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(1)

 ある日曜の午後四時前、男は競馬場の一席でガッツポーズを決めていた。穴馬狙いで買った馬券が百万円に化けたのだ。わずかな貯蓄を食いつぶしながら生きている無職者にとっては、大金どころの騒ぎではなかった。これで当面は酒にも食い物にも困らずに済む。換金した金をジーパンの後ろポケットにねじ込み、男はほくほく顔で帰路についた。

 途中、飲み屋に立ち寄り酔っぱらって帰ってきた男は、家についてズボンの後ろポケットに手を伸ばしたところで青ざめた。

「おい、冗談だろう」 

 中身がそっくり消えていたのだ。男は慌てて家を飛び出すと、飲み屋までの道を引き返した。しかし、札束はどこにも落ちていない。飲み屋の店主にもこっそり聞いてみたが、そんな大金は見ていないという。念のため警察にも行ってみたが、これも徒労に終わった。

 これだけ探しても見つからないということは、すでに誰かが拾って自分のものにしてしまったに違いない。いや、そもそも本当に落としたのだろうか。酔って正体をなくしている隙に、掏られてしまった可能性もある。どちらにせよ、最悪だ。

 男は帰るなりコタツに入ってヤケ酒を開始した。泥酔してとうとし始めたころ、突然家の呼び鈴が鳴り響いた。起き上がるのは怠かったが、もしかしたら警察が何か手がかりを持ってきてくれたのかもしれないと期待して、玄関へ向かった。

 扉を開けると、スーツを着込んだ三十代くらいの男が立っていた。

「お休みのところ申し訳ございません。わたくし、こういう者でして」

 差し出された名刺には、××商事という社名と男の名前とが印刷されていた。肩書は営業社員だ。

「それで何の用だ。言っておくが、訪問販売はお断りだからな」

 男は威嚇の意味を込めて舌打ちをした。

「まあまあ、そうおっしゃらずに」営業マンは男の機嫌など気にも留めない様子で、勝手に説明を始める。「当社は独自に開発したデータベースに基づき、訪問先を厳選しております。ご紹介するサービスとお客様とのマッチング率は九十九パーセント以上と……」

「ええい、うるさいっ! 興味がないと言ってるだろう。いいからもう帰ってくれ」

 男がいっそう声を荒げて扉を閉めようとした、そのとき――。

「お客様、最近なにか大切な物をお落としになりませんでしたか?」

 先ほどまでにこやかだった営業マンが、急に真顔になって訊ねてきた。扉を閉めかけていた男は、思わず動きを止めた。

「落としたとしたら、なんなんだ?」

「それを簡単に取り戻す方法がございます」

「……いいだろう、詳しく聞かせてくれ」

 胡散臭いとは思いつつ、男はとりあえず営業マンを家に上げることにした。


(2)

 営業マンがスーツケースから取り出したのは、単行本サイズのタブレット端末だった。

「当社は落とし物回収サービスを提供しております。こちらの機械でお客様をモニタリングさせていただき、その情報を基に落とし物を特定、独自データベースにアクセスして目標物の位置情報を取得、専門の作業員に回収させたのち、お客様の元へ配送を行うといった流れになります」

「どうもいろいろ腑に落ちないな。どうやって落とし物を特定するんだ?」

「口頭で説明してもわかりにくいと思いますので、とりあえず一度お使いになってみませんか? ただいま無料お試しサービスを実施しておりますので、二週間以内に解約していただければ、料金は一切発生いたしません」

 男は躊躇ったものの、それで百万円が戻ってくるなら、多少面倒なことに巻き込まれてもかまわないという覚悟で承諾した。

「では、まずこちらの画面に手のひらを当てて下さい。はい、認証完了です。ただいまよりモニタリングが開始されました。あとは落とし物が届くのを待つだけです」

「これは、モニタリング開始前に落とした物まで把握してくれるのか?」

「はい、記憶にアクセスしているので問題ございません」

「なるほど。しかし、あえて捨てたものが戻ってくるなんてことはないだろうな?」

「稀に誤作動を起こしてそういった事態を招く可能性がございます。その場合、お手数ですが、一度電話にてご連絡下さい。こちらでエラー処理をさせていただきます」

「受け取る前に中身を確認できないのか?」

「トラブルを避けるため、ご本人にお受け取りいただくまで、中身はお伝えできない規則になっております」

 男はやや不安になったが、特別戻ってきて困るものも思い浮かばなかったので、その部分には目を瞑ることにした。不都合が生じたら、金を取り戻した時点で解約してしまえばいいだけのことだ。

 

 営業マンが立ち去ると、男はそわそわしながら配達員がやって来るのを待った。営業マンの話では、状況次第では数カ月以上もかかるということだったが、男は運がよかったらしい、数時間後には配達員が訪ねてきた。

「落とし物回収サービスの者です。お客様の落とし物の回収が完了したので、お届けに参りました。こちらに母印をお願い致します」

 右手親指の印影と引き換えに、男は手のひらサイズの箱を受け取った。配達員を帰してから開封してみると、中には本当に札束が入っていた。

 あまりに出来すぎた展開に、男は一瞬、不気味さを覚えた。それから次に、これは本当に自分が落とした金なのだろうかと疑った。

 しかし、ひとたびそうした感情が去ると、握り締めた札束の厚みにも実感が湧いてきて、心から喜びがあふれてきた。これで、一度は消えかかった夢の生活を続行することができる。

 実際、男はその日から飲み屋に入り浸るようになった。


(3)

 日増しに金遣いが荒くなっていく男に、あるとき同じ店に居合わせた泥棒が目をつけた。彼は男の会話を盗み聞きし、どうも競馬で一発当てたらしいことを嗅ぎつける。さらに下調べを行ううちに、男が大金を持ち歩くのに慣れていないらしいという情報も得た。

数日後、男が酒場で競馬中継に夢中になっている時間帯を狙って、泥棒は男の家の裏庭にやってきた。幸運なことに、台所の窓の一部が割れたままになっている。窓の穴を塞いでいる段ボール紙を破り、そこから鍵を開けて中に入った泥棒は、散らかり放題の居間を覗くと同時に、自分の仕事が上手くいくことを確信した。何しろ、テーブルの上に堂々と札束が置かれていたのだから。

 泥棒は札束を手でつかむと、無造作にダウンジャケットの内ポケットに押し込んだ。そこで気がゆるんだ泥棒は、ふとテーブルの上のタブレット端末が気になった。

家の主が帰ってくるまでたっぷり二時間はあるはずだ。ちょっとくらいここで時間をつぶしていても問題ないだろう。泥棒はつけっぱなしになっていたコタツに足を入れて、端末の電源スイッチを長押しした。

『認証を行います。画面に手のひらを当てて下さい』

泥棒はすっかりくつろいだ気分で右手の革手袋を外し、表示された指示に従う。すぐにモニタリング画面に切り替わった。

「なんだ、ただの健康機器か」

画面上に刻まれていくグラフを心電図と勘違いした泥棒は、そこで興味を失った。指紋を拭き取るために、上着のポケットから布を取り出そうとして思い直す。待てよ、万が一この機械に俺のデータが登録されていたら洒落にならん。とりあえずこれも持っていくか。泥棒は端末を内ポケットに突っ込むと、そのついでに札束を取り出した。パラパラ漫画をめくる要領で、何気なくさばいてみる――。

「畜生、やられた!」

 突然、泥棒は血相を変えた。なんとそれは上質紙で作られた偽物だったのだ。紙の手触りはお札そっくりで、色もそれに似せてある。その上、上下の二枚だけは本物だったため、最初に見たときは気づかなかったのだ。

 一時間後、家の中を粗方探しつくした泥棒は、札束はおろか、金になりそうな物を何一つ見つけられないまま、台所に立ち尽くしていた。

ヤケになった泥棒は、冷蔵庫の中のビール缶を片っ端から開け始めた。こうなったら酒だけでも飲み尽くしてやろうという魂胆だ。

もともと酒に弱い泥棒は、三十分もしないうちに酔いつぶれて床の上で眠ってしまった。

 ちょうどそこへ、酩酊した家の主が帰ってきた。泥棒に入られたとも知らず、上機嫌に鼻歌など歌っている。しかし、居間に入ってそこが荒らされているのを発見すると、男は一気に色めき立った。

「おい、どうなってんだ!」

 男の怒鳴り声で飛び起きた泥棒は、驚いた拍子に空き缶を蹴り飛ばしてしまった。

「そっちに誰かいるな? クソッ、俺の部屋を滅茶苦茶にしやがって。ぶっ殺してやる」

 酔いが回って気が大きくなっている男は、物騒な言葉を叫びながら台所へ向かってくる。窮鼠のごとく追いつめられた泥棒は、よろめきながら立ち上がった。その視線が、テーブルの上の包丁を捉えた。


(4)

 男は喚き散らしながら台所に入ると、床に転がっている空き缶に気がついた。

「畜生、人んちで飲み散らかしやがったな」

と悪態をついたそのとき、背中に鈍い衝撃を受けた。わけがわからないまま、男はその場に崩れ落ちる。

 足元でもがく男を見下ろしながら、泥棒はしばらく愕然としていた。やがて男が完全に動かなくなると、とにかく逃げなくてはという焦りが襲ってきた。

泥棒は、靴先でつついて男が絶命していることを確認してから、屈んで服を探った。すると、腹巻の隠しポケットから探し求めていた札束が見つかった。それを持って泥棒は家を飛び出した。

 電車を乗り継いで遠くの町まで辿りついた泥棒は、いかにも廃れた雰囲気のホテルを選んで中に入った。

「とりあえず一泊させてもらいたいんだが、空いている部屋はあるか」

 泥棒は精一杯の冷静さを装ってそう伝えた。しかし、受付の老婆は不思議そうに泥棒を見つめるばかりで、うんともすんとも答えない。

「おい、何黙ってるんだ。空いてる部屋はあんのかって聞いてんだよ」

苛立った泥棒が大声でまくし立てると、

「ああ、はいはい。予約外のお客さんですね。では、まずこちらの用紙に記入して下さい」

 老婆は単に耳が遠かっただけらしく、そこでやっと宿泊の手続きに取りかかった。

 四階の部屋に案内されて一人になると、泥棒はテレビをつけて、チャンネルをニュース番組に合わせた。しばらく食い入るように画面を見つめていたが、どうやらまだ事件が公にはなっていないらしいことがわかると、そこでやっと少し緊張を解いた。

 冷蔵庫で見つけたペットボトル入りのミネラルウォーターを持って、泥棒は座椅子に踏ん反りかえった。蓋を開けて水を半分ほど飲む。次に、座卓に置かれた干菓子を手に取り、袋を破いて中身を口に入れた。それをボリボリと噛み砕きながら、テレビのリモコンを弄ってバラエティ番組を映した。

 とても笑える気分ではなかったが、何かで気を紛らわせていないと、男を殺めたときの感覚が蘇って、罪悪感や警察に捕まる恐怖に押しつぶされてしまいそうだった。

 三つめの干菓子を食べ終えたところで、遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきた。ドキリとして耳を済ます。音はこちらへ近づいてきているようだった。

 パトカーがすぐ近くまで来ると、泥棒はいよいよ潮時かと逃げる準備を始めた。しかし、サイレンはホテルの側を通り過ぎて、そのまま遠ざかっていった。

泥棒がほっとしたそのタイミングで、今度は部屋の電話機が鳴り始めた。気を抜いた直後だったこともあって心臓が跳ね上がる。

乱れた呼吸を落ち着けてから、泥棒は受話器を持ち上げた。

「もしもし?」

『ああ、お客さん。なんかねえ、お客さんに用があると言って人が訪ねて来たんで、とりあえずそちらにお通ししましたよ』

 今度こそ泥棒は血の気が引いていくのを感じた。

俺がここに泊まっているのを、警察以外の誰が知り得よう? 

パニックになって扉の方へ向かった泥棒の耳に、車輪を転がす音が聞こえてきた。それが部屋の前で停止したかと思うと、扉が二回ノックされた。


(5)

「こんばんは、落とし物回収サービスの者です。モニタリング結果に基づいて、お客様の落とし物をお届けに参りました」

 泥棒は訳がわからないまま、息を殺して覗き窓に目を押し当てた。丸い枠の中に、青い作業着姿の男が二人立っている。うち一人は巨大な段ボールをのせた台車を押していた。

 どうしたものか迷っていると、再度扉がノックされた。このままだと周りの者に怪しまれかねない。どうも警察ではなさそうだし、ここは素直に扉を開けた方が賢明だろう。泥棒はそう判断して、恐る恐る扉を開いた。

「荷物なんて頼んだ覚えはないが」

「おかしいですね。お客様、当社のタブレット端末をお持ちではありませんか?」   

その一言で泥棒は置かれた状況を理解した。

「あー、いや、持ってるよ。ちょっと酔っぱらって混乱してるんだ。で、どうすればいいんだっけ?」

「こちらに母印をお願い致します」

 職業柄、指紋を残すことには抵抗があったが、やむを得ず泥棒は配達員の求めに応じた。

「かなり重いのでお部屋の中まで運ばせていただきます」

 作業員は二人がかりで荷物を運び入れると、あっさりと部屋から立ち去った。

「一体これはなんなんだ?」

泥棒はシングルベッドほどもある箱の前に屈み込むと、折りたたみ式ナイフで封を切った。蓋を開けた途端、中からひんやりとした煙が広がる。「ドライアイスか?」と思って覗き込んだ泥棒の目に、つい数時間前に殺した男の灰ざめた顔が飛び込んできた。


この本の内容は以上です。


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