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~ はじめに ~

 「キリスト教ってどういう宗教なんだろう」

 

 そういう疑問を持つ人は多いと思います。特に日本人は、キリスト教の本質を知っている人は少ないのではないかと思います。今、世界の3人に1人は、クリスチャンだと言われています。世界で最も多くの信者のいる宗教がキリスト教です。でも、2017年時点で日本では人口比、わずか1%しかクリスチャンはいません。世界の状況と比べ非常に少ない人数しかクリスチャンがいません。
このことは、クリスチャンである私としては、好ましくない状況だと感じています。
 この状況を打破したく思い、私はこの本を書き始めました。この本は、日本人に向けたキリスト教の入門書です。以前、私は『はじめの一歩(2016年11月28日修正版)』と言う本を書き、現在、無料でネット上に公開しております。そして今、その続きを書いています。一人でも多くの人にキリスト教を伝えたいと思い、この本を執筆しています。
 それでは皆さん、この本をできれば最後まで読んでください。この本を読む皆さんに神様の祝福がありますように。

 

2017年5月5日(金)  深澤信行


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目次

~はじめに~
●靴のセールス
●韓国と中国と日本
●悲しむ者は幸いです
●悔いた心
●この世と調子を合わせてはいけない
●生きる
●イエス・キリストとは
●三位一体
●キリスト教の信仰とは
●洗礼について
●十字架
●愛
●必然
~おわりに~


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●靴のセールス

 この本を書き始めるにあたり、靴のセールスの話をしたいと思います。有名な話なので、聞いたことがある人もいるかもしれません。
 ある未開の地に、靴のセールスをしている人が二人行きました。その地の人々は、靴を履く習慣がなく、誰も靴を履いていませんでした。靴のセールスをしている人のうち、一人は靴を履いている人がいないので、靴は売れないと思ったそうです。もう一方の一人は、皆靴を履いていないので、大量に靴が売れると思ったそうです。同じ状況に直面しながら、片方の人は靴を売れないと思い、もう片方の人は、靴が売れると思ったのです。
 人は、同じ状況にあっても、考え方が180度異なる場合があるのです。
これを現在の日本のキリスト教の状況にあてはめてみたいと思います。今の日本はクリスチャンが1%しかいないので、キリスト教の伝道はうまく行かないと思うのか、それとも、残りの99%の人に伝道することができ、多くの人をクリスチャンに迎え入れることができると考えるのか。私は、多くの人をクリスチャンに迎え入れることができると思っています。この日本には、非常に大きな伝道の可能性があるのではないかと思っています。もちろん、多くの人がクリスチャンに迎え入れられなくても、たった一人でも、私の本を読みクリスチャンになるのであれば、それで十分です。でも、夢は大きくありたいです。日本で多くの人がクリスチャンに迎え入れられることを希望して行きたいと思います。


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●韓国と中国と日本

 日本では2017年現在、クリスチャンの人口が1%しかいませんが、隣国の韓国や中国では、クリスチャンが多くいます。一説によると、韓国では2017年現在、人口比30%程度のクリスチャンがいるそうです。また、中国では2017年現在、人口比10%程度のクリスチャンがいるとのことです。
つまり、アジアの国だからと言って、日本のようにクリスチャンが少ないと言うわけではなさそうです。
 また、日本では、クリスチャンは少ないですが、そのクリスチャンが社会に与えている影響は大きいと思います。例えば教育関係を考えてみます。ミッション系と呼ばれるキリスト教関係の学校は、たくさんあります。有名人でも、クリスチャンの方が多くいます。政治家にもクリスチャンの方がいます。多方面で活躍されています。
クリスチャンの方が書かれた本で、ベストセラーになった本もあります。例えば、『生き方上手(日野原重明著)』や『置かれた場所で咲きなさい(渡辺和子著)』などが有名です。
 私が今書いているこの本は、この2冊の本には及びませんが、それでも、たった一人でもいいので、この本を読んでいただければ幸いです。


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●悲しむ者は幸いです

 そろそろ、この本の本題に入って行こうと思います。まず、この本のタイトルになっている言葉を説明したいと思います。この本のタイトルは、聖書の『マタイの福音書』の中のイエス・キリストの言葉です。この部分を引用します。

 

“「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。
悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。
柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。
義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるから。
あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから。
心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから。
平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。”

(マタイの福音書5章3節~9節)

 

 この箇所は、“山上の説教”もしくは、“山上の垂訓(さんじょうのすいくん)”と呼ばれる箇所の冒頭の部分です。この“山上の説教”は、イエス・キリストが、山の上でお弟子さん達や集まった群衆に向けて、説教をしたものです。クリスチャンにとって、この“山上の説教”は、キリスト教の憲法のようなものです。
 この箇所は、一見すると矛盾するようなことが書かれています。なぜ、悲しむ者が幸いなのでしょう。通常は、悲しむ者ではなく、喜ぶ者が幸せなのだと思います。でも、この逆説的な言葉は、キリスト教の本質を表していると思います。
 悲しむ者、心の貧しい者こそが、幸せになるのです。自分の思った通りに物事が進まず、悲しみの中にある人、自分の力ではどうすることもできない人、そういう人こそが幸せになるのです。
 この“山上の説教”に関連し、もう一ヶ所聖書を引用したいと思います。

 

“しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。”
(コリント人への手紙第二12章9節)

 

 イエス・キリストの力は、弱さのうちに現れるのです。
自分の弱さを抱え、どうにもならない現実に直面しているような人こそ、力をもつのです。このことは、不思議なことです。でも、真理なのです。
 もう一か所、聖書を引用したいと思います。

 

“医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。”
(マタイの福音書9章12節)

 

 ここで、医者と例えられているのは、神様のことです。神様は、罪人や病気を患っている人にとってこそ必要なのです。神様は、そういう人を救ってくださいます。



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