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EXY100803砂利列車1posted by (C)YONEDEN

                                                JunichiYONETA 米田淳一



 私はその猛暑の日差しと刺々しい冷気に、失った居場所の代わりを求めて歩いていた。
 足取りが重たくなるのはこのなんともいえないこの夏の酷な空気のせいでもある。
 相模大川の乗務員詰所の古いエアコンは、年代物の窓に取り付ける形式で、冷えはするものの、それにしては吐き出す冷気は刺々しすぎる。
 しかし窓を開ければそこは湘南島線へ分岐する線路が目の前、バラストとかつての電車のブレーキの錆びた鉄粉が焼けた匂いが流れこんできて、いくらそれに慣れているはずの鉄道員、車掌としても、さすがに御免被りたくなる。

 相模大川は大きな駅で、特急の停車するホームの西側で北急半原線と湘南島線が分岐する二股を二辺にする三角形の敷地に電留線と乗務区と工場が詰め込まれた、この私が車掌として勤める北急、北武急行電鉄の一大基地である。
 その敷地は電車の乗客からはさほど大きく見えないようだが、しかしその敷地の工場内にはびっしりと設備が詰め込まれていて、北急の車両整備を全般検査というオーバーホールまで単独で行うほどの能力があり、それはその工員たちも誇りとするところだ。
 しかし私が会釈をしながらすれ違う彼らの顔色にも、疲れの色が少し見える。
 工場では導入間もない純白の鮮やかな新5000形通勤電車の最終仕上げ作業が佳境なのは知っていた。
 が、それとともに疲れもストレスも増すのだろう。
 車両工作場の車両吊り下げクレーンのある大屋根の下を通り、事務所や詰所の裏手、便所のさらに裏手と裏を目指していく。
  すると、そこが小さな空き地となり、北急本線や湘南島線の密集ダイヤとはつながっていないように思える地方私鉄のようなか細いレールの引込線があり、そこ にはかつてホームにあった鉄製の自立式の灰皿が、錆で塗装も皿の上にある丸いホーローの広告もはげたまま、山積みに打ち捨てられている。

 その灰皿が一部使われて喫煙所となり、昨今肩身の狭いタバコ族の工員や乗務員たちが、そこのさらに日陰を選んでぞろぞろと並んで一服をしていた。
 場内禁煙は健康増進法の規制だけでなく、工場内で引火性のある溶剤を使うための危険防止でもあるのだったが、やはり肩身が狭い。

「おう、鮎原、おまえさんもタバコか?」
 帽子を斜にかぶったサングラスの工場長がふっと煙の輪を作ったあと、声をかけてくる。
「いいえ、自分は吸わないんですが、詰所のエアコンがきつくて、ちょっと避難してきました」
「そうか。ここはほどよく涼しくていいからな」
「みなさんストレスたまってます?」
「仕事としては悪くないんだがな。新車を扱うプレッシャーなのか、神経使った作業続きで、ついつい口が寂しくなって」
 皆がばらばらに笑った。疲れもストレスも洒落にならない域になっているのだろう。
 画期的な通勤車両・新5000形を扱うのは、楽しいことではあるのだが、と彼らはそうも付け加える。
 その時、私はようやく目の前の黒い凸型貨車に気づいた。
「あれ、これ、トムフじゃないですか」
「おや、おまえさん知っているのかい?」
「ええ。昔この北急に憧れた幼いころ、写真で見ました」
 私はその貨車を見上げた。

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「あれ、これ、トムフじゃないですか」
「おや、おまえさん知っているのかい?」
「ええ。昔この北急に憧れた幼いころ、写真で見ました」
 私はその貨車を見上げた。

 無蓋車、ダンプトラックの荷台のような上の開いた荷台の貨車の真ん中に、車掌一人が乗ったらそれで一杯になってしまいそうな粗末で小さな車掌室があり、その屋根が荷台から大きく持ち上がって全体を凸型にしている。
 この貨車の形式名が、トムフである。
 木製かと思ったら鉄骨に木を張ってあり、それをコールタールで固めてある。
「これ、まだ現役ですか」
「一応車籍はあるが、ほとんど産業文化財だな」
 というと工員の一人がつぶやいた。
「うちの会社、『産業文化財』多すぎません?」
 それに皆が笑った。
「まあ、そういう余裕があるのがいいのさ」

 その時、私は急に得体のしれない感情に襲われ、うずくまった。
「どうした!」
「いえ、なんだか」
 私は荒れ狂う感情に耐えられなかった。
 意識が、嵐の真ん中で大波の中で揉まれる木の葉のように、心細く振り回される。
 辛い感情を隠しなら、私はそのトムフのデッキに手をかけた。
「大丈夫か!」
「なんとか」
 私はその時、一斉に思い出した。
「これ、私乗ったことがあります。それも小さい頃に」
「まさか。だって子供を貨車、それも緩急車に載せるなんて規定違反だぞ」
「おまえさんの歳も考えたら、かなり歴史的に無理っぽいが」
「でも、乗ったんです。多分」
「そうか」
 工場長は頷いた。
「子供のときの辛いことを、人は皆忘れるようでいて、心のなかに封印している、という話がある。そしてその封印が何かのきっかけでよみがえることも。
 それはつらいことだと産業医の先生が講習で話していた」
 私は顔を上げた。
「原因を見付け出して解決するとは限らないが、思い出してみるか?」
 私は恐れた。
 でも、平凡な家に生まれ、育ち、今まで来て、そして今年の春から特急乗務員資格をとった自分に、そんな記憶があるのだろうか。
 高校で鉄道研究会の旅行、中学の時の荒れた教室。
 記憶が遡っていく。
 そして、偶然、工場の裏に風が吹いた。
 その瞬間、すべてが蘇った。
 同じ風を、顔に感じたあの日。

「すいません」
「無理に思い出さなくてもいいぞ」
 職長が留める。
「いえ、思い出します。多分決着がついたことだったんです。
 でも、この状態のままでは乗務に差し支えます」
「辛いぞ」
 でも、私は覚悟を決めた。
「お話します。話しながら思い出します」

 そのころ、父と母はいつも口喧嘩をしていた。
 父は酒を飲み、そのたびに荒れた。
 私はまだ幼く、なぜ母が泣き叫ぶのか理解できなかったが、父と母の不仲は感じて心に痛かった。
 父も母も大事だった。
 でも、その時の私は、ただ大好きな電車の絵本を見て頭をそれで満たしてやり過ごすしかなかった。
 それが、その日々だった。

 学校の帰りに寄る場所があった。
 それが北急恵日奈駅だった。
 横浜へ向かう相模電鉄との乗換駅であるとともに、当時は近くの湘南川の川砂利を積み込む貨物扱いのある駅で、ホームは今の三代目の洒落た駅舎の下ではなく、木製のバラックのような駅舎で、神宿側に大きな跨線橋があり、そこに相模電鉄との乗り換え改札があった。
 今の三代目駅舎はエレベーターとエスカレーターをそなえ、天窓からの日差しが眩しいガラスと金属質の質感を使った今風の駅で、特急列車も止まるようになった。
 線路も相模電鉄は行き止まり式の終端駅の一面二線、北急は二面四線で各駅停車の優等列車退避や乗換を行う設備があるが、当時、私の幼い頃は対向式ホーム二面二線だった。
 しかし、それとは別に貨物ホームと貨物詰所、そして小さな機関庫があった。

 僕はその貨物ホームの人々と馴染みで、よく遊んでもらったり、デキと呼ばれる電気機関車を見せてもらったりした。
 砂利を積んで出発する列車を見送ったり、また積み込みにやってくる空荷の列車の出迎えもした。
 砂利積み込みの作業員さんたち、機関士さん、車掌さん。
 みな仲良く、また砂利を積み込むときは独特のリズムと抑揚の作業歌を歌っていた。
 私も幼いながら、その歌を意味もわからず覚え、それをうっかり家で歌って母に叱られもした。どうやら男所帯の貨物扱所のなかなので、歌の歌詞に私の知らない猥雑な語句があったらしい。
 とはいえ母はいつもそこに行くことを許してくれたし、また夕暮れ時は迎えにも来てくれていた。

 それが、荒れた日々になった。
 私はますますその扱所に入り浸った。
 大人たちは心配したが、しかし少しずつ事情を察してくれたらしく、ますます優しくしてくれた。
 そんな貨物扱所に、トムという砂利を積む無蓋車と、その列車のブレーキ補助をする緩急車のトムフが連なって、発着していた。
 車掌さんたちはそのトムフを見せてくれたが、中に入ってブレーキを触ることだけは許してくれなかった。取扱規程があるということだったが、幼い私はそのトリアツカイキテイというものが何を意味するのか、理解できなかったが覚えた。

 そして、とある日だった。

 思い出すのが辛かったが、私の脳は解けた封印から、その日の辛い風景を溢れさせた。

 父が母に手を上げたのだった。

 母は驚きながら、父を見上げていた。
 天井から下がった裸電球だけが、二匹のハエにつきまとわれながら揺れていたのを覚えている。

 母は叫んだあと、私を抱いて家を飛び出し、自転車に乗って、最寄の恵日奈駅に向かった。
 夕方の広い田んぼの中の道を、自転車が走る。
 そして、父が大声で叫びながら追ってくる。
 母は泣きながらペダルを漕ぎ、そして駅で自転車を放り出して、ちょうど駅に止まった電車に私の手を引いて乗り込んだ。
 しかし、一瞬の間だった。
 その手が滑り、私はホームに取り残された。
 乗り換え客で混雑する駅のなか、私は迷子になった。

 その時、その私を見つけたのが、貨物駅の車掌さんだった。
 車掌さんはすぐに察したのか、私を抱えて走り、貨車に飛び乗った。
 その貨車が、トムフだった。

 車掌さんは狭い車掌室の中、足元に私を押しこんで、「静かにするんだ」と力強く抑えた。

 遠くから酒に酔った父の声が近づいてくる。
 それを砂利積み込み作業のおじさんたちがとどめた。
 言い合いになったが、おじさんたちは屈しなかった。
 むしろ、少しずつ優しく諭すような声になっていく。
 そうなると父は、私の名をなんども呼んだ。
「黙ってるんだ」
 車掌さんが言ったが、私はしゃくりあげて泣いていた。

 そして、車掌さんは懐中時計を見て、手旗を振り、遠くで電気機関車デキの汽笛が高く鳴った。
 発車合図だった。


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 砂利列車は、ニ軸貨車独特の単調ながらリズムのあるジョイント音を刻み、走りだした。
 私はその最後尾のトムフの床にしゃがみこんで、震えていた。
 板バネだけのトムフの硬い揺れに振り回されながら、手ブレーキの軸を塗り込めた塗料の塗りムラだけを見つめて、涙をこらえた。
 しかし、それをこらえるには、その時の私はあまりにも幼かった。

 その時だった。
 車掌さんが窓を開けて、声をかけた。

 私はその窓から首を出した。

 吹き渡る夏の風が鮮やかに青い稲を波にしているなか、父が引き込み線沿いの道を走って追いかけてきていた。
 列車は遅かったが、それでも父が走るよりは残酷なほど速かった。

 私は置いて行かれるその風の中、泣きながら叫んだ。
「お父さん!」
 長い影を踏んで必死に追いかける父に、私はなんども叫んだ。

 父は、なんども私の名を呼んだ。
 そして、すまない、もう酒はやめる、と叫んで、そこで息が切れたらしく、倒れこんだ。

「お父さん!」
 私は肺が空になるほど叫んだ。
 列車は父を置き去りにして、さらに硬く揺れて、分岐器を乗り越え、本線に入った。


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「大丈夫だ」
 列車が本線に入って、ゆっくりと加速するなか、車掌さんが力強く口にし、肩を震わせていた私に、首を引っ込めるように言った。

 青い夕暮れの中、父の影と、砂利列車の影が、川辺の田んぼを吹き渡る風の匂いにつつまれていた。
 硬い揺れの中、私は涙が枯れていた。
 車掌さんは、揺れる車内で、ぐっと抱きとめてくれた。
「大丈夫だ」
 その声だけが、私の頭を満たした。

「で、その後?」
 相模大川工場の工員が聞いた。
「よく思い出せません。多分砂利列車の停車駅で引き継がれて、あ、そうだ!」
 思い出した。
「どこかで駅の泊まり勤務の駅員さんの好意で、まかないご飯のうどんを食べたんです。
 以来、お揚げの味は、思えばちょっと胸につまっていました」

 そして、しばらくの空白があったが、父と母は和解したのだろう。
 私はまた、幼さの中、嫌なことと好きなことで天国と地獄をいききするような日々を精一杯に生き、そして中学、高校と学校を進み、そしてこの北急電鉄に入ったのだった。
 あの車掌さんに憧れて。

 工場の皆は、複雑な表情だった。
「でも大丈夫です。父と母はそのあとまた仲良くしていたと思います。
 多分父も仕事のことで辛かったんでしょう。
 それからあとは、父母は優しく、暖かな家庭でしたから。
 だから余計辛かったんだと思います」
「そうだろうな。おまえさんの乗務姿を見ていると、いつもそう思うよ」

 その時、私は自分の懐中時計の針に気づいた。
「では、乗務がありますので」
 私はそのときはじめて、自分がまた涙していたのに気づいた。
「いいよ」
 工員の一人が手ぬぐいを貸してくれた。
「大丈夫です。職務に戻ります」
 そういう私に、工場長が口にした。
「大丈夫って、いい言葉だな」
 私はちょっと感じたあと、「ええ」と答えた。

 そして、振り返って、もう一度トムフを見上げた。

 あの日から少しくたびれた木の様子は否めなかったが、あの日と同じく、小さなみなりながら、車掌室の背を伸ばして、錆びたレールの上に坐っていた。

 私はその日の乗務のあと、ちょっと調べた。
 北急電鉄での砂利貨物列車の扱いは、その私が中学生の頃に終わり、牽引に働いていた機関車デキたちは事業用車となって車庫の奥にしまわれたり、相模大川の工場で車両移動機として車籍を失ったりしていた。

 そして、砂利列車はもうこれから、「保線作業の臨時列車以外は走ることはない」とあった。

 でも、あの硬い揺れの砂利列車は、それでも私の心の中で、あの青い夕時の風の中を走り続けていた。


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