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甲種輸送

「そういえば、甲種輸送が2件入っているな」
「そうですね。新戸田経由ということで、ダイヤジャーナルにも載ってます」
「そうか」
 老機関士は、ぼそっと口にした。
「鉄道が人気復権したのはいいんだが、それがな」
「迷惑鉄ですね」
 来嶋も、苦い思い出だった。
 ルールを無視する身勝手な人間が、一定の割合でいる。
 分母の人間が少なければ、それは1にならない。つまり0.??で存在として出てこない。
 それが、分母が増えれば、1を超えて出てくるし、数も増える。
 鉄道趣味の中でも撮り鉄、写真を撮るマニアにもまた悪いヤツがいる。
 ルールを破り、運転中の運転士に撮影のフラッシュを浴びせて視野を奪ったり、駅で安全のための規制線を超えたり、沿線でも線路内に立ち入ったりする。
 また有名な撮影地では地権者とトラブルになり、その苦情が鉄道会社に持ち込まれることもある。
 他にも盗り鉄と言われる、備品を勝手に奪っていくやつもいる。
 特に北急では郊外区間運転中の最新の通勤車両から当時高価だった車内情報表示器、LCDパネルが取り外され奪われたことがある。このときは北急のみなで憤慨したものだった。
「でもこの甲種、ちょっと不審だったんですが」
「何だ?」
「また機関車買うんですか?」
 輸送予定表には奇車會社発・新戸田経由・相模大川着・EF510 600とある。
「まあ、いろいろあってな。正確には買うわけではない。奇車會社尼崎からの預かり物とのことだ」
「色々って何ですか」
 来嶋はいつの間にか語気が強くなっている自分に気づき、口を閉じた。
「わかるさ。ようやくEHが定着してきた時なのに、というおまえさんの気持ちもわかる。
 しかし、JR各社にとっては、ほぼ交直流標準機となりつつあるEF510のほうが扱い易いとの意見もあるのは事実だ。
 標準化もまた大事なことだ。性能比較試験も行うが、しかしこれまでEFハイフンのころは検査入場のたびにJRに代替運用を頼んできたんだ。性能の優劣ではなく、やはりバックアップ機は必要ってことだ」
「そうですね」
 しかし来嶋は割り切れない思いで、ダイヤジャーナルをただ見つめていた。


 いつものように北急所属のEF81が夜の新戸田駅で甲種輸送列車を受け取り、相模大川に牽引する。
 EF81と緩急車の後ろにEF510が続き、その後ろは円形の赤色反射板が取り付けられている。

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IMG_0830 posted by (C)YONEDEN



 立会う機関士として、来嶋と中西が偶然一緒になった。

「そういえば、久しぶりだな」
「ああ」
 二人はEF510を見つめた。
「600号と名付けられるそうだ。奇車會社尼崎の本領発揮と聞く」
「まあ、設計チームは米田重工との合同チームだからな。EHと同じだ」
「はたしてEHは2軸の動軸増強と重量増がどう走行性能と牽引性能、粘着性能に現れるかだな」
「EF ハイフンもまたF軸だった」
「懐かしいな。甲組をめざして電車運転に明け暮れた日々。
 でも、俺はあの頃の俺じゃない」
「だろうな」
 来嶋は受け流すかのようにポツリと答えた。
「運転は競うものではない、極めるものだと先輩に教わった。
 だが来嶋、俺は俺で、貴様を超えることを目標にしてきた」
「そうか」
 中西の眼が一瞬の月光を宿す。
「久しぶりの北急線、すぐに線見をして運転仕業に戻る。復帰はすぐだ」
「だろうな」
 来嶋は関心を向けなかった。
「どうしたんだ?」
 中西がいぶかしむ。
「正直、すこしずつ話になっていることがある。
 ブラウンコーストは延齢工事をしたが、それでも絶対的な寿命は来る。
 そこで考えられているのが、「ブラウンコーストnext」だ。
 水戸岡先生のドーンデザインのJR九州の周遊列車、そして近鉄の革新的な伊勢志摩特急。
 次々と計画が発表されるなか、北急HDも大幅な刷新を考えているらしい。
 それも、JR東海区間での機関車牽引が知っての通りなくなるため、動力分散の電車形式になるという」
「本当か!」
「少し企画部から聞こえてきて、内心穏やかではなかった」
「そりゃそうだろう!」
「だが、仕方がない。JR東海は事業用のレール運搬列車さえも電車方式に近い操作系をもつ新車に更新した。知ってのとおりだろ」
「そうか」
 中西はため息を付いた。
「それなのにもう一両機関車を導入する。これじゃうちの会社の方針が見えない。
 経営危機を外資からの迂回資金でのりきったとはいえ、金のある会社ではない」
「不安になるのも当然か」
「運転だけやらせてもらえればいいんだが、あいにく俺たちも機関士でありながら会社員だからな。
 会社の行く末を心配してしまう」
「そうか」
 そのとき、汽笛一声、甲種輸送列車が出発した。


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裏切りの東海道本線

 翌朝、いつものように来嶋は運転前点呼を受けた。
 添乗して線見をするのは中西である。
「では、ご安全に」

 そしてのりくんだのがEHだった。
 EHは機関車留置線から構内運転士によって移動させられ、ブラウンコーストの先頭に連結されている。
「足元に気をつけろよ」
 来嶋はそう言いながらキャブ、運転台に登り、反対側から中西が登る。
「9901列車車掌、感明良好ですか」
「9901 列車機関士、感明良好です」
「本日もよろしくお願いします」
 車掌との通話試験を終え、来嶋は入換信号機を指差した。
 それを中西が見守る。
「代々木上原から相模大川まで全部複々線化したんだな。俺のいたときはそれどころじゃなかった。
 しっかり拝見するぞ」
「ああ」
 来嶋はキャブから空を見上げた。
 行先には、不安のような薄暗い雲が低く広がっていた。
 そして、運命の出発信号が青くともった。

 ブラウンコーストエクスプレスは、またクルーズに向けて走り出す。




 成田空港第1 ターミナル駅をメロディーホーンを鳴らしながら出発した列車・BCEは順調に走っていく。
 途中東京駅の地下ホームを通り、横須賀線経由で大船に向かい、そこから東海道線に入る。
「ATC・ATS-P切り替え」
「切り替えよし!」
「大船7番出発、進行!」
 列車の車内放送をモニターするスピーカーでは、BCEクルーズのガイダンスがつづいている。
 今日のクルーズは成田スカイアクセス経由のクルーズである。
「相変わらず流石だな」
 中西がうなる。
「ますます磨かれたな。自弁、単弁、ノッチのコンビネーションが流れるようだ」
「お世辞を言っても何も出ないさ」
 と言いながら、戸塚を通過するときに手をふっている子どもがいたので、短声汽笛とともに手を振り返す。
 東海道を西に向かう。時刻は順光となる夕方の走行で、あちこちに撮り鉄がいて、シャッターを切られながら走っていく。

 その時だった。
 来嶋が突然警笛をピピピピピピピピピーッ!と悲鳴のように鳴らしながら、全弁と単弁を込め位置に押し込んだ。非常汽笛を鳴らしながらの非常制動である。
 列車は大きく動揺し、同じキャブにいる中西も何が起きたか分からないまま身体を突っ張って減速力に耐えるが、来嶋だけは前を見据えてイッパイイッパイにブレーキをかけている。
「何だ!」
「茅ヶ崎第3踏切、公衆立ち入りだ! 防護無線発報! 中西、止まったら安全確認に行ってくれ!」
 中西はこわばったまま無言だった。
「中西! しっかりしろ!」
 我に帰った中西は復唱した。
「公衆立ち入り、安全確認!」
 列車が減速していくと、その先の踏み切りで、カメラ用三脚が線路内に倒れ、撮り鉄が非常警笛に凍りつきながら三脚のそば、遮断機を超えた線路内にいた。
 列車が止まると同時に、中西と来嶋はキャブをおり、その撮り鉄に駆け寄りながら業務用携帯で所轄署を呼び出した。
「大丈夫か!」
 その来嶋のかけた言葉に中西は驚いた。非があるのは撮り鉄の方だ。
「す、すいません」
「悪いけど、警察で事情聴取されるからな! 警察がくるまでおまえさんの身柄は確保する!」
 来嶋は慣れた調子だった。
「昔、この踏切で同じように立ち入ってはねられた撮り鉄がいるんだ」
 中西は逆に沸騰していた。
「お前! これでどれだけ皆が迷惑するか、わかってるのか!」
 その撮り鉄を叱責する中西に対し、来嶋は冷静に警察と車掌、そして運転指令に報告をしていた。

 そして神奈川県警の機動捜査隊がきて、身柄を受け取った。
「お客さま、ただいま線路上の安全が確保されましたので、再び列車は運転を再開いたします」
 車内放送の流れるなか、来嶋は「出発!」と喚呼し、機関士交代の熱海までの運転を再開した。

 熱海で来嶋たち二人の機関士は、JRの機関士に乗務を引き継いだ。
「9901列車、7分延、運転機器異状なしです。よろしくお願いします」
「7分延承知、ご苦労様でした。引き継ぎます」
 熱海駅のホームで引き継ぎを終えた来嶋は、中西とともに運転してきたBCEのテールサインを見送った。

「詰所で風呂入ろう」
「こういうの、なれているのか」
「ああ。最近はとくにそうだ。マナーを忘れて夢中になる連中が多い。それ以上に飛び込みするやつも」
「フランスや台湾の高速鉄道ではありえないことだ」
「日本の狭軌在来線は大変だよ」
「まったくだ」
 そして詰所に入ると、当直助役がつらそうな顔で待っていた。
「どうしたんですか」
「いや、来嶋、おまえさんの対処で命が救われたが」
 中西はハッとした。
「貴重なお客さん持ち込みのワインが一本駄目になったそうだ。
 まあ、それぐらいは列車だ、非常停車を予期しない方が悪い。
 だが、世の中にはそういう無理筋のクレームを付ける奴がいてな」
「そんな! 来嶋のミスではありません!」
 中西はそうさけんだ。
「わかってるさ。だから無理筋のクレームだと言っているだろう」
「無理にもほどがあります!」
「ああ」
 来嶋は特に気を動かすこともなく、「じゃ、始末書書きます」と答えた。
「慣れてるから」
「とはいえ!」
 中西は憤慨を口にする。
「世の中不条理すぎて、もう何が起こっても驚きはしない」
 来嶋は諦観めいた口調でいうと、業務用PCに向かった。
「中西、お前先風呂はいっててくれ。俺、始末書仕上げてから入る」
「来嶋! お前、なんとも思わないのか!」
「思わないさ。今更どうなるわけでもない」
 中西は、親友の極度の諦観に、胸を痛めたように顔を歪めた。

 中西は風呂で、来嶋を待っていた。
「実は」
 中西は苦しげに言った。
「線見で添乗していたのに、あの踏み切りの異常に、気づくのが少し、遅れた」
「それは大した事はない。在来線のカンがなまっているだけだ。なれれば容易に気づく」
「しかし」
「しかしもない。ただ、無理筋の連中がやいやい言ってきている。
 EHと俺を、なんとか処分しろと」
「ありえない!」
 中西はさけんだ。
「ありえない世の中になったのさ。お前がいないうちに、日本はおかしくなった。
 それは俺たちにはどうすることも出来ない。
 中西、あとは」
「馬鹿な!」
「いや、お前になら託せる」
「来嶋! お前がどれだけ機関士甲組に憧れていたか」
「機関士の地位なんて、今は単なるオペレーターに過ぎないさ。特にあの無理を言ってくる偉い人達には」
「悔しくないのか」
「もう悔しくなる気も失せたよ」
「来嶋……」
 中西は顔をさらに歪めた。
「大丈夫だ。俺、慣れてるから」


 そして、中西に指導機関士がついて、BCE牽引仕業の訓練が再開された。
 来嶋の名札は、BCE牽引仕業の乗務割から、消えた。

 中西は悔しかった。
 だが、来嶋は最後に言った。
「あんなくず鉄みたいな連中でも、命は命だ。
 恨むな。恨むと、それを罐は感じ取る。
 罐は生きている。どんなにインバータだのが使われても、今も昔も罐は罐だ。
 そして機関士も、今でも機関士だ」

 そして、EHもまた、運用表から外れて、相模大川工場に入場した。

 心細さと憤りを秘めた中西は、それを吹っ切るように励み、EHの代わりにBCEの先頭に立つEF510 600のマスコンを握った。


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IMG_0845 posted by (C)YONEDEN

 北急線を通るEF510 600の牽引するBCEと、すれ違う7000形ロマンスカーLSEが、すれ違う。
 そのLSEの2階運転台に、来嶋がいて、中西へ手をふった。
 BCE牽引の中西も挙手で答えたが、内心は複雑だった。

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IMG_0828 posted by (C)YONEDEN

密命

 中西はBCE牽引仕業で忙しいなか、どうしても来嶋のことが気になっていた。
 甲組の中でも指導機関士である超ベテラン・梅沢も、それに次ぐベテラン女性機関士・神村もなにも言わない。
 しかし、中西には、来嶋は甲組を外されたように見えてならなかった。

 もちろん甲組といっても、BCEだけを運転するわけではない。
 電車甲組とも言うべき有資格者のみが充当されるVSEの運転にも従事する。
 とはいえ、来嶋はここ数日、ずっと LSEやHiSEや、その他通勤車両の運転にばかり携わっているようだ。

 確かに運転士としては当然の仕事だ。
 だが、互いを意識し、競い合っていた相手が、何の抵抗もせずに甲組の資格を失ったかのような勤務割に入っていることは、中西にとっては辛かった。
 そして、EH の入場も辛い。就役したばかりのEHが大川工場入りし、それ以来ぷっつりと話が途切れているのだ。
 「夜の業務研修」という雑談でも、みな不思議だが何も聞こえてこないと不審がっていた。
 そのなかで、ブラウンコーストエクスプレスの車輌置き換え、電車化の話や、JR東日本が導入した EF510が、いずれJR貨物に売却されることになったとか、JR東海が機関士を全廃するとか、そういう話ばかりがリフレインしていた。
 来嶋も北見運転所ではなく相模大川運転所に詰めているため、言葉を交わす機会もなくなった。

 そんななか、EF510 600、今では600号と呼ばれるBCE牽引仕様のEF510の確かな走行性能、ドライブフィールだけが中西の心の救いだった。

 その外側で、世の中が動いていることが余計心を騒がせていた。
 政権交代によって生まれた新政権は完全に自滅コースとなり、米軍基地問題では大失態を演じた。
 かといってその新政権に対抗すべきかつての与党もまた、国民の支持をとりもどせない。
 新政権を裏で支配するという剛腕幹事長の不正資金疑惑もまた、扱いがどう見ても不思議だった。
 不起訴相当になったのに検察審査会で起訴相当とされ、結果どういう経緯か、国会にだけ言い訳すればいいと言うことで決着することとなったようだが、甚だ経緯が不透明だった。
 東京地検特捜部が動いたのにも関わらずこの程度で収まってしまうところに、一部マスコミは日本政財界に隱然と存在する「人脈」のことに触れたが、しかしそれもいつの間にか掻き消えた。

 樋田社長は相変わらずちゃんと現場にも現れる。
 北急ホールディングスの指揮もせねばならないのに、合間をぬって運転区や車輌工場に顔を出す。
 彼ならすべて知っている、と中西は思ったが、樋田はそれ以上に、疲れた顔をしていた。
 結局、聞けずじまいだった。

 くそ、なんなんだよ。

 中西はフラストレーションに襲われていた。
 どうしても余裕が無い。
 いらいらが募り、ともすればモノに当たってしまいそうだ。
 こんな状態で運転して、ミスをしたら?
 それがさらに彼を追い詰める。

 そんな日だった。
 北急神宿駅にBCEを入線させ、出発準備をしている時だった。
「中西、おまえさん、来嶋とこういう遊びをやっていたな」
 業務用携帯でかかってきた指導機関士・梅沢の声に、中西は胸をつかれた。
「複々線区間で、僅かな合図だけで急行線と緩行線で列車を完璧に並走させる遊びだ。俺も見てたが、あれはおまえたちにしか出来ないだろう」
「すみません、公務中に」
「いや、それが今、役に立つ」
「は?」
 中西は見当もつかなかったが、梅沢に代わって北急HDのCEO、樋田社長が続けた。

 なんでも、東京地検特捜部が検察審査会の答申を受け、とある政治家を再起訴するという。
 その政治家の秘密を握っている人間が判明し、現在検察官と検察事務官が保護しようとしているのだが、その身柄が新宿にあるという。
 そして車で脱出させようにも、湘南新宿ラインの信号不調によるダイヤの乱れで新宿駅は凄まじい雑踏で、車で脱出させようにも口封じに証人が雑踏に紛れ込んだ刺客によって暗殺される可能性が高い。
 現在位置は正確には北急神宿、新宿駅の北急ホームだ。
 ここから最短距離で脱出させるには、現在チェックイン中のBCEに乗せてしまうしかない。
 だが、それで脱出させるとしても、BCEは次に本厚戯で停車し、ディナーのための食材など荷物と人員を載せる。
 そこに刺客がまぎれこむかも知れないし、また今やマスコミもその政治家を中心とした権力ネットワークの中に組み込まれているため、北急警備の総力を上げたとしても、本厚戯での停車前に証人の身柄を別に移送せねばならない。
 その途中も、上空にはその手が及んだマスコミの報道ヘリが待機し、監視しているだろう。

 しかし、策はある。
 北急は代々木上原から相模大川まで連続複々線化しているし、しかもその途中には長い地下化区間がある。
 そこでもうひとつの列車をBCEに並走させ、艦船などで行われている「ハイライン」という方法でBCEから証人をその列車に移送してしまおうということだ。
「そんな馬鹿な!」
「しかし方法がない。
 これは厳しいが、この証人はその幹事長だけではなく、その背後の老人たちとその側近によるネットワークの存在をすべて証言するという。
 検察は、これによって日本でその人脈に対するクーデターを起こそうとしているんだ。
 考えても見ろ。
 九州で起きている家畜伝染病のパンデミックがなぜちゃんと報道されない?
 なぜ中国海軍による海上自衛隊艦船への挑発行為に今の政府が何もしないんだ?
 それはすべて、その剛腕幹事長と結託した老人たちの利害を守るために、隠蔽されているんだ。
 彼らにとって、日本の行く末などどうでもいい。
 彼らの国外へ迂回させた利益、利害だけが関心事だ。
 だから、彼らに歯向かえば、国策捜査が行われ、地検特捜はそのたびに煮え湯を飲まされてきた。
 私の同期のベンチャー企業の社長もまた、その国策捜査とマスコミによる誹謗中傷で放逐された。
 もうそんな時代は終わりにしなければならない」
「でも、そんな曲芸的な運転は」
「中西、君となら完璧な同期運転のできる機関士がいるだろう」
「まさか」
 中西はハッとした。
「来嶋」
「ああ。来嶋が経堂まで移送要員を用意した回送列車を運転中だ」
 中西はため息を付いた。
「わかりました」
 樋田は、言った。
「頼んだ」

 北急神宿の1番線、出発信号が青くともった。
「時機よし! 出発、進行!」
 BCEを牽引する600号が、インバータの咆哮を上げ、運命の複々線へ向けて走り出した。

複々線、奇跡のランデブー

 BCEを牽引する600号は、余裕を残したまま、急行線を進んでいく。
 列車無線は事情により北急全線でダイヤが乱れていることに対する注意が一斉放送されている。
 見えた!
 緩行線をゆっくりと進む客車列車の最後尾、テールランプが見えた。
 見慣れないその客車列車に追いついて、そして追い越していく。
 途中、見慣れない展望車らしき車輌、サロンカーらしき車輌、そして食堂車らしき車輌が見えたが、どれも室内灯をけしている。
 しかし一箇所、眩く作業灯を照らして移送作業を行うらしいドアがあった。
 その列車の先頭には、EHがいた。

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 そして、中西が見ると、そのEHのキャブには、来嶋がいた。
 そのEHの来嶋の手元には、以前と違う運転台があり、それには全弁も単弁もなく、最新型の電車のような、シンプルなワンハンドルマスコンがあった。

「ありえない!」
 中西は驚愕した。
 機関車による客車牽引をワンハンドルマスコンで制御するだと!


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 しかし、インカムには来嶋の声が聞こえた。
「このワンマスの搭載のためにEHが運用離脱したし、またお前もわかっているだろう。
 北急でもっとも早くワンマスを導入したのは7000形ロマンスカーLSEだ。
 久しぶりのワンマスだが、ここ数カ月の特訓で、かなりできるようになった。
 LSEは北急のワンマス操作の基本を学び直すための、最高のトレーナーだ。
 その遺伝子を、このEH改は継いでいる。
 中西、お前にあわせる。頼んだ」
 中西は震えたが、答えた。
「やろう。余裕を持たせて運転する」
「ああ」
 来嶋は答えた。
「まかせておけ!」


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 もともとほとんどの北急の車輌には最近のホームドア対応としてホーム位置検出システムが搭載され、ナビ画面には正確に対象物との距離がセンチ単位で検出され表示される。

 すさまじいシンクロだった。

 14両編成のBCEと、12両の謎の回送客車列車が、ピタリと並走する。
 上空のヘリがちらりと見えたが、2列車はそのまま地下区間に入った。
「北急指令より、状況を許可する」
「対象者を移乗させる。ドア非常扱い開始」
 中西は、白手袋のなかに汗をかいているのを感じた。
 しかし、来嶋は頷いて、ワンマスを操作する反対の手で、サムアップ、親指を立てて答えた。

 駅員たちがホームに出て、この奇跡の並走に歓声を上げる。
 その前を2本の列車が通過する。
 プラスマイナス2センチの奇跡だった。
 途中、制限速度区間もある。
 だが、加減速性能曲線が違うはずのEHと 600号は、驚くべきシンクロを見せる。
「北急指令! 移乗完了! 対象者は回送列車に収容した!」
 歓声が上がった。
「北急指令、状況終了を確認した。同期運転を終了してよし」
 しかし、来嶋はなおも同期させ続ける。
 もうわかった! 終わりにしよう!
 しかし、原街田を過ぎるまで同期は続いた。
 そして、その通過後、来嶋の列車は減速して、600号を運転する中西の後ろに下がっていった。

 本厚戯駅ホームには、異様なほどの人々がホームに集まっていた。
 その停止位置に、中西はぴたりとBCEを停車させた。

 なんなんだ! ちくしょう!

 中西は運転台灯をつけ、息を吐いた。

 そして新戸田でJR東海の機関士に運転を交代した。
「ご苦労様です」
 しかし、中西は割り切れない思いとフラストレーションで、言葉に詰まった。


 だが、中西が運転所に戻ると、皆が拍手で迎えた。
 そのなかに、来嶋もいた。
「これでいいのか?」
 中西は割り切れない思いをぶつけたが、来嶋は頷くだけだった。
 来嶋が口を開いた。
「昔、電車運転士になったばかりの頃を思い出した。
 思い通りに動かすことよりも、後ろにいるお客さんの事の方がずっと気がかりで、いつも胃を痛めていた。
 でも中西、お前がいるおかげで、それを和らげることができた。
 機関車の操作系の簡略化は、仕方のない時代の流れだ。
 でも、機関士は、操作系がどうあろうと、機関士だ。
 大体そうじゃないか。今は電機だが、昔は蒸気機関を相手にしていた。
 そこから変わるとき、多くの先輩たちが、割り切れなく思っただろう。
 でも、曲芸めいた技芸を競うことが機関士ではない。
 安全は輸送の第一の使命だ。
 その安全のために、操作は簡略化されるべきだし、我々機関士はそれを一番に考えるべきだ。
 それを理解し、プライドを超えて一致団結する、それが機関士の本分だと思う。
 それができたから、今回の同期並走ができたんだ。
 中西、お前が相手だから、俺も先が読めて、ワンマスでも制御しきれた。
 どんなに技術が進んでも、運転は人の仕事だ」
 その言葉を噛みしめる中西の背を、来嶋は叩いて笑った。
 梅沢が口を開いた。
「政治のことはどうなるかわからない。
 相模大川から証人は無事東京地検に引渡した。
 この国は簡単ではない。さまざまな思いの人々が、様々に引っ張り合う。
 どの国でもそうだが、今の日本はとくに異常な状態がつづいている。
 でも、その異常な状態でも、これだけ多くのさまざまな運転をする人々が、日々の平穏を守っている。
 未来は、あの塔が崩れた時から、あいかわらず見えない。
 でも、未来は着実にやってくる。
 それを導くのは、偉いとされる人々だけじゃない。
 ひとりひとり、日々」
 梅沢はそういうと、自分の胸に拳を当てた。
「心をもって生きている、人間全てなんだ。
 忘れるなよ。機関士は罐を信じ、罐と対話しながら進む。
 その操作が弁装置になろうとも、ワンマスになろうとも、本質は同じだ」
 中西は頷いた。
「で、あの大川工場に入った回送列車、あれ、なんですか?
 展望車があったり、食堂車があったりして」
「ああ、それは食事のあとに話そう」
 樋田社長が答えた。
「近鉄もJR九州も検討を始めた新型クルーズトレインだが、ようやく北急もBCEの後継車両、ブラウンコーストnextの計画がほぼきまってな。名称はブラウンコーストnextではない。もっと画期的だ。
 それもあってEHをワンマス化したのもある。あれには技研側から導入した新しいブレーキシステムもあってな。
 まず飲みと食いが足りない。食いながら話そう」
 食堂へ皆を連れた樋田社長は満足げに微笑んでいた。
「ブラウンコーストの次に計画している列車は」

 北急相模大川運転所。
 乗務員や検車係、そして工場の皆が働くその詰所を、夕方で傾いたとはいえ、季節のためにまだ高い陽の光が、美しく照らしていた。

(了)

この本の内容は以上です。


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