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検車の神様

 年が開けた直後、まだニューイヤーエクスプレスといった年末年始輸送の気分の明けきらない北急電鉄では、急遽、運行しているY10000形特急電車が故障で工場に入場することになった。

 その特徴である連接台車の不具合が発見され、北急はその代走に虎の子の新車Y50000形を着席帰宅列車に投入してでも、不具合の解消につとめることになったのだ。

 その出場試運転が運転士・来嶋(くるしま)の担当となった。
 緊張の出場試運転である。

 担当したことがないわけではないが、いつも緊張する。

 皆が「夜の業務研修」という駄弁りが終わり、眠りについている時、来嶋はひとり眠れず、車両基地の検修庫に入っていた。

 終電を過ぎた夜の車両基地は、静かに水銀灯に照らされていても、なにか薄暗い。
 そのY10000形が待つ検修庫に、古い作業着の検車係がいた。
 ――あれ、なんでこんな時間に――。
「君が出場試運転の運転士か?」
 彼が訪ねるのに、来嶋ははいと答えた。
「遅くなってしまったが、ちょっとやりわすれたことがあってね」
 彼は片手に樒(しきみ)という木の枝をもち、片手の皿についだお酒に枝をつけ、それを振って車内にすこしずつまきはじめた。
 来嶋はそれを見守った。
「列車にはいろいろな人が乗る。
 欲望もあれば絶望も、また希望も大きな願望や野望も。
 喜怒哀楽の魂が、大勢乗る。
 それを乗せて110km/hで走る列車は、それ自身で生きているんだ。
 界磁添加だのGTOだのVVVFだのというが、それは目に見える仕組みに過ぎない。
 見えないところに魂は宿る。
 列車には、魂がある」
 彼は満足げに眺めた。
「これで終わった。
 これで安心して運転できるはずだ。
 我々検車掛も、出発する列車を見送るときに、無事走って、無事帰ってくることをいつも願う。
 我々の魂もまた、この列車に宿っている。
 レールにも、列車にも、保線のものも、電力区のものも。
 鉄道と言うものは、それそのものですでに人そのものであり、魂だ。
 そして、それを君も継いで行くんだ」
 来嶋は深く頷き、ありがとうございます、と言ったそのとき、
 春にはまだ遠い基地の薄明かりだけがそこにあった。


 朝の出発点呼前。
「え、昨日は当直を残してみんな仮泊所にいたのに」
 と若い検車係が驚いた。
「ああ、その人は祝谷(いわいたに)さんだよ。
 検車の神様と呼んでる。
 OBになっても検車区にくるんだ。
 ボケ防止って言って」
 中堅どころの検車掛たちが言い合う。
「あの歳で今のLCDモニタシステムもTIOSもわかってるし、本当に神様だよ」
「定年になっても、まだまだ勉強したいって」
「一昨日も新しい特急電車の検車に立ちあって」

 そこに樋田社長があらわれた。
「どこ行くんですか」
「祝谷元検車区長のお通夜だ。
 昨日の夜中に亡くなったんだ。
 ご臨終が1時20分と言ってたな」

 全員が沈黙した。

「もう1ヶ月近く入院していて、私も何度かお見舞いに行っていたんだが」

 みながぞくっとした。

「違うさ」
 樋田は身なりを整えながら、口にした。
「人は役目を終えて死ぬと神様になる。
 特に、なにか残したい技芸や魂がある一流の人間は、死さえ超えて神様になる。
 だれかに技芸を残したい人間ほど、そうだ。
 祝谷さんのお子さんはいるが、みな鉄道員ではないそうだ。
 来嶋くん」
 社長は振り返った。
「職場で幽霊に出会うと出世するというジンクスが、私がコンサルタントやっていた出版社にあった。
 まあ、その時は仕事でテンパるぐらいに忙しいから、目もオカシクなって幽霊も見るし、出世もするんだろうぐらいに思っていた。
 だが、君は、それだけ見込まれているんだろう。
 さて、私も行かなくてはな」
 樋田社長はワンタッチ式のネクタイを締めて、言った。
「来嶋君、出場試運転、頼んだぞ」

 来嶋は、そんな一晩のことを思い出していた。
 10000形特急列車の2階運転席に座り、前方の信号を見つめる。
 ブレーキ指令正常、圧力正常、全スイッチ定常位置。
 ブレーキ弁試験、動作良し。
 そして、入換信号が切り替わり、出発の青信号がともった。

「試9021列車、線別各停、相模大川出発進行!」


<終わり>


*この物語はフィクションであり実在する人物、団体、事件、その他の固有名詞や現象などとは何の関係もありません。

奥付



検車の神様


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著者 : 米田淳一
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