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若者たちの別れ

 アトランティス議会の奥で起きていることを知らぬまま、議会の終了と供に各国の国王は帰国の準備を始めていた。ルージ国王リダルは、猛る心に曳かれるように兵を挙げるべく、この日に帰国の途についていた。

 ルージ国を示す青い旗を捧げ持つ従僕の直後に、馬に乗ったリダルが続いた。行列は総勢八十名ばかりである。

「もっと、近こぅ」

 リダルの言葉は常に短い。アトラスは父の言葉をよく察して、彼が乗る馬を父に寄せた。リダルは言葉を継いだ。

「民の目をよぉ見ておけ、戦の道筋が見えてくる」

 行列を眺める人々の目には、勇猛さを持って鳴り響くリダルに対する畏敬、リダルがもたらす戦乱へ恐れがあり、行列に顔を背けて囁きあっている者どもからも、不安感が漂ってきた。リダルは道筋という言葉を好んで使った。戦の道筋というのは、この場合、これから起こす戦の目的ということだろう。リダルは息子に、民を眺めながら、何のための戦かを考えろと言うのである。

「あれは」

 前方からやって来た行列は足並みを街道の端に寄せて停止した。行列の先頭の旗持ちが掲げる旗を見れば、シュレーブ国の王族の行列だとわかる。向こうもこちらがルージの王の行列だと判断して道を譲ったのである。この場合、王族より国王の行列が優先させるのが習わしである。リダルは馬上からシュレーブの列に一礼したのみで、その傍らを通り過ぎた。

「あっ」

 一瞬、シュレーブ国の列の中央の輿の傍らを通過しようとしたアトラスは、輿に乗る人物と視線が合った。アトラスの心が乱れた。輿にいたのは神帝スーインを訪問した後、帰途についたエリュティアである。彼女もこの地を去るために、叔父である神帝スーインに別れの挨拶に赴き終えていた。その帰りの行列でだった。外見の武人の姿の内側の純朴な青年の心の中で複雑に思いが絡み合った。彼女に対し失礼な対応をしてしまったことに対する後悔の念や、自分の行為を謝罪しなくてはならないという思い、しかし、自分の思いをどうやって伝えるべきかわからないもどかしさ、口に出して言葉で表現できない心の内が、アトラスの表情に戸惑いを浮かべさせ、やや乱暴な仕草で懐から小さな袋を取り出させた。

女神リカケーの涙と申します。涙とともにあなたの心が癒され、心の平安が訪れますよう」

 アトラスは輿に馬を近づけて、エリュティアに押しつけるように謝罪の印として袋を渡した。輿の中でアトラスの言葉の意味を確認するように袋を開けたエリュティアの手のひらに一粒の真珠が落ちた。大粒で美しい光沢を持っていた。しかし、普通に見かける球状ではなく、やや一部歪んでいて涙の滴のようにも見える。

 

 先頭のリダルと距離が開いた。それを言い訳にするように、アトラスはそれ以上の言葉を発せず、エリュティアの言葉も聞かず、愛馬を駆けてエリュティアの傍らを離れて列の先頭の父親の傍らに戻った。男女関係に未熟なアトラスにはそれ以上の言葉はなく。エリュティアも突然の出来事に驚くのみでアトラスを引き留める心の余裕はなかったのである。

 

 やがて、ルードン川の南の岸辺が見えてきた。小規模ながら上流や下流の町を結ぶ港があり、リダルらはここで船に乗り換えて河口の町に出る。そこには聖都シリャードに侵入できないルージ国の軍船が停泊している。それに乗り換えて母国に帰るのである。  その港に異様な一団がいた。シリャードに駐留するアテナイ軍である。数は五十人ばかりだが、大きな盾や槍を持った完全武装の姿で、人々を威圧しているのである。港にルージ国の一行が入ってくるや、アテナイ兵たちは盾と槍を打ち鳴らした。リダルは怒りを込めた視線で応えたが、配下に手出しはさせなかった。ここはアトランティナにとってもっとも聖なる場所で、いかなる理由があれ、各国は戦火を交えるわけにはいかないのである。それを知っているからこそ、示威行動とも言えた。ルージ国一行が船に乗り込むのを見届けたアテナイ兵は一斉に雄叫びを上げた。ルージの者どもをシリャードから追い払ってやったと言わんばかりの勝利感をにじませた声である。

(ほぉっ)

 リダルは川辺の蛮族タレヴォーを眺めていた憎々しげな表情に、口元をゆがめて笑顔を作った。傍らにいる息子アトラスの様子に気づいたのである。蛮族タレヴォーの兵士の威圧にもひるむことなくじっと彼らを眺めていたのである。父親はその姿を息子の剛胆さとみた。しかし、その本当の姿は恐怖感より、異なる民族への好奇心であったかもしれない。事実、アトラスの視線は昨日剣を交わした一人の若いアテナイ人に向けられていた。エキュネウスである。盾と槍を打ち鳴らす兵士の端で、彼自身は昨日出会ったアトラスを凝視しながら、鎧の胸板を拳で叩いて名乗りを上げていた。

【私は、エキュネウス】

 繰り返される言葉に、船上のアトラスは彼の名を理解し、二人は互いの人格を探り合うような視線を交わしあっていた。

【私は、エキュネウス。戦場でお前と相まみえ、勝利する者だ

 

 ピーーー。

 

 この時に、甲高い指笛の音か響きわたって、人々の視線を集めた。長い黒髪の少女が岸辺の木に登り、太い枝に腰掛けて船上を眺めていた。肩まで露わになる質素な一般民衆の衣服を着た少女がフローイ国の王女だと気づく者は、アトラス以外にいなかった。

「別れに来たのか?」

 アトラスはそう呟いた。リーミルはアトラスが与えた腕輪を左腕にはめて振って見せたが、言葉は発しない。どんな言葉を交わせばいいのだろう。互いに好意が混じった好奇心を感じてはいるし、夫婦という関係をぼんやりと意識しもした。今は、ただそれだけの関係である。二人は小さくなる互いの姿を黙って見送った。

 

 ルージ国王子アトラス、シュレーブ国王女エリュティア、フローイ国王女リーミル、アテナイ軍の若き将エキュネウス、この4人の運命は絡み合いつつも、ここで解ける。様々な思いとともに、四人の運命が再び絡み合い始めるのは、五十日ほどの時を経てからである。


謀略の使者

 各国の王が集まる議会の終了とともに、各国の王の館から主が姿を消して留守を守る留守居役ばかりになる。このシリャードは政治的中心地から解放されたかのように静けさを取り戻す。荘厳とした宗教の中心地へと都市の雰囲気は変貌する。

 

 再び慌ただしさを取り戻すのは、来年のターアの月からである。アトランティス議会は春が深まったターアの月から始まり、一年の不浄が集まるとされるミッシューの五日の休会を夾んでマーゴの月に続く。この月になると、春の装いは終わりを告げ始め、陽は時折肌を焼くほどの強さになり、ロイトと呼ばれるアトランティスの夏を象徴する大輪の花が香りを放ち、水辺には多くのトンボが飛び交うのを見かけるようになる。

 先に帰国の途についたルージ国王の一行などは、海を越えてルージ本島に到着する間際だろう。

 

(初めての任務が重すぎるのか)

 ルージ王の館の留守居役を務めるウルススは、アトラス王子の側近の任を解かれ、留守居役に就いた若いザイラスをながめてそう考えた。思慮深く同時に剛胆さも兼ね備えていると考えていた青年が、妙に覇気を失って悩んでいる様子なのである。

 六神司院ロゲルスリンからの使者がルージ国王の公邸に遣わされたのはそんな時である。神帝スーインから密命を下す故に、参内しろと言うのである。

「どうすれば良いかの?」

 留守居役のウルススはザイラスに尋ねた。当然、求めには応じるつもりだが、密命という大事な内容なら、リダル王にその内容を告げて判断を仰がねばならない。しかし、リダル王一行は既に帰国の途について、今は海上にある。あと数日でルージ島に着くだろうというタイミングだった。大事な事なら王がシリャードに居る間に願いたいと言うのがウルススの率直な思いだった。

「私が代理で参りましょう」

 ザイラスがそう提案した。リダルから宝剣を託されて王家に準じる身分にしてもらっていたし、留守居役の補佐という肩書きなら、参内するのに身分が低すぎると言うことはあるまい。

 そして、その場で神帝スーインの名に基づく不条理な命令が出たとしても、ザイラスには受ける判断をする権限がないと突っぱねて時間稼ぎをすることもできるだろう。

(この人の下で、もう一度やり直そう)

 ザイラスはウルススの補佐についてそう思った。そうすれば、裏切りの罪を償う機会もあるだろう。ウルススという老人は武人ながら周囲に気遣いを欠かさない男で、何より亡くなったザイラスの父に敬意を抱いており、その息子のザイラスにも息子にかけるような愛情を注いでいた。  その点、ザイラスは人物に恵まれた。もし、リダル王やアトラス王子と共に帰国していれば、罪の意識に苛まれ自害していたかも知れない。死は恐れないが、ただ無為に自害するのではなく、罪をあがなって死ぬ機会を与えてもらったと、ザイラスはウルススに密かに感謝している。

 

 そんなザイラスがウルススの代理で神殿に着いたのは太陽が中天に達した頃である。ザイラスを一人の神官が出迎えた。

神帝スーインが謁見のためお待ちです」

 神官の言葉にザイラスは疑問を呈した。

「謁見ですって、そんなことはあり得ません」

 ザイラスの言葉ももっともである。神帝スーインと言えば、神の言葉を人々に伝える役割を持った神に次ぐ地位の人物である。一介の使者に過ぎないザイラスと直接会うと言うことはあり得ない。神帝スーインの言葉を承るにしても、最高神官ロゲルスゲラの神官たちを経由して伝えられるのが通例だった。

「火急の用にて」

 神官が今思いついたばかりという慌てた様子で言いつくろい、ザイラスを神殿の奥に導いた。

「では、衣装を改めさせていただきたい」

 ザイラスがそう言ったのは、腰の短剣のことである。リダル王から賜った物で実用性に乏しいが、剣には違いない。神に準じる人物の前で腰に武器を帯びるのは不敬にあたるのである。

「いや、今しばらくそのままにて」


神帝暗殺とザイラスの死

 何かの異変に気づいたらしいザイラスを、物陰で眺める人影があった。

「なんとも、頭の回る男ですな」

 ザイラスと神官のやりとりを聞いていた最高神官ロゲルスゲラの一人ガークトが、僧兵部隊を率いるトロイアスに囁くように言った。トロイアスもニヤリと笑って答えた。

「しかし、奥にある物を見れば驚くでしょうな」

 奥にある物というのは、もちろん、先日から彼らが幽閉していた神帝スーインの事である。先ほど地下牢に幽閉していた神帝スーインを謁見室に移して閉じこめてある。神官がザイラスを導くのはその部屋である。

「それでは、直接にお話を」

 ザイラスを導いていた神官は、目の前のきらびやかな扉を手で指し示して、逃げるようにその場を立ち去った。ザイラスは何かおかしいと考えるように周囲を見渡したが人影はなく、この場を立ち去る理由を見つけることも出来ない。彼は決意するようにこくりと唾を飲み込んでドアを開けて中に入った。

「誰か? 儂を殺しに参ったのか」

 奥の玉座の眼光と声の威圧感で、ザイラスは初対面ながらその人物を理解した。彼は腰の剣帯を解き、武器を身辺から離して、片膝をついて忠誠を捧げる姿勢を取った。言うまでもなく神帝スーインである。ただ、どうしたことか、縄をかけられて自由を奪われた姿である。

最高神官ロゲルスゲラ、謀反か)

 勘の良いザイラスはその状況を理解した。私腹を肥やしている最高神官ロゲルスゲラの者どもがそれを除こうとする神帝スーインと対立していることは噂で知っていた。

 

 神帝スーインも人物を見る目を持っていた。自分の前に片膝をついて忠誠を示す謙虚な姿と、この青年の澄んだ目は疑いを抱かせなかった。神帝スーインは声の調子を和らげて聞いた。

「そなたは、誰か?」

「リダル王の配下で、留守居役の補佐を務めるザイラスと申します」

 ザイラスはそう言い終わる間もなく、床に置いた剣帯を身につけ、玉座に駆け寄って言った。

「お助け申します。我が王の邸宅までお越しを」

 ザイラスは神帝スーインを護衛してここから連れ出すというのである。ザイラスが短剣の鞘を払って、神帝スーインを縛る縄を切ろうとしたとき、謁見室の入り口から僧兵たちが姿を現した。神帝スーインが警告を発した。

「ザイラスとやら、背後に気をつけよ!」

 謁見室に踏み込んできたのは、その白い僧服から判断すると僧兵の一団である。本来は神帝スーインを警護する者どもだった。本来は携えることさえ許されない場に、抜き身の刃を手にし、放つ殺意はザイラスのみならず神帝スーインにも向けられている。

「何ゆえの謀反か」

 ザイラスがそう言い終わる間もなく、僧兵の一人が無言のまま斬りかかってきた。ザイラスは短剣を手にしたまま身を翻して、その僧兵の背後に回りこみ左腕で僧兵の首を抱え込みながら右手の短剣の切っ先を、僧兵の首筋に押し当てた。玉座の神帝スーインを守る位置で、ザイラスはその捕らえた僧兵を楯にするように、他の僧兵に向き合った。別の僧兵が楯にされた仲間ごと剣でザイラスを刺し貫くべく突進してきたので、ザイラスは楯にしていた僧兵を前に突き飛ばすようにして、突進してくる男の勢いを止めた。突き飛ばされた僧兵は、その男の剣に貫かれて床に転がった。男が仲間を刺し貫いた剣を抜こうとする隙をついて、ザイラスは飛びかかり短剣で男ののど元を切り裂いた。その身のこなしは素早く無駄がない。返り血を浴びることもなく身を翻して次の敵に短剣を向けていた。

 

「どけっ。儂がやる」

 僧兵たちの背後から進み出てきたのはマレヌスである。部下の腕ではこの若い使者を殺すことは出来ないと判断したのである。部下の命など取るに足らないが、無駄に失ってはこの後の仕事に差し支える。そう考えたのである。

「お前が謀反人の長か?」

 そう叫ぶザイラスに、マレヌスがにやりと笑って答えた。

「私は僧兵長のマレヌス。神帝スーインを殺害した賊を誅罰するのだ」

 要するにザイラスが神帝スーイン殺害の犯人だというのである。

(計られた)

 ザイラスはそう思い、彼らの企みに気づいた。彼らは謀反を起こして神帝スーインを殺害する。ここへ呼び寄せたザイラスを殺してその犯人に仕立て上げる算段である。マレヌスは剣を振り上げ、ザイラスは防戦のために短刀を構えた。ただ、マレヌスは大きく踏み込んできてザイラスとの距離を縮めた。マレヌスが振り下ろす長剣の勢いを短剣で受けることは出来ず、ザイラスは身をかわそうとした。この時、彼一人なら避けることが出来たかも知れない。しかし、彼が身を避ければ、敵の刃の先に神帝スーインの身があった。マレヌスはそれを狙ってザイラスにも神帝スーインにも届く距離で剣を振り下ろしたのである。神帝スーインの身を守るためにはザイラス自身の体を避けるわけに行かず、彼は神帝スーインをかばうように正面からマレヌスの剣を受けた。彼は声も上げずに絶命した。

 

「お前はこのような忠義の若者まで無為に殺しおるか」

 玉座に縛られたままの神帝スーインはそんな言葉で彼の死を惜しんだ。

「いいえ、この者は神帝スーインを殺害する謀反人にて」

 ニヤリと笑ったトロイアスは、ザイラスの死体から短剣を手にして、神帝スーインの胸に突き立てた。神帝スーインは言葉を発する間もなく、口から血のしぶきを吐いて絶命した。アトランティスが戦乱の世を神帝スーインの元にまとめ上げられて十数年。初代神帝スーインの治世はここで終わり、新たな戦乱の世を迎えるのである。

 

「では、後は手はず通りに」

 トロイアスはロゲルスゲラの者どもを眺め回すように言い、彼らもそれに応じるように薄笑いを浮かべて頷いた。

 トロイアスは僧兵部隊を三つに分かち、ルージ国公邸、リダルに賛同して同時に兵を挙げるヴェスター国とグラト国公邸を襲って、留守居役の者ともから、使用人の男女に至まで神帝スーイン殺害の謀反関係者として皆殺しにする。  ロゲルスゲラの者たちは、反逆者アトラス王子の直属の将が神帝スーインを殺害したというルージ国謀反の報と、彼らを討伐せよとの使者を、シュレーブ国とフローイ国に送るのである。その点、あらかじめ詳細に計画されていて齟齬はなかった。  リダル王が将来は息子アトラスを支えると信じ、アトラスは密かな兄に対する敬意を感じていたザイラスはここで命を終えた。もちろん、ザイラスの運命をアトラスは知らない。


もたらされた悲報

 ルードン河を下ったアトラスと反対に、エリュティアは喫水の浅い川船でルードン河をさかのぼって帰国の途についていた。シリャードの辺りでは大河にも見えたルードン河も、シュレーブ国の都パトローサの辺りまでさかのぼると水量も減り、流れが緩やかになり川幅が狭くなって浅瀬や入り江になった川岸の葦が茂る光景が広がる。芦原をすみかにする小鳥たちの鳴き声が響き渡っていた。

 エリュティアたちが乗る川船を岸で曳いていた馬や人足も姿を消し、今は船の船尾と船首で竿を操る船頭が船を操っているのみである。雰囲気は穏やかで、エリュティアが河を下ってシリャードに向かったときと違うのは、彼女の父親のシュレーブ国王とその側近が共に乗船していることである。

 

 都に近い岸辺の桟橋で船から下りたエリュティアたちを、シリャードから陸路、早馬で都に届いた意外な連絡が待っていた。

「ルージ国、謀反。謀反人どもを討つために兵を挙げよ」というのである。  それを聞いたシュレーブ王は、一瞬、驚きの様子も見せたが、ほとんど間をおかずに即答した。

「話は承った。急ぎ戻って、最高神官ロゲルスゲラの者たちに、そう伝えられよ」

 国王はそう短く言って使者を追い返すように去らせた。その後ろ姿を見送りながら、国王は怒りや悲しみや焦燥の感情を織り交ぜた表情を浮かべた。神帝スーインは彼の実の兄である。その兄がを殺害した者への怒り、兄が亡くなったという悲しみ、そして国王としての決断を下した。

「千載一遇の好機ぞ」

 国王ジソーは傍らに控えていた謀臣ドリクスにそう言った。兄の死によって、この大地は再び戦乱に巻き込まれる。王としては兄の死を悲しむより、この機に乗じて勢力拡大を図るべきだと考えるのである。心の底に怒りもわいていたが、避けられない不条理な運命に対する感情で、リダル王やアトラスに向けられたものではなかった。

 その心を読むようにドリクスが言った。

「この機を逃してはなりません。ただ、この詔が我がシュレーブとフローイにのみ布告されたというのは、不可思議な話です」

最高神官ロゲルスゲラの者どもの仕業か?」

 神帝スーイン殺害の本当の犯人は、詔に記されたルージ国の者ではなく、神帝スーインの側近の謀反を見抜いているのである。ドリクスは無言のまま頷いた。ただ、国王と謀臣の腹づもりは決まっていた。ここは、精兵を率いてシリャードに向かい、兵を背景にロゲルスゲラどもに事の次第を追求し、不正があれば暴いて、ロゲルスゲラを排除しつつ、その功績を持って、次の神帝スーインの座を狙う。

 

 もう一つは、詔に従ってフローイと共にルージとルージに与する国を討ち、領土拡大をする。二人はアトランティスに覇を唱えるために、六神司院ロゲルスリンの者どもを除くことより、まずルージ国を潰す事を選んだのである。

 エリュティアは状況はよく分からないものの、突然に漂った殺気や怒気のこもった雰囲気に怯えて侍女に身を寄せながらも、男たちの言葉の中からこの状況を読み取って呟いた。

神帝スーインがお亡くなりに? 殺させたのは、あの方?」

 この時、彼女の心はまだ幼く、どろどろとした権力争いなど理解できていない。ただ、不安に涙ぐんで震えていただけである。

 その同じ知らせは数日の時を経てフローイ国にももたらされるはずだった。


ロユラス

 エリュティアが叔父の死を知って数日後、フローイ国の都カイーキでは、早くも帰国していたリーミルが庶民に混じって市に姿を見せていた。

「リーミル様。今朝とれたばかりです」

「ありがと」

 物売りから赤いトフリの実を受け取ったリーミルは、礼を言う間もなくその熟した実にかぶりついて、笑顔の口元からあふれた果汁を手の甲でぬぐった。彼女は町娘の質素な衣装だが、彼女の顔立ちは都の庶民にまで広く知られていて、身分を隠すことが出来ない。

 

 そんな彼女が、突然に、どきりとしたように胸に手を当てて思った。

(あれは、ちょうどこんなふうに腰掛けている時だった)

 彼女は市をうろつく一人の青年を見つけたのである。そして、彼女はその青年の横顔を見た彼女の心にわき上がってきた、恋や愛といった男女の感情を否定した。

(この私が……、まさか)

 シリャードで手玉に取っていたつもりのアトラスに対して、そんな感情のかけらでもあったのかと考えたのである。ただ、彼女は冷静に状況を眺めてもいる。彼女自身が帰国を見送ったアトラスが、フローイ国の都にいるはずもない。また、通り過ぎていったその青年の後ろ姿は、アトラスよりやや長身で肩幅も広いようだ。ただ、男の後ろ姿は、リーミルの好奇心を刺激しすぎた。見過ごすことも出来ず、リーミルはしなやかな動きで立ち上がり、青年に気づかれないように、静かにその跡を追った

 

 市場は物売りの声が響き、商品を買い求める客の往来で活気がある。青年を追うリーミルの気配を消すのに丁度良い。リーミルはその人混みを利用した。青年の傍らを背後から早足で追い越しながら、向こうからやって来てすれ違った野菜売りの女を避けきれずに足がもつれたというふりを装って、青年の胸にもたれかかったのである。

 突然に倒れかかってきたリーミルの体を支える男の腕に筋肉の張りがあり、突然のことだが、女性を受け止める腕や指先の動きが優しかった。

「あら、ごめんなさい」

 リーミルは笑顔でわびながら、青年の胸に手を当てて体を引き離したが、その手の平に青年の胸板の感触があった。胸の筋肉が厚いだけではなく弾力性を秘めていて、一定の作業を繰り返す肉体労働者の筋肉ではなく、剣士のように臨機応変に激しい動きをする男の体だった。

(やはり、ただ者じゃない)

 リーミルは心の中で頷いたが、次の瞬間に青年からかけられた言葉に驚いた。

「お嬢さん。先ほどから跡をつけて居られたようですが、何かご用でも?」

(気づかれていた)

 リーミルはそんな驚きを表情に出さず、笑顔のままで、青年を眺めた。アトラスと面立ちは似ているが、漂わせる雰囲気が違う。純粋な心を虚勢で包むアトラスと違って、自然体で人の良さそうな笑顔を浮かべながら、その本心は固く閉じられて明かすことがないという感じである。

「不思議なお方、あなたはどなた?」

「私は商人のロユラスと申します。お見知りおきを」

 青年はそう言ったが、商人風の衣服のから露出する肌は日に焼けていて、筋骨もたくましい。本物の商人では無かろう。

「何をしに来たの」

 リーミルは笑顔で意地の悪い質問をした。商人で無ければ、密偵か何かに違いない。強国のフローイの動静を探るために、各国が放った密偵がこのカイーキにも暗躍しているという。この青年はフローイとは別の言葉の訛りがあり、フローイ国の住人では無かろう。

「フローイの銀製品を買い求めに」

 ロユラスの言葉にリーミルはすぐにその嘘を看破した。銀細工と言えばもっともらしいが、この若者のような年齢で扱うには高額すぎる商品である。

「う・そっ。この国のことが知りたいんじゃなくて?」

「滅相もない。私はただの商人です」

「ルージの人で、あなたによく似た人を知っているわ」

「それはどんな?」 「リダル王のご子息のアトラス王子」

 リーミルは包み隠さずその名を明かした。彼女の想像通り、ロユラスは眉をぴくりと動かしてアトラスの名に反応した。

「ほぉ。それは、私のような一介の商人には身に余る光栄」

 青年は笑顔で事実を隠すようにそう言った。アトラスの素直な物言いも良いが、包み隠す内心を探りあうような会話もリーミルの趣味に合う。ただ、その会話に邪魔者が入った。さりげない仕草の中で油断無く周囲を伺っていた青年の目に緊張感が走った。部下を連れて足早に近づいてくる将軍と兵士の姿を見つけたのである。しかし、将軍に用があるのはリーミルの方だった。やや非難の口調でリーミルの背後から声をかけた。

「姫様。行く先も告げず勝手に出歩かれては困ります」

「あら、シングレス将軍。何の用なの?」

「国王が火急の用でお呼びです。さあ、参りましょう」

 シングレス将軍と呼ばれた男は、リーミルを逃がさぬように敬意と責任感を込めて彼女の肩を抱いて、引き立てて行った。ちらりと背後を振り返るリーミルの目に、笑顔で別れの挨拶の手を振る青年の姿が見えた。

 

 その場に取り残されたロユラスは、この国にリーミルというなの男勝りの姫が居ることは知っていた。

「あの女か」

 ロユラスはリーミルを見送りながらそう呟いて、不遜な事を考えた。

(フローイというのは、攻め滅ぼし難い国のようだ)

 配下の者が姫を叱りつける様子が自然だった。姫はそんな配下の言葉を素直に受け入れていた。ただ、配下の者は敬意も忘れては居ない。姫や兵士を眺める民の目に恐れや警戒心はなかった。フローイ国の王家は、忠義心のある家来と、王家を敬愛する民に支持されていると言うことである。攻め滅ぼしにくい、そんな事を考える辺り、ロユラスは牙狼王リダルの血を引いていた。

(それにしても、火急の用とは?)

 何の用かと問われた将軍が、口ごもって、ただ「火急の用」と称した。この国に、この場では口に出来ない出来事が突然に起きたと言うことではあるまいか。ロユラスはそう考えた。



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