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  • 風狂(2017年)
  • 風狂(2017年)
  •  「風狂の会」は1994年(平成6年)頃に、自然発生的に生まれた。但し、前身になった集まりは幾つかある。最も主要なものを遡及すると、現代詩の公器と言われていた月刊雑誌「詩学」で作品指導を行っていた「東京詩学の会」において、講師であった齋藤 怘(まもる)氏とそのメンバーたちが、1988年(昭和63年)に始めた詩を研究する会であった。その後、「中野学校」「武蔵野詩人会」を変遷して「風狂の会」は生まれたが、主宰者は、2006年(平成18年)6月に亡くなるまで齋藤 怘氏であり、現在はその後を継いだ北岡善寿氏である。ところで「風狂の会」には会則がなく、役員もいない。つまり自由な風狂詩人であることを自認する者、詩歌に興味がある者、文学に関心がある者などによる自主的で民主的な集まりである。しかしながら、日常的に作品を発表する場所が従前からなかったので、2014年(平成26年)8月に創立20周年を記念して電子書籍の同人誌「風狂」を創刊することとなった。誰でも投稿できるものとするが、創作活動に主眼を置く観点から、掲載作品は原則として未発表のものとしており、編集会議(編集長は北岡善寿氏)にて決定するものとする(投稿規定は「風狂(創刊号)」の「創刊に当って」を参照)。毎月21日に新作品を発表する予定である。
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風 狂(2017年5月号)目 次

 

 静 物                  長尾 雅樹

 泣く女                  なべくら ますみ

 T へ                  原 詩夏至

 出 口                  北岡 善寿

 列車の中で                金  得永

 成熟を説く人へ              高村 昌憲

 砂の暗号                 出雲 筑三

 万葉集                  高  裕香

 

風狂ギャラリー

 三浦逸雄の世界(十八)          三浦 逸雄

 

エッセイ

 壊れゆく理性               神宮 清志

 

 アラン『わが思索のあと』(三十四・最終章)高村 昌憲 訳

 

執筆者のプロフィール

 

読者からのコメント(2017年 4月号)

 


静 物       長尾 雅樹

 

枯れた酸漿ほおずきの実や

魚の骨の構図を描いて

円柱型の花瓶から

配置されたフラスコやビーカー

科学の実験道具が姿勢を取る

フラスコの中の赤錆色の水や

ビーカーの中の枯れ酸漿の皮が映える

 

透視された豊饒の点景

枯れ枝の心象から

冬日の寒風を孕み

流芒する気流を構想して

白光する鏡台の中の蔓草の還流

凝視する物体の迫真性を

確かな輪郭で素描しながら

想像力の極限から空間を構築する

背景に塗り込められた鉄錆色の壁

枯れ草の印象を定着させて

枯淡の材質が充足の願望を測る

 

灰白色の布敷から

眩ゆく照り返された残光が飛散する

流線形を構成する配色の妙から

放射する素材の存在感を確かめて

沈黙の画布が語りかける叙景は

雑然とした単純素朴の映像を伝える

 

並べられた無用の長物の佇む姿から

発散する廃物の無惨な即物性を垣間見て

語るべきものがある。

美の極地は廃残の劣悪の秩序にもあるかと

問うべきものがある。

真実の感動は無造作の老残の図にもあるかと

答えるものは一枚の彩色された画像のみか

 


泣く女       なべくら ますみ

 

駅コンコースのうす暗い一角

向き合って話し込む二人の女性 

よく似た雰囲気の ちょっと見美人

仕事はCAとか SEとか今的な感じ 

化粧は控えめ 背も高く格好良い

 

コインロッカーの扉に

体を支えるようにして立ち

何事かを訴える一人

今にもあふれ落ちそうな涙に

ハンカチを握りしめて

 

こらえ切れなくなったのか

女が声を放ち泣き出した

顔を隠そうともしないで

丁寧に塗り込んだ

目元の化粧が溶けだす

 

黒い涙を流し鼻水まで垂らして

顔をゆがめて泣く 

ピカソの画

〃泣く女〃より 

もっとひどい顔

 

怪訝そうな顔をして

振り向きながら通り過ぎる人もいるが

誰も声を掛けようとはしない

どうしましたか とか

気分が悪いですか とも

 

隣で見守る女性にも

手の出しようがない様子 

ただ黙って見つめるだけ

 

帰りを急ぐ人たち

一日の終りを気にしながら

ひたすら前だけを見て行く

ひどい顔の女を置いて

 


Tへ    原 詩夏至

 

Tよ

おまえが逝ってしまって

俺は

途方に暮れてしまって

深夜

一度寝たパソコンを起こして

こうして

一人で座っているわけだが

 

おとといなんだ

ほんのおとといなんだよ

俺が

おまえのお母さんと一緒に

みんなで

短歌の話などしながら

公民館の机を囲んだのは

「ねえ、今日は来ないの、Tは」

桜は

その町では

もう

すっかり

終わっていたんだが

 

Tよ

おまえが

仕事に悩んで

長く会社を休んでいたことは

俺も

みんなも

知ってはいたけど

それでも

暫く

飲んで喋ったら

おまえは

やっぱり

おまえだったし

俺は

いつでも

楽しかったんだよ

歌会後

おまえが

ふらりと現れて

居酒屋の

座敷の

空いてる座布団に

どしんと

腰を下ろし

俺の手渡した

書き込みだらけの

詠草プリントを

見ながら

時々

はっとするほど

鋭いコメントを

腹式呼吸で

突っ込んでくるのが

 

Tよ

安心しろ

おまえの遺歌集は

俺たちが

みんなで

必ず出す

何と言っても

おまえは若くて

才能も

随分あったからな

もっとも

その自覚と責任が

どこまで

食い込んでいたかは

知らないけど

 

しかし

それでも

ぽつねんと

中空の

おまえに

俺は訊きたいんだ

 

Tよ

問題は

そういうことなのか?

 

それとも

全然

違うんじゃないのか?

 


出 口     北岡 善寿

 

あと何年か

いや あと何日か

指折り数えてみることでもないから

永遠は永遠に無言である

などと分りもしないことを言って

澄ましていたくても

どうしても頭がそこへ行く

 

誰にだって暮しはある

蝦で鯛を釣ったり

酒や女に現をぬかしていようと

天から札ビラが降る夢を見ようと

日々の暮しは退っ引きならぬものに繋がる

追われ追われてやがて

無限の闇の入口に近づく

地獄に落ちるか

天国に昇るか

といってそんな場所が本当にあるのか

あるのかと言ってみても

在ることにしておかないと

亡霊たちの納まりがつかない

 



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