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アトランティス議会へ

 アトランティス議会の様子など、アトラス自身は噂で聞き知っていたのみである。その光景が今のアトラスの目の前に広がっている。議会の門をくぐった所に控えの間があり、各国の侍従たちはここから奥へは入れない。

 この先は神々が支配する神聖な場所として、神に仕える巫女や神官、各国の王のみしか入ることが許されない。その奥は神々の像が建ち並ぶ、幅一トリスタン(20m弱)、長さ五トリスタンの長い廊下があり、最も奥には巨大な真理の女神ルミリア(ルミリア)像を安置する会議場があるという構造である。神官に導かれながらその廊下を歩くアトラスは、無言のままその精緻さに息を飲んでいた。神々の像が建ち並ぶ巨大な通路というだけではなかった。意図的に小さく設計された窓によって、日中だというのに廊下はやや薄暗い。しかし、さの小さな窓から差し込む日の光がそれぞれの時間に応じて、特定の神像を明るく照らし出すように仕組まれている。外部の水路から引き込まれた水が、川を模して神々の足下を潤し、そこには水草が美しい花を咲かせていた。

「ルージ国アトラス王子のお着きでございます」

 アトラスを導く神官がそう伝えると、左右の門戸を守る僧兵が叫んだ。

「開門」

 衛士が左右の観音開きの扉に手をかけて開くと、そこに会議場の景色が広がっていた。アトラスは左右を見回すように眺めたが、圧倒されるようで声が出ない。最も奥に見える弓を構えた女神の神像は真理を司るルミリア神である。天井にもうけられた大きな円筒形の明かり取りの窓から差し込む光が像の表情を照らしていた。照らされる角度によって神像の表情のイメージがかわる。像の真正面上部から日の光が差すこの時間帯は、柔和だが人の心の底まで見通すほどの洞察力を感じさせる表情だった。その像の両脇には2本の樹木があり、それを囲む大きな鳥かごの中で十数羽の小鳥がさえずっていた。

 

 そんな像の手前の席に着く者は神帝スーイン、その左右に三人ずつ控える者たちは神帝スーインを補佐する諮問機関六神司院ロゲルスリンの者たちだろう。更にその手前に円卓があり、九カ国の王たちの席があった。いまは、ルージ国王リダルと、フローイ国王ボルススが席を離れて門の内側でアトラスを待っていた。

 リダルが息子に声をかけようとする寸前、ボルススは祖父が孫を扱うように、満面の笑みを浮かべて大きく広げた腕でアトラスを抱きしめた。

「おおっ、勇者よ。よくぞ、我が孫娘を救ってくださった」  その感嘆ぶり、アトラスを抱きしめる動作の大きさなど、孫娘のリーミルに示す愛情より激しい。ボルススの演出である。リーミルとアトラス、ひいてはフローイとルージの関係を諸国に印象づけておこうというのである。  ボルスス王はアトラスの手を引くように、部屋の奥の国王たちより一段高くなった神帝スーインの玉座の前に導いた。アトラスは神帝スーインを仰ぎ見た。

(ほぉ……)

 様々な考えは、神帝スーインから放たれる雰囲気の前で薄れて消えて、感嘆のみが残った。アトラスと距離を置いて眺めれば、アトラスの前と左右にいる3名の人物、昔オタールという名で呼ばれていた神帝スーインと、アトラスの父リダル、フローイ国のボルススは、この神帝スーインの座に推され、各国の投票によってオタールが選ばれたという。アトラスはそのオタールにアトランティスをまとめ上げるに相応しい人柄を感じたのである。ただ、神帝スーインの両脇に3名づつ控える神帝スーインの諮問機関ロゲルスゲリンを構成するロゲルスゲラたちから、何故か隠す様子もない悪意が感じられる。  一方、神帝スーインも目の前のアトラスに好意的な興味を抱いていた。エリュティアが嫁ぐ相手かもしれないという興味である。神帝スーインはアトラスに声をかけた。

「おおっ、そなたがアトラスか」

「左様です」

 その短い返事を聞くやいなや、神帝スーインの傍らに控えていたロゲルスゲラの一人グリポフが、アトラスを遮るように声をかけた。

「王子、無礼はなりません」

 神の座に列する神帝スーインに直接に返事ができるのは、各国の国王のみ。たとえ、神帝スーインから声をかけられた王家の者であろうと、直接返事を返すなど許されないというのである。もちろん表向きの儀礼で、神帝スーインはエリュティアとは叔父と姪の関係で直接に話をしている。神帝スーインはグリポフを制して言った。

「まぁ良い。儂はこの若者と話して居る。アトラス、勇敢な戦士よ。リーミル姫を救ったとか。その勇気と剣はお父上譲りか?」

「勇気と信念は父から、剣と格闘技は師から学びましてございます」

「そなたが受け継いだものと、学んだものを大切にするがよい」

 神帝スーインはそう声をかけながら、これがエリュティアの婿になるのに相応しい青年かどうか値踏みをしてもいた。神帝スーインは続けて答えた。

「そなたは、何のために力を得、誰に仕えるために知恵を得る? 愛する者を守り、その者の敬愛を勝ち得ることができるか?」

 神帝スーインは今の神に連なる立場では、エリュティアを姪とは呼びにくいが、その姪を妻に迎えて幸福にできるのかと問うのである。模範解答をすれば神々に仕えるという返答をしなければならないし、神帝スーインが示唆するものを察していれば、妻とともに神の導きによって歩むという回答をすればいいのかもしれない。ただ、この日のアトラスは、このシリャードで起きた様々な出来事で心が落ち着かず、神を奉る神聖な場で、神ではなく、自らと人々の存在に心を奪われた。

「私はこの大地と、ここで受けるた生を見守る者に、仕えるのみ。神々にはその姿をご照覧いただきたく」

「聞き捨てなりませぬ」

 ロゲルスゲラの一人ガークトがそんな言葉でアトラスを遮って、侮辱のこもった疑問を投げかけた。

「未熟な王子よ。そなたが仕えるのは、この世界におわします神々か、それとも、己の野望にか」

「このアトランティスを害そうとする者があれば、それが例え神であろうと私の敵です」

「またれよ、若き王子よ。それは、神々を冒涜しているのか」

「我らはそなたの神々への侮辱は聞き流せぬ」

 神帝スーインの右傍らに控えるロゲルスゲラの一人、クジーススが席を立ち、憎々しげにそう叫んだ。アトラスの発言は激しいが、神々への侮辱というほどではない。これだけならクジーススという男が、アトラスを非難することで、自分自身の信仰の篤さを喧伝しようとしたのかともとれる。しかし、ロゲルスリンの狡猾さはこの男だけではなかった。神帝スーインの左傍らのブクススも立ち上がりアトラスを糾弾した。

「如何にそなたが勇敢であろうと、神に対する不敬は許されぬ。王子よ、履き物を脱いで、即刻、神に謝罪されよ」


六神司院の奸計

 履き物を脱ぐというのは、履き物さえ持たない下賤の者どもと同様に身をやつして、神を敬えと言うことで、王家に連なる者に対する侮辱に近い。アトラスはその物言いに興奮した。

「不敬ではありません。神が見守る存在だというなら、我が手で運命を切り開く姿をご覧に入れるまで。我らが運命に神が介入する余地はない」

「なんと愚かな、王子よ」

 そんな言葉に続いて、ロゲルスゲラの一員クレアナスがアトラスを糾弾した。

真理の女神ルミリアを始め、この大地を守る神々に対する信仰こそが、このアトランティスを支えるもの。王子はそれを否定されるのか」

(この者どもは、アトラス王子を意図的に挑発しているのか)

 老獪なボルススは、ロゲルスゲラの者たちの言葉の意図を正確に見抜いた。その目的までは分からないが、本来は神を侮辱する意志のない王子に、彼を興奮させる言葉を的確に吐きかけている。

 神帝スーインがロゲルスゲラの者どもを制するように口を開いた。

「まぁ、よい。勇敢と臆病、忠誠と反逆は表裏一体とか、それは私が神々に問うこと。そなたたちが軽々しく口を挟むことでは無かろう」

 

 

 黙っていたリダルが口を開いた。

「神々の御子たる神帝スーインよ、我が息子を神に逆らう反逆者として糾弾するロゲルスリンの者どもよ、これまででございますな。ただいま以降、我がルージの忠誠は、我が剣の切っ先のみにあり。我が剣で蛮族タレヴォーどもを平らげ、神々への忠誠をお示し申そう」

 リダルは兵を挙げてシリャードに巣くう蛮族タレヴォーを除くと宣言したのである。息子を反逆者と罵られた父親として、これほどの反論の行為はあるまい。

 聖都シリャードに駐留するアテナイ兵は二千。ルージの動員兵力にルージに賛同する国々の兵士を加えれば一万数千の兵力になり、確かに蛮族タレヴォーの兵を圧倒するに違いない。しかし、この美しい都市国家シリャードは戦場となって破壊されるかもしれない。そして、勝利するアトランティスに、海の向こうからアトランティスの兵を遙かに上回る蛮族タレヴォーの兵士が押し寄せて、このアトランティス全土は戦火で荒廃するだろう。そして、アトランティスをまとめていた聖都シリャードの崩壊は、再びアトランティスの大地を各国の覇権を争う場に変えて、血なまぐさい歴史へと導くかもしれない。

 神帝スーインを補佐するロゲルスリンの者どもはそれを危惧しているはずだった。しかし、ボルススが見るところ、神帝スーインの左右に控える六人のロゲルスゲラの者どもの表情に不安な影はなく、むしろ、リダルの発言を心密かに喜んでいるかのような様子がうかがえた。

(いかなる所存か?)

 ボルススは彼らの心底をいぶかったが、リダルは周囲の者たちを気にする様子もなく、息子のアトラスを伴い会議室を去り、リダルに賛同するヴェスター国王、グラト国王が席を蹴って立ち上がりリダルの後を追った。アトランティナの意志を統一するというアトランティス議会は、その数十年の歴史の後、再び分裂の時を迎えたのである。  会議場から退出するリダルは、シュレーブ王の元で足を止めて、短く言った。

「倅のこと、事が成就した後に願いたい」

 進みつつある倅のアトラスとエリュティア姫の婚礼を、これから始まる戦の後に日延べしてくれと言うのである。確かに情勢は大きく変わった。シュレーブ王はその言葉に頷いて同意を伝えた。

 多くの人々の運命が変わり始めた。ただ、この日アトラスが不用意に発した「神であろうと私の敵です」と言う言葉は、ロゲルスゲラの者どもによって喧伝され、アトラスは神への反逆児としての汚名を広めることになる。


アトラスとエキュネウス

「明日、このシリャードを発って帰国する。舘の者どもにそう伝えよ」

 リダルは帰宅途上、帰宅の時も待たずに部下にそう命じて、舘へ走らせた。蛮族タレヴォーの兵と刃を交えると宣言した以上、母国に戻り、兵を整えてシリャードに帰る必要がある。それは蛮族タレヴォーに悟られるより早いほうがよい。

「申し訳ございませぬ」

 忙しく周囲に指示を飛ばす父親に、アトラスはそんな短い言葉をかけた。議会で分別を失った自分が余計なことを言ってしまったと後悔している。父親は息子の謝罪の言葉の意味を解しかねたように首を傾げかけたが、その意図を察して答えた。

「かまわぬ。どうせ、蛮族タレヴォーどもとは一戦交える腹づもりであった。お前は、ただその先駆けとなっただけのこと。誰か王子の馬を曳け」

 リダルは従者にアトラスの馬を曳かせることで、アトラスが馬を下りるのを促したのである。意味も分からないまま馬を下りたアトラスにリダル王は語りかけた。

「まだ日は高い。聖都シリャードの見納めに、町を見回ってくるがよい」

 リダルは息子の気分転換に散歩を薦めたのである。路地が多いこの町では、町の雰囲気に染まりつつ散歩をしようとすれば、馬ではなく徒歩の方が都合が良い。アトラスが王族の生活の中で、心に深い悩みを抱えているらしい。希代の戦術家のリダルは、その観察力で息子が悩んでいることにも気づいていて、わずかな時間だが、息子の心を堅苦しい身分から解放してやろうと考えたのである。ただ、外見にはその優しさは見せず、息子の決意を促すように言い放った。

「次に聖都シリャードに戻るのは、我らがアトランティスの解放者として凱旋するときである」

 

 リダル一行の後ろ姿を見送ったアトラスは、一人の女性の記憶をたどるように彼女の口調までまねて一人呟いた。

「道を辿ってもダメよ、迷うだけ。水路の幅が広くなる方に向かいなさい」

 言うまでもなく、フローイ国王女リーミルと初めて出会ったときに、彼女から教えられたことである。彼女の教えを守っていれば、狭い路地が入り組んだ町を歩き回っても道に迷う事はあるまい。父の配慮か、リーミルの記憶か、どちらが原因かは分からないが、この時のアトラスは、濁りのない純朴な田舎青年の姿を取り戻していた。道に迷ったという焦りや後悔に乱されずに眺めたこの町の雰囲気は、アトラスが生まれたルージ国のどの町とも違う活気に満ちていた。このシリャードは、都市国家という体裁を取っているが、その領地といえるのは、城壁で囲まれた地域のみである。その中に、人口は一万人を超えるという、この時代、信じられないほどの人々を抱え込んだ大都市でもある。神帝スーイン六神司院ロゲルスリンに仕える者どもを除けば、領民は素性の知れない他国からの流れ者も多い。塩や穀物などの物資を販売する者たちの市、鍛冶屋や機織り、洗濯屋など以外に、娼婦がたむろする宿屋や、ばくち場に隣接する酒場など、雑多な店と雑多な人々であふれかえっていた。

 

 アトラスはそんな混沌とした雰囲気の中を、半ば好奇心、半ば驚きの心地で人々の波をかき分けて泳ぐように歩いていた。突然に、町の雰囲気が凍り付くように女の悲鳴が響いたかと思うと、売春宿から娼婦らしい女が転がり出してきた。続いて拳を振り上げて男が出てきたために、女はこの男に殴られて、宿の外に放り出された事がしれた。別の娼婦が地面に転がった仲間をかばうように身を挺して先の女に覆い被さった。女に拳を振り上げている男と、続いて出てきた男がわめき散らす罵声は、アトランティス人と異なる蛮族タレヴォーの言葉である。続いて出てきた三人目の男を追うように、一人の女が怒りを露わにして出てきた。脣に血を滲ませ頬に殴られたような痣がついているが、女は怯む様子がなかった。

「ゲスの蛮族タレヴォー野郎どもは、女の扱いも知らないのかい?」

 女が罵声を浴びせた男たちの服装はシリャードに駐留するアテナイ軍の兵士に間違いない。兵士たちは民衆に理解できない異国の言葉を怒鳴り散らした。娼婦たちは兵士に侮蔑の言葉を返し続けた。

「女を買って、払う金も無いってのかい? 」

 そんな娼婦の言葉で、アトラスにも状況が飲み込めた。アテナイ軍の兵士が女を求めて売春宿にやって来て、行為に及んだものの、女の体の代価の支払いの時にトラブルが起きたということである。腕力で兵士にかなうはずのない娼婦たちは、救いを求めて周囲の人々を見回した。街路を行き交う人々は、その状況に興味を示しながらも距離を置いて関わり合いになるのを避けていた。

 このシリャードの治安は三百名の僧兵とその配下の役人が取り仕切っているが、占領軍としてのアテナイ兵が引き起こす犯罪について、後難を恐れて目をつむり耳をふさいでいた。この場合、アテナイ兵とトラブルになった女たちを救う警察組織は無いに等しいのである。この時に、アトラスが哀れな女たちの目にとまった。人々の輪に混じりながら、アトラスの目は他の人々と違って、アテナイ兵に対して恐れを感じさせないのである。  

 

 同じ頃、シリャード中央のアテナイの砦から、エキュネウスが十人ばかりの兵士を率いて駆けだした。城壁に近い一角の売春宿で、兵士が町の人間相手にトラブルを起こしていると聞きつけたのである。戦勝国の占領軍とはいえ、このアトランティスの大地で侮蔑や反感を買っている。その中心のシリャードで暴動でも起きれば、アテナイの二千の兵士では対処できなくなるかもしれない。アテナイ軍が密かに恐れる状況である。そのため、砦以外の場所での酒や女遊びを固く禁じてはいるが、時に今回のように羽目を外してトラブルを起こす者どもがおり、軍律に照らして厳しく罰せねばならないのである。

 

 エキュネウスと部下が現場に到着したとき、アテナイ軍の兵士三人は、血まみれで地面に転がっていて、その傍らに血に染まった抜き身の長剣を持ったまま一人の青年が立っていた。二人の兵士の剣をたたき落として戦闘不能にし、最後に残った兵士に止めを刺そうとしている姿である。もちろん、その青年はアトラスだが、この時、二人は互いに相手の名も身分も知らない。アトラスの足下に転がっているのは、一般の兵士とはいえ、実戦を切り抜けてきた猛者揃いである。その三人を相手に切り結んで負傷している様子がないというのは、この青年アトラスが剣に練達している様子が伺いしれた。

 アトラスがその剣の切っ先を新たに現れたアテナイの指揮官らしいエキュネウスの喉元に向けて何かを言ったが、エキュネウスにはその言葉の意味が分からない。ただ、新たに十数名の兵士が現れたにもかかわらず、彼アトラスは臆する様子を見せなかった。

【待て。我々はその者どもを罪人として砦に引き取るために来た】

 エキュネウスはアトラスに向けて大声でそう呼ばわったが、アトラスの言葉が理解できないのと同様、アトラスにもエキュネウスの言葉は理解できまい。ただ、エキュネウスに戦闘の意志がないことは察したらしい。エキュネウスに向けた太刀の切っ先を転じた。まだ抵抗を続けてアトラスに向けて剣を振る兵士に、アトラスは止めの太刀を振り下ろそうとしたのである。

【待てと言うに】

 そう叫び終わるまもなく、エキュネウスは腰の剣を抜いて駆け寄って、アトラスとの間を詰め、アトラスが振り下ろした剣を下から払った。思いも掛けない攻撃に、アトラスは剣を取り落とし、エキュネウスは剣の切っ先で地面に落ちたアトラスの剣を指して言った。

【争う気はない。剣を拾って去れ】

 エキュネウスは剣を鞘に収めつつ、去れと言った言葉の意味はアトラスには通じていないらしいことを悟った。若者は落とした武器を拾えと言ったことは察したらしく、地面に転がった剣を拾い上げたが、エキュネウスに剣を向けて向き合ったのである。エキュネウスも再び剣を抜かざるを得ない。目の前の青年が剣を抜き、指揮官エキュネウスもまた剣を抜いて応戦しようとするのを見た部下たちも手にしていた槍を構えた。

【お前たちは手出しをするな】

「ほぉっ、一人で私の相手をするというのか。その無謀さ、教えてやる」

 エキュネウスが推測したとおり、アトラスはよほど訓練を受けていてその剣裁きは鋭く、受けた剣を通じて腕がしびれるようだった。一方で、アトラスは兵士として一通りの剣の使い方を経験しただけの兵士を相手にして、アテナイ人の剣の強さを推し量っていたが、新たに剣を交えた男の剣さばきと身のこなしに舌を巻いた。剣を会わせること数十合。二人は互いに荒い呼吸を整えるために剣を構えたまま距離を置いた。

「面白い。なかなかやる」

【お前のような者に出会えたこと、戦闘の神アレースに感謝を捧げよう】

 二人は再び接近して剣を会わせた、一合、二合、そして、破滅的な音。エキュネウスの剣がアトラスの剣の激しさに耐えられず折れたのである。両者の剣の扱いの上手下手ではなかっただろう。既に百年以上もの長きにわたって鋼の剣が鍛えられているアトランティスと、古い青銅の剣が鋼に置き換わろうとする時期のアテナイの未熟な製鉄技術の差であったに違いない。  エキュネウスは次の攻撃を予想して右手に残った剣の束を捨てて、武器を持たないまま身構えたが、アトラスは意外にも剣を鞘に収めた。その行為を剣を失った敵に対する哀れみだと考えたエキュネウスは叫んだ。

【剣は折れても、アテナイの誇りは折れては居ないぞ】

 もちろん、そのアトラスが言葉の意味を理解することはない。アトラスは静かに言った。

「これ以上、戦う理由があるとでも?」

 偶然、三人の女を守らねばならない状況に遭遇して、その義務は果たした。見たところ、新たに駆けつけた蛮族タレヴォーは仲間を収容に来たのみで、女たちや周囲の民衆を傷つける気配はないのである。アトラスは蛮族タレヴォーを一別してから立ち去ろうとした。この時、二人が発した言葉が同じ意味を持っていたのは偶然だったろうか。

「この次は、戦場にて」

【軍神アテーナーが、我々二人を戦場で相まみえさせるように】

 蛮族タレヴォーどもに背を向けて立ち去りつつ、アトラスは妙に心地よい興奮を覚えていた。勝利感でも優越感でもない。今まで誰かが指示や運命に身を任せて生きてきた。あの蛮族タレヴォーの青年との戦いは、アトラスが初めて自分で運命を決めたきっかけになったのかもしれない。  エキュネウスもまた、あの不思議な若者の表情をハッキリと心に刻んでいた。このアトランティスでは占領軍として憎しみの視線を受け、蛮族タレヴォーとして侮蔑的な扱いも受ける。しかし、あの青年がエキュネウスを眺める目にそんな感情は皆無だった。というより、まるで巧みに操られた人形のように感情そのものを感じ取ることが出来なかったのである。

 

 事件のきっかけになった三人の娼婦は、彼女たちに仕事の報酬と事件の謝罪を兼ねているらしい銀の小粒を丁寧に渡して去ったエキュネウスを、先に彼女たちの礼も聞かずに立ち去ったアトラスと見比べるように見送った。社会の底辺で蔑まれる事が多い職業の女たちだが、いままで彼女たちに蔑みの感情を持たず、彼女たちを人として扱い、接したという意味で、アトラスとエキュネウスはよく似てたのである。


クジースス

 その夜、アテナイ軍の砦に引き上げていたエキュネウスは、部屋に副官カルトレウスの訪問を受けた。用件は夕刻の娼家のトラブルの事かと考えたがそうではなかった。

【エウクロス様がお呼びです】

【この国の者と剣を交わしたことなら報告済みだが】

【いえ。これから客人が来るので同席せよと】

【客人だって?】

 カルトレオスに案内されて入った司令官室の光景は、この国の腐敗を聞いていても、若く理想に燃える青年には驚きを伴った。招き入れられた男は、目立たない質素なフード付きの衣類をまとっていたが、高慢さと卑屈さが漂い、他人に命令するのに慣れた人物だと知れた。

 男は卑屈な笑顔を浮かべてアテナイの言葉で、エウクロスと挨拶を交わした。エウクロスと同席するエキュネウスを紹介されたものの一片の会釈を与えたのみで、若造など相手にできないというエキュネウスを舐めきった態度を隠そうとはしなかった。

 エウクロスはテーブルに客を導き、向かい合って座った。エキュネウスと副官カルトレウスはエウクロスの背後に控えて立った。

【ロゲルスゲラのお一人、クジースス殿であらせられます】

 エウクロスがささやいた言葉にエキュネウスは驚きで目を見開いた。エキュネウスにとって信じがたいのは、この人物がこの大地の九カ国を統率するシリャードの政治を司る六神司院ロゲルスリンを構成する最高神官ロゲルスゲラの一人だと言うことである。

 

 クジーススは卑屈な笑みを浮かべてエウクロスに語った。

【アトラス王子は我らの挑発に乗り、神を侮辱したばかりか、反逆者の汚名を着ました】

 そんな言葉に驚く様子も見せずエウクロス司令官は日常話のようにさりげなく、しかし、注意深く質問をした。

【リダル王は?】

【父の狼は、牙を剥きだして、アテナイに戦を挑むとのこと】

【戦とはいつのこと?】

【ルージ国一行は明日帰国いたします。戦支度を整えて戻ってくるのは2ヶ月後かと】

【して、その兵力は?】

【七千から八千。ルージ軍に合流する国の兵力を合わせれば、総勢一万五千を超えるかと推察されます】

(一万五千……)

 その数字の大きさに、エキュネウスは息をのんだ。ギリシャ諸部族がかき集めてこのシリャードに駐留させている兵士は二千人。その数倍の兵力で攻め寄せてくると言うのである。しかし、エウクロスは動揺も見せずに他人事のように聞いた。

【勝算はおありか?】

 エウクロスは戦うのはアテナイ軍ではないと言わんばかりである。クジーススは笑って応えた。

【ルージと、フローイ、シュレーブ、牙を持つ者どうし、噛み合わせれば、互いののど笛を食いちぎりましょう】

 自信満々で答える様子には、既にアトランティスの国々を争わせる計略が立ててあるということがうかがい知れた。

【なるほど。楽しいお話でしたな】

 エウクロスは席を立って面会を打ち切って、クジーススを入り口へと導いた。クジーススは姿を現したときと同様に深くフードを被って顔を隠し、足音も立てずに立ち去った。

【彼らはいつも来るのか?】

 エキュネウスの問いに副官のカルトレウスが答えた。

【いつもは使者が来ます】

 エウクロス司令官は甥のエキュネウスを振り返り、意味深な笑みを浮かべた。

【事が重大ゆえ、我々のご機嫌を取るために直接来たのだろうよ】

【アトラスとか言う王子を反逆者にしたとか?】

 エキュネウスの言葉に興味がないと言わんばかりに、エウクロス司令官は話をそらした。

【儂は退屈でたまらぬ。儂が何をせずとも、利に聡い奴らが自らの保身で、我らのために働いてくれおる】

 副官のカルトレウスが頷いていった。

【全くです。この地は欲と猜疑心でまみれています。我らはその混沌を少しかき混ぜるだけ。彼らの心の底の憎しみが水面にわき出して参ります】

 エウクロス司令官は何かを思いついたようにニヤリと笑って言った。

【そうだ、ちょうどよい。一つ仕掛けてみるか】

【何か思いつかれましたか?】

【エキュネウス。明日、港でルージの者どもに挨拶して参れ。アトラスという王子のことが気になるなら、その時によく見て参るが良かろう】

【挨拶?】

【武装した兵士五十名ばかりつけてやる。帰国するルージの王族に我らの雄叫びを聞かせてやるのも良かろう】

【戦端を開く決心をした者どもです。戦いになりませんか?】

 エキュネウスのそんな疑問を、エウクロス司令官は笑い飛ばした。

【このシリャードは彼らにとって血で汚せる場所ではない。たとえ挑発を受けようと、我らに手出しはできまいて】

【なるほど、ルージの者どもに我らを意識させ、必ずや兵を挙げてもらわねばなりませんからな】

 副官エウクロスのそんな言葉に、エウクロス司令官はニヤリと笑って頷くのを、若いエキュネウスは黙って眺めていた。

 そんなエキュネウスを振り返り思いついた素振りを装って言った。

【おお、エキュネウスよ。お前は剣を失ったとか。この剣をお前にやろう】

 エウクロス司令官が差し出したのは派手な装飾からほど遠いが、束はよく手に馴染み、鞘から抜いてみれば幅広く厚みのある鋼の刀身が曇りのない光を反射していた。

【これは?】

【我が兄、そしてお前の父親から、儂がもらったものだ。しかし、今のお前に相応しかろう。良く鍛えられた刀身は容易に折れることはあるまい】

 エウクロス司令官は考えた。この甥は、夕刻に自分が戦った相手が誰か、まだ知るまい。明日、それを知ることになる。どろりと粘るような陰謀の中で夜がふけていった。


リーミルの愛

 同じ頃、フローイ国王の館では、リーミルが灯りもつけず、ベッドの脇の窓から差し込む満月の光のみを浴びながら一人ベッドで横になっていた。大きく見開いた目に月の光が反射してきらりと光った。議会から帰宅した祖父のボルススから子細は聞いている。

 

(これからと言うときに、突然の帰国ですって?)

 そう考えながら思い起こすのはもちろんアトラスの事である。ルージ国の王子アトラスに嫁ぎ、ルージ国とフローイ国の関係を強化するために、彼女はこのシリャードに呼ばれた。しかし、シュレーブ国の方が一足早く、エリュティア姫をアトラスの嫁入りさせる話を持ちかけた。そこにリーミルが割り込もうと画策したわけだが、予想もしない事態に計画は頓挫した。その悔しさに彼女は小指の爪を噛み、舌打ちしたくなるほどの思いで居たのである。しかし、事情を聞けば、反逆者呼ばわりまでされたアトラスに同情する気にもなる。あの純朴な田舎青年は、何やら煽られて余計なことを口にしてしまったらしい。

(全く、なんて間抜けなやつ)

 リーミルは多少の愛情を込めてそう思った。フローイの男には無いあの無垢な性格は嫌いではない。ただ、積極的にアトラスに接近しようとした事が、果たしてアトラスに対する愛情だったのか、出会ったこともないエリュティアという少女ら対する嫉妬の混じったライバル神だったのか彼女自身も良く理解できないのである。

(私があの田舎者を愛している? まさか……)

 彼女は混乱する頭の中を整理するために、これからの予定を考えた。二日後、彼女は祖父と供に帰国の途につく。

(フェミナ)

 リーミルは自分が呟いた名がエリュティアの幼なじみだとは知らない。ただ、彼女の帰国と少し時間をずらして、シュレーブ国貴族の姫フェミナが、フローイ国のリーミルの弟グライス王子に嫁いでくる。壮麗な行列を仕立ててやってくるだろう。迎えるフローイ国も国を上げて祝いの婚礼式典を行うことになる。グライス王子とフェミナ姫の幸福を祝うわけではない、両国が堅く結びついてこの大地に覇を唱える足がかりにするためである。リーミルはいつしかため息と供に深い眠りに陥った。



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