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                                       Junichi YONETA 米田淳一


 そのプレゼンは負けだった。

 このプレゼンを始めるとき、数々のコンペで最終候補に残ってきたデザイナー・松橋直美にとっては、この北急電鉄新5000形のデザインコーディネートの依頼は、まさにうってつけのいい足がかりに思えた。
 しかし、そうはいかなかった。

  北急電鉄は、神宿から相模野を抜け、宮が瀬湯本まで伸びる北急本線と相模大川から湘南島に向かう湘南島線の路線を持つ関東の大手私鉄である。一時経営危機 が報じられたが、奇跡的な復活を遂げて自社線内だけでなく、全国周遊列車ブラウンコーストエクスプレスを運行し、また系列に高級ホテルを持つ関東私鉄のな かで女王の名を持つにいたる会社である。
 そしてその北急が誇る特急ロマンスカーのシリーズに匹敵するハイグレード通勤電車、それが直美にプランニングが発注された新 5000形である。
 最近は鉄道各社が外部デザイナーに自社車両のデザインを発注する例が増えている。
 直美にとっては、その波に乗ってデザイナーとしての株を上げたいところであり、プランを練った。特に北急の担当者が「これまでの通勤電車と一線を画してください」とあおったのだ。
 何が一線だ。
「要するに、これは鉄道車両についての理解が不足していると思わざるを得ませんね」
 直美は沸騰寸前だった。
「しかし、これは御社の要求仕様には合致しています」
 今回のプレゼンを「壊した」設計部の田岡伸也はふん、と鼻を鳴らした。
「通勤車両にはあるべき機能性、機能美と、そしてコスト意識が必要とプランシートに記したはずですが」
「でも通勤車両として一線を画する」
「それがこの流線型前面ですか? それがプラグドアですか?」
 田岡は容赦なかった。
「流線型前面はコストが上昇するばかりでなく、工作も補修も難しく、また運転動作に必要な車内容積が限られます。
 また満員乗車率のことを考えたら、プラグドアは構造上安全性に疑問ですね。開閉性能も落ちるし、また危険が生じる」
 田岡はそういうと、ペーパーをまとめた。
「これが一線を画すと思われてははなはだ心外です。通勤車両には通勤車両としての進化の歴史、文脈があります。どうやらそれをご理解いただいていないとしか思えない」
 直美は反論するよりももうさきに、「縁がなかったのだ」と心の中で自分に諦めをつけ始めていた。
 しかし、そのときだった。
「まあ、設計部はそうだろう。しかし、松橋さんに頼んだのには理由がちゃんとあるんだ。今回は初見ということで、内容を詰めてください」
 そうまとめたのは北急電鉄社長の樋田英明だった。
「これでどうまとめるって」
「それを期待しているんだよ。君に」
 樋田はうなづき、「以上」と会議を切り上げてしまった。


 いったい何なの?
 直美は震えて、会議室に残っていた。

 この会社は私を痛めつけるだけじゃないか。
 もうこちらから辞退するしかない。
 早く次のプランをやったほうがいい。
 とくにあの設計部の田岡の「石部金吉」ぶりにはがっかりさせられた。
 社長の樋田にも。
 まとめて、って、どうまとめるの!

 直美はネガティブに落ちていく心の中で、それが怒りに変わり始めていた。



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IMG_0044 posted by (C)YONEDEN




 会議のあった恵日奈検車区のある恵日奈駅には、発着する列車を眺めながら喫茶ができるトレインカフェがある。
 直美は、よせばいいのにその喫茶で列車を見ながら、クールダウンしていた。
 しかし、もうそれどころか、内心ははらわたが煮えくり返っていた。
 私なりに考えたのに。
 でも、私なりだから、大きな仕事ができないのだろうか。
 私が私でなくなれば、もっとあの著名なデザイナーになれるのだろうか。
 でも、それは私の存在を否定する。

 私らしくない私の作品?
 それはもう私のものではない。
 そんなものにデザイナーとしての責任など、もてない。

 怒りと落ち込みが、直美の心の中で逆巻いていた。

 その前を列車が行きかう。
  E231、E233といった関東では標準化された通勤列車。
 確かに機能美ではある。
 でも、それと同じことをして、なにか意味があるのだろうか。
 大量生産には向いているし、確かにコストも下がるだろう。
 一体打ち抜き側面にFRPの前面。工程も単純化できる。
 たしかに合理的だ。
 ならば、それをまたやればいいではないか。
 何が一線を画す、だ。
  E233でいいじゃないか。隣の相模鉄道だってそうしているんだし、同じ北急の新4000形もそうやって作った。
 それで十分じゃないか。

 デザインなんて、その程度でいいじゃないか。
 通勤電車のデザインなんて。

 気がむしゃくしゃしてきた。
 スマートフォンでスケジュールを確認して、次の仕事に気を向けようとした。
 この北急の話はなかったことにしよう。
 もう心の中に棚を作って、それにあげてしまうところだった。

 そのときだった。
「隣、いいですか」
 あの田岡がトレイを持って隣に座ったのだった。

「あれから社長に怒られまして」
 ええっ!
「確かに私も言いすぎました。たしかに今は車両メーカー側もA-TRAIN規格などといって標準化が進み、それを前提としてさまざまな会社の車両が生まれています。
 ですが、われわれはアジェンダ、目的とする段階をしっかり持たないで議論に入ることは、仕事としてやっている以上、許されない。
 私もあなたのデザインに、はじめ違和感を持ちました。
 しかし、考えれば、違和感のまったくないデザインには、新味も先進性もない。
 でも、私にはついアツくなる事情が恥ずかしながらあって」
 直美は顔をむけた。
 厳つい顔の田岡が、照れくさい感情を少し出している。
「北急の旧5000形は、ご存知のとおり、北急の大型通勤電車の標準となった車両です。
 扱いやすく、コスト的にもよく三枚窓、貫通路など、北急顔と呼ばれるにいたる、最大勢力にもなりました。
 そして、ローレル賞を受賞し他社にも影響を与えた9000形、ブラックフェイスの8000形にも遺伝子はつながりました」
 田岡はそこで、ためらいながら、口にした。
「その旧5000形のデザインを担当したのが、実は私の父です」
 直美は驚いた。
「私の家は、3代続き、4代目が今年入社した北急一家なんです」
 田岡は微笑んだ。
「父には旧5000形のデザインについて、繰り返し繰り返し聞かされてきました。
 ひとつとして無駄のないのもデザイン。
 それでいて、パンのみではないデザインの心。
 私はそのデザインを志しました。
 しかし、高校での試験の結果は、その夢を砕きました。
 でも、入社してから今に至るまで、高校の試験よりはるかに過酷な試験と試練がありました。
 そう考えれば、結局同じ道だったのかもしれません。
 そのなかで、私も北急通勤電車の次のスタンダードを目指すなか、気負いすぎていたのでしょう。
 松橋さん、あなたのデザインには確かに鉄道車両として、通勤車両としての欠点はある。
 でも、それを超えるものを感じました。
 少なくとも、私にはないものがあります」
 直美は考えこんだ。
「社長より命令されました。なんとしても話をまとめろ、と。
 あの社長はももともと M&Aでやってきたのっとり屋ですが、しかし鉄道を愛している。
 鉄道への愛をアジェンダに、プランをまとめろ、との厳命です。
 私にはもちろん、あなたにも鉄道への愛がる。
 あなたとやってみたい。次なるスタンダードを作る車両を」

 直美にとって、それからは夢のようなひと時だった。

 高い天井は最新鋭特急電車に負けない空間を目標として。
 無塗装ではなく純白のボディは鉄道車両として複合素材を始めて採用。
 プラグドアはあきらめ、通常の両開き扉にするものの、その上の内側と外側にサイネージを。
 そして前面デザインは強い印象を。

 さすが田岡は詳しく、薄型クーラーや電装品の配置について、理にかなった提案をする。
 それに4重の光ファイバ制御系の利用など、直美よりもとんがったプランを提案した。
「いけそうですね」
 田岡がそう微笑んだとき、喫茶の店員が、ラストオーダーを聞きにきた。
 トレインカフェの窓の向こうを、鮮やかな赤のテールランプを輝かせて列車が去っていく。
 話に夢中になっているうちに、すっかり夜になっていた。

 自分にはない自分を見出す。
 それがこうしてプランを立てる側と、そのプランをプロデュースする側の両者が必要なところなのだろう。
 直美は事務所に戻り、そのまま図面を書き続けた。
 大枠のデザインができたとき、事務所の外はすっかり明るくなっていた。

「いいでしょう」
 樋田の決裁が降りてからが戦いだった。
 野心的な計画に、さまざまなメーカーが難色を示した。
 まず複合素材を使うなど例はなかった。
 アルミ押し出し無塗装でいいじゃないですか、と何度もいわれた。
 それでも二人は負けなかった。
 電装品メーカーも、北急さんのためだけにこういう機器のラインを残すのは無理です、といわれた。
 部品の供給は無理です、と宣告されさえした。
 しかし、社長の樋田もまた積極的だった。
「呼んでよ。こういうごり押しは僕の専門だからさ」
 とひらひらと手を振りながら、各社とトップ会談を繰り広げた。

 そして、ついに製造メーカーの選定が終わり、着工した。
 製造メーカーは米田重工だった。いつものメーカーだったが、共同受注で八橋重工・八橋電機も参加した。
 山ほどの問題点が出た。
 でも、それは仕事だ。
 直美は、次第に、やはりあのとき強く言い合っていたからこそ、こういう交渉ができるのだと思った。
 熱意は熱意を呼ぶ。
 その熱のないデザインでは、人の心はつかめない。



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IMG_0196 posted by (C)YONEDEN

 工場で建造される新5000形を、多くの工員が私物のカメラで撮影した。
 いつのまにか、厄介者あつかいだった野心的な新5000形が、誇らしいものになってきたのだった。
 それは、あのVSEといったロマンスカーと同じ現象だった。

 ついにその新5000形の竣工式が行われた。
 よく晴れた日だった。
 樋田以下、北急のスタッフと、直美の事務所のスタッフが、マスコミを集めた竣工式に並んだ。
 スモークの中、いつもの車庫から新5000形が姿をあらわした。
 停車し運転士が降車したところで、マスコミのフラッシュが次々とたかれた。

 そして、そのあとの質疑応答があった。
 直美は口にした。
「たとえ一駅の間の移動であっても、それが上質のおもてなしの空間となる通勤電車、これがこの新5000形です」
 それを樋田と田岡がうなずいて聞いた。

 式典が終わった。
「ありがとうございます」
 直美は田岡に話した。
「自分から抜け出して、本当に自分の表現をするには、別の人間が必要なんだな、って思いました。
 わかってたはずなのに」
「いいんです。私も同じですから」
 田岡もそう語った。
 そして、二人は手を差し出しあい、握手した。
「これから試運転をしなければなりません。しかもかなりの走り込みをしなければ」
「そうですね。でも」
 直美は切なさを顔に出した。
「これで、一区切りですね」
「一区切りに過ぎません」
 田岡はそう切りかえした。
「この新5000形の人生は、始まったばかりです。
 最後に廃車になるまで、デザイナーのあなたとは、縁がつながっているんですよ」
 直美はうなずいた。
「うまくいきますよ、きっと」
 田岡は息をふうと掃いた。
「これから親父をつれてきます。この前足を痛めて、車椅子なんで難儀ですが」
「えっ」
 直美は顔を真っ赤にした。
「これって、親に彼女を紹介するみたいなシチュエーションじゃないですか」
 田岡はうなずいた。
「当然、そのつもりです」
 えええ!
「これからも末永く」
「そんな、急ですよ、あまりにも」
「でも、お互いを一番知り合っています」
 直美は戸惑ったが、次に口にしていた。
「ちょっと、パウダールームみたいなもの、ありますか? 汗で化粧崩れてないか、見てから」
 田岡は「特急乗務員用のものがあります」と四角四面に案内し、口にした。
 そして、つづいて言った。
「ありがとう」
 結局直美は、負けながらも、負けもまたいいものだな、と思いながら、パウダールームへ急いだ。

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新5000形プレスリリース

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■要目
  これまで北急電鉄ではVSE・LSE・SEや371系などといった優等列車を積極的に導入しつつ、通勤列車には113系や5000形・N3000形・ E231系・E233系と増備してきましたが、このたび輸送力増強とともに、輸送力という言葉で通勤列車を語ることなく、「たとえ隣一駅への移動に使うお 客様にも上質な空間でくつろいでいただける」ような、従来の通勤列車の概念を覆す新世代通勤車両として、この新5000形を開発することとしました。
 車内はまず当社のフラッグシップトレインであるVSEに匹敵する車両限界いっぱいのドーム天井とし、LED照明によって明るさと落ち着きを演出することとしました。

 前面は真円の大窓を用い、切妻ながら強い印象を打ち出しました。

  窓は新素材・選択透過膜積層アクリル材を使い、高い遮光性と新世代車内環境管理システムによる自動遮光機能を組み合わせました。これにより西日などによる まぶしさを自動的に押さえながら車内からの見晴らしを良くすることに成功しました。その特徴を最大限に活かすために、側窓は限界いっぱいまでの高さとし、 高い乗車率に置いても車内の閉塞感・圧迫感を解消できるように設計しました。

 客扉は1両あたり片面4ヶ所と旧来車両と同等ですが、扉幅を広げ、また従来1側面に1箇所だった車外行き先案内などの表示はすべての扉上に装備、片面 4ヶ所とし、ご案内を見やすく、誤乗が起きにくいようにしました。

 また車内にも案内サイネージを各扉上鴨居だけでなく、車端部など枕木方向にも追加し、車内吊り広告の代わりに圧倒的に情報量を上げ、長い立席利用のお客様にも退屈しないように工夫を凝らしました。

 なおこのサイネージには降車駅案内だけでなく、正確な現在車両位置や、運転台からの展望画像も表示できるようにしております。

 車体構造としては床下は高強度金属の構造部材を使うとともに、積極的に航空機等に使われている複合材料を使い、強度向上と軽量化・低重心化を両立させました。

  塗装は航空機に行われている複合材用塗装を使い、高い難燃性も確保し、なおかつ既存通勤車両の金属無塗装仕上げとは一線を画する純白塗装としました。この 塗装は退色防止性能・防汚性能においても優れているため、従来車両と同じサイクルでの車体洗浄で良好な美観を成立させるものとしました。

  動力性能については密閉型モーターを駆動するWNカルダン駆動によるIGBT制御に加え、大容量キャパシタを搭載、非常用バッテリーにかえることによって 非常時の電力供給能力を飛躍的に向上させました。これにより非常時でも空調ファンの駆動を可能とし、側窓の開閉を廃止することとし、側窓自身にも強度性能 を持たせることで車体剛性をさらに向上させました。

 また応荷重純電気ブレーキ機能を持ち、高い安全性と消耗部品の消耗の低減を実現しました。

 またその充電と駆動制御の電源として強化SIVを搭載し、また動力系・車内環境維持系を完全2重化することとし、非常時でもお客様の安全と快適さを確保できるよう留意しました。

  また編成内での運転指令からサービスシステムの指令はすべて4重系光ファイバによるドライブ・バイ・ファイバを採用、高い信頼性と応答性能を実現しまし た。また他車両との併結のための指令信号読み替え装置も搭載、併結も可能で、なおかつ神宿方の先頭車にはクヤ32「レイルドクターK」の連結による軌道・ 架線保守点検運転を可能にする電力供給引き通しを用意しています。

 床下機器はその上ですべてスカートで覆い、美観を演出しましたが、保守・検修性も損なうことのないよう工夫をしています。また同じ断面によって強化スカートを先頭車に装備、不測の事故においても運転士の生残性、お客様の安全性を確保しています。

 以上、軽量化と動力の強化により、環境性能の向上も図りました。




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hokkyu_line3 posted by (C)YONEDEN



  パンタグラフはFRS-4Aを、台車はDT50R・TR225Rと既存のものを採用、高い信頼性と調達容易性を実現、保守性を向上させました。パンタグラ フは10両貫通編成で4ヶ所、うち1箇所を予備パンタグラフとして降下させて運用、非常時に上昇させることとしました。

 運転台は正面丸 大窓の中央に設け、左手ワンハンドルマスコンによる運転操作とました。また運転用情報表示にグラスコックピットとしての多機能表示ディスプレイ4面を装備 し、中央の時計入れ以外はすべてデジタル表示による統合化表示とし、またディスプレイの不調の際にディスプレイへの表示画面の割付を任意に入れ替えること を可能とし、視認性と信頼性の向上を図りました。

 また、車内でのラジオ受信性能と共に、無線LANサービスを提供、また7人・4人がけロングシートに1箇所ずつサービス100Vコンセントを設置、車内サービスを向上させています。
  またこの新5000形の就役と同時に北急ホールディングス傘下の情報サービスプロバイダ「ねこット」に安価な無線LAN利用パックを設定し、キャリアや端 末を選ばずに無線LANの利用を可能とします。同コンセントは先頭車などの車椅子スペースの跳ね上げ式座席にも用意し、電動車いすの充電サービス(申込・ 登録不要、料金不要)を実現しました。
 GPSアンテナも装備、車内表示に使うほかに緊急時の救出位置検出にも利用することとしました。

 車内放送装置はTIMS準拠ながら能力を向上させた自動放送システムを採用、車掌の業務負荷低減を図りました。




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IMG_0906 posted by (C)YONEDEN



  クーラーはドーム天井に収める薄型集中クーラーを各車2基ずつ搭載しました。このクーラーは客室内容積増加による熱負荷に対応した高性能冷暖房に加え、 ファンを低電圧低消費電力で効率よく回転させる非常運転モードをもち、非常時の停電にも大容量キャパシタと共に換気性能を継続するものとしました。



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■むすび

 このように新5000形はお客様の快適な移動の質を画期的に高めるものと当社設計部とデザイン部の自負するものであります。製造も最終の仕上げ段階に入り、就役まで時間がありますが、これからも文化的で快適な北急電鉄、北武急行電鉄をご利用頂きたく存じます。
 (北急電鉄設計部・田岡伸也)

(この文章はフィクションであり、実在する個人・組織とは何の関係もありません。ご注意ください)


この本の内容は以上です。


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