閉じる


 太宰治の「走れメロス」のラストは次のようになっている。

 

 

「万歳、王様万歳。」

 ひとりの少女が、緋のマントをメロスに捧げた。メロスは、まごついた。佳き友は、気をきかせて教えてやった

「メロス、君は、まっぱだかじゃないか。早くそのマントを着るがいい。この可愛い娘さんは、メロスの裸体を、皆に見られるのが、たまらなく口惜しいのだ。」

 勇者は、ひどく赤面した。

 

 

 走れメロスは、主人公のメロスが親友の為に走る、よくできた友情物語であり、太宰治の作品としては非常な成功作となっている。構成的にも思想的にも整序された作品であり、「傑作」の名に値する。だが、ラストの五行(「ひとり少女が」~以下)は明らかな蛇足に見える。が、急がずに、先に作品の概要を説明しておこう。

 

 まず、暴君の王様がいて、これは人間不信の為、多くの人を殺している。メロスは王に反逆し、人を疑うのは恥ずかしい事だと反論する。暴君の王はメロスを処刑する事にするが、メロスは妹の結婚式があるので三日の猶予が欲しいと言う。三日経ったら帰ってくる、帰ってこなければ親友のセリヌンティウスを処刑にしていいと取引を持ちかける。王は人間を信じていないので、メロスがそのまま逃げると考える。メロスは三日の猶予の間に妹の結婚式に出て、そこからなんとか帰ってくる。メロスは一度、友への裏切りを考えるが、乗り越え、必死の思いで刑場に戻ってくる。帰ってきたメロスは、友を信じて待っていたセリヌンティウスと抱き合い、友情と信頼の真実を見た暴君は改心する。最後には「万歳、王様万歳」。

 

 さて、走れメロスを通読した人は、「万歳、王様万歳」の後の「ひとりの少女が緋のマントを~」以下は蛇足だという事を苦もなく納得してくれるだろう。話としては「万歳、王様万歳」で終わっている。メロス、セリヌンティウス、王の三者の関係はここで綺麗に閉じている。懐疑は信仰によって乗り越えられ、話はうまくまとまっている。

 

 それでは、何故、太宰は「ひとりの少女が~」のラストを付け足したのだろうか。明らかな余計物をどうして太宰はつけたのだろうか。これは作家的問題としては非常に重要な事と僕は捉える。

 

 元々、太宰の作品というのは独特なオチがついている。このオチは、太宰と他の作家を分ける指標にもなるので、かなり重大だと思う。例えば、「乞食学生」という作品では、作家と貧乏学生とのやり取りが書かれるが、これは夢オチで終わる。「トカトントン」では、ラストには作家の側からの説教が出てきて、作品をぶち壊してしまう。しかし、このぶち壊し、作品そのものを壊していく、という意識がなければ、太宰らしくないとも言える。「人間失格」のラストでも、主人公は「神様みたいないい子でした」という言葉で相対化される。それまで主人公が積み上げた『負』の概念は最後にはひっくり返される。

 

 このひっくり返し、ぶち壊しというものが何故、存在するのか。僕は自分が拙い小説家ーーアマチュアのーーなので、太宰が何故、感覚的にそう書いたのか、書かざるを得なかったのかはうっすらわかると思う。だが、これを論理的に言葉に説明するのはかなり難しい。

 

 簡単に言うと、完璧な作品、綺麗に整序された、構成的に完全にまとまった作品があるとして、それは人は褒めるだろうし、作者も満足するだろうが、しかし、そこには何かが「欠けている」という感覚というものが発生してしまう。始めがあり、真ん中があり、終りがある。そのような綺麗な起承転結だけでは収まりきらない何かがある、そのはみ出した感覚というものが、太宰のような作家には常にあって、それがあのように独特なオチをつけなければ気が済まないのだと思う。

 

 「走れメロス」のラストは少女が羞恥心から、マントを差し出す事になっている。少女の羞恥心、はにかみというのは、現実生活では非常に些細な、小さな感情である。

 

 「万歳、王様万歳」という声は、人々の結論であり、幸福な最後であり、終焉である。この声が響いた時、生活はいわば「ホサナ」(神を祝福する声)に包まれる事になる。懐疑は終わり、友情が勝利した。我々は幸福である。が、そこには何か、小さな感情が欠けている。少女の含羞というのは生活の中では些細な事で、本来、実生活では「万歳、王様万歳」の声にかき消されてしまうものだ。が、この声を忘れては何か大切なものが欠けてしまう。友情と信頼の物語、それ自体は素晴らしい。メロスが内心に葛藤するものを抱えていた時、彼は、少女と同じように、自分の内面という、大きな世界から比べると些細なものを手にしていた。だが、それが「万歳」の答えで終末に辿り着く時、個人の内面というごく小さなものは、世界という大きなものに一致してしまう。人間の内面は、それが成就する事によって、それとは別のものになってしまう。その時、もう一度、些細な心理的葛藤というのは戻ってこなければならない。単に、友情と信頼の物語だけではない。人間の些細な感情は「万歳」の声にかき消されるものであってはならない。それだけでは、何かが欠けてしまう。

 

 僕が最も好きな太宰の作品に「鷗かもめ」という短編がある。これは戦争という大きな現実、制度的な変化の中で、作家が果たして自分の自意識を保持すべきかどうか、悩む話だ。

 

 

 「私は、やはり病人なのであろうか。私は、間違っているのであろうか。私は、小説というものを、思いちがいしているのかも知れない。よいしょ、と小さい声で言ってみて、路のまんなかの水たまりを飛び越す。水たまりには秋の青空が写って、白い雲がゆるやかに流れている。水たまり、きれいだなあと思う。ほっと重荷がおりて笑いたくなり、この小さい水たまりの在るうちは、私の芸術も拠よりどころが在る。この水たまりを忘れずに置こう。」

 

 

 もちろん、このように「水たまりを忘れずに置く」というのはあまりに些細な感情、つまらない自意識に過ぎない。何故、そんな事が言えてしまうか。太宰が痛感していたのは、戦争という大きな現実であり、同胞が自分の命をかけて戦っているという現実だ。同じ仲間が命を懸けて戦っているのに、自分は「文学」などというくだらないもの、「水たまりを忘れずに置く」という小さな感情を大事にしている。それは果たして正しい事なのか。ここに太宰の苦悩があった。

 

 戦争のような巨大な出来事が個人に訪れると、人間の小さな内面性、含羞などはもはや問題とならなくなってしまう。確かに、それは小さくくだらない事に違いない。だが、この小ささを失ってしまえば、全てを失ってしまうのではないか。芸術の真の闘いはここにあるのではないかと思う。芸術を功利的に、社会的にのみ測定する人々は、彼らが何を踏み潰したのかは見えないに違いない。

 

 太宰治という作家は常に、こうした小さな感情を大事にした人だった。「太宰治は暗い」と紋切り型に言う人は太宰の真の姿を見ていないと思う。太宰治は気質的に暗かったのではない。彼は暗い事に自覚的であったので、言い換えれば、それは思想としての暗さで、「右大臣実朝」の言葉にはっきりと現れている。

 

 「アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ」

 

 「走れメロス」のラストが何故ああなっているのか。このようにして、太宰には常に、「小さいものを大切にする感覚」というのがあった。世界は、理想によっても、破滅によっても終わらない。終わった所に始まりがあり、始まった所に終りがある。太宰の作では最も暗い「人間失格」は、主人公が「神様みたいないい子」と評価される事で終わっている。このようにして最も暗いものは、別の視点を通すと明るいのだ、という複雑な光学が太宰にはあった。そこで太宰は作品を重層化していたとも言える。

 

 「走れメロス」のラストにも太宰の特色は現れている。太宰は物語を、最初から最後まで整序されたものとして作るのを好まない。「万歳、王様万歳」で終わってはならないと感じている精神があって、それがああした蛇足を生む。世界は単純に成り立っていない。世界は、ある種の破滅とか、幸福とかに一元化できるものではないが、それを一元化しないと、物語に終端はない。したがって、物語に終端をつけながらも持続していくものを示す事ができるか、というのが問題となる。

 

 夏目漱石の「道草」「門」はどちらも同じような終わり方をしている。どちらも、問題は解決するのだがそれと同時に、決して問題は解決し切るものではない事が示されている。太宰と漱石ではだいぶ違うが、これは人生に対する態度の類似から来た相似と考えたい。

 

 作品には構成があり、物語が必要とされ、必要な形式を持って整えられる。作品の完璧性のみを考えるなら、蛇足はいらない。が、作品の外にも続いていく世界が太宰には常に感じられていた。「乞食学生」が夢オチに終わるのは、作者が生み出した貧乏学生の像に対して、作者自身がどこかで嘘くさいものを感じていたからこそあんな終わりになったと僕は見ている。あるいは、貧乏学生と作家との交流がうまく行き過ぎたもの、理想的すぎるものになったからこそ、オチはその逆のものが必要とされた。太宰は常に、物語を描きつつも、それを相対化する視点を付け加える事を忘れなかった。そうした太宰の特性が「走れメロス」の最後をあのようなものにしたのだと思う。作品は終わるが、終わらない何かがある。ではそれを作品に取り込めるかーーこの懐疑が、あのような蛇足を生んだ。僕はそう考える。


奥付



「走れメロス」ラスト五行を解釈する


http://p.booklog.jp/book/115165


著者 : ヤマダヒフミ
著者プロフィール:http://p.booklog.jp/users/yamadahifumi/profile


感想はこちらのコメントへ
http://p.booklog.jp/book/115165



電子書籍プラットフォーム : パブー(http://p.booklog.jp/
運営会社:株式会社トゥ・ディファクト




この本の内容は以上です。


読者登録

ヤマダヒフミさんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について