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『試9901列車統括より機関士、感明良好ですか』
「機関士より統括、感明良好です」
『北急指令の合図信号で牽引試験開始です。よろしくおねがいします』
「機関士了解しました」
 新鋭機関車EH510のキャブ内は、まだ新車らしい香りが強い。
 その中、運転台の握り棒を握り、前方の合図信号の現示を見つめる本務機関士・梅沢の隣、助手台に来嶋機関士がいた。
 後ろには14両に増車されたクルーズ客車列車、ブラウンコーストエクスプレスが続いて、出発を待っている。
「まだお前の運転は荒い」
 そう来嶋にいう梅沢はここ数カ月、若手の彼の指導に、さらに熱心に当たっている。
「単弁、全弁のコンビネーションもあるが、走行抵抗の変化に合わせての操作も必要だ。要は調和だ。後ろの食堂車ではお客さんがグラスのワインを飲んでい る。そのワインをほとんど揺らさないような技量、それが特級機関士、甲組の技だ。
 もっとも、今のJRにもそんなやつは少なくなった。
 機関士はいずれ滅びる職業だ。
 この甲種輸送で届いたEHのキャブを見てそう思ったさ。
 応荷重ブレーキ、自動進段マスコン、空転検知自動再粘着システム、そして定速維持装置。しまいにはこいつ」
 梅沢は手袋の手でちらとさした。
「統合化モニタ。運転ナビゲーションシステムが表示される。定時運転のためのナビ速度の計算から釜の状態の自動自己診断、ユニット切放時の代替回路構成ま でやってくれる。
 ここまで機械任せだと、そりゃ応答しないと即ブレーキ作動の運転士応答検知装置・EBスイッチでもつけてなければ居眠りしかねないほどらくらくだ。ゲー ムのほうがすっと難しい」
 梅沢はそういうと、息を吐いた。
「だがな、ひとりだけ、俺が未だに超えられない奴がいる。JRの品川機関区にいたやつだ」
「誰ですか」
「月島というやつでな。甲種新幹線免許まで取ったのに、特別に請われて品川に戻り、指導機関士として活躍した後、実はこいつ、この運転システムの開発に携 わった。やつの頭の中にはEF58以来の交直流すべての機関車の回路図と性能曲線図が入っている」
「すごいですね」
「俺もやつに負けたくなかった。お召機関士となる以上、頂上の運転をしたい」
「頂上の運転ですか」
「ああ。『甲組』と呼ばれた伝説の機関士たちの技を受け継ぎたい。
 だが、やつは冷静だった。
 その知識と技を、この運転システムに惜しみなく注ぎ込んだ」
「そんな」
「やつは、技量を気前よく教える。俺もその気持だが、残念ながら、自分の頭の中だけに技量の要点をしまったまま引退するやつもいる。
 その結果、だんだん技量は過去のものになり、技術が継承されず、逆に機関士として釜に魂で立ち向かい、釜の魂と駆け引きし、線路条件と戦う機関士ではな く、ナビシステムのオペレーターとしての機関士が増えた。
 くやしいが、しかし、いまどきはそうするしかない。特に鉄道がこれだけ運転以外のことにも気を配らなくてはならない時代には」
 来嶋は、それでも技量を残そうとする梅沢の苦み走った横顔を見つめた。
 学ぼう。全てを。
 そのとき、信号現示が変わった。
「恵日奈5番線、出発進行!」
「進行!」
 梅沢はブレーキをわずかに残し、ノッチをカチカチと引いた。
 そしてブレーキを完全に緩め、引き出す。
 H級機関車であるEH510が、粘着制御をつかいながら、輝く銀の轍をその8軸の動輪で踏み込み、蹴り出し、14両のブラウンコーストエクスプレスを引 き出した。
 そのなめらかな引き出しは、まさに客車列車どころか、まるで未知の未来の乗り物のような、芸術的な引き出しだった。
 まさにEH510の本領発揮だった。

「運転操作中は会話禁止だがな」
 梅沢は口にした。
「やつは、JRをやめたんだ」
「ええっ、そんな! なぜ?」

 聞かれながら進路を見据える梅沢の横顔に、切なさの色が乗っていた。

「理由は」


<続きます>
<続き>


「やつ、言いやがったんだ」
 梅沢は言葉を区切った。
「もう東海道筋を走る客車列車もほとんどない。鉄道総研にも飽きた。そこで大学工学部がこれまでの活躍に注目し、研究者として迎えると誘ってきたんだが、 やつは」

 梅沢は、声を絞り出した。
「もうひとつの道もある、と」
「もうひとつの道?」
「ああ」

 梅沢は、苦しさから開放されたように、明るく言った。
 EH510はその想いどおりに、そのパワーを開放して力強く力行運転していく。
 優しく、そして鋭い加速で。

「あいつ、いいやがったんだ。

 『家庭に入るのもいいかなと思うんです』って」

「ええっ!」

 梅沢は、そう言いながら、信号ではないものを指差しし、ホイッスルを短く、鋭く吹いた。

 その指の先には、沿線の撮影地で、他の鉄道ファンといっしょに、子供と旦那を連れて、三脚を構えてこのEHと列車を撮影する、女性がいたのだった。

「まあ、そういうことだ。
 くやしいさ。
 あいつ、『このまま機関士続けてくのも心細いから、35まで独身だったら、あなたに』なんて言ってた癖に、同じこともうひとりの男にいいやがったんだ。
 フタマタだよ。俺は怒って、いろいろ転属するうちにいまのKA(嫁の隠語)に出会って結婚したが、やつもそのときには結婚してたよ。別の男と」
 来嶋は彼女の前を通過するとき、キャブ内で敬礼した。
「でも、そんなことがあったのに、あれから結構たっても未だに年賀状をよこすのはどういう神経なのか。
 わからんやつだが、やつに負けたくない。
 機関士は単なるオペレーターじゃない。
 士、サムライだ。
 だから、まだ俺は機関士を続ける。
 そして、お前にしっかり仕込んでやる。
 機関士甲組の技を」

 助手台の来嶋は姿勢を正した。
「お願いします!」
「ああ。良い返事だ」
 梅沢は笑った。

「あいつは自分の子供も鉄道に就職させるらしい。
 子供たちもしっかり今から英才教育だそうだ。
 機関士も運転士も、子供たちの夢だ。
 来島、おまえも。
 みんなの希望に、なってやれ。
 なんてな」
 梅沢はそう微笑み、指差した。
「第3閉塞、進行!」

<了>

この本の内容は以上です。


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