ではなく、足元の非常灯だ。ぼんやりとした淡い明かりが、等間隔に廊下の先の階段まで導いている。潤一は廊下の壁に向かい、肘を曲げカマキリのような恰好をして立っている。潤一は少女がいないことに気付く。トランクもない。潤一は呆然と辺りを見渡す。少女の名前を大声で叫びたいが、そういえばまだ名前がないことに気付く。宿題、と言われていたのに。潤一は少女が日記をつけていた少女たちの名前を思い出そうとする。何だったか、アリカとか、トゥーリルとか。しかしそれらの名前で少女を呼ぶことには抵抗があった。

 

     *

 

 ちかちか、と少し瞬いてから明かりが点く。サイレンの音は止んでいたことに気が付いた。いつからだったのかはわからない。少女と三上さんを見失ってしまった。僕は一人途方に暮れる。既にもう地上に出てしまっているのだろうか。どこかに僕の知らない通路があるのかもしれないと思い当たった。少女は、奥にもうひと部屋あると言っていた。地図に書かれていない場所。だいたい、この地下室自体、館内図に載っていなかったのだ。ここは存在していない場所なのだ。
 でも、もしもう彼らがここにいないのだとしたら、避難指示を破って一人で地下室で右往左往している自分が愚かで惨めなものに思えてくる。サイレンが止まったということは、避難警報は解除されたのだろうか? その場合は解除を知らせるアナウンスがあるはずだが。とりあえず、一旦地上へ上がろう、もしかすると少女も上で心配しているかもしれない。既に安全な場所で、毛布にくるまって、暖かいミルクでも飲んでいるのかもしれない。
 主のいない書斎は寒々しく見えた。卓上ランプが付けっぱなしなので、節電、と呟いた。サイレンは沈黙を続けている。うるさいサイレンも嫌だったが、誰もいない空間で一人きりで、あまりに静かすぎるのも嫌だった。広い展示室に僕一人。今度は僕が展示品になってしまったりして、などと取り留めのないことを考えながら広間を出て、念のためにもう一度三上さんの部屋を覗き、仕方がないので廊下へ戻った。時間を無駄にしたのかもしれない。僕の他には、もう誰もいないのかもしれない。

 

    *

 

 廊下の終端の天井近くには、緑色の明かりが見える。そこには走る姿の絵と共に、「非常口」と書かれている。階段の下まで来ると、踊り場に少女がいるのが見えた。手すりに手を置き、階段の上を見上げている。
「なんでいなくなるの!」
 潤一は思わず声を荒げてしまう。少女は潤一に気付き、私はいなくなっていないと答える。
「私は出られない。潤一だけ逃げて。でもきみの日記を書き続けてあげる」
「何言ってるんだよ。死んじゃったら日記なんて意味ないだろ。とりあえず早くここから出ようよ。外で何が起きているのか知らないと」
「もう大丈夫。ほら」
 少女は、しーっとするように、人差し指を唇の前に当てる。ぶーん、という小さな音が聞こえる。「静かでしょ。ここはいつも静か」
 少女は階段に腰を下ろし、胸に抱えていた一冊のノートを開く。潤一の目に一瞬映ったノートの表紙には、「潤一の日記 No.■」(読み取れなかった)と記されていた。少女は悠々とペンを走らせる。

 

     *

 

 僕は彼の手を取って一緒に逃げたかった。でも彼はその場に座り込み、動かなくなった。脚が急に動かなくなってしまったかのようだった。よりによって、保護者の人は全然姿を見せなかった。僕がなんとかしてあげなければ、と思ったが、何もできなかった。辺りは微かな振動を続けていて、この後何が起きるのだろうという恐怖が僕に付きまとい始めた。避難訓練の一環で見せられたビデオ教材の映像が頭を過ぎった。炎に包まれる町並み。逃げ惑う人々。博物館の入り口の巨大な絵も脳裏に浮かんだ。僕があの中の一人であるような気がした。僕は行き場のない苦悩の中にいて、誰かがその様子を鑑賞しているのだ。
 僕は次々に浮かぶ考えを、頭から振り払った。今僕にできることは、地上に戻ることだ。あの階段を再び上ることだ。でも彼を置いて一人だけ避難するなんてことはしない、と僕は思った。出会ってからの時間は短くても、彼はもう僕の友人なんだ。

 

 車に乗っているみたいな小さな振動は続いている。子供の頃、これと同じような揺れを体験したことがある。百貨店の屋上で、コインを入れると動き出す遊具の車に乗った。古くて狭い二人乗りで、ハンドルとアクセルペダルしかない車。隣には誰かが密着して座っている。とても狭いが、その狭さが心地よい。僕は狭い場所が好きだ。柵の外では、母親がにこやかに手を振っている。屋上には、幾つかのコイン式遊具と、軽食と飲み物を売る店と、生き物を売る店があった。生き物の店には魚しかいなかった。日差しを遮るためにビニールシートの屋根で覆われていて、炎天下の屋上でそこだけは涼しかった。小さな弱そうな魚、鮮やかな色の魚、触手の付いている魚、様々な形と色で構成されている魚たちが、それぞれの身体に見合ったサイズの狭い水槽の中で、行ったり来たり泳いでいた。少女は魚を好むだろうか。

 

     *

 

 彼/彼女の背後のコンクリートの壁には、天井から斜めに大きく亀裂が入っていた。突如現れたそのしるしに、一瞬目を奪われた。視線を戻す。「きみはここにいるよ。大丈夫だよ。上に行こう。外に出ようよ」。そう言いながら、自分の声が弱々しく聞こえることを情けなく思う。
 次第に大きくなりつつある振動と音と共に、天井から更に一本のひびが徐々に壁を這い、ついに最初の亀裂と交わる。交差した後も揺れながらさらに躊躇なく進行を続ける。二本の線は最終的にキャンバスに巨大なバツ印を描く。その完成を見届けてしまった後、慌てて身をかがめ、彼/彼女の腕を掴もうとすると、びくっと身体を震わせ素早く手を払いのけられる。身を守るように両の二の腕を自身で抱えたまま、階段と一緒に小さく震えている。

 

 ぽろっ、と亀裂から最初のひとかけらが落ちる。またひとつ、ひとつ。次第にぼろっ、ぼろっ、とかけらも大きくなっていく。それはもうかけらとは言えない大きさになっている。落下の速度が上がって行く。壁が崩れ始めた。見えない指揮者が、指揮棒を振る速度を徐々に速めて試しているみたいに。だんだん速く。塊がいくつもいくつも落下していく。壁はがらがらと音を立ててなだれ崩れる。崩れ続ける。それはまるで永久に続くようにも潤一には思える。壊れ続ける壁。そんな現象は不可能だ。崩壊はいつかは終わるはずだ。すべての運動はいつかは止まるのだ。外部から力を与えなければ。そして、それ自身が力を備えていなければ。
 全てが粉々になってしまえば。

 

     *

 

「ここにいる」
 瓦礫の雨の中、少年はそう言って、少女の隣に静かに腰を下ろした。
 少女は首をぎこちなく動かし少年を見る。少年は膝の上に両腕を載せ、背中を丸めて小さく座り、目線はどこかを見ている。少女は少年の行動を止めようと何か言葉を発しようとするのだが、言葉は見つからない。思考は崩落の音波に妨害される。壁の亀裂はついに二人が座っている踊り場の床面にまで達し、侵食し、彼女と彼との間に後ろからジグザグの裂け目が入る。床は裂け目から割れ、二人が少しずつ遠ざかる。かつて壁であったものたちが荒々しく落下する隙間から、少年の華奢な姿が徐々に遠ざかって行くのが見える。彼の方に、手を伸ばす。もう届かないと本当はどこかでわかっていても、腕を伸ばす。その剥き出しの腕に、いくつものつぶてが当たる。そんな錯覚を覚える。
 実際には、少女の両腕はだらりと床に落ちているだけだし、その口はほんのわずかに開いたまま、空気しか出し入れをしていないのだった。胸だけが別の生き物のように、大きく上下し続けていた。
 嫌だ。もう嫌だ。いつも変わらない毎日。どこへも行きたくない自分。何もない? 何もなくは、ない。僕はここにいる。

 

   *

 

「潤一くん!」
 誰かの声がした。でも僕は友人のそばにいたかった。誰かが後ろから僕の腕を掴んだ。

 潤一にとって意外なことに、それは大和だった。
「何やってるんだ、早く!」
 彼はそう叫び、潤一を強い力でぐいぐいと引っ張り、障害物ひとつない階段を上がって行こうとする。
「放してください、あの子が!」
「あの子はいいから」
「よくないだろ、助けないと!」
「いい加減にしろ! お母さんも俺たちも、みんな心配しているんだ! 自分勝手な行動をとるんじゃない!」
 大和は、潤一が一瞬怯むほどの強い剣幕でそう言うと、腕を掴んだまま足早に階段を駆け上がり始めた。「彼女のところには三上が行ってる。大丈夫だ。ここは大人に任せるんだ」。大和が突き当りの扉を押すと、それは素直に開いた。
 地上も薄暗かった。「放してください」。潤一は大和の手を振り払った。大和は、シェルターへ行くとだけ言うと、今度は潤一の左手を大きな手でがしりと握り、速足で歩き出した。
 脚の長い大和にとっての速足は、潤一にとっては小走りだった。一本置きの蛍光灯に照らされている、暗い廊下。すぐ前を歩く大和の後ろ姿も、その白いシャツも、灰色に翳って見える。汗の臭いが感じられるが、それが大和のものなのか自分から発せられているのか、よく判別がつかない。繋いだ手に汗をかいているが、これは自分の汗なのだろうか。蛍光灯の付近に来たときだけ、大和のシャツも廊下も、本来の色を不完全にせよ取り戻す。僕の体も、と潤一は思う。もし僕が展示品だったとしたら、潤一はぼんやりとした頭で考える。こんなふうに走って動き回る展示品なんて、博物館はさぞかし扱いづらいことだろう。絵や彫刻や爆弾のように、スポットライトにおとなしく照らされていないから。
「三上さんは、」と潤一は口にした。「三上さんはどこにいたんですか。さっき地下で全然会わなかったんです」
「大人を信用しなさい」。前を向いたままで大和はそう言った。

 

 大和と共に、博物館の最寄りのシェルターへ姿を見せた潤一に、母親は歪んだおかしな表情を浮かべたまま駆け寄り、潤一を強く抱きしめた。母親のにおいがした。暖かさと柔らかさがした。彼女は泣いていた。随分と昔に、こんな風に抱かれていたと思う。抱擁しようとする母親、それが嫌で、彼女の腕を振り払い膝から下りた記憶がおぼろげに残っている。あれは小学校の何年生くらいのことだったのだろう。
 警報は解除されていた。大和の指示で、三上が戻ってくるのを待たずに、職員たちは帰宅することになった。帰宅後、深夜零時に戒厳令が発令された。

 

     *

 

 家から抜け出したいのだが、パトカーが頻繁にパトロールを行っているため、諦めざるを得なかった。戒厳令は、暫くの間、不要不急の外出を禁ずるというもので、軍関係者や医療従事者等のごく一部の者を除き、自宅で待機をし続ける日々となった。潤一の母親は日がなリビングで、テレビのニュース番組を見たり雑誌を読んだり菓子を食べたりして過ごしていた。これじゃ太っちゃうわ、と母親はこぼし、ときどきテレビを見ながら美容体操をした。
 今、潤一は自室の窓から、公園の前の路地を定期的にパトカーが巡回する様子を眺めていた。前日同様。

 

 やっと戒厳令が解除された時には、九月になっていた。潤一は一人リビングで、母親の作った朝食をとりながら朝のニュース番組を眺める。最近は妙に明るい話題のニュースが増えた気がする。今朝のは、国立動物園のパンダに待望の赤ちゃんが生まれました。母親が赤ちゃんの世話をしなかったため、現在は飼育員の手で育てられています。体重は××グラム、性別はまだ不明です。動物園は赤ちゃんの愛称を募集しており……。本日の天気は、晴れところにより一時雨。降水確率は五十パーセント。予想最高気温は四十度。大気中の汚染物質はかなり多い。不要不急の外出は控えましょう。
 九月になっても、潤一の生活は何も変わらないはずだった。変わらない夏休み、変わらない長い暑い午後。西日、無人のバス停、リュックサックの中の麦茶。むっとする熱気。
 

 閉館のお知らせ
  人間博物館は八月三十一日をもちまして閉館致しました。
  長らくのご愛顧、誠にありがとうございました。 館長

 

 入り口のガラス戸には、印刷された貼り紙が貼られている。四隅を斜めにテープで留められている。潤一は貼り紙に近づき、正面からまじまじとそれを読んだ。自動ドアはもう開かない。
 潤一はガラス戸の向こう側へ目を凝らす。自分自身の姿がぼんやりと映っているが、すぐに焦点を切り替える。エントランスの奥には、二階の展示室へ続く広い階段。右側には無人の受付のブース。後ろの壁には、事務室へ通じる扉。その向こうには今日も職員が働いている。営業は終了したが、まだ後処理が残っている。母親もその中の一人だ。おそらくは大和も。
 建物の外壁に沿って、右側へぐるりと回る。建物は外から見た限り、どこも損傷していないようだった。ひび一本入っていない。角を折れてしばらく進むと、従業員用の通用口がある。ドアは閉ざされていて、右側に小さな操作盤が付いている。その上に呼び出しボタンが付いている。潤一はそれを押す。小さな人差し指の小さな爪。しばらく待ったが応答はなかった。潤一は試しにドアノブを握って回してみる。ノブは素直に回り、押すとドアが内側へ開く。館内は昼間なのに薄暗かった。そして暑い。足音を立てないように注意しながら、潤一は廊下を進む。オフィスの扉の前を通り過ぎる。中の様子は見えないが、とても静かだ。エントランスに出る。正面玄関左手の壁は、あの大きな絵がなくなっていた。大きな四角い空白。通り過ぎる。
 廊下の果て、名無しの扉の前に潤一は立つ。扉の上の「地下展示室」のプレートは取り払われている。壁に長方形の跡がかすかに残っている。ドアノブをつかんで、回し、手前に引く。
 そこにはすぐ壁があった。青い壁だ。それはドアの枠にぴったりとくっついている平面で、壁ではないが、他に言いようのないものだった。壁の表面には隙間なく白い紙が貼りつけられていて、その紙は絵の具で一面青い色に塗られていた。真夏の空のような、濃い深い青色だった。濃すぎるようだった。紙に触れると、絵の具は完全に乾いていて、ざらざらとした手触りがあった。ひんやりとした感覚があった。一か所を爪で引っ掻いて破いてみると、何の加工もないただのコンクリートの壁が顔を覗かせた。地下室の壁が、こんな壁だった。叩いても、押しても、体当たりしても、壁は微動だにしなかった。扉横の操作盤を押してみた。電源が入っていないのか、何も反応しなかった。それを拳で力いっぱいに殴った。

 

 博物館の外に出ると、まぶしくて目がくらんだ。目を細めて歩いていると、一台のバスが走ってきて、バス停の前に止まった。乗り降りする客は誰もいないが、前後の扉を開けたままで停車している。潤一は行先を確かめないまま、バスに乗り込んだ。定額の運賃を支払う。車内は明かりが点いておらず、暗く微かに涼しい。数人の乗客しかいなかった。
 一人用の座席に腰掛けた。バスは動き出す。なだらかな坂道を登っていく。住宅街を走り続ける。潤一は少女のことを考えた。今どこで何をしているんだろう、と考えた。三上さんと一緒なのだろうか。一人きりなのだろうか。日記を書けているといいと思う。そういえばトランク一杯に詰めた日記帳、あれはどうなったんだろう、と思う。きっと少女が持っているはずだ。
 結局、少女のことを一度も名前で呼ばなかった、と潤一は思う。名前を考えてくるって約束したのに。「結局」という単語に潤一は悲しくなる。そんな言葉は僕は書きたくない。
 潤一は、少女の日記を書こうと思う。膝の上に乗せたリュックサックのファスナーを開ける。中には水筒、タオル、缶入りのクッキー、筆入れ、夏休みの日記帳。それと数学の問題集とノートが入っている。潤一はノートを出し、サインペンも取り出す。がたがたと揺れるバスの座席で、ノートの表紙の「数学」の二文字にの上に二重線を引く。二重線は二本とも波打つ。二重線で消したすぐ上に、「  の日記 No.1」と書く。名前は何にしよう。今は候補はいくつかある。例えば、そらの日記。うみの日記。あおの日記。でもやっぱりクッキーも捨てがたい。少女がクッキーを食べる様子は、とても可愛らしかったし、おいしそうに食べた。さくっ、とクッキーが割れる音まで、おいしそうに響いた。ぱらぱらと、スカートの上に零れ落ちる欠片。
 日記の書き出しは、今日も海へ行ってきた、にする。少女は海が好きで、毎日のように海岸を歩く。奇跡的に自然のままの砂浜が残っている個所があるのだ。誰からも忘れ去られた砂浜。地図にない場所。そして海の色も、そこだけは奇跡的に青い色なのだ。
 少女はある日、いつものように砂浜へ向かう途中で、一人の少年と出会う。少年は学校の社会科見学の授業で、海沿いの工場地帯を訪れている。工場の見学中に突如C級警報が発令され、慌てて避難する中で、少年は教師や他の生徒たちとはぐれ、一人道に迷ってしまう。そのときに少女と出会う。少女は少年に行先を教える。一緒に行こう、と言う。安全地帯へと急ぎながら、二人は少し言葉を交わす。少年の名前は   と言う。少女は名前を   と言う。

 

(了)

 


奥付


レプリカ


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著者 : 片桐奈菜
著者プロフィール:http://p.booklog.jp/users/nanano01/profile
 
表紙イラスト : Matsuri
 
 
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