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 残業続きで体調を崩し、風邪をひいた。
 そんな金曜日の夜。

 翌日のデートの約束をキャンセルするメールを送ると、わざわざ休日に風邪をひくなんて、社会人の鏡よね…と、彼女から嫌みとも冗談ともつかない返信があった。

 

…これは、怒ってるんだろうなあ…

 

 熱でぼやけた頭で考える。

 このところ忙しくて、毎週の様に休日出勤を強いられて、デートどころではなかった。それを申し訳なく思って、今週末こそはと、根を詰めた結果がこれだ。何とも情けない限りである。
 悪い悪いと思いながら、結果的に彼女をほったらかしにしている。そろそろ見切りを付けられても文句は言えない状況だ。

 

 これは、何か返信した方がいいんだろうな。などと考えながら、食事を口にする元気もなくて、空っ腹に風邪薬を飲んだのがいけなかった。
 玄関のチャイムの音で目を覚ましたのは、翌日の昼過ぎだった。

 

 

…宅配便かな…
 そう思ったものの、体が重くてベッドから起きられない。
 ベッドの中でのたうちまわっていると、今度はドアにノックがあって、間を置かず、鍵をかけ忘れたドアが勢いよく開いた。
「寝てんの~?」
 という声と共に、腕にコンビニ袋を提げ、四角い大きな箱を抱えた彼女が姿を見せた。

「あら、結構重症ね」
 心なしか、その表情は笑っているようにも見える。少なくとも怒ってはいない様だったので安心した。
 安心すると同時に、これが彼女の初めてのお宅訪問だと気付いて、どぎまぎする。しかも、病気とはいえ、自分は寝起きのパジャマ姿で…
「…えっと…何?」
「どうせ、ろくなもの食べてないんだろうと思って」
 ベッドサイドのテーブルに四角い箱をどんと乗せると、彼女は近所のコンビニで仕入れてきたものを並べ始めた。アイスクリームとスポーツ飲料と牛乳に、何故だかジャムの小瓶が数種類。
「はい、お見舞い」
「あ、どうも…」
「ここの家、お湯ぐらいは、沸かせるの?」
 そう言いながら、彼女が殺風景なキッチンに視線を向けた。
「…ええと、マグに水入れて、レンジでチンなら」
「……」
「基本、外食だし…コンビニすぐそこだし…」
「だろうと思った」
 彼女が肩をすくめて四角い箱を開けた。

 

 中から現れたのは、真ん中に丸い穴の開いた背の高いスポンジケーキ…?

 

「…変わった形のスポンジケーキだね」
「シフォンケーキよ。あたし、お茶する時に、あなたの目の前でよく食べてるじゃない」
「え…ああ、あれ?」

「元の形がこれで、お店のは、カットされて出てくるのよ」
「ああ…成程」
「食欲ない時でも、柔らかいから、食べやすいかと思って」
 彼女がコンビニ袋の中から、プラスチックのフォークを取り出して差し出した。

「どうぞ召し上がれ」
 そう言って彼女は牛乳を手に立ち上がった。
「…これ、作ったの?」
「そうよ。まさかお湯ぐらいは沸かせるかと思ったけど、レンジでチンとはねえ…」
 ぶつぶつ言いながら、彼女はすかすかの食器棚の中から、大きさの違うマグカップを二つ取り出すと、それに牛乳を注いでレンジで温め始めた。

 

 


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最終更新日 : 2010-10-08 10:02:38

 程無く、出来上がったホットミルクを手に戻ってくると、彼女はまた袋に手を突っ込んで中を探っている。
「ミルクティーとカフェオレ、どっちがいい?」
「え?あ…と、カフェオレかな」
 答えると袋の中から、インスタントコーヒーの小瓶が姿を現した。それを調味料でも入れる様に、ホットミルクに数回振りかける。更に、袋の中から紅茶のティーパックを取り出すと、それをもう一方のマグに入れた。
「あたしは、ミルクティーでと。砂糖いる?」
「いや…いい…」
 手はシフォンケーキを突きながら、その手元を思わず凝視していた。
「何?」
「何か、凄いなと思って」

 普段は殺風景なはずの部屋が、ちょっとしたカフェに早変わりして、こうして彼女と差し向かいでお茶をしているなんて、魔法の様だ…なんて言ったら笑われるだろうけど。

「こいつ、見掛けによらず、料理じょうずなんじゃん、とか思った?」
 素直に頷くと、彼女が愉快そうに笑った。
「君のそういう敷居の低いとこが、す、き、」
「す・・」
 冗談半分に言われた言葉に、思い切り動揺した。
 敷居が低いの意味は良く分からなかったが、聞き返すのも何だか照れ臭くて、フォークでケーキを切り出す事に専念する。
…そうだよなあ。そろそろ、ちゃんと、先の事とか考えないと…
 そう思いながら口に入れたケーキは、ふんわりと心地のいいやわらかな食感で、控え目な甘さが、何とも癖になる味だった。
「おいしい…」
 そう呟いて、俺が二度三度とケーキを口に運ぶのを、彼女は楽しそうな顔をして見ている。
「残ったらラップして冷蔵庫に入れとけば、四、五日は持つからね。非常食にはいいでしょ?」
 言いながら、彼女は四次元ポケットから、今度はラップを取り出した。
「味が飽きてきたら、アイスクリームとか、ジャムとかトッピングするとまた感じが変わっておいしいから…」


 彼女の言葉に相槌を打ちながらケーキを食べていると、ふわふわの中に、突然ありえない固さのものが現れた。
「あたっ」
 ふわふわの食感に慣れていた歯は、それを思い切り噛みしめてしまった。
「…何か…変なの入ってる…」
 俺が顔をしかめると、彼女が身を乗り出した。

「出してっ。何入ってた?」
 口をもごもごさせて、それを舌で探り当て、指で引きずり出した。
 それは、丸いリング状の金属だった。
「…指輪?何でこんなものが…」
「んふふ~。クリスマスプディングになぞらえて作ってみました♪ 後、中にボタンとコインが入ってるから、気をつけて食べてね」
「はあ?」

「知らない?イギリスのおまじない。指輪を引き当てた人は、結婚運がいいって話。良かったねえ。おめでとうっ」
 彼女が満面の笑みで言った。

 

…こういうのは、やっぱり、タイミングと勢いなのだと思う。

 

 プリンなら、子供の時に作った事がある。

 確か、粉末の素を買って来て、牛乳を加えて温めて、後は冷蔵庫で冷やすだけ。

 楽勝だ。
 そう思ったら、思わず口走っていた。

 

「じゃあ、今度は俺が、クリスマスに指輪入りプリンを食わしてやる」…と。

 

 よもやこれが、後々まで、笑い話にされるプロポーズになろうとは思いもよらずに、その時の俺は、清々しいまでの達成感に包まれていた。


【 シフォンケーキ 完 】


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最終更新日 : 2010-10-08 10:00:21

この本の内容は以上です。


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