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クラムボンと眠りのひみつ(1)

 ラムネ色をした海の中に、タコクラゲたちがプカプカと浮いています。

  水はひだまりのようにあたたかく、およそいつでもおだやかでした。波は、ゆうら、ゆうらと、ゆりかごのようにゆれて、タコクラゲたちを優しくゆすっています。

 ところで、タコクラゲたちは、いっぷう変わったカサを持っていました。水たまりに張った氷のように半とう明で、あちこちに白い水玉模様が入っているのです。その上、ゴムボールのようにやわらかくて、素早く開いたり閉じたりすることができました。タコクラゲたちは、このカサを使って、海の中を自由に泳ぎ回っているのでした。

 この群れの中に、クラムボンという名前の、好奇心の強いタコクラゲがいました。クラムボンは変わり者だったので、友だちがおらず、一日のほとんどをひとりで過ごしていました。

  ある日、クラムボンが、水中でひなたぼっこをしていると、天井の方から一枚のウロコが落ちてきました。それは太陽の光を反射して、赤や水色、オレンジ色など、あらゆる色にかがやきながら、クラムボンの目の前をゆっくりと落下していきました。

(なんてキレイなんだろう)

 ウロコが落ちてきた方を見上げると、ちょうど頭上を、宝石が敷き詰められたようにうつくしい尾ひれが通り過ぎていくところでした。それは、半分人間の体を持つ幻の生物、人魚のしっぽでした。

 クラムボンは、生まれてはじめて見る人魚の美しさにすっかり心をうばわれてしまいました。

  もっとずっと眺めていたい。そんな思いから、気づいたら人魚のあとを追って、泳ぎ出していました。

 人魚の動きはとてもゆっくりとしていたので、クラムボンはすぐにでも追いつけそうだと感じました。しかし、いくら速く泳いでも、人魚との距離は少しも縮まりません。まるで、人魚だけが特別な時間の流れの中に存在しているかのようでした。

  しばらく泳ぎ続けると、行く手にミズクラゲのカーテンが見えてきました。その中を人魚が通り抜ける間、ミズクラゲたちはオーロラのように七色に光りかがやきました。

  夢を見ているような心地で、クラムボンもミズクラゲのカーテンをくぐりました。通り過ぎながらミズクラゲたちの様子をうかがうと、どのクラゲも眠り込んでいることに気がつきました。

  クラムボンは急に不安になりました。人魚が何か不吉なものに思えてきたのです。しかし、そんな気持ちとはうらはらに、クラムボンは人魚を追いかけることをやめられませんでした。

  突然、人魚が泳ぐのをやめて、クラムボンの方を振り返りました。もうちょっとで顔が見える、というところで、人魚は跡形もなく消えてしまいました。その跡にはただ、細かい泡の粒が残っているばかりでした。


クラムボンと眠りのひみつ(2)

 クラムボンは夢から覚めたような気分で、まだぼんやりとしていました。しかし、すぐにぼーっとはしていられなくなりました。海が、昼寝から起きた赤子がぐずるように、大きなからだを乱暴にゆすりはじめたからです。

  クラムボンは、日ごろ大人たちから、こういうときはすぐに逃げるようにいわれていました。

  しかし、水の流れが強すぎて思うように泳ぐことができません。右へ引っ張られたり、左へ押し返されたりするうちに、クラムボンは自分がどこを向いているのかわからなくなってしまいました。そうしているうちに、天井に巨大な影が落ちてきました。そして、水が一気に、月のない夜空のような藍色に染まりました。

  まもなく上空から小石のような雨が落ちてきて、さっきまで美しいガラス細工のようだった水面を、めちゃくちゃにたたきこわしはじめました。

(ああ、大変だ! どうしよう?」)

 クラムボンは、パニックになりました。しかし、助けてくれる大人たちはいません。

 どうしようかと考えている間にも、そこかしこにうず潮が現れ、手当たり次第に近くを泳いでいる生物たちを引きずり込みはじめました。

  辺りをただよっていたワカメの切れ端も、小魚の群れも、みんなその中に吸い込まれてしまいました。

  そして、ついにクラムボンも、トンネルのように大きく開いた波の中に、丸ごと飲み込まれてしまったのです。

  クラムボンを飲み込んだ波は、怒り狂った竜のように全身をうねらせながら、北の方角へとかけ抜けていきました。

  クラムボンは、竜の体内で浮いたり沈んだりをくり返すうちに、岩にからだを打ちつけてしまいました。そして、私たち人間の眠りに似た、ぼんやりとほの暗い、不思議な光の中に溶け込んでしまったのでした。

 そこは心地よく、とても安らかな空間でした。その中に身をまかせているうちに、クラムボンは元いた海よりもずっと北の浜辺に打ち上げられてしまいました。

 水の中から放り出されたクラムボンは、それ以上どうすることもできず、ゆっくりと時間をかけて水分を失いながら、小さく小さくしぼんでいきました。

  そして、最後には、すっかり消えてなくなってしまったのでした。


クラムボンと眠りのひみつ(3)

 はじめに、眠りがありました。それは海の底のように深く、霧のようにひそやかなものでした。

 そこから抜け出した時、クラムボンは、うす暗い森の中で、銀色の髪のように細い雨に打たれていました。

  クラムボンはもう、タコクラゲではありませんでした。リンゴのように赤くて、白いボンボリがたくさんついたカサを持つ、ベニテングダケだというキノコに生まれ変わっていたのです。

  クラムボンの頭の上では、木の枝がくもの巣のような模様を作っていました。それが屋根になっているので、太陽の熱はあまり届きません。おかげで森の中は一年中すずしく、空気も土もジメジメと湿っていました。

  クラムボンの手足は、迷路のようにくねくねと曲がりながら、土の奥深くまで伸びていました。その先は、赤ちゃんとお母さんをつなぐへその緒のように、近くに生えたトドマツの木の根っことつながっています。そのせいで、動こうにも動けないのでした。

「おーい、だれかいないの?」

 突然、クラムボンが叫びました。だだっ広い森の中に、ひとりぼっちでいることが、不安になったのです。

 しかし、木の枝葉がこすれる音以外に、答える者はありませんでした。それもそのはず。クラムボンの言葉が通じるのは、彼と同じベニテングダケの仲間だけだったのですから。

  クラムボンは、何回か同じように呼びかけてみましたが、結果は同じでした。やがて夜になり、森がすっかり暗くなると、あきらめてしまったのか何もいわなくなりました。


クラムボンと眠りのひみつ(4)

 翌朝、クラムボンが起きてみると、すぐ近くから、

「あら、やっと起きたのね。おはよう」

 と、可愛らしい声が聞こえてきました。昨日まで何もなかった場所に、新しいベニテングダケが顔を出していたのです。

「ああ、おはよう」

 クラムボンはぼんやりとしたまま答えました。それから、不思議そうにこうたずねました。

「ところで、君はだれなの?」

「紅姫よ」

「どこから来たの?」

「もちろん、土の中から。あなたもそうでしょ?」

「そうなのかな?」

「覚えていないの?」

「うん」

「変な子ねえ。あたしは毎年、同じ時期にここに生まれるんだけど」

 そのタイミングで、ふうーっと、ため息のような風が吹き抜けてゆきました。木々がゆれて、枝や葉の間から、砂金のような光がさらさらと降ってきます。

「ああ、そうだ。手足が何かにからまっているんだけど、これはどうしたらいいのかな?」

 ふと、思い出したようにクラムボンがいいました。

「それは木の根っこよ。こうやってつながることで、あたしたちはお互いに食べ物を交換しあうのよ」

「そういえば、なんだか甘いね」

「そう、とっても甘いのよ。ステキでしょう?」

「うん。だけど、動きたい時はどうすればいいの?」

「動くですって? あたしたちは動いたりしないわよ」

「動かないだって! それじゃあ、ぼくたちはこの先ずっと、じっとしていなくちゃいけないの?」

「それ以外にどんな生き方があるっていうの?」

 紅姫が当たり前のようにそう答えたので、クラムボンはおどろきました。

「退屈しないの?」

「退屈ってなあに?」

 改めてそう聞かれると、クラムボンはどう説明すればいいのかわからず黙り込んでしまいました。

「ぼくたち、いつまでこうやっていなくちゃいけないの?」

 しばらくすると、またクラムボンがたずねました。

「そう長くはないわ。胞子を飛ばし終えるまでの、ほんのちょっとの間だけよ」

「胞子ってなあに?」

「卵みたいなものよ」

「ふうん。それを飛ばし終えたらどうなっちゃうの?」

 クラムボンは少し不安になってきました。

「土のお布団の中にもぐって、長い眠りにつくのよ。ぬくぬくして、とっても気持ちいいんだから」

「ぼくたち動けないのに、どうやってもぐるの?」

「その時がきたら、ちゃんとわかるわ」

「そっか、わかるんだね」


クラムボンと眠りのひみつ(5)

 それから二、三日過ぎたある晴れの日。クラムボンたちのカサから、ついに胞子が飛びはじめました。

 ポーン、ポーン、と、人の目では見えないくらい小さな粒が、ポップコーンのように勢いよく飛び出していきます。

「ぼくの胞子はものすごく遠くへ飛んでいったよ」

 クラムボンが得意気にいうと、

「あら、あたしの胞子なんてそれよりもっと遠くへ飛んでいったわよ」

 と、紅姫も負けじと答えました。けれど、実際のところ、どちらも自分の飛ばした胞子がどこまで飛んでいったのかはわからないのでした。

 それからまた、いくらかの日々が過ぎ去っていきました。クラムボンたちは、胞子を飛ばし終えて、あとは土の中に還るときが来るのを待つばかりです。

「なんだかすごく眠いよ」

 クラムボンがいいました。

「あたしも。もうすぐ眠りの時間みたいね」

「あのさ、今ふっと思い出したんだけど」

「なあに?」

 紅姫が優しく問いかけます。

「ぼくはここに来る前、ゆらゆらゆれる世界にいたんだ」

「それなら、眠ればまたその世界に戻れるかもしれないわね」

「そっか、そうかもしれないね! きっとそうだといいなあ」

「でも、そしたら次に目覚めた時、あたし、またひとりぼっちなのね」

  うれしそうにしているクラムボンの横で、紅姫がぽつりとつぶやきました。

「ぼくの他に友だちはいないの?」

「いないわ。毎年、あそこでひとりぼっちの時間を過ごしていたの。だから、あのとき、土の上に顔を出したあたしの側にあなたがいてくれて、どんなにうれしかったことか!」

「そういえば、ぼくも君が声をかけてくれるまでひとりぼっちだったんだ。何がどうなっているのかわからなくて、すごく不安だった。だから、すぐに君が来てくれて本当に助かったよ」

 クラムボンはしみじみとした様子で、そう打ち明けました。同じ不安やさびしさを経験したベニテングダケたちは、彼らにしかわからない何かでつながれたようでした。

「できればずっと一緒にいてあげたいけれど」

「いいえ。それだと、あなたの幸せを邪魔してしまう。ああ、あたしもあなたと同じ世界に行けたらいいのに」

「君だっていつか来られるかもしれないよ。ぼくがここに来られたんだから、逆だってきっとあるさ」

「そうね、そうかもしれないわね。じゃあ、そのときはきっと、あたしにあなたの世界のことを教えてちょうだいね」

「ああ、もちろんだよ」

 クラムボンと紅姫は、土の下で指をからめて約束のおまじないを交わしました。

「あたし、どうやらこれ以上は起きていられないみたい」

「先に行ってしまうの?」

 クラムボンが不安そうに問いかけました。

「大丈夫よ。あなたもすぐにこっちへ来られるから。ほんのちょっとの間、さびしいかもしれないけれど」

「ほんのちょっとなら大丈夫だよ」

「だけど、あたし、本当はすこし怖いわ」

「眠るのって、怖いことなの」

「いいえ、眠ることはとても気持ちのいいことよ。だけど、あたし、あなたのことを忘れてしまったらって考えると苦しくなるの」

「忘れてしまったら、忘れたということさえわからなくなるんだから、忘れていないのと同じだよ」

「そんなのって、悲しいわ」

 最後はほとんどささやくようにそういうと、紅姫はそのまま眠りに落ちたのでした。クラムボンは紅姫の悲しみを和らげてあげられなかったことだけが心残りでした。

 それからまもなくして、クラムボンもまた、海に飲み込まれたときと同じように、再び長い眠りの中へと溶けていきました。


この本の内容は以上です。


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