畠山家分裂 3
河内の国元で違乱が起きているという報告が、徳本入道のところにはいったのは、七月になってのことだった。
「お屋形さま」
遊佐国助や誉田久康が、対応のために集まってきた。
「細川勝元のやつが、裏で糸を引いているに決まっている」
みな憤慨していた。
「国助、久康、おぬしら直ちに河内に向かえ。刃向かう者どもを鎮めてくるのじゃ」
徳本入道が、指示した。畠山家が守護を務める国は、河内(大阪東部)越中(富山県)紀伊(和歌山県)それに大和(奈良県)の一部である。なかでも河内は都にも近く、分国の要だった。河内を安定させなければ、何もできない。
評定に出てきた義就が、珍しく発言した。
「しかし、手勢を送ってしまえば、都が手薄になりましょう。大丈夫でしょうか」
内衆(重臣)のほとんどに背かれた今、頼りになるのは河内衆だけだ。その虎の子を手放してしまえば、都で何かあったときに、対処のしようがない。みなの懸念はそこにあった。
「弥三郎も椎名次郎左衛門も、摂津(大阪北部)に向かったらしい。勝元の本拠で、再起を図るつもりじゃ」
「では、当面都に攻め上ってくるおそれはない、ということですな」
遊佐国助が言と、徳本入道はうなずいた。徳本入道の顔色はひどく悪い。気力を振り絞っているようだ。
「なにか動きがあれば、すぐに知らせる。むしろ、早いうちに手を打っておく事が肝要じゃ」
徳本入道の言葉に、一同が頭を下げた。
十日ほどたった夕刻、義就が寝所で休んでいると、庭先から声がかかった。
「修羅さま」
円々なのが分かって、義就は濡れ縁にでてきた。
「円々どうした」
円々が、縁の下で平伏している。
「細川屋形に、軍勢が集まっております。」
「なにっ」
寝耳に水だった。摂津に動きがないことは、今日も確かめてあった。
「どうやら越中の者どものようでございます。明日にでも、こちらに寄せてくる気配でございます」
円々たち散所法師の、横のつながりは広い。ほとんどの寺には、ケガレを始末する散所法師がいるのだ。お互い協力していかなければ、生き残れない世だった。
「ううむ」
越中の軍勢がこれほど早く上洛してくるとは、思わなかった。まがりなりにも、畠山徳本入道は越中守護である。それに刃向かうとなれば、異論もあるだろう。国中をまとめて軍勢を出すには、時間がかかると踏んでいたのである。
そのとき、隣の部屋の蔀戸から、覗いている者がいるのに気づいた。笙子姫に違いない。義就はずっと隣の部屋で寝起きしているのだった。
「笙子、安心しろ。わたしはこれから、お屋形さまと打ち合わせをしてくる。おまえを危険な目に会わせるつもりはない。ここで待っておれ」
そう言うと、義就は父、徳本入道の寝所に向かった。
畠山家分裂 4
「もう、洛中にはいっているのか」
徳本入道は目をつぶりながら、つぶやいた。徳本入道の病状はもう、自分でカワヤに行くのがやっとの状態である。
「義就、奴らはおまえの命が狙いだ」
うっすらと開けた瞼から、するどい目が光る。
「おまえはすぐ逃げよ。今なら間に合う」
義就もそう思う。だが、お屋形さまである父を、置いて行くわけには行かない。好き嫌いにかかわらず、正義感が許さない。
「わしの事なら大丈夫じゃ。建仁寺に入れてもらうつもりじゃ。建仁寺なら、匿ってもらえるじゃろう」
建仁寺は五山の第三位である。先にも述べたように、五山はいわば、幕府の公共事業体である。相国寺の荘園経営、天龍時の交易などに便宜を図る代わりに、幕府は多大な運上金を召し上げていた。
何度も管領を務めた畠山徳本入道にとっては、便宜を図ってやった相手だった。当然、長老はじめ幹部の僧はみな知っている。
「神保や椎名、遊佐などの内衆も、まさかわしを粗略には扱うまい。おまえは、自分のことだけ考えておけばよいのだ」
「分かりました。では早速出立いたします」
「うむ、だが西国街道を行ってはならんぞ。奴らが、待ちかまえているはずじゃ」
「では、お屋形さま、ご健勝で」
うなずいた義就はすぐ退出した。
笙子姫の部屋に行ってみると、侍女たちが、荷物をまとめている。
「笙子は、笙子はいずれにおる?」
義就が呼びかけると、侍女の一人が顔をあげた。
「あっ、若殿さま。お方さまは、すでに出られました」
「何、いずれに行ったのか」
「はあ・・」
「なんじゃ、『はあ』では分からん」
言いにくそうに侍女が言ったのは一条家の屋敷だった。
「なに一条家、実家に戻ったというのか」
まさか、屋形の女どもや下働きの者に手をだすことはないと思うが、笙子だけは、どこかに避難させるつもりだった。だが、別れの挨拶もしないで行ってしまうとは思わなかった。
(今生の別れになるかも知れぬのに、なんということか)
「ちっ」
舌うちした義就は、笙子の部屋をあとにした。
畠山家分裂 5
神保長誠を主将とする軍勢が畠山屋形に入ったときには、徳本入道も義就もすでに脱出していた。
「義就を追え。とり逃がしてはならん」
神保や椎名の軍勢が、義就を追って馬をとばして行く。
「お屋形さまは、動けない。この近くに潜んでいるはずじゃ」
調べてみると、洛東の建仁寺に行ったことが分かった。神保与二郎たちが、建仁寺に向かう。
果たして、建仁寺西来院に徳本入道はいた。ともの者は西方六郎左衛門ほか十数人である。
体調が悪い徳本入道は、夜中の移動を強行したため、すっかり弱っていた。
「お屋形さま。よくもわが殿、神保国宗を殺してくれましたな」
神保与二郎が、口元をゆがめる。西方六郎左衛門が、与二郎のまえに立ちふさがるが、すぐ弾きとばされた。建仁寺の者は、誰も出てこない。徳本入道を守ろうとする者は、一人もいなかった。
「さあ、屋形に戻っていただきましょう」
横になっている徳本入道を、与二郎が無理矢理立たせた。
「ごほ、ごほっ」
徳本入道は、辛そうに咳きこんだ。
「与二郎どの、せめて一日休ませてくだされ。お屋形さまのお体が保ちませんぞ」
「うるさい」
すがりつく六郎左衛門を、与二郎が蹴りつける。
「六郎左衛門。きさまが偉そうにしていられたのは、昨日までだ。きさまは、もうただの老いぼれさ。分かったか」
六郎左衛門の目に、怒りの光が宿った。
「どうしても、お屋形さまを連れ出して欲しくないなら、オレの足を舐めてみろ。舐めて綺麗にできたら、お屋形さまを置いて行ってやろう」
「くっ」
どうせ言う通りにしても、ダメなのは分かっている。六郎左衛門は拳を握りしめた。
「どうした、老いぼれ」
高笑いした与二郎は、徳本入道を引きずるようにして出て行ってしまった。
「お屋形さま、申し訳ございません」
とり残された西方六郎左衛門は、その場で腹を切った。