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●靴のセールス

 この本を書き始めるにあたり、靴のセールスの話をしたいと思います。有名な話なので、聞いたことがある人もいるかもしれません。
 ある未開の地に、靴のセールスをしている人が二人行きました。その地の人々は、靴を履く習慣がなく、誰も靴を履いていませんでした。靴のセールスをしている人のうち、一人は靴を履いている人がいないので、靴は売れないと思ったそうです。もう一方の一人は、皆靴を履いていないので、大量に靴が売れると思ったそうです。同じ状況に直面しながら、片方の人は靴を売れないと思い、もう片方の人は、靴が売れると思ったのです。
 人は、同じ状況にあっても、考え方が180度異なる場合があるのです。
これを現在の日本のキリスト教の状況にあてはめてみたいと思います。今の日本はクリスチャンが1%しかいないので、キリスト教の伝道はうまく行かないと思うのか、それとも、残りの99%の人に伝道することができ、多くの人をクリスチャンに迎え入れることができると考えるのか。私は、多くの人をクリスチャンに迎え入れることができると思っています。この日本には、非常に大きな伝道の可能性があるのではないかと思っています。もちろん、多くの人がクリスチャンに迎え入れられなくても、たった一人でも、私の本を読みクリスチャンになるのであれば、それで十分です。でも、夢は大きくありたいです。日本で多くの人がクリスチャンに迎え入れられることを希望して行きたいと思います。


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●韓国と中国と日本

 日本では2017年現在、クリスチャンの人口が1%しかいませんが、隣国の韓国や中国では、クリスチャンが多くいます。一説によると、韓国では2017年現在、人口比30%程度のクリスチャンがいるそうです。また、中国では2017年現在、人口比10%程度のクリスチャンがいるとのことです。
つまり、アジアの国だからと言って、日本のようにクリスチャンが少ないと言うわけではなさそうです。
 また、日本では、クリスチャンは少ないですが、そのクリスチャンが社会に与えている影響は大きいと思います。例えば教育関係を考えてみます。ミッション系と呼ばれるキリスト教関係の学校は、たくさんあります。有名人でも、クリスチャンの方が多くいます。政治家にもクリスチャンの方がいます。多方面で活躍されています。
クリスチャンの方が書かれた本で、ベストセラーになった本もあります。例えば、『生き方上手(日野原重明著)』や『置かれた場所で咲きなさい(渡辺和子著)』などが有名です。
 私が今書いているこの本は、この2冊の本には及びませんが、それでも、たった一人でもいいので、この本を読んでいただければ幸いです。


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●悲しむ者は幸いです

 そろそろ、この本の本題に入って行こうと思います。まず、この本のタイトルになっている言葉を説明したいと思います。この本のタイトルは、聖書の『マタイの福音書』の中のイエス・キリストの言葉です。この部分を引用します。

 

“「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。
悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。
柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。
義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるから。
あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから。
心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから。
平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。”

(マタイの福音書5章3節~9節)

 

 この箇所は、“山上の説教”もしくは、“山上の垂訓(さんじょうのすいくん)”と呼ばれる箇所の冒頭の部分です。この“山上の説教”は、イエス・キリストが、山の上でお弟子さん達や集まった群衆に向けて、説教をしたものです。クリスチャンにとって、この“山上の説教”は、キリスト教の憲法のようなものです。
 この箇所は、一見すると矛盾するようなことが書かれています。なぜ、悲しむ者が幸いなのでしょう。通常は、悲しむ者ではなく、喜ぶ者が幸せなのだと思います。でも、この逆説的な言葉は、キリスト教の本質を表していると思います。
 悲しむ者、心の貧しい者こそが、幸せになるのです。自分の思った通りに物事が進まず、悲しみの中にある人、自分の力ではどうすることもできない人、そういう人こそが幸せになるのです。
 この“山上の説教”に関連し、もう一ヶ所聖書を引用したいと思います。

 

“しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。”
(コリント人への手紙第二12章9節)

 

 イエス・キリストの力は、弱さのうちに現れるのです。
自分の弱さを抱え、どうにもならない現実に直面しているような人こそ、力をもつのです。このことは、不思議なことです。でも、真理なのです。
 もう一か所、聖書を引用したいと思います。

 

“医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。”
(マタイの福音書9章12節)

 

 ここで、医者と例えられているのは、神様のことです。神様は、罪人や病気を患っている人にとってこそ必要なのです。神様は、そういう人を救ってくださいます。


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●悔いた心

 神様にとって、どのような心の状態が受け入れられるのでしょうか。次の聖書箇所を示したいと思います。

 

“神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。”

(詩篇51篇17節)

 

 人は、失敗をします。それを悔いて、悲しみの中にいる砕かれた霊を持つ人。そういう人が神様に受け入れられるのです。
 強さではなく弱さ、砕かれた霊、悔いた心、今の日本社会から考えると勝者ではなく敗者、社会から相手にされないような人、そういう人こそ、救いにあずかることができるのではないでしょうか。
 旧約聖書に出てくるダビデと言うユダヤの王様は、英雄でした。
でも、大きな罪を犯しました。姦淫と殺人を行ったのです。これは、ユダヤの律法で、死罪にあたります。でも、ダビデはその罪を認め悔い改めたのです。結果的にダビデは救われました。このダビデのようにへりくだり悔い改めると、神様はそれを見ていて赦(ゆる)しを与えてくださいます。


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●この世と調子を合わせてはいけない

 クリスチャンとこの世の関係について書きたいと思います。
聖書には次のように書かれています。この箇所は、イエス・キリストの弟子である使徒パウロによって書かれました。

 

“この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。”

(ローマ人への手紙12章2節)

 

 パウロは、この世と調子を合わせてはいけないと記しました。無理にこの世に順応する必要はありません。人付き合いがうまく行かなかったり、職を転々としてしまったり、人によっては、生きづらい世の中だと思います。でも、それでいいのです。次の聖書箇所を引用したいと思います。
 
“また、悪魔はイエスを連れて行き、またたくまに世界の国々を全部見せて、こう言った。「この、国々のいっさいの権力と栄光とをあなたに差し上げましょう。それは私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げるのです。ですから、もしあなたが私を拝むなら、すべてをあなたのものとしましょう。」
イエスは答えて言われた。「『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えなさい』と書いてある。」”
(ルカの福音書4章5節~8節)

 

 この世の権力と栄光は、悪魔(サタン)が握っているのです。なので、この世のことで上手く行かなくても、あまり気にする必要はありません。単にあなたは、悪魔に嫌われているだけかもしれません。
 失職をしたりして金銭的に厳しい状況におちいることもあると思います。そんな時は、次の聖書箇所を読んでみるといいと思います。少し長い箇所ですが、引用したいと思います。

 

“だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮(きわ)めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
きょうあっても、あすは炉(ろ)に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。”
(マタイの福音書6章25節~33節)

 

 神様は、人間が生きていくのに必要なものは与えてくださいます。お金もたくさんは与えてくれないかもしれませんが、必要な分は与えてくださるのです。この世界を創られた神様が助けてくださるのです。
 また、聖書を引用したいと思います。

 

“だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。”
(マタイの福音書6章34節)

 

 日本のことわざにも、「明日は明日の風が吹く」とありますよね。
これは、真理だと思います。将来を案じてもあまり意味がありません。神様がその都度、状況に合わせて助けてくださるのです。



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