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●悲しむ者は幸いです

 そろそろ、この本の本題に入って行こうと思います。まず、この本のタイトルになっている言葉を説明したいと思います。この本のタイトルは、聖書の『マタイの福音書』の中のイエス・キリストの言葉です。この部分を引用します。

 

“「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。
悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。
柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。
義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるから。
あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから。
心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから。
平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。”

(マタイの福音書5章3節~9節)

 

 この箇所は、“山上の説教”もしくは、“山上の垂訓(さんじょうのすいくん)”と呼ばれる箇所の冒頭の部分です。この“山上の説教”は、イエス・キリストが、山の上でお弟子さん達や集まった群衆に向けて、説教をしたものです。クリスチャンにとって、この“山上の説教”は、キリスト教の憲法のようなものです。
 この箇所は、一見すると矛盾するようなことが書かれています。なぜ、悲しむ者が幸いなのでしょう。通常は、悲しむ者ではなく、喜ぶ者が幸せなのだと思います。でも、この逆説的な言葉は、キリスト教の本質を表していると思います。
 悲しむ者、心の貧しい者こそが、幸せになるのです。自分の思った通りに物事が進まず、悲しみの中にある人、自分の力ではどうすることもできない人、そういう人こそが幸せになるのです。
 この“山上の説教”に関連し、もう一ヶ所聖書を引用したいと思います。

 

“しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。”
(コリント人への手紙第二12章9節)

 

 イエス・キリストの力は、弱さのうちに現れるのです。
自分の弱さを抱え、どうにもならない現実に直面しているような人こそ、力をもつのです。このことは、不思議なことです。でも、真理なのです。
 もう一か所、聖書を引用したいと思います。

 

“医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。”
(マタイの福音書9章12節)

 

 ここで、医者と例えられているのは、神様のことです。神様は、罪人や病気を患っている人にとってこそ必要なのです。神様は、そういう人を救ってくださいます。


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●悔いた心

 神様にとって、どのような心の状態が受け入れられるのでしょうか。次の聖書箇所を示したいと思います。

 

“神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。”

(詩篇51篇17節)

 

 人は、失敗をします。それを悔いて、悲しみの中にいる砕かれた霊を持つ人。そういう人が神様に受け入れられるのです。
 強さではなく弱さ、砕かれた霊、悔いた心、今の日本社会から考えると勝者ではなく敗者、社会から相手にされないような人、そういう人こそ、救いにあずかることができるのではないでしょうか。
 旧約聖書に出てくるダビデと言うユダヤの王様は、英雄でした。
でも、大きな罪を犯しました。姦淫と殺人を行ったのです。これは、ユダヤの律法で、死罪にあたります。でも、ダビデはその罪を認め悔い改めたのです。結果的にダビデは救われました。このダビデのようにへりくだり悔い改めると、神様はそれを見ていて赦(ゆる)しを与えてくださいます。


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●この世と調子を合わせてはいけない

 クリスチャンとこの世の関係について書きたいと思います。
聖書には次のように書かれています。この箇所は、イエス・キリストの弟子である使徒パウロによって書かれました。

 

“この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。”

(ローマ人への手紙12章2節)

 

 パウロは、この世と調子を合わせてはいけないと記しました。無理にこの世に順応する必要はありません。人付き合いがうまく行かなかったり、職を転々としてしまったり、人によっては、生きづらい世の中だと思います。でも、それでいいのです。次の聖書箇所を引用したいと思います。
 
“また、悪魔はイエスを連れて行き、またたくまに世界の国々を全部見せて、こう言った。「この、国々のいっさいの権力と栄光とをあなたに差し上げましょう。それは私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げるのです。ですから、もしあなたが私を拝むなら、すべてをあなたのものとしましょう。」
イエスは答えて言われた。「『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えなさい』と書いてある。」”
(ルカの福音書4章5節~8節)

 

 この世の権力と栄光は、悪魔(サタン)が握っているのです。なので、この世のことで上手く行かなくても、あまり気にする必要はありません。単にあなたは、悪魔に嫌われているだけかもしれません。
 失職をしたりして金銭的に厳しい状況におちいることもあると思います。そんな時は、次の聖書箇所を読んでみるといいと思います。少し長い箇所ですが、引用したいと思います。

 

“だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮(きわ)めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
きょうあっても、あすは炉(ろ)に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。”
(マタイの福音書6章25節~33節)

 

 神様は、人間が生きていくのに必要なものは与えてくださいます。お金もたくさんは与えてくれないかもしれませんが、必要な分は与えてくださるのです。この世界を創られた神様が助けてくださるのです。
 また、聖書を引用したいと思います。

 

“だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。”
(マタイの福音書6章34節)

 

 日本のことわざにも、「明日は明日の風が吹く」とありますよね。
これは、真理だと思います。将来を案じてもあまり意味がありません。神様がその都度、状況に合わせて助けてくださるのです。


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●生きる

 生きるということについて、私が感銘を受けた聖書箇所を引用したいと思います。今まで様々なキリスト教関係の本を読みましたが、この箇所を引用した本はありませんでした。
 もしかしたら、私のこの本が世界初かもしれません。
では、引用します。

 

 “あなたの生まれは、あなたが生まれた日に、へその緒を切る者もなく、水で洗ってきよめる者もなく、塩でこする者もなく、布で包んでくれる者もいなかった。
だれもあなたを惜しまず、これらの事の一つでもあなたにしてやって、あなたにあわれみをかけようともしなかった。あなたの生まれた日に、あなたはきらわれて、野原に捨てられた。
わたしがあなたのそばを通りかかったとき、あなたが自分の血の中でもがいているのを見て、血に染まっているあなたに、『生きよ』と言い、血に染まっているあなたに、くり返して、『生きよ』と言った。“

(エゼキエル書16章4節~6節)

 

 生きると言うことは、時に大変です。血みどろになりながら、なんとか生きている。地面をはいつくばって、苦しみの中、絶望しながら生きる。それでも、生きる。神様はそんなあなたに、「生きよ」と言われる。例え絶望し、八方ふさがりで、どうにもならなくても、「生きよ」と言われるのです。なんと壮絶な聖書箇所なのでしょう。
 でも、絶望していて、八方ふさがりでも、時は流れて行きます。この時が流れると言うことに、わずかな希望があります。私自身、橋から飛び降りて死のうと思い、橋の上まで行ったことがあります。でも、なんとか踏みとどまりました。そんな絶望の中でも、時の経過が自分の周りの環境を変え、自分自身も変えられて行きます。今となれば、なんと穏やかな生活が待っていたのだろう、と思うほどに、平安の中に生活しています。あの時、自死しなくて良かったと思います。
 人生と言うものは、時に苦しく、また時に平穏で、そんなものかもしれないと思っています。
重要なことだと思うので言いますが、時の経過に希望を持ちましょう。例えどんなに苦しくとも、生きましょう。


 生きよ!

 

 ここまで、この本を書いてきましたが、徐々にキリスト教とは何なのか、その雰囲気がつかめてきたでしょうか?


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<著者紹介>

深澤 信行(ふかさわ のぶゆき)

キリスト教プロテスタント

福音派のクリスチャン

統合失調症患者

1973年神奈川県相模原市生まれ

2004年4月11日受洗

日本工学院八王子専門学校卒業

第一種情報処理技術者

HP: http://fuka.ikrst.net

E-mail: fuka@ikrst.net

ハンドルネーム:ふかごろう

著書:

『希望の光 ~統合失調症と信仰生活~』

『はじめの一歩 ~キリスト教入門~』



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