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00.世界に何が起きたのか

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 かつて、「世界」があった。
 過去形の「あった」は異なるかも知れない、何故なら厳密には今も世界は「ある」のだから。
 ただ形を、変えただけ。
 変わったのは、「世界」そのものか。それとも世界に「存在」するモノなのか。
 それを確かめられる「何か」は確実に存在しているのだろうが、それを「周知」出来るかと言えばそうでもない。
 何故なら、彼ら彼女らは「それ」を知らないから。

 始まりがあれば、どんな事にも終わりはある。
 それが、世界の「法則」だ。
 等価交換? あるかも知れない、ないかも知れない。
 不条理? あるだろう、ないだろう。

 例え、それが世界の「頂点」と言われる位置に座する者であろうと。
 例え、それが世界の「最低」と言われる位置に座する者であろうと。

 存在が存在として発生した時点で、ソレは必ず訪れる「終焉」が起きる。
 あらゆるモノ、あらゆる存在の唯一の「平等」である。
 けれど、大抵の「意志ある存在」がそうである様に自らの「終わり」が近づき認識を深めると大多数の「意志」は抗いを見せる事が多い。必ずしもそうとは限らず、場合によっては時に諦観をする事で全てを受け入れる事もあるだろう。理由はどうあれ、この場合は「抗う」事を選択した。
 ただ、それだけだった。

 世界に生まれた「存在」は世界の「内側」にある者だ。意志であり意思があるモノは世界と言う「壁」を超える事はない、何故なら世界の内側に生まれたからであって他に理由も意味もない。
 彼らまたは彼女らは世界と言う壁に阻まれ、決して外側に出る事はない。
 そう、世界が壊れる事さえ無ければ。
 ただし、今回はそうではない。幸か不幸かはさて置き「世界そのもの」がたまたまとか偶然とか言うご都合主義的に持っているのか、はたまた他の世界でも一般的なのかは別として「意志ある存在」としてある以上、自らの死亡または終焉、もしくは消滅と言う危機を知り得た為に混乱を来した。それがどんな影響を及ぼしたのかはさて置き、結果的に他に手だてが無くなってしまった事で「世界」は求めた。

 助けを。
 助力を。
 助命を。

 あらゆる多方面の世界に、それこそ環状線状とでも言えば良いのか放たれた「声の様な何か」は飛ばされた……おかしな事など、何一つない。
 何故なら、放たれた「声」は「世界」が世界と言う「個」であり個と言う世界である以上は「同線上に存在している何か」または似た様な誰かが存在していた場合、それを受け止める「可能性」があるからだ。
 例えて言うのならば、町中でいきなり大声を出した相手と意思疎通を取る様なものである。かなり異なる乱暴な理論ではあるが、あえて言うのならばそこに近いものを見出す事が出来ない事もないだろう。

 つまり、とある「世界」に存在した世界そのものである個たる「何か」は己の消滅を憂いて助けを求め。その声に「応えてしまった誰か」の力を借りて己と己の内包しているものを可能な限り持ち込む事で九死に一生を得た事になった。
 ただし、それは単に「世界」が「別世界」に押しかけ女房宜しく体当たりをかまして押し入った居直り強盗もかくやと言う。乱暴どころでは済まない状況であると同時に、世界そのものを「書き換える」と言う概念的な事象を引き起こしてしまうなどとは。かつて、その世界そのものであり「神」や「悪魔」と呼ばれていた「意志」にしてみても甚だ計算外も良い所だと言う現実は、予測など欠片もしていなかったりしたのだが。

 そう、かつてより「地球」と呼ばれていた惑星を中心に宇宙世界へと薄く広がって行ったのは。
 かつて、「剣と魔法」が存在していてわずかに残った力を持ち込み広げて行く事になった世界が。
 重なり合って生まれた、新たなる世界なのである。


1.ある日の『東京』の片隅で

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 その日、東京と某所にある店に普通の顔で入り込んでから「その人物」は後悔した。
 速攻で帰ってやろうか? 逃げてやろうか? 人はそう思った時、案外その思いを見透かしたかの様に……もしかしたら、どこかで見ているのかも知れない「神様的な何か」が見張っているのかも知れない。

「あ、ちょうど良かったぁぁぁぁぁぁぁ。
 待ってたんですよぉ、お願いします!」
「え、いや別に約束してないよね? 今日は様子を見に来ただけで他に用事が……」
「何言ってるんですか! あの人達は貴方の事を待っていたんです、その期待を裏切るつもりですか?」
「アレらはこっちの事なんて知らないんだから、君たちが自分の手間暇惜しむために押し付ける為に洗脳しただけの話じゃない。そもそも、毎度受けるなんて言った覚えないんだけど」

 室内は、普通の待合室に見える。
 カウンターがあって、カウンターにはアクリル板があって、まるで切符の販売所の様に声が通る所に幾つかの小さな穴があって。書類を渡す用なのか、少し大きな穴がある。

「えぇぇぇぇぇ、ひどぉい。私、別にそんな事思ってないですよぉ? お仕事ですもの、マニュアルですもの、上からの命令だからぁやってるんですぅぅぅぅぅぅぅ」
「と言う言い訳で上司とこっちに仕事を押し付けるつもりだって事でしょ、第一。蛹出身者の扱いはそっちの基本業務なんだから外注するってのが根本的な間違いじゃない」

 待合室は、どちらかと言えば病院のソレに近い様な感じだ。
 ゆったり出来るわけではなく、少し硬めのソファ。そこにはある程度の老若男女の人々が固まった表情で座っている、たった今外から入って来た人物が「どこかファンタジーの世界から出て来たような恰好」に近い事に比べると、スーツや少しラフな格好をした人達の集団だ。
 集団である事を考えると、彼らの方が普通であるかの様に見えるのだが。この部屋の職員らしい女の恰好を見てみるとゲームかアニメの世界かの様な恰好をしていて、ここはどこかのアトラクションなのではないだろうかと言う視線を向けているのは判っている。
 この部屋に来て、職員に向ける視線は二種類……同類か、異質。

「だってぇ、私。こう言うの慣れてないんですよ、さっきまでだってこの人達泣いたりわめいたりして、八つ当たりされちゃって大変だったんですよぉ」
「しゃべり方がうざい、語尾を伸ばすな語尾を。
 大体、そう言うキャラじゃないでしょうがアンタ」
「こっちの方が男受けするからいいんですぅ!」
「見られて幻滅されろ」

 時代が一周回ってどうなのかと言いたくなる程の様子だが、彼女が言う「男受け」と言うのはこの室内にいる人達は含まれていない様だ。

「こいつらはいいの? 男受けする為にぶりっこしてるって公言するにしても、その男の前で吐く台詞じゃないでしょうに」
「ああ……いいんですよぉ、だってそいつらすぐに死んじゃいそうなんですものぉ」」
「うわ、きっつ……しかも年齢的に無理無理だし」
「何言ってるんですかあ、私だってまだまだ男にちやほやされたいしぃ」

 死ぬ、と言う台詞が女の唇から漏れた際に座っていた人達が驚くほど怯えた顔をしていた。
 まるで、今まで死んだ人を見た事がないかの様な表情だ。
 顔の造りだけを見れば見られそうな人もいる割に、悲壮感漂う顔は今から戦地にでも送り出される現代日本人と言う風にさえ見える。
 ある意味において、実の所間違いではないのだが。

「それでこれらの中で生き残りが出たらどうすんの?」
「そうしたらぁ、ちゃあんと相手してあげますよぉ。だってぇ、これから私に貢いでくれる人だものぉ」
「ゲスいな、お前……相変わらず……」

 苦虫を潰したような顔をしながら、入って来た人物は「けっ」と言う顔をする。
 並んでいる人達は、気分としては「今から市場で売られる子牛」の様な気分なのかも知れない……小学校あたりの音楽で習う曲でも流れていれば完璧だろう。中には、細かく全身を震わせてさえいる。

「だからねえ、センセ。別にこいつらが生きようが死のうがどうでもいいけどぉ、少しでも生き残って私に貢いで欲しいから調きょ……じゃない、躾け? 教えて欲しいのぉ、少しでも生き延びる確率を上げたいじゃない? その為にぃ、こいつらに『ちょっと』吹き込んで講義を今日にしたんだもの。ねぇ、いいでしょう? 今度換金する時に、ちょぉっとだけ色つけてあげるから」
「お前のちょっとはコイン一枚とかだからお断りだ、無駄に恐怖心を煽って時間を置いて、自分の仕事減らそうなんて無駄な事する奴の為に貸す手はないなあ?」
「……いいじゃなぁい、ちょっとくらい」
「お前も『リスト』に乗りたいなら止めないけどぉ?」

 ぶりっこ女の真似をしながら言ってみると、思いのほかダメージを受けたのか心底嫌そうな顔をしながら手を振りつつ「嫌よ、冗談じゃない」と追い払う仕草までされて色々な意味で返り討ちにあってみた。

「でもでもぉ、それなら私がこいつらに教育するから見ててよぉ。
 前にした時の姿見て、すこぉしは成長してるんだしぃ」
「そう言う熱心な所は買うけど、せめて最初から熱心なままでいて欲しいもんだね……」
「えぇぇぇぇっ! 私は最初から熱心ですぅ、だって生き残れてお金持ってる強い男にモテモテになりたいんだもぉん」

 その点に関してのみなら、確かに一貫してるなあと納得してしまう。

「ま、確かに今のご時世。生き残るには並大抵の生命力じゃ足りないかもね」
「そうなのよぉ、この間も唾つけてた男が死んじゃって。遺品は貰ったけどぉ、それだけじゃねえ……」

 しみじみ言っているが、この女の様な人物と言うのは一定量の需要があるのは事実だ。
 必要悪、と言うのもあるし。亡くなった人物達と言うのが、他にこれと言って思う相手があったと言う訳でもない人達だったと言うのもある。しかし、彼女にとっては生きて貢ぎ続けてくれる方が良いのであって別に彼らが死ぬ事を望んでいるわけじゃないと主張するだけは、まあ悪い事ではないだろう。

「こら、言い過ぎ……泣いちゃったじゃん」
「もう……ちょっとぉ、それ以上泣いたらもっとブスになるから。いい加減に泣くんじゃないわよぉ」
「その言い方も駄目でしょうが……泣くのが駄目なのは事実だけどな、生きるには体力が必要だし」

 確かに、彼女の言う様にこの人達は昨日散々泣いていたのだろう。
 よく見ると、全員が少しばかり憔悴しているし。中には腫れぼったい瞼をしていると言うのもある、恐らくは時間を置いた事が絡んでいるのだろう。
 つまるところ、彼女は確かにこの人達を追い詰めてはいたのだが。同時に、この人達にとってマイナスな話ばかりと言うわけではないと言う事になる。ただし、この人達が「生きている間にそれを認識する」のはどうなる事やら。

 今の様子から見たら、どうやら駄目そうな気がしないでもない……。

「疲れたら動けない、動けなかったら殺される。
 言っておくけど、死んだふりしてもこれ幸いと殺されて奪われるか、強姦されて孕まされるか、どっちかだからね?」
「……余計に鳴き声酷くなっちゃったんだけどお?」
「困ったもんだね……」

 流石に「ついうっかりで」とは言えない……。
 言っても良いが、面倒を押し付けられる確率がどかんと跳ね上がる。しかも、無料働きをさせられる可能性も高い。
 すでに、こちらを見る目が白い。

「もういいやぁ、面倒臭いしい。
 ちょっとアンタ達ぃ、蛹のアンタ達がすこぉしでも生きられる様に講義してあげるからぁ。とっとと会議室に移動しなさぁい?
 あとぉ、先生も見ててくれるよね?」
「ギャラ次第だね」
「んもう、そんなのいいじゃない。ねぇ?」

 無料働きはしないと公言している以上、最低でも公的料金までは引き出したいものである。
 そうでないと、職員である彼女が懐に入れてしまう可能性がある。別に、彼女が不正行為を行う程度ならば特に気にしないが、かと言って他の人材を回して貰えるかと言うと不明だ。
 言いたくはないが、それだけこの仕事は割と体力勝負なところがあるのだ。そうで無ければ、恐怖心に駆られた彼ら数十名の人々がいかに平和ボケ大国日本人だとしても見た目が華奢で気弱そうに見える彼女を相手に全く怒鳴りつけたりしないと言うのも考えるのは難しいだろう。
 幾ら日本人だとは言え、緊張の糸が切れれば誰か一人くらい発狂するだろう。この場に数十人がいると言う事は、この倍か三倍くらいの人数が発見されている筈だ。それで彼らのほとんどの顔色が悪いと言う事は、見ても幸せになれないものでも見たか、「ちょっとしたオハナシ」でもされたと言う事なのだろう。
 ……僅かだが、数人の顔が「これって普通?」と言う状態になっているのは気のせいだろうか?
 もし、彼ら彼女らの一部の人の顔が生まれた時からこの状態だったら、余計な事を口にして面倒な事になりそうなので口を噤む。いや、本当にもし生まれた時からそうだったら言われたくないだろう。

「まあ、見物くらいならしてもいいかなあ?」

 自分でも「甘いかな?」と思う程度の事は感じたのだ、彼女とて内心で「甘いわぁ、だからチョロくて助かっちゃうのよねぇ」などと言っていたりする。

「つか、ここで無駄に放置して後始末押し付けられるの嫌だし」
「えぇぇぇぇぇ、先生ったら正直者ぉっ!」
「おう、素直な良い子でしょ?」

 え、何かそれ関係あるんですか?
 などと、少し精神的に余裕が出て来たらしい数人が思っていた様だが。その辺りは言わなければ問題はないだろう、会話を耳に入れるだけの余裕は出来た様だが残念ながらツッコミを入れるには至っていない様だ。

「ほらぁ、とっとと行くわよぉ」

 腰を揺らして、しゃなりしゃなりと歩く姿は旧時代の動画を参考にしたのだと言われた時に「ああ、そう」と流した事はあるのだが。蛹から出て来た人の中には、そんな彼女の「わざとらしいと言うのも疲れる」程の仕草に一定数の需要は、やはりあるらしく一定数の人気は誇っている。
 そういう意味からすれば、ちょっと着服する程度の彼女と言うのは他の事務所に比べればまだマシと言えなくもないと言うか何と言うか。他所の悪辣と言うか幾つか思い当たる所があったりするので、比較対象が悪すぎる事を連想しがちで困る。
 いかにろくでもないご時世だと判っていても、そこで実際にどうするかは違うのだから。

「とっととしろって言ってるでしょぉっ!」

 ぴしぃ!

 あちこちから上がる悲鳴は、彼女から出される……鞭の音に怯えてだ。
 一体どこから出したと言うのか、恐らく彼女の職場とは思えないひらっひらで丈の長いのスカートからだろう。本人曰く「女の服はぁ、戦闘服でもあるのよぉ。どこで何があるか判らないからぁ、いつも万全の態勢なのよぉ」と言う程の武装を常にしている。
 ……年齢からすると、そろそろどころではなく厳しい筈なのだが。
 全身からフルコーディネートをする、なかなか良い年齢をした鞭を持ったゴスロリ(髪の毛はショッキングピンク)姿をした。
 男。
 見苦しくない程度に手入れはされているので、マシと言えばマシな程度だが男。
 大事な事なのでもう一度繰り返すが、男である。

「この、レディ様の言う事が聞けなかったらぁ。鞭で100叩きなんだからぁっ!」

 ぴしぴしと叩いているだけなので、これは本気ではなく威嚇処理と言う所なのだろう。彼女……と言うか、本来は彼と言うべきなのだろうが、この人物が本気を出せばリノリウムコーティングの床などさくっと割れてしまうのは何度も見た事がある。

「そうだね、これの言う事を聞かないと……うん、頑張れ?」

 遠くで「何を適当な事を言ってるのよぉぉっ!」と叫んでいる姿が見えるが、そんな事は全く持って気にならないどうでも良い事だと内心で削除する。
 ついでに言えば、何割かの人が阿鼻叫喚と言った感じで叫び声を上げながら走ってゆく姿が見えるが。あれは「廊下は走っちゃ駄目だ」と言うべきだろうかと脳裏に浮かんでみたりする。

「あの……」
「うん、何かな?」
「あの人、彼? 彼女? の事、知ってるんですか?
 知ってたら、教えてください。あの人、一体何なんですか?」

 数人の女性……主に、ある程度の顔が良い。物凄く目立つ顔ではなく、さりとて醜いとも言い切れない……つまり「普通」の顔だ。化粧っ気がない所を見ると、どうやら化粧は禁じられているのか化粧品は持って来なかったかのどちらかだろう。

「何って、何? どう言う意味で?」
「声太いし」
「ん? うん」
「鞭持ってるし!」
「ああ、まあ……」
「命令してくるし!」
「そりゃあ……まあ、ねえ」

 これが一人だけならばともかく、数人で囲まれていると押しのけない限りは逃げられないだろう。
 別に、それで彼女達からの不況を買うのは構わないのだが。嫌な事を言えば、彼女達の今後を考えると八つ当たりとか逆恨みとかをされたくはない。万が一彼女達が生き残ってしまった日には、顔を突き合わせて行かなければならないと言う事実がある。
 だからと言って、それで困る事があるとは思わないけれど。

 


2.それが『世界』の共通事項

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 ぴしぃん!

「お前達ぃ、何を先生に煩わしい事をしているのぉ?」

 音は一つだけだった筈なのに、足元には無数のひび割れととりわけ大きな「裂け目」が出来ているのを誰が見て取ったと言うのだろう?
 内心で、ゴスロリ服の人物に「先生」と呼ばれた人物は嘆息した。
 こんなつまらない事で貸しにされたんじゃたまったものではない……言えば彼女? 彼? は自前で直せるだけの財力を持っているだろうが、そんな「はした金」で笑みを浮かべられるのは心情的に面白くないと言うのもある。

「サニワ、とっとと連れて行かないお前が悪い」
「先生ぇ……本当にごめんなさいねぇ? 私のぉ、しつけが行き届いてなくってぇっ!」
「身をくねらせるな……とっとと連れて行きな、縛り付けようが引きずろうが構わないけど引きずるなら足にしな」

 平然とのたまう「先生」の言葉に、化粧っ気がなく着の身着のままらしい彼女達は元より。先に行った人々の顔も青くなったのが何となく見て取れた……別に怖い事を言っているつもりがないのだが。

「あらぁん? どうして足限定? 先生ったらぁ、足フェチだったかしらぁ?」
「違う、首を締めたら死んじゃうだろう?」

 世界を沈黙が支配した。

「……あまりにも意外な回答に脳みそ停止したじゃねえか」
「素が出てるぞ?」
「……気のせいよぉっ! この私が、こ・の・わ・た・し、がぁっ!
 自分を忘れるなんて、あり得ないわぁぁぁぁぁっ!」

 とか言いながら、ばっちり塗りたくった化粧の端っこを冷や汗が流れているのを「先生」と呼ばれた存在だけは見て取れた。が、あえて口にしなかった。
 足がすくんでいるだろう女性達は恐怖心から細かい所は見ていないだろうし、ただでさえ薄暗い待合室の中だ。少し距離が離れている残りの人々には「サニワ」と呼ばれた人物の表情など判別はつかないだろう。余程近い距離か見極めが出来るのならば、話は別だろうけれど。

「アンタ達もぉ、あんまり先生を困らせちゃぁ駄目よぉ?」
「そもそも論として、『蛹』についての説明はしてあるわけ?」
「……あらん? そう言えばしたかしらぁ?」
「おい……」

 蛹。
 それは、「生きている迷宮」にとっての「非常食」である。
 言い方は悪いかも知れないが、迷宮が迷宮として存在した際に「起こしてしまう」本能の一つだ。
 生物の中には非常食として保存しておくべき「モノ」として生まれた際に勝手に作ってしまうらしい。そうして、仮に迷宮に入り込む存在が無かったとしても最後の手段として栄養とするのだ。更に、最後の手段と言いながら「蛹」を吸収しつくしたとしても問題はない。
 何故なら、その時には休眠状態となり「次の客」が至るまで深く眠っていれば死に絶えると言うものでもない。

 迷宮。
 自然に発生するものであり、同時に意志ある存在……生物と言えなくもない。その発生原因や理由はよく判っていないが、世界が「上書きされた」状態である現在においては大体の計算で20階以上の建築的には中層から高層の建築物の内部が問答無用で書き換えられている。
 迷宮の内部には「迷宮核」か「迷宮主」と言うべきか不明だが、いずれか又は両方が存在するともしないとも言われている。
 細かい事は不確定な事が多く、その最大の理由は迷宮が「生きている」からだと言われており。どれほどの力でもってしても内部からの破壊はおろか、外側からの破壊をする事も出来ない。
 内部からの攻撃に関しては、恐らくは建物の中と外で別の空間と言う扱いになっているのだろうと思われる。と言うのも、建物の大きさは迷宮の大きさや迷宮で生まれた魔物の強さや数と比例しない。かと言って、反比例もしない。
 一説によると、迷宮は生まれた瞬間に完成しているのではなく。勿論、迷宮にもよるだろうが中身によっては成長しているのではないかとも言われている為に研究対象として立ち入り禁止となっている迷宮もある。

「だからねぇえ? お前達はある意味で助かってしまったのよぉ? ざぁんねんだったわよねえ。
 良い事を教えてあげるわぁ、『蛹』て言うのはねぇ、必ずしも羽化するって訳じゃぁないのよお?」

 結局、人々は少し広い部屋に沢山あった椅子を出して座っている。
 何故だろうか、彼らは「椅子を出して座りなさい」と言われるときっちりと縦横斜めが綺麗になる様に並べている……誰か、空間把握に優れた人物があるのか。それとも、そう言う社風だったのかも知れないが関係ないだろう。

「迷宮の非常食として食べられる事もあるしぃ、ついでに迷宮産の魔物として生まれ変わるって可能性もあるのよお。倒されてドロップ……ええと、魔物が落とした物? まあ、なぁんでも良いんだけどぉ、その中にどう見ても前文明のものとしか思えない物が出たりしているのよねえ、しかもぉ。笑っちゃう事に魔物は息絶えるその瞬間まで、その品物を奪おうとしてきたそおよぉ」
「とは言ってるけど、一応はまだ研究段階だけどな」

 一応、と付け加える程度には僅かな希望なのだろう。
 ただし、僅かに声を発しただけなので聞こえた者がどれだけいただろうか……。
 サニワの説明に顔を青くする者、理解出来ないらしい者と色々とあるのは確かではあるが。必ずしもサニワの説明が「正しいだけではない」と言う事を理解出来ればそれで良いと「先生」は思うが、かと言って蛹の中から現れた彼ら彼女らの味方になると言うわけでもないと言う事実にどれだけの人物が気づいていただろうか。

「想像の果ての未来に先、現実が追いつくなんて事はよくある話だ。
 これから先、蛹だった者が突然変異で『どうにか』なったとしてもおかしな話では無かろう」
 まあ、サニワの言う通りに『生き残ってしまった』事が良いか悪いかは自分達で判断して貰うから。
 何と言っても、もう『君達の知っている世界』なんて夢の向こう側より更に遠い所へ行ってしまったからね。
 もう、帰ってこない」
「そうなのよねぇ、何しろ……ええといつだったかしら?
 随分前に世界は変わってしまったから、政府もそのままではいられなくなってねえ。
 とりあえずぅ、天皇は『神官として』国で最高の地位に就いた……返り咲いた? 元からそうだったけどぉ、それが表立って出る様になった。ただしぃ、行政府としての機能はそのまま生きていてぇ外交とか実務は相変わらず政治家が担っているわねえ。でもぉ、やっぱり世界が変わっただけあって神官職や巫女の家系の血を引いている人の方がぁ、やっぱり権力は握りやすいのかしらねえ? その彼らだってぇ、神様達の目があるから好き勝手なんて出来ないんだけどねぇ」

 きゃは★

 いっそ面白そうに語る姿は、190センチのゴスロリ服の大男だ。
 繰り返すが、ゴスロリ服の大男だ。
 ミニスカートで無かったのは、流石に己の姿を客観的に見られた数少ない事実なのだろうが。どうせならゴスロリ服を着る前に思い至って欲しかったと言う意見多数あったりする。
 しかし、やはり中には何故か需要がある不思議である。

「神様……?」

 誰かがぽつりと零した言葉を、ネモ先生と呼ばれた人物とサニワと呼ばれた人物は確実に耳で捉えていた。
 二人は「そう」と同時に頷いたものの、どこか複雑そうな表情を浮かべた。

「世界が上書きされた事で、流石に地球の神々も黙っていられなくなったというか。日本をはじめとした各国各宗教の神々が顕現されたりしているわけだ。
 しかも、この世界では『まかり通る』と言う限定で『新しい魔術』も『新しい神様』も『造る』事が出来るってわけ」
「とは言ってもぉ、それが出来ちゃった理由の一つとしては。元々日本にだって『守護霊』だの『背後霊』だのいたしぃ? そう言うのを『いる』って認定していたわけだしぃ? 信仰の力って言うのぉ? とは言っても、でたらめに作ればいいってもんでもないのよねぇ?」

 魔法、と誰かが戸惑った声を上げるが仕方がない。
 彼ら彼女らのいた世界の、いた時間軸では「魔法」なんてものは画面の向こう側か夢物語でしかなかったのだ。決して「実現してはならない不思議な力」でなければならなかったものを、今は人口の何割かは着実に使う事が出来ると言われ、しかも血の因子による家系によっては更に強い力とて得る事が出来ると言う。
 ここで、旧世界にあったならば大抵の人は微笑みながら「良かったねえ」と小ばかにした笑みを浮かべて流したのだろうが。残念ながら、否定する要素も肯定する理由もない。
 あるのは単なる、戸惑いだけ。

「アンタ達みたいなぽっと出の蛹がぁ、これまでの生活とか人生とかぜぇぇぇんぶ無くなっちゃったから。少しの間は『こっち』で面倒見ても良いけどぉ、それだって無料ってわけにはいかないしぃ。
 あとあと、補助金申請とかしても良いけどぉ。少なくとも旧日本国民だったって言う証明をする所から始めないといけないからぁ、死ぬ気で頑張らないと死んじゃうからねぇ。
 ま、これまでのアンタ達の生きて来た時間の中で。どれだけ今の時間に通用するかはぁ、知らないけどぉ。
 でもでも、無駄なプライドさえ捨てれば生きられないわけでもないから安心しなさいよねえ。私がぁ、最悪でも死なない程度にはしつけてあげるからぁ」
「や、そこは生きられる程度じゃないの?」
「やん、違うってぇ。
 ネモ先生ぇ、判ってて言ってるでしょぉ?
 こんな旧時代からぽっと出て来た奴らなんてぇ、ほっとんど『外』に出て魔物にやられるか犯られるか食われるかのどれかだってぇ。9割は固いと思うのぉ」
「うん? やられるで、やられる?」
「あぁ、そこは気にしないでぇ?」

 ネモ先生と何割かの人は首を傾げて頭に「?」を浮かべていた様だが、集団の何割かは意味が判ったらしい。
 座っていた椅子が「ガタッ」と音を立てる程度には動揺した様だが、目前の……恐らく教卓の様になっているらしい前方の二人は気づいているのかいないのか、目を向ける事は無かった。

「ま、待ってくれ……」
「あらん、貴方何かいいたい事でもあるのぉ?
 ……おバカな質問したらオシオキしちゃうけど良いわよねえ?」
「おいおい、怖がらせてどうするよ……」
「我々が『日本人だと言う証明』とは、どう言う事だ?」

 その時、サニワの目が半分閉じたのを知ったのは近距離に居る者だけだった。
 基準が不明だが、どうやらサニワにとっては「おバカな質問」だった様だ。
 ちなみに、唯一止められそうな存在は見ていなかったりする。

「さっきも言っただろう? 旧世紀って言うのかな? もう何年もたっている現在では、元の時間軸とはズレていた関係で色々なものがズレたり失われたりしている。もちろん、政治家は大喜びで年金とか色々の情報もほとんどがすっからかんになってしまって……逆に自分の情報も全て無くなった関係で一から自分を持ち上げて貰う為に半分以上が『消え失せた』けど。
 コンピュータや、コンピュータのネットワーク『にも』色々とあって、その情報を『元の形』で取り出す事を新日本政府って言うの? は諦めたわけだ。
 理由の一つとしては、その際に諸外国の人達が無駄に流入してきた事なんかもあるんだけど……」

 日本から始まったのは、日本に「新しい異世界から力を貰った神様」が存在したからだ。
 この事務所に連行されてきた当初、親切な人……サニワではない、蛹から助けてくれた人達が教えてくれたのだが。当初、その変化は緩やかに、確実に、そして速度を上げて変わって行ったと言う。
 東京湾と呼ばれるそこに、対角線上にのみうっすら見える謎の建造物……当初、それは蜃気楼だと言われるほどのぼんやりとしたものではあったが。神の影響を濃く受ける様になると、それは形をくっきりと表すようになって行った『城門』と呼ばれる「この世界最初の迷宮」を新世界と各国は喜び勇んで突入を果たしたと言う。
 その内情については関係者しか詳しい事は知られていないが、そこには今でも数多くの「当時少年少女だった人達」や、今でも新たにちょこちょこと人々が流入していると言う噂もある。

「そうやって入り込んできた人達がぁ、データを壊しちゃったりしたのよねえ。ゲームのやりすぎぃ。
 だからぁ、今から『自分は日本人ですぅ!』って主張しても、あんまり信用して貰うのに時間がかかるってぇ訳。何しろ、今じゃコンピュータには守護神がついてるんだから。下手な事なんて無理なのよぉ」
「あ、ちなみに日本からのネットワーク管理守護神は出雲神族の『建御雷』様だから」

 誰もが思った。
 頭ショートしたので修理してくれない?


奥付



神様の誘惑~重なり合う世界で


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著者 : 源三津樹
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