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落としたもの

「あんた、なんでそんなに忘れ物が多いの?」
 うるせえばばあ。俺は忘れ物が多いのではない。落とし物が多いのだ。これはもう病気ではないかと思うくらいに物を落とす。
「あんた、今日も忘れたの?」
 うるせえばばあ。なんで母は同じものを持ち帰らずにいる息子のそれを忘れ物だと言い張るのだろうか。
「明日は忘れないで頂戴よ」
 うるせえばばあ。そう言う俺も、これが忘れ物なのか、落とし物なのか、はじめは分からなかった。これが落とし物と知ったのは、拾い上げる君が現れたから。
 学校の帰り、電車のシートに浅く腰掛け、スマホを弄りながら足を投げ出していると、ガチャベルトでスカートを裾上げした君が俺の足を跨いだ。
「はい、落とし物。この前、おべんとばこ落としたでしょう」
 君はトイ・ストーリーのナプキンの結び目を摘まんで、弁当箱を差し出した。軽く赤面した。こんなことになるまで気にならなかったけれど、こんな歳になってまでトイ・ストーリーだったのかよ。俺のナプキン。
 手にしたナプキンはパリッとしていて、洗濯した上にアイロンがかかっているようだ。弁当箱も洗ってあるのだろう。君の親の厚意であったとしても。
「どこに落ちてた?」
「昇降口で落としたでしょう。あの時、叫んだんだよ、私」
 言われてみれば、はじめて聞く声ではない気がする。
「おべんとばこぉって、叫んだ?」
「おとしものぉって、叫んだよ」
 次はペンケースで、その次はスマホだった。
 スマホの時は焦ったけれど、その一方で戻ってくる確信があった。大ごとにはしなければ、母にうるさく言われることもなかった。
 黙って二晩を過ごせば、案の定、君が現れた。
「はい、落とし物」
スマホケースには三つ目のエイリアンが貼り付いている。俺はまた赤面した。
「めっちゃ助かったよ」
 君は鼻で笑って少しだけ口元を緩めた。落とし物は決まって君が電車を下りる間際に手渡される。だから、一言二言しか言葉を交わすことができない。
 すまほぉって、叫んだ?
 同じようなことを聞いても芸がない。つまらない男だと思われたくはないが、芸などない。少し言葉が行き交えばそれでよかった。俺は三つ目のエイリアンを指さす。
「こいつの名前知ってる?」
「知らない」
「リトルグリーンメン」
 夜は早めに布団に潜って君を思い返す。何より見た目がよかった。女は見た目が八割。いや十割だね。蕎麦かよ。無理に笑いを堪えたら豚鼻がなった。
「あんた、何やってんの?」
 カーテンに仕切られた向こうで、姉はまだ机に向かっている。
「鼻がつまってる」
「風邪?」
「大丈夫」
「あんた、最近忘れ物が多いって母さん愚痴ってるよ」
「忘れ物じゃない。落とし物なんだよ」
「なにそれ?」
「いや、なんでもない。寝る」
 俺は落とし物の神に感謝する。わざとじゃないんだ。本当に。あなたの落としたのは金の斧ですか?そういうやつかよ。銀の斧ですか?おまえ誰だっけ。イソップ童話?でも本当に。わざとじゃないんだ。わざとやったら君は拾えない。そんな気がしている。それに、キモいだろ。
 それなのに、
「あんた、わざとやってない?」
 俺は差し出された生徒手帳に手を伸ばして、舌を打つ。もしもの為に用意していた言葉があった。ただの照れ隠し。俺は随分と酷いことを口走ってしまった。
「おまえ、俺につきまとってない?」
 まさか蹴られるとは思わなかった。でも、目の前のキモい男がシートに浅く座っていたら、横っ面を蹴るものかもしれない。
 家に帰ればまた弁当箱がなかった。
「あんた、なんでそんなに忘れ物が多いの?」
「うるせえばばあ」
 ようやく声に出た。母は目を丸くした。気持ちのいいものではなかった。泣かれたら堪らん。沈黙を破る姉。部屋から飛び出してくるなり俺をひっぱたいた。蹴られたのと反対の頬。続いて、姉は目を丸めた。俺が泣いていたから。
「忘れ物じゃなくて、落とし物なんでしょ」
 姉の優しさに、俺は涙を流して笑った。

 

 課題「落とし物」


消しゴム

 真っ白な紙をこすり続けて一時間が経つ。俺の解釈が間違えているのかもしれないが、物語ははじめからではなく、途中から描いたほうがいいと聞いたことがある。八つの角を順番に潰していきながら、丸くなってきた消しゴムをなおもこすり続ける。どうせならば、この汚れたデスクの上をまんべんなくこすれば、掃除の代わりにもなったろう。しかし、真っ白な消しかすに魅せられた俺は、いつまでも白紙の上で行ったり来たり。発端は、使い切ったためしがないよね。とかさ。気づくとどこかに行っちゃうよね。とかさ。ふと、そんな他愛もない会話があったことを思い出したから。実は消しゴムには俺の知らない性質や能力があったりして。そもそも使い切れないものなんだよ。必ずどこかに行ってしまうものなんだよ。そんなことを考えるようになったら、何も予定していない休日に新品の消しゴムのパッケージを剥いでいた。既に消しゴムははじめの大きさから半分を下回っている。人間の年齢で言えば四十路といったところか。ちょうど俺くらいではないか。「不惑」という言葉が浮かんで鼻で笑う。それは成長した結果でなく、単に感覚が鈍りはじめでいるだけではないのか。嗚呼、不惑。思わず消しゴムをこする手に力がこもる。一度決めたことだから最後までやり切ろう。消しゴムの四十路は俺の四十路とは訳が違う。俺は二十歳の頃まで身体を作り上げ、不惑に至るまで無駄な肉を盛り付けてきた。それに対して消しゴムは、完成された身体で世に送り出され、ひたすらに身を削り続ける。不意に俺は手を止めた。やはり消しゴムは使い切られる前に俺たちの手元を離れるべきではないか。そして、その先には消しゴムの楽園なんてものがあってさ、風化するまでの余生を楽しむのさ。こんなおっさんに見張られながらこすり続けられるなんて、こいつも不憫な消しゴムだね。嗚呼、いつになったら私はこの濁った目を盗んで逃げ出すことができるのかしら。消しゴムの悲痛な叫びが指先から伝わってくる。でもね、おまえだけじゃない。俺だって身を削ってはたらき続けているのだよ。贅沢なんて求めなくとも日々は過酷だ。それは生物の宿命のようにも思える。肉を食らって肉を盛る。どんな生物だって肉を獲るために日々必死だ。無数の命を食らっては、生涯を通じて一つ二つの命を生み出し、それを育んでは息絶える。それに比べて消しゴムはどうだ。他人の手によって次々生み出され、文句も言わずに身を粉にする。なんだよ。こいつらは馬鹿に潔いじゃないか。文句の一つでもたれてみなよ。痛いの辛いの言ってみなよ。嫌みの一つも言ってみなよ。こんな晴れた休日になに馬鹿なことしているんだと鼻で笑ってみなよ。なんだよ。こっちがまるで駄目みたいじゃないか。こいつがその気なら、俺だって黙ってこいつを粉にし切るまで。白紙の上を行ったり来たり。時折、向きを変えて、行ったり来たり。また向きを変えて、行ったり来たり。次第に消しゴムは球体に近づく。身の上に心配ある事情だっけ?惨状だっけ?あれ?それって円の面積だっけ?円周だっけ?俺は基本的に理系だから数字は嫌いでないのだが、公式というのがどうしても頭に入らない。ジョウテイタスカテイカケルタカサワル2。そこまではよかった。イメージができるじゃないか。しかし、πとか出てこられるともう。イメージできないものはなかなか頭に入らないんだよ。 限りなく球体に近づいた消しゴムに手のひらをあてて紙の上で転がす。俺の行為はいつしかこすり切るという目的から球体にするという目的にすり替わっている。限りなく球体に近いそれを親指と人差し指で摘んで目の前に持ち上げる。それは、一つの衛星のようで、目の前を行ったり来たりさせてみる。俺の頭の周りをグルグルと回り続けてくれればいいと思いはじめる。なかなかいないだろう。頭の周りを衛星が回り続ける男。でも、俺がそれを望んだとして、消しゴムはどうだ。こいつは真っ白な消しかすになることを望むか。俺の手を離れて消しゴムの楽園へ向かうことを望むか。俺はしばらく考えた挙句、窓を開けた。続いて、ボールのようにも見えるこいつを思い切り遠くに投げ捨てた。そして、泣いた。少しだけ。

 

 課題「消しゴム」


どこかでボーンと弾けた

 蒸し暑い夏の夜、二三度に設定された冷房の直下でブランケットにくるまる。嗚呼贅沢。五・二インチの画面に目をあてながらぼんやりと情報を送っていれば、どこかでボーンと弾けた。

「今日どこかで花火か?」親父の問いかけに、「知らん」と答えながら、将軍様が打ち上げた大陸間弾道ミサイルを思い描いている。親父だってそう思ったに違いない。花火なんて鳴ったろうか?俺は耳をすます。ジェイアラートはスマホにもくるのかしら。突然震え出したら俺も焦るわ。横浜市熱中症予防情報。この季節、俺のスマホにくる大半のメールは yokohama@bousai-mail.jp 。林文子も再選。明日の熱中症ランクは「原則運動中止」です。未曾有の異常気象の中でも俺は死ぬほど寒い。ICBMの弾頭に花火を入れておいてはどうかしら。速射連発打ち上げのスターマイン。日本への到達が一〇分、グアムへの到達が三〇分。「たまや~」、「かぎや~」とコンピューター制御で次々に弾頭から打ち下ろされる三号、四号玉。島根県、広島県、高知県の上空を通過するアーチ状の巨大なワイドスターマインが夜空を彩る。愛媛も含めた四県に設置されたPAC3が四尺玉で応戦。それは北の地平線から南の地平線へ延びる天の川に架けられた大橋のようでもあり、つまりは何千万羽と飛び交うカササギの群衆、年に一度だけ落ち合うことのゆるされた織姫星と牽牛星を渡す。盆も過ぎたけれど。

「おまえ何ニヤニヤ笑ってんだ?」

 親父はひどく顔面を崩壊させて俺を見る。

「俺って結構ロマンチストだろう」

 親父の口が阿呆と動いた。

 

課題「花火」


ぬれせんべい(改)

「ぬれせんべい かって のりこむ ちょうしでんてつ」

「日本全国鉄道かるた」の絵札には、銚子電気鉄道デハ七〇〇。幼い息子はぬれせんべいが電車の愛称だと勘違いしているようだ。

「電車じゃないぞ。ぬれせんべいってのは」

 魔が差した。

「銚子の妖怪だ」

 語感は妖怪ぬりかべに近い。しかし、俺は妖怪あかなめを思い浮かべた。水木しげる著「カラー版妖怪画談(岩波新書)」を手に取る。パラパラとめくれば、灰色の顔に真っ赤な舌がペロリと伸びた妖怪あかなめ。その姿と紹介文から妖怪ぬれせんべいを思い描く。

 誰もいない夜の台所に出ては,堅焼き煎餅を舐めることでしっとりさせてしまう。煎餅をなめるだけで何をする訳でないが、十分に気分が悪い。 「ぬれせんべいがくるぞ」と言えば、誰もいい気持ちがしないから、茶箪笥を掃除する。いわば教訓的な妖怪とみるべきであろう。

 俺は息子のベッドタイムストーリーを考える。気持ち悪すぎてもだめだ。時折、茶箪笥から顔を出す、どこかにくめない妖怪でありたい。まずは妻へのピロートークで実践練習。彼女は話の序盤で眠りについた。子供を寝かしつける本来の目的としては申し分ないが、何処か面白くない。翌晩、俺は更に色をつけて枕元で妖怪ぬれせんべ~。

「こんなに煎餅がしっとりしているのに、まだ茶箪笥の掃除をしないのか。その夜、妖怪ぬれせんべいは米粒大の卵を吐き出し、茶箪笥をびっしり埋め尽くす。翌朝、何も知らずに扉を開ければ、次々に孵化する妖怪ぬれせんべ~」

 話に熱がこもれば、彼女は暗闇の中で起き上がる。

「いい加減にしてよ!気味が悪い!食器棚を掃除しろって、はっきり言えばいいじゃない!」

 俺は思いがけない反応に狼狽し、「ちがうちがう」と腕を振りながら後ずさる。踏みつけられた息子が悲鳴をあげる。驚いた彼女は照明のリモコンを探して畳をバンバン叩く。そして、食器棚からケケケと聞き慣れない笑い声がした。

 

課題「怪談」


ちぎりえ

 あれほど貸してくれるなと言ったのに、風邪で休んだ週末、あいつは随分と汚い手を使ってきた。
 玄関からあまり聞き慣れない親父の声がする。そして、声が止んだかと思えば、ノックもなく部屋の戸が引かれた。
「おい、ともだちが暇だろうからって本持ってきたぞ」
 親父は、三〇〇頁は優に越えるだろうハードカバーをベッドの上に放り投げた。嫌み一つ無いあいつの紅顔が思い浮かび、その本はコンクリートブロックのように重くのしかかってきた。
あいつを知ったのはつい最近、吊革につかまって本の中に入り込んでいた下校時のこと。
「本、読むんだ」
 途端、俺は現実に引きずり出された。きめ細かい肌に張り付いた笑顔。次に何を言い出すのか。俺は不安に顔をひきつらせながら、表紙を隠すようにゆっくり本を下ろした。
「その作家が好きなら、次はこれ読むといい」
 スクールバッグから取り出された一冊は、どっちがタイトルでどっちが作者名なのか。そんなことすら判断できない代物だった。
「読み終わったら貸すよ」
 先に下車するあいつに俺は苦笑いで首を振る。遠慮したと勘違いしたのだろう。あいつは微笑みながら手を振った。
 活字が好きだ。音楽よりも、動画よりも、顔のない相手とのSNSよりも、紙をめくって文字を追いかける作業がなにより好きだ。この時間だけはまわりの一切を遮断して没頭することができた。
 俺は腹を圧迫する本に手をあてる。作者名かもしれない題名のそれはきっと素晴らしいものなのだろう。俺はその手触りに堪えられず、次の瞬間には頁を捲っていた。
 気づけば部屋は薄暗く、満足感とともに本を閉じると大きな不安が襲いかかってきた。「その作家が好きなら、次はこれ読むといい」まったくあいつの言う通りだった。俺はこの本を何と言って返すべきか。手に力が籠もる。作中の一文を引っ張り出し、顔をひきつらせながら思ってもいない言葉を並べて顔色を窺うのか。すると、あいつは俺とは異なる一文を引っ張り出して、まったく共感できない言葉を連ねる。俺は苦笑いを浮かべながら阿呆のように五度も頷く。言葉を交わすほど糞が塗られ、俺を魅了したはずの作品が目も当てられない愚作へと仕上がっていく。
「だぶんだ、だぶんだ」
 俺は雄叫びをあげながら真っ二つに本を引き裂いた。親父は勢いよく部屋の戸を引いた。
「おまえ、大丈夫か?」
 俺は引き裂かれたそれを咄嗟に布団の中に隠した。
「飯、食えるか?」
 俺は頷く。親父の飯は炒り卵と釜揚げシラスに生野菜。茶の代わりに汁物でもあれば上々だ。俺は親父の背中について台所へ向かい、二膳分の冷や飯を電子レンジにかけた。
 野球中継を眺めながら飯をつつく。親父は俺との間合いを計りながら沈黙を埋める。
「熱どうだ?」
「三七.七」適当に呟いて咳込んでみせる。
「朝まで熱引かなかったらベッドで寝てろ。明日は仕事に行くけど平気か?」
「大丈夫」
 早々に晩飯をすませてベッドへ戻る。布団に手を突っ込むが本はもとに戻っているはずもなない。仮病を引き伸ばしたところで意味がない。あいつが次の本を持って、この本を回収しに来る可能性だってある。俺は真っ二つの本を手にとって、一枚破く。また、破く。
「来る、来ない」なんて。
 小学生の頃、担任にちぎり絵を誉められたことがあった。「星空」なんてタイトルをつけて有り得ない色を散りばめればいい。そんなことくらい見抜いていた。
 俺は掛け布団を退けて、真っ白なシーツの皺を伸ばした。そして、本をちぎる。文字の画数、文章の密度でコントラストが決まり、それを十六階調に分類した。ちぎり絵よりもギャザリングアートに近いか。一晩中、モノクロのパーツを並べる作業はひどく退屈で、あいつの笑顔を思い返すことはひどく苦しい。
 朝になって体温計を咥えると本当に三七.七℃を示していた。ノックもせずに部屋の戸を引く親父は、掛け布団に包まって床の上で丸くなった俺を見下ろす。
「おまえ、大丈夫か?」
「三七.七」
 俺は自慢げに体温計を渡した。親父は体温計を見もせずベッドの上に目を凝らす。
「ともだちか?」
「だぶんだ、だぶんだ」
 早く部屋を出ていってくれればいいと願うが、親父は部屋を出るタイミングを逸していた。そして、これが狂ったふりであることくらい見抜いていた。



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