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                   JunichiYONETA 米田淳一

 来島運転士は、北急電鉄の宮ヶ瀬湯本から恵日奈への回送電車を運転していた。
 電車は最新の新5000形。通勤車なのに純白の新素材製ドーム天井と多くのサイネージで彩られた新時代の通勤車である。
 運転状況は、乗務点呼のとおり、台風通過中で、横たわった秋雨前線も相まって、ひどい風雨である。
 今年の夏はとんでもなく暑く、冷房がないための熱中死、死人が出るほどの恐ろしい夏だった。
 しかし、その熱気を吹き払うように来たこの台風も、またとんでもない勢力の強風域を持っている。
 一度通過待ちをする天沢駅は、そのとおり七瀬川の沢と並走する区間の真ん中にあり、この北急半原線にしては珍しい無人駅であるが、とはいえ後ろの宮ヶ瀬湯本・半原から神宿へ向かう特急列車の通過待ちをする待避線がある。
 来嶋の運転する回送列車はそこに向かっている。普段であればはるか後ろの車掌だけが同じ列車に乗り、心細い限りだったが、この日は偶然同乗者がいた。
 用務で宮ヶ瀬湯本に行って、そして恵日奈にもどるために同乗する助役の長田さんである。
 温厚な性格、ちょっと頭の薄いのも笑いにするが、それでいて独特の品の良さを感じさせる長田さん。
 しかし、じつはかつての甲組機関士、お召し列車の運転すら行える、優秀な運転士であったという。
 それも現在の筆頭甲組機関士であり、来嶋の師匠・梅沢機関士のライバルだった。
 だが、なぜか、年齢もそれほどでもないのに、運転士をやめた。
 なぜだろう。

 そのとき、来嶋は、声も出せない激痛に身を折った。
 運転中なのに!
 幸い天沢駅4番線に列車が入り、最後のブレーキをかけながら待避線の停止位置標が無事近づいていた。
 どっと吹き出す脂汗のなか、来嶋はマスコンを操作し、無事に停車させた。
 でも、そこで意識が遠くなった。
 運転指令を呼ぶ列車電話が、いつもはすぐ手がとどくのだが、痛みで折った身体からは、まるで地球から月のように遠くに見える。
 そこで、思い出した。
 長田さん!
 運転室の後ろの壁を叩く。
 だが、手に力が入らない。
 小さな音しか出なかったが、しかし長田さんはすぐに異変を察知し、「大丈夫か!」と運転室内に入ってきた。
「こちら回9902列車、運転士に緊急事態!」
 長田さんがすぐに電話をとり、運転指令に報告する。
 さすがもと甲組だけあって、なんともたのもしい、要点を得た報告である。

 しかし、絶望的なことが分かった。
 天沢駅には、救急車がやってこられないのだ。
 駅への道が、あまりにも細すぎる。秘境駅に近いのだ。
 そういう緊急時の第一選択が西海大学病院のドクターヘリだという。しかもこの台風ではそんなものが飛べるわけがない。
 かといって、交代の運転士は、次の特急から交代することも出来ず、続行する急行しかないのだが、それを待っている余裕はない。
 急を要する。
 脂汗を流す来嶋は、口にした。
「助けてください。運転をお願いします。
 あとはどうとでもなります!」

「自分は罐を裏切った。
 自分には機関士の資格がないんだ」

 長田はそう言って、受話器を持ったまま、固まった。

 甲組機関士の日々、運転と検討の日々が、彼にあった。
 だがその日々に、とある重工メーカーへの出向が命ぜられた。
 海外向け機関車の輸出にあたっての、現地人の機関士に対する運転指導だった。
「私は、多くの機関士の卵と、多くの罐を、地獄に送ってしまった」

 そう言いながら、長田助役は来嶋の身体を背負い、床の上に来嶋の運転カバンの中から取り出したシーツを敷き、横たえる。

「私の大罪。
 すべての作業が終わったとき、その相手国で、戦争が始まった。
 結果、送り出した機関車が、軍用列車になって、死地に人を送り、途中で破壊された。
 またある機関車は装甲列車の推進牽引機となり、戦い、そして破壊された。
 兵器の目標となって。
 そして、多くの機関士が、マスコンを握ったまま、戦死した。

 鉄道も兵器になる。
 わかっている。鉄道は使い道による、道具だ。

 それなのに私は無邪気に、彼ら機関士の卵に、夢の鉄道を語ってしまった。
 何という罪だ。
 実は抵抗しようとしたが、無理だった。
 そして、よりによって、それなのに、運転を教えることに、熱中してしまった。
 なんという罪だ!

 それでも、鉄路から離れられない。
 だから、助役になって、皆を送り出し、応援する道を選んだ。
 平和な日本の鉄路のありがたさを知りながら、それもまた永遠ではないと怯えながら。
 未来はわからない。そして、未来が、恐ろしい」

 長田は、そう言いながら脈拍を測り、また最近社で買った小型血圧計で来嶋の血圧も図り、公用の携帯でそれを運転指令経由で救急に報告していた。

「わかりました。
 でも」

「わかっている」

 助役は、来嶋の頬をぴたぴたとさわって合図し、離れて、運転台でマスコンを握った。
「さすが新5000形、新しい運転装置だ。使いやすいね。
 講習では習っていたが」
「長田さんの時代からは、進歩しましたよ」
 苦しみでとぎれとぎれの意識の中、来嶋は声を絞り出した。
「ああ。
 大丈夫だ。任せろ!」
 そして、来嶋は初めて聞いた。
「天沢4番、出発進行、制限35!」
 長田の、運転の指差喚呼の、凛とした声を。

 回送列車は、無事西海大学前駅まで長田の運転で進んだ。
 長いブランクを感じさせない運転の滑らかさは、新5000形のハイテクシステムのおかげだけではない。
 それ以上の、運転する列車を選ばない、確かな甲組機関士の技量にほかならなかった。

 駅前で救急車が待っていた。

 *

 そして、来島は入院した。
 とはいっても、盲腸で短期入院ということで、すぐに運転に戻れることになった。
 長田の資格者外の運転については、樋田社長を始めとして、事後処理で問題なしとなった。

 見舞いに長田助役がやってきた。

 お見舞い品がどっさりあった。
 師匠の梅沢さん、来嶋のライバルの中西機関士、そして多くの運転士や鉄道員仲間からの見舞い。その中には梅沢さんのライバルから単なる鉄道ファンの主婦となった月島さんからのものもあった。

 すいません、と来嶋が謝ると、いいじゃないか、仲間が多くて、と長田助役は微笑んだ。
 そして、言った。
「あの国から手紙が届いた」


 親愛なる甲組機関士、そして先生、ミスター長田

 お久しぶりです。研修の時になかなか停止位置への定着が出来なかったヤーワルです。

 私の国では、テレビでもご覧と思いますが、戦争が終わって、政治も変わりました。

 豊富な資源を生かして、豊かな国づくりが着々と進んでいます。
 テロもまだありますが、それはニュースになる程度の少ないもので、人々は圧迫と専制、隷従からときはなたれ、自由に鉄道の旅を楽しめるまでに回復しています。
 そして、ついに我が国に新幹線を敷く計画が始まりました。
 いくつもの欧米企業から、早速売り込みがあります。
 でも、先生、ぜひ我が国の後輩に、鉄道のご指導をよろしくお願いします。
 先生の語った夢があったから、私も、戦争に耐えられました。
 多くの倒れていった仲間も、皆、先生の夢を最後まで憧れていました。
 運転士の運転する列車の進む前方向の車窓を見て、目を輝かせる子供たち。
 駅や沿線でまつ、多くの鉄道ファンたち。
 軍用列車で運んだ兵士たちも、みなその夢を信じていました。
 みな、あの狂信の指導者以外は、みな、その平和を夢見ていました。
 その夢が、我が国にもようやく生まれています。
 だからこそ、その先生の鉄道を、新幹線を、我が国にお願いします。

 お返事をお待ちしております。

    ムハンマド・バーキル・ヤーワル

          あなたのかつての生徒、そして現・イラキスタン共和国鉄道大臣


 来島は、胸が熱くなった。

「未来が、信じられない。
 でも」

 来島は、言った。
「生意気ですいません。
 でも、きっと、それが、プロフェッショナル、プロの機関士なんだと思いますよ」

 長田は、まだ迷っているようだった。

「そうかもしれない。
 出発期日が迫っているが、私には」

 来嶋は微笑んだ。
「私ももう退院です。
 長田さん、行ってください。
 僕らの鉄道の夢を、彼らにも見せてやってください。
 彼らが犠牲の上に得た平和な国土に、楽しい鉄道を敷いてあげてください」

「そうだね」

 長田は、頷いた。

「樋田社長に、承諾を言うよ」

 その目には、涙が浮かんでいた。

 来島は、長田の手を誘い、長田は応じ、お互いに握った。


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IMG_0245 posted by (C)YONEDEN



 病室の窓に切り取られて見える空で、長い、無駄に苦しい灼熱の季節が、終わろうとしていた。


<了>

この本の内容は以上です。


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