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 北急相模大川工場には、日々様々なものが持ち込まれる。
 定期検査のための入場車輌。
 接触不良と思われる不具合の機器。運転機械から動力装置。
 工員たちはみな、明るく声を掛け合いながら、鉄道を、道を支える使命を、皆それぞれに感じながら励んでいる。
 もちろん、時にはくさってしまうこともあるし、またひと仕事終えたあとの工場近くの繁華街で酒でため息を漏らすこともある。
 それを含めて、この北急電鉄は、生きた鉄道なのだ。

 その北急相模大川工場に、一つ、真っ黒の鋼の塊が運ばれてきた。



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IMG_0767 posted by (C)YONEDEN


「職長、なんすかコレ。『シラ10』って」
「ああ。これは支線よねでん線の沿線自治体に保存されることになってな。その前に整備することになったんだ」
「でも、これ、大物車なんですか?
 こんな大して重くもなさそうな積荷で。
 だいたい重量種別がキじゃなくてラなんていう大物車、聞いた事ないですよ」
「ああ。だから珍しいのさ。
 それも、よねでん線の、とある区間での歴史が詰まってる」

 よねでん線の開通を、心から喜んだ町があった。
 清流の鮎料理が自慢で、遠くの神社への参詣街道の宿場町だったその町は、すっかり鉄道時代に乗り遅れてしまった。
 海沿いの鉄道省の本線は、容赦なくその町から人々を遠ざけた。
 閑古鳥の鳴く町で、人々は必死に鉄道を引いて欲しいと陳情をした。
 しかし、町の人口は減り、宿場の宿帳は真っ白。
 町は着実に死に向かっていた。

 そのとき、よねでん線の敷設が突然発表された。
 この町を通り、内陸部から川沿いを宮ケ瀬湯本へ向かう、電化鉄道。
 当然そんなものが最初から軌道に乗るワケがなかった。
 難工事を避けるために線路は山を回避し、勾配をできるだけ避けたが、それでも敷設費は跳ね上がった。
 それでもその町の人々は、工事の人々に期待し、毎日、米を、魚を、漬物や野菜を工事拠点に届けた。

 そのなかで、一番の難関が、底なし田んぼと呼ばれた泥濘区間だった。
 国分寺の時代からの水田は、素晴らしい水稲を産む美田だったが、それを一部埋めて徹よねでん線には、恐ろしいほど頑強な抵抗を示した。
 路盤をつくる土砂は投じても投じても沈み込み、苦闘の末にできた路盤に立てた架線柱は、朝に立てると夕方には倒れてしまう。
 それでもよねでん線は、それの闘いながらの開業を選んだ。

 一番列車がその泥濘区間を超え、その宿場町にやってきた。
 その町では、一本列車がつくたび、花火を上げて大いに歓喜に湧いた。

 交通は、鉄道は、文化を運ぶ。
 しばらく閉ざされていた交通が、蘇った。
 人々は喜んでよねでん線に乗った。
 小さな車輌でも、小さな車内に一杯になっても、人々の笑顔は電車の中に満ちていた。

 しかし、その区間では、なおも戦いはつづいていた。
 保線区は毎日、大きすぎる軌道狂いを補正するために大きな労力をさいた。
 架線柱はすぐ傾くため、架線はすぐに狂い、また自動張力調整もなかった時代、電力区は必死に毎日架線を張り直した。

 その戦いの中、よねでん線は、苦しいながら、人々を運び続けた。
 乗客もどんどん増え、また死に瀕した宿場町も、遠く都心からやってくる釣り客や鮎料理、そしてさらに遠くの神社へのお客が戻り、息を吹き返した。

 しかし、その限界はあっさり訪れた。
 当時のよねでん線の電車は、当然抵抗制御、しかも変電施設は貧弱で、よねでん線では慢性的な電力不足で運転は徐々に曲芸を強いられ、曲線勾配での起動不 能も起きるようになった。

 そこで、当時の社主は決断した。
 変電所を増強しようと。

 しかし、その変圧器を運ぶには、その泥濘区間を超える必要があった。
 当時甲線・乙線と呼ばれていた軸重制限の基準すら満たせないその区間を超えるためには、特別な方法が必要だった。

「それが、その区間専用に作った軸重の特別に軽い大物車による輸送だった」
「それがこのシラだったんですね」
 職長はうなずいた。
「だがな、交通一般にも、鉄道にも、原罪がある。
 人々をつなぎ、人々を救う鉄道も、逆に文化を吸い上げてしまい、沿線を画一化してしまう作用がある。
 相模野をこえたよねでん線沿線には、様々な文化があった。
 それをよねでん線はむすび、人々をつないだが、でもその結果、沿線文化という名前の画一化をしてしまったかも知れない。
 このシラによる変電所増強を拒んだその底なし田圃の抵抗は、それを表していたのかも知れない。
 毒にならない薬はない。鉄道も同じことだ」
 職長は、寂しげにこの小さな大物車を見つめた。
「でも、だからといって、現代社会は薬なしにはまわっていかないんだ」
 その言葉に工員は、考え込んだ。
 鉄道が、陸蒸気から、新幹線、そしてリニアになっていく。
 生み出した笑顔は、決して少なくない。
 だが、それによって失われていくもの。


「でも、前に進むしかないんだ。色々話はあるが、道は常に、前にしかないんだ」

 工員は頷いた。



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IMG_0765 posted by (C)YONEDEN


「僕がこのシラの整備、手伝います!」
「なにいってんだ、ヤスリがけすら満足にできないのに。新米のお前に」
「だからこそです!」
 職長はふん、と鼻を鳴らした。

「文化財だぞ。気をつけてやれよ!」

「はい!」

 若い工員を見送るその職長の微笑みを、工場の大屋根から降る陽光が、かすかに輝かせていた。

<了>

この本の内容は以上です。


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