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                                                    Junichi YONETA 米田淳一

 東京から西へ走る大手私鉄・北急電鉄では、相模大川工場が最も大きな電車の車両工場である。
 その工場と車庫の線路には、旅客ホームと同じように番号がふられている。
 そのうちの一つが31番線、ファンの間では「買いたい線」とも呼ばれる解体線である。
 その名のとおり、すべての車両としての仕事を終え、もう分解されて売却される事の決まった廃車が、解体という最期を迎える引込線である。
 分解・解体されるぐらいなら「買いたい」、買って自分の土地において保管したいというのは多くの鉄道ファンの夢であり、北急電鉄としてもそれに応えたいという意思はある。
 だが、保存場所へ運搬する場合、陸路での特大貨物の運搬は、特別に運送会社に頼むために非常に費用がかさむ。
 ちょっと動かすだけで一千万円という話もあるぐらいだ。
 かつて他の私鉄でも廃車一両を車両基地の発生品のオークションにだしたのだが、そのせいで値段がつかなかったこともあるという。

 また北急電鉄には、その長い歴史のため、さまざまな譲渡車両があちこちの車両基地に分散保管されている。
 その中にはもう自走不能となったものも多いが、それでも何人かの鉄道員と社員と、その家族や関係者で、私的に細々と小修繕や塗装直しをしたりして形だけは保っていることがある。
 それが北急電鉄が「東の私鉄のプリンセス」と呼ばれる美風の一つである。




 その日、一両の機関車がその31番線に牽引されていこうとしていた。

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 その機関車はEF58。かつての国鉄の花形旅客列車牽引機関車である。
 私鉄ではこれまで西武鉄道のE31が私鉄最大の機関車だったのだが、それを超える大きさの機関車が北急にあったことは早速鉄道趣味界のトップニュースとなった。
 とはいえ自走不能のEF58は、牽引車として、北急電鉄の臨時列車牽引のベテラン・機関車EF81に牽引され、31番線に向かうこととなった。
 保管していた恵日奈車両基地で、恵日奈駅の駅舎改装工事の関係により、場所を失ったのだ。
 惜しむ声は社内でも大きかったが、北急の樋田社長は北急鉄道博物館に保存することとし、単なる廃車ではなく、その保存のための修繕と改装をすると説明した。
 しかし、残念ながら、線路の上を走っていた状態からは変わってしまうのだ。

 この年の夏の残暑というより酷暑の夕方、刺々しいほどの強い陽の光が溢れる相模大川の旅客ホームでは、そのEF81の牽引するEF58の回送列車を撮影しようと、ファンたちがホームを埋め尽くしていた。
 北急湘南島線と半原線の分岐駅である相模大川駅は、ただでさえ乗降客が多いのに、そのうえ撮影ファンたちが溢れるのだ。
 日陰と日向のコントラストが鋭い夏の熱気の中、彼らがホームから転落しないようにと、駅員だけでなく北急警備の警備員まで動員しての、必死の雑踏警備である。
「その脚立どかせよ! マナーだろ!」
「何言ってんだ! お前もじゃないか、うるせえ黙れ!」
「黙れっって何だ!」
 叫び合う彼らの間にすぐに警備員が割って入る。
 最近の鉄道ファンのなかには、こうしてフーリガン化し、こういった場でわがままを罵声として浴びせるものもいるのだ。
「お前でけーんだよ、頭下げろよ!」
「じゃまなんだよ! どけよ!」
 駅員がそれをハンドマイクで規制する。
「撮影のお客様、安全のために規制線を超えないでください、押さないでください!」
「わかってんよ駅員! うるせーバカ!」
 酷い罵声大会である。
 牽引してきた「ごくろうさま さようならEF58 2010年8月31日」のヘッドマークをつけたEF81が入線すると、今度はそれにカメラのフラッシュを容赦なく浴びせる者が何人もいる。
 停止したその列車を構内運転士に引き継いだ来島機関士は、そのフラッシュで目を完全にやられていた。
 覚悟していたものの、まぶしさに目が眩み、運転操作に支障しかねない状態であった。
 が、なんとか列車を無事に停止位置に止められたことで、ようやく一息ついたのだった。
「ひどいですね」
 構内運転士が、彼らに呆れながら引き継ぐ。
「ええ。運転中の列車前面にフラッシュ浴びせるなんて、全く常識外ですよ」
 その時、来嶋を迎えた初老の構内助役が口にした。
「あいつらにマナーを語る資格はない。
 あいつらの目的は、自分だけの満足だ。
 第一、そんなにマナーマナーと言ってるが、やることが問題だったら、自分たちでマナーなんてぼやかさずに自主的にルールを作ればいいだけの話じゃないか。
 それを作らずにマナーをいうのは、それが自分に跳ね返ってくるのが怖いからさ。
 互いの足をひっぱることに夢中な、他のやつにいい思いをさせたくないという、さもしい根性で、マナーを押し付けあう」
 構内助役は来嶋に北急で今年の熱中症対策に一括購入しているスポーツドリンクを渡した。
 今年の夏は特に暑く、熱中症が恐しいのだ。
 『ありがとうございます』と受け取る来嶋に、助役は言い切った。
「鉄道は輸送の使命、安全のためのルールがいくつもある。
 なにしろ人命がかかっている。ルールは絶対だ」
「そうですね。でも、今夜は連中、構内立ち入りの心配がありますね」
「ああ、たまったもんじゃない」
 構内助役は規制している駅員と警備員に会釈し、構内通路を通って工場詰所に向かう。
 後ろで一斉に罵声が高まると同時に、最期のEF58の回送が、31番線へ動き出した。
「良き鉄道ファンもいっぱいいる。ほとんどがそういう人々だ。だからうちの会社も、そういう人々を大事にしたい。
 それがこれじゃな。全く、一部の数人のせいで台無しだよ」

「夜は31番線はバチッと構内灯を切って、あとは交通警察に追い出してもらうさ。
 だいたい、あいつら、悲しいとは思わないのかね。
 立派に列車の先頭を走り続けた勇者である機関車を、こんな悲しい騒ぎで見送るのが。
 まあ、だから俺達は、ここ」
 構内助役は自分の胸をどんと手で叩いた。
「ここにとどめようと、このずっと前に、しみじみと別れを済ませているのさ。
 惜しいけれど、本当に任を終えた機関車、彼女と別れを惜しむには、そうするしかない」
 来嶋は頷いた。
「それと、来嶋、今日の仕業は?」
「終電を運転して泊まり、明日は朝から明けで帰宅です」
「そうか」
 途中、車両移動機に付け替えられたEF58の後ろを見た。
 そのテールランプは明かりを失い、後部注意板、赤い反射板が取り付けられていた。
 その向こうに、最期の線路、31番線がある。
 EF58は、これでとうとう機関車から、物言わぬモノになるのだ。
 そして、それをなおも駅ホームから狙い続ける鉄道写真カメラファンが群れをつくっていた。

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    *




 来嶋は食事当番の作った夕食を食べ、着替えた。
 そしてやってくる最終電車の運転準備のため、乗務員詰所をでた。
 黄色い線で指示された構内通路を通って、ホームに上がる。


 するとそこに、頭に剃り込みを入れた、目付きのやたら鋭い、簡単にいえばヤンキーっぽい少年が、望遠レンズを構えてなおも31番線を狙っていた。
 確かにここから見ると、31番線にはまだ構内灯がともり、かろうじて最近の高感度デジタル一眼カメラで撮影はできそうだった。

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image 023 posted by (C)YONEDEN


「君」
 来嶋は最近の物騒さにちょっと気が引けながら、声をかけた。
「すいません」
 彼は見かけとは裏腹に、素直に頭を深く下げた。
「もう、今日は終わりですよね」
「そうだね。でも君が一番最後みたいだね。
 もうすぐここも閉まるけど、なぜそんなにあの機関車を」
 来嶋は聞いた。

 病気の弟にこの機関車の模型を作ってやりたかった。
 つまらないいたずらで人に大きな怪我をさせてしまい、児童相談所送致になった。
 弟はそれでも信じてくれた。
 その弟が今、病で病院にいる。
 臓器の移植待ちで、移植がなければこの秋にはどうなるかわからない。
 それまでに模型の資料のため、あのEF58の床下の写真が撮りたい。
 そして模型を作り、弟にプレゼントし、元気な頃に二人で乗った、EF58の牽引していた列車の思い出を弟と大事にしたい。

 それが彼の言葉だった。

 来嶋は考え込んだ。
 真剣な少年の瞳。
 事情は確かにわかる。
 気持ちもわかる。

 でも、それはゆるされないのだ。

「ルールだからね」
 来嶋は結論を出した。

「わかっています」
 彼はぐっとこらえた。
 そして、口を開いた。
「わがままを言ってすみませんでした。
 運転士さんもお仕事ご安全に。
 これで帰ります」

「そうか。
 今日一日、大変だったね」
「いえ、運転士さんこそ。すみませんでした」
 彼はきちんと、折り目正しく礼をした。

 そして、31番線の構内構内灯が、ばちんと消えた。
 すべてが闇の中に消えた。
 冷たい灯りはなおも工場と車庫のほうにはついているが、31番線は漆黒に塗りつぶされた。

 それで、鉄道ファンたちは皆、去っていった。

 その最後に去っていく少年が、ホームの乗務員詰所を通るときだった。

「アレ?
 おい、来嶋君、この回路おかしくないか?」
 その頓狂な声は、構内助役だった。

 えっ?

「構内灯の継電器がおかしいんだ。来嶋くん、君詳しいだろう? 見てくれないか」
 来嶋は訳がわからないまま、詰所に走って向かった。
 すると、助役は詰所についた彼を引き寄せて、小声で言った。

「わかるな?」

 来嶋は、はっと理解した。

 そこからは小芝居だった。
「しまった、構内灯がついてしまう」
「この分だとまたいったん点いたら、交換部品の倉庫が開く明日までつきっぱなしですね」
「まいったな。
 ああ、それから。
 俺、明け番のために寝なくちゃいけないんだが、構内監視の要員がいない。
 来嶋、代わりを呼ぶ。それが来るまでちょっとやってくれないか」
「わかりました。関係者以外立ち入り禁止の徹底ですね」
「そうだ。監視しっかりな」

 来嶋は、少年を呼んだ。
 そして、ホーム詰所の入り口で待たせ、中のロッカーからそれを取り出した。
 それは、緑色のの地に「運転室添乗者」と白い筆文字で記された、かつての同乗取材者用の古びた腕章だった。
 来嶋は彼にその腕章をはめさせ、安全ピンで止めた。
「君は、これで関係者だ」
 そして来嶋は呼ばれた駅員とアイコンタクトすると、すぐに机に向かい、書類を書きはじめた。
「さあ、行っといで。
 構内通路を職員が案内するから、31番線で写真を撮ってくるんだ。
 ルールは守っているから安心しなさい」

 少年の号泣が遠く聞こえた。
「ありがとうございます、でも、でも……涙で、ファインダーが」
 再び点いた31番線の構内灯の下、駅員が微笑みながら、少年に手ぬぐいを差し出していた。

 さて、と。
 ホーム詰所で添乗者申請の書類を書き終えた来嶋は、すぐにホームに出た。
 助役、職長もすぐに判子を押してくれるだろう。
 実際そのとおりで、早速助役が頷きながら小走りでそれを運転区詰所に持っていった。



 そこに、夏の終わりの藍色の深夜の空に、ヘッドライトを煌々とつけた最終電車がやってきた。
 線路の磨かれた鋼を冷たく照らしながら、その列車は停止位置でピタリと止まった。
 客室ドアがあき、終電のお客さんがざわめきとともに降り始める。
 そして側開戸が開き、運転士が降りて来た。
 パラパラと人々が行き交う中、ホームの案内放送が、この列車が「北急下り方面・恵日奈までの最終電車」であることを繰り返し告げている。
「6611列車、遅れなし、機器異常なしです」
 運転士が明瞭な声で引き継ぐ。
「ご苦労様です」
 来嶋に引き継いだとき、彼がアイコンタクトした。
 彼にも、この深夜にしては珍しく照らされている31番線が見えているのだ。
「そういうこともあるな」
「そうだよ。
 僕らは、ルールもあるけど、ルールはルール以上のものを含む。
 特に絶対にマナーという掛け声だけでは守れないものを」
「そうだな」

 相模大川工場31番線の最期の構内灯は、この日、2度ついたのだった。


<了>

この本の内容は以上です。


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