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承前

本作は、第一部『神谷内香織は自分を知りたい』の続編にあたります。前作をまだ読まれていない場合は、下記リンクからどうぞ。
http://p.booklog.jp/book/98662


1
最終更新日 : 2017-04-25 23:41:33

 もふもふだった。
 艶のある黄金色の豊かな毛並み。太くて柔らかい毛が海のように広がって、先端が純白に輝いている。今日見えているのは三本だ。なんでも、コンディションによって何本出るか変わるらしい。九本全部出たことはないとか。そっと手を回して、三本を順々に撫でていく。三本まとめると、ちょうどよい抱きまくらくらいの太さだ。ぎゅっと抱きしめてみると、尻尾の根本が身を捩るようにくねる。
「ちょっと」
「え?」
「触っていいとは言いましたが、抱きしめていいとは言ってません」
「じゃあダメ?」
「まあ……少しだけなら……」
 燈花の顔が赤い。もとの肌が白いから、本当に真っ赤になる。伏せた目がせわしなく動いている。それが、肉食獣としての僕の嗜虐心を煽る。
「えい」
「わっ」
 僕の顔が埋まる。燈花を押し倒した先に、彼女の尻尾がクッションになっている。顔を埋めると、とっても温かい。もふもふ。
「な、何を」
 毛が柔らかくちくちくと頬を撫でる。息を吸い込むと、いいにおいが頭のなかまで入ってくる。
「なんか、おひさまのにおいがするね」
「いやあの、嗅がないでください」
 燈花が恥ずかしそうに身を捩るけれど、僕はもふもふを離さない。横から燈花の身体を抱くようにして、左手は腰に回して、その上で尻尾を撫でる。
「僕は燈花のにおい好きだよ」
「へ、変態ですか」
「そうかもしれない」
「この変態、開きなおりやがひっ」
 尻尾の根本の所を撫でてやると、燈花は変な声を出した。
「え、なんて?」
「ぅぁ……」
 尻尾が大きいから、ただでさえ燈花のパジャマのズボンはずり下がっていて、お尻が半分見えているのだけれど、そのお尻に近い尻尾の付け根や、枝分かれしている股の所に指を這わせると、燈花はぶるぶると身体を震わせた。
「ん、香織……それダメ……ホントに」
 初めは恥ずかしさとくすぐったさだけだったのだろうけど、いつの間にかその声に甘いものが混じり始めた。ホントにダメだったらいくらでも逃げようはあるはずだけど、燈花は僕の腕を握る手に力を込めるだけだ。
「なにがダメなの?」
 僕はもうちょっと燈花をいじめてみる。顔をもふもふさせながら、手で尻尾を弄ぶ。
「ヴヴ……意地悪すると、怒りますよ……」
「あー怖い怖い、最後までちゃんと言えてたらもっと怖かっうひあぁ!」
 衝撃が背中を駆け抜けた。
 何が起こったのかわからない。
 身体に電気が流れたみたいに、腰がのけぞる。
「うえ、な」
 一瞬遅れて何が起こったのか把握する。
 燈花が僕の尻尾の根本をぎゅっと掴んでいる。
 その目が妖しく光った。
「なんですか、これ。香織のお尻から、何か生えてるんですが」
 それは僕の尻尾です。
 狼の。
「え、何でこれ生えうぎっ」
「最後までちゃんと言えてたらもっと怖かったですね」
「別に元々こわぅぅぅ」
 燈花が僕の灰色の尻尾をぎゅっぎゅっと握る。握られるたびに僕の身体は跳ねる。
「まだお昼なのにこんなの生やしちゃって、どうしたんですか?」
 反撃しようにも、尻尾をぐりぐりと握られると動けない。得体のしれない感覚が身体のそこでぐるぐる回って、込み上げてくる。何で夜でもないのに僕の尻尾は生えているのか。分からない。考えられない。
「ぶらぶら揺れてたのを捕まえたら引っ込むかと思ったんですけど、全然ですね。むしろこの子、すごく元気に暴れてるんですが」
 僕の狼の尻尾は、燈花の妖狐の尻尾なんかよりも細くて、芯のあるやつなのだけれど、だから燈花の手でぎゅっと握れるくらいの太さなのだけれど、その分それを掴まれると、逃れられないし、身動きも取れないし、変な声しか出ないし、
「これが官能小説だったら、『香織の声には甘いものが混じり始めた』とか書かれるところですね」
 完全に立場が逆転していた。しかもさっきの僕の心内語が官能小説呼ばわりされている。心外である。燈花が僕の尻尾をぎゅむぎゅむと握りこむ。時折尻尾を引っ張るみたいに撫で上げる。全身の毛が逆立ちそうだ。
「香織、これ、やって欲しかったんでしょう。だから私の尻尾で遊んだんですよね。仕返しさせるために」
 燈花の顔がすぐ目の前にあって、けれど僕は顔が熱くてそれをまともに見ることは出来なくて、
「そんなこふぁ、ん」
「いいんですよ。これくらいなら協力してあげます。ややこしい性癖を持ってると大変ですね」
「ひっ、ふぁっ」
 燈花が僕の尻尾をリズミカルに握る。頭がカッと熱くなって、すぐにぼうっとして、わけがわからなくなってきて、何かが迫ってきて、
「あ、こっちも出てますね」
 そう言って燈花が顔を持ち上げる。え、と思った次の瞬間。
「んんっぁぁ」
 脳味噌を内側からなぞられたようなぞわぞわする衝撃。
「耳も出ちゃってますよ、狼さん」
 僕の頭に生えた狼の耳に、燈花の息がかかる。
「ふーってされるのも、好きなんですか。やっぱり変態さんですね」
 もう一回、ふーっ、が来る。尻尾を掴まれ、耳に息を吹きかけられているだけなのに、全身を無数の手で撫で回されているような感覚。
「この耳、美味しそうですね」
 燈花が僕の狼の耳を唇で弄ぶ。
「ちょっとコリコリしてて」
 僕はもう言語になっていない声しか出せない。尻尾を揉みほぐすように握られる。握るのが強くなって、
「知ってますか。妖狐に噛まれると、魂が抜かれてしまうんです」
 そんなの知らないぞ。
「ローカルルールです」
 ローカルルールだった。
「私もやったことないですが、せっかくなので、香織の魂をここから抜いてあげます」
 意識がいっぱいになっていく。よくわからないものでいっぱいになっていく。燈花が僕の耳元で囁く言葉が、脳に直接入ってくる感じ。
「まあ、妖狐的なやつはわかりませんけど、ある意味香織の魂はそれで十分抜けそうですし」
 はぁぁ、と僕の耳に覆いかぶさるように燈花の口が開くのが分かる。尻尾がぎゅうぅぅ、と掴まれる。
 かぷり。


「ーーッ!」

 跳ね起きるとカメラと目が合った。

 絶望の朝。

 時計を見ると十一時半だった。
 昼だった。

 絶望の昼。

 僕は、夜間自己監視用のカメラのメモリーを削除した。
 トーストを焼いてバターを塗り、目玉焼きを作ってケチャップをかけて、ゆっくりとそれを食べた。
 じっくりと豆を引いて、濃い目に淹れたコーヒーに、砂糖とミルクをたっぷり入れて、ちびちびと飲んだ。
 お皿を洗って、全てを片付けると、もう一度ベッドに潜り込んで、「死にたい……」と言った。少し泣いた。

 あと一ヶ月くらいは引きこもらないとな、と思った。


2
最終更新日 : 2017-05-07 14:47:34

 梅雨が来る前に夏が来てしまったかのような暑い日でした。
 あまり暑いのは彼女にも良くないでしょう。私は冷房をつけました。
 彼女は今、人間の顔をして横たわっています。包帯を先ほど変えた時には、もう肩の傷はほとんど治っていました。狼であるときに負った傷は、すぐに治ってしまうものなのかもしれません。傷は境界をまたがない、母はそんなことを言っていました。
 私は彼女の額に貼った冷えピタの具合を確かめます。そろそろ取り替えたほうがいいでしょうか。
 綺麗な顔です。化粧っ気のない、整った目鼻立ちと顔の輪郭。これだけ短い髪型が似合うのは、顔そのものが十分に綺麗だからだな、と私は思います。私は怖くてこんなに短くすることは出来ません。この短い前髪では、世界が見えすぎてしまうのではないでしょうか。
 その綺麗な顔が微かに動きます。
「起きましたか」
「……燈花?」
「はい」
「ここは」
「私の家です」
「……」
 香織はまだ意識がはっきりしてはいないようです。
「香織」
「うん……?」
「昨日は激しかったですね」
「え」
 香織がガバっと布団を持ち上げて自分の身体を確認しています。確認……何を……。
「あ」
「香織?」
「あああっ!」
 跡は残さないようにしたので、何も発見されないと思うのですが。
「燈花! 僕、僕は君を……!」
「ああ、そっちですか」
「え、他にどっちが」
「まあ、それはいいです」
「よくな」
「事情を説明しましょう」
 私は昨夜について語りました。

 あの夜。
 満月の夜。
 私が、香織に化けた私が香織を呼び出した夜。
 獣化した彼女に私はもう少しのところで襲われるところでした。しかし、あの僅かな間に、多くのことがほとんど同時に起こりました。
 まずは香織が肩を撃たれました。どこからか響いた銃声と共に、彼女の肩は弾丸に貫かれ、衝撃で香織はもんどり打って倒れました。
 一瞬遅れて、母が現れました。母は苦しむ香織を素早く眠らせて、周囲に煙幕を張りました。私にはそこまでのことは出来ません。どうも、これは血の比率の問題のようです。母は公園の木の影で香織を軽く止血し、そのあと私と母は香織を家に運びました。

「え……僕をどうやって運んだの」
「私と母で運びました」
「どうやって?」
「南北線と目黒線で」
「その時の僕の身体は?」
「まだ狼でした」
「南北線と目黒線で?」
「白金高輪で乗り換えました」
 香織は頭を抱えました。
「まあ、母が一緒でしたので、大丈夫です」
「大丈夫じゃないよ……」
「いえ、母は私よりもより本物ですから。『アシキ』ですし」
「猟友会のおじさんにでも化けてたの? いや、それでも手負いの狼は地下鉄に乗れないと思うんだけど……」
「香織は妖狐の力を甘く見てますよ。化けるんじゃありません。化かすんです。終電近くでサラリーマンの皆様は疲れていますし、ケージに入れた小型犬を運んでいるようにしか見えなかったのです」
 それでも少し変かもしれませんが。終電近くの南北線と目黒線でケージに小型犬を入れて運んでいる女性二人というのは。
「痛みますか」
 香織は包帯を巻かれた肩に反対の手をやります。
「ん……たいしたことないかな。多分すぐ治るよ、これ」
「普通の痛み止めですけど、飲んでおいてください」
 枕元に置いておいた錠剤を彼女に渡す。
「ありがとう……それより、いくつか質問していい」
「ええ。香織が寝ている間に私が何をしたか以外なら、なんでも質問してください」
「僕が寝ている間に何をした」
「何のことでしょう」
 私は携帯電話を握りました。香織を着替えさせるときについたくさん写真を撮ってしまいましたが、まあバレません。
「とぼけるな」
「もう一度して欲しいですか?」
「やめろ」
「考えておきます」
「で。お母さんを呼んだって、どうやって?」
「これです」
 私は懐から防犯ブザーを取り出しました。
「防犯ブザー?」
「はい」
「女子小学生か」
 ピンク色のかわいらしいやつだった。
「いやいやこのアイテム、見た目は防犯ブザーにしか見えませんが、実際のところ防犯ブザーです」
「防犯ブザーじゃねえか」
「最近は物騒ですから」
「女子大生が持っていると逆にあれな方向に物騒な感じがするよね」
「わるい狼にいつ襲われるとも限りませんから、持たされているのです」
「う」
「羊の顔していても心の中は」
「すみませんでした」
「わかればいいんですよ」
「それで」
「はい」
「もう一つ聞くけれど」
「はい」
「僕を撃ったのは誰」
「それは」
 私は言い淀みました。
 言い方を間違えれば、彼女を余計に刺激してしまったり、余計に怖がらせてしまったりするかも知れず、私には準備をする時間が少しだけ必要でした。
「その質問には」
 けれど、その必要は強制的に無くなってしまうようです。
「儂(わし)が答えよう」
 音もなくいつの間にか部屋に入ってきていたのは、私よりも背の一回り小さな『女の子』。
 金色の長髪に幾筋か純白の束が混じる、本来ならば異様そのものとしか言えない色彩。
 肌は白く、瞳は黄金。
 その二色で塗り分けられた世界。
「え」
 香織が驚いて声を上げました。当然です。
「部屋にはいるときはノックしてって、言ってるじゃないですか、お母さん」
「お母さん!?」
 香織が驚いて叫びました。当然です。
 母は普段から十歳くらいにしか見えません。実年齢はけっこう上です。少なくとも同年代の人の両親よりも(つまり、たとえば香織のお母さんなんかよりも)ずいぶん上であるはずです。
「ああ」
 お母さんが頷いて言います。
「稲荷木二色(にしき)。燈花の母じゃ」
「母です」
「いつも娘が世話になっとるようじゃの」
「いやいやいやいやいや」
 香織は全力で手をパタパタしました。
「女子小学生か」
「見た目は女子小学生にしか見えませんが、実際のところ女子小学生です」
「女子小学生じゃねえか」
「女子小学生ではない」
 女子小学生ではありませんでした。
「小学校は出ておらんの」
 さすがの香織も固まっています。
「神谷内香織、と言ったな。おぬし、獣の姿で外を出歩いたことはあるか」
 母はニヤニヤと笑みを浮かべて、問います。
「おぬし?」
「おそらくほとんど無い、じゃろうな」
「え、流すの? おぬしでいくの? のじゃなの?」
「おぬしを撃ったのはな、十中八九、狩人じゃよ」
 香織はその単語に顔をしかめました。


3
最終更新日 : 2017-05-07 14:47:34

 私はまた、香織の寝顔を見つめていました。
 エアコンの微かな駆動音と、時計のカチコチ言う音だけが部屋に響きます。母はまた出かけてしまったようです。
 冷えピタがそろそろ冷えでもピタでもなくなっているように思います。冷えピタが冷えなくなったらただのピタ。冷えピタがピタでなくなったらただの冷えです。冷えだったりピタだったりしたらまだ戦えるでしょうが、しかし、冷えピタが冷えでもピタでもなくなってしまったとしたら、それはもう無です。無。取り替えましょう。私は冷蔵庫で冷やしておいた冷えピタを取り出します。香織の枕元に戻って、彼女の額に手を伸ばします。
 香織と目が合いました。
「起きたんですか」
「起きた」
「そうですか」
 かまわず額の冷えピタを取り、
「いいよ」
 香織が私の手を払って、身体を起こしました。
「まだ寝て」
「大丈夫」
「ですが」
「もうだいたい治ったし、少なくとも熱はないよ」
 香織が自分で冷えピタを剥がします。
 間違えました。
 香織が自分で無を剥がします。
「洗面所借りていい」
「そこに服がありますよ」
「ああ、ありがと」
 香織には、私の寝間着を適当に着てもらっていました。元の服はボロボロになってしまったので。私の寝間着のまま帰るというわけにもいかず、あの服を着てもらうことになります。
 洗面所から、冷たい表情が出てきました。
「この服、なに」
「よく似合っていますね」
 完璧です。赤いネクタイにブラウンのジャケット、それと合わせたパンツルックは、いかにも彼女が着ていそうな服装です。
「私の変装のために買った服?」
「いえ、変な気まぐれを起こして似合わないだろうとはわかりつつもちょっと買ってみたらやっぱり私には似合わなかったのでしまっておいた変装用の服です」
「変装用じゃねえか」
「私、まだ下手なので、服まで作り変えるのはちょっと自信がなくて」
「そこまで準備をしてねえ……」
 そうつぶやいて、香織は枕元に置いておいた携帯電話と家の鍵を拾います。
 私の方を見てはくれません。
 昨夜と同じ気配が、香織から感じられます。
 彼女は怒っているのでしょう。
 私は何も出来ません。
「帰るのですか」
「帰る」
「もう痛くないですか」
「痛くないよ。ありがとう、お母さんにもお礼言っといて」
 香織が離れていきます。香織が玄関で、靴を履きます。ドアを開けます。
「香織」
「うん」
「……ごめんなさい」
「君は、ずるいね」
 香織はそう言って、部屋を出て行きました。


4
最終更新日 : 2017-05-07 14:47:34

 香織が出て行ってからしばらくたちました。私は香織が眠っていた布団を洗濯しました。自分に対する罰のようなものだったのかもしれないと思います。いや、なんかよくわかりませんが。
 あの冷たい目は、冷たい声は、やっぱり怒っていたのだと思います。
 私はまずいことをしてしまったのでしょうか。
 してしまったのでしょうね。
 香織に化けるということで、香織を知ったような気持ちになって、けれどもその実、私は彼女のことはずっと何にも知らなかったのでした。
 あれ、順番がおかしいですね……。
 本当は、香織のことが知りたくて、けれど知ることができないから、余計に知りたくなったのでした。彼女は、何を考えているのかわからないところがあります。心の奥底がどうなっているのか、わからないところがあります。普通の人よりも、おそらくは、血筋の関係で、人の中身が見えやすい私にも、彼女は見えません。だから知りたくなった。
 だから……だから、目的と手段がぐるぐると回っていて、そのうちに私は香織を怒らせてしまったようです。

 母はまだ帰ってきません。母なら全部、何もかも本当に全部、見えてしまうのでしょうか。
 さっきの母と香織との間の会話を思い出します。

 獣の姿で外を出歩いたことがあるか、と問われた彼女は答えました。
「僕は……ありません。獣の姿になる時は、自分一人の場所で、安全を確保するように、言われました」
「そうじゃろう、それが半人半獣としての賢明な習慣じゃ。おぬしも境界を行き来するモノじゃからな。境界を超える瞬間というのは無防備じゃ。特に気をつけねばなるまい」
 母は満足気ににんまりとしました。まあ、大体いつもそんな表情ですが。そういう人なので。
「ところでおぬし」
「いや、だからおぬしってさすがに」
「誰に、そう言われた?」
 香織は答えませんでしたが、その時の彼女の視線の動きは、私が想像を巡らすのに十分な材料でした。

 母によれば、彼女は『狩人』とやらに命を狙われているそうです。いろいろなことが同時に起きたせいで、私は少し混乱しています。けれど多分、香織が命を狙われているということは、きっと客観的には一大事のように思われます。
「お母さん」
 眠ってしまった香織を見届けて、家を出ていこうとする母に私は問いました。
「香織は、誰に狙われているのですか。狩人って、何ですか」
「獣を追うものは狩人じゃ。狩人だから獣を追っているわけじゃあない」
「そういうことじゃなく」
 私は自分の口から出た言葉の響きが、自分で思っていた以上にきつくなってしまったことに驚きました。
「……ふふ、そうじゃな、ふざけている場合ではなかったか」
 母は金色の瞳を揺らして笑い、私はなんだか恥ずかしくなりました。
「しかし正直、今回は儂も直接姿を見たわけではないからのう。可能性が多すぎてなんとも言えぬ。かと言って、探すわけにもいくまい」
「けれど、一体その狩人というのは、何のために香織を」
「手がかりがあるとすればそこじゃな。問うべきは狩人が何者かではない。この狼娘が何者かじゃろう」
 私は香織を見下ろしました。静かに寝息を立てる彼女から、今は獣の臭いはしません。
「知らんのか? 友達なのに」
 母がからかうように言います。
 知らないから、友達なんです。

 そうして私たちはすこし話をしました。
「私は……私には、香織のことはよくわからないのです」
 私は言いました。
「時々、彼女が何を考えているのか、わかりません。そのせいで、昨日も、さっきも、香織を怒らせてしまった」
「まあ、怒らせたというか……」
 母がニヤニヤしながら言いました。
「燈花、お前は儂ほどに人の心が見通せるわけではないのじゃがな」
 そうです。当然、血が半分なわけですから。
「しかし、お前、他人が理解できなかった時に、血のせいにするのは、違うぞ」
「え」
「なんであの狼娘が怒っていたのか、分からない理由を、血の不完全さに求めているとすれば、それは滑稽じゃ」
 フヒッと母は笑いました。やめてほしい。
 さすがにこの人は、人が言われたくないことを一番よくわかっている。人が一番言われたくないことを、人が一番言ってしまいたいことを、知っている人。
「あれはな、正直、友達が何のアピールかよくわからないけれど自分に変身して変装してまで言い寄ってきたことへの――」
「そ、それ以上良くない」
「――ドン引きじゃよ」
 私はがっくりと膝をつきました。
 床に落ちていた冷えピタ、じゃなかった、無が、気持ち悪く膝にくっつきました。


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最終更新日 : 2017-05-07 14:47:34


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