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アトラスの後悔と期待

 部屋に残されたザイラスは、非難の口調を隠そうともせずに言った。  「我らが王子よ、ご婦人に対する敬意を忘れてはなりませんと申したでしょうに」

 普段なら、兄が弟を諭すように注意する男だが、この日のザイラスは、リダル王から受けた恩恵と裏切りの罪悪感で心が乱れていた。アトラス自身の心が乱れていることを気遣う余裕もなくアトラスを責め続けた。

「我がルージ国とシュレーブ国の体面をお考えください。姫君に敬意を払えないなど愚か者のすること」

 この時、アトラスもまた心の整理がつかず気が高ぶっていた。

「ザイラス。お前は私が愚か者の蛮族タレヴォーだとでも」

「そうは申しておりません。我らが王子が愚か者ではない故に、行動に注意してくれと申し上げているのです」

「黙れ。下賤の父親の息子が、口が過ぎよう」

 一瞬、二人の間に沈黙が走った。父親の出自が卑しいと言うことはザイラスが密かに気にかけていることは、アトラスもよく知っている。素直な心で言えば、アトラスはザイラスに兄のような親近感と信頼感を抱いている。ただ、この時は口が滑った。ただ、致命的な言葉であったが故に、アトラスから投げかけられた言葉はザイラスの心に深く刻まれた。アトラスも自分の過ちに舌打ちしたくなる思いとともに、訳のわからない怒りや不満が心の中で渦巻いて、謝罪をする機会を失った。

「下がれ。お前の顔は見たくもない」

 アトラスの指示に、ザイラスは一礼して従ったが、その表情に失望感や悲しさを隠しては居なかった。アトラスは近習の者たちとも昼食を供にせず、一人で部屋に閉じこもった。

 

 お互いの身分に気づく前のリーミルがアトラスに尋ねたことがある。

「ルージの牙狼王リダルが戦をしたがっているのは本当なの?」

 アトラスの父が好戦的だという噂が立つのは、アトランティス議会での彼の立場による。アトランティスの大地から蛮族タレヴォーどもを追い払い、アトランティナによる統治を取り戻すというのがリダルの主張である。彼はアトラスの祖父に当たるロスドム王の息子として五百の兵を指揮して海を渡り、敗色が濃い中で、その兵が潰えるほど戦い抜いたが、戦意は失わなかった。そして、何よりルージはその得意とする海の戦いでは、ギリシャ人に負けたことがなかった。そんなリダルは戦に負けたという意識を全く持っていない。しかし、アトランティス議会の愚かな妥協の産物として蛮族タレヴォーどもと講和し、アトランティナにとって最も聖なる場所に蛮族タレヴォーに居座られている。リダルにはそれが腹立たしくてたまらないのである。  ことある事に開戦を叫ぶリダルに対し、穏健派のシュレーブは対立する立場にあり、フローイは立場を明らかにしないままで様子をうかがっていた。アトランティスを代表する三つの強国は、それぞれの思惑で異なる立場を取り、小国はその3カ国に色よい気配を見せながらも立場は鮮明にしては居ない。

 

 リダルが会議から帰ってくるときには、大抵、開戦を叫ぶリダルに対して物わかりの悪い各国に怒りを露わにしながら帰ってくるのだが、今日のリダルは機嫌がよい。帰って来るや、執務室に息子を呼びつけ肩を抱くように言った。

「おおっ、アトラス。我が王子よ、どうして儂に黙っていた」

「何を、でございますか」  アトラスは父の言葉に首をかしげた。幼い頃からこの父親と腹を割って話したことはないし、内心の複雑な心情を伝えたことはない。しかし、王と王子の間で公にすべき事柄で、父に秘密は持っていない。リダルは察しの悪い息子に機嫌良く言った。

「リーミル姫とのことよ」

「リーミル姫とのこと?」

「隠さずとも良い。子細はボルスス王から聞いた。お前は暴漢に絡まれて難渋するリーミル姫を救ったとか」

 その父の言葉で、アトラスにもリダルの言葉の意味が分かりかけてきた。父親に召されてこのシリャードに到着した日、忙しい父と面会することができないまま、街の中を彷徨っていて彼女に出会っていた。ただ、素直なアトラスは姫を救ったという自覚はない。自分に絡んでくる暴漢を切って捨てるしかないと考えた時に、姫の機転でその状況を抜け出したという感覚である。息子の記憶の整理が突かないと見たリダルは、更にボルススから伝え聞いたことを話して聞かせた。

「お前は、姫に言いがかりを付ける二十人もの荒くれを、一気に蹴散らして姫を救い、名も告げずに去ったと」

「いや、それは」

 実戦は未経験だが、アトラスは将来の王として剣やレスリングなど戦闘訓練を受けていて、敵意をむき出しにする相手の数を数えることぐらいはできる。アトラスの記憶では、暴漢はせいぜい三人で、二十人というのは数字が誇張されている。リダルには実戦経験があり、一人で二十人の暴漢を相手にするという話の不自然さに気づいても良いはずだがそれを口には出さなかった。

 もしも、愛情に不器用なリダルの心情を読み解けば、息子を褒められたうれしさに冷静さを失った父親という姿だが、アトラスはその父親の心情に気づかなかった。その数字を正そうとするアトラスの言葉を制してリダルが言った。

「よいか、アトラス。ボルスス王の口利きで、お前は議会に召されて、神帝スーインから勇者としてのお言葉を賜ることになった」

「私が、ですか?」

 アトランティス議会の会場は関係者以外の入室は厳しく制限されていて、例え王家の者とはいえ、国王以外の者が参内するのは例がない。まして、神帝スーインの直々にお言葉を賜るというのは信じられないほど光栄な事である。

「左様。フローイ国のボルスス王の口添えもあったが、神帝スーインもお前に興味を示され、是非とも会ってみたいとのことだ」

神帝スーインが、私に」

 突然にわき上がってきて体を満たした感激で、アトラスは言葉を失った。この時代、神帝スーインといえば神に次ぐ地位の人物で、そんな人物が会いたいと言うのは、アトランティナにとって想像もつかないほど光栄な出来事である。


ザイラスの父

 一方、ザイラスの心は晴れていない。もともと、父親が下賤の身分の出自だったことで、不愉快な思いをすることも多い。それが彼にルージ国に対する憎しみを維持させ続け、フローイ国に内通させてきた。ただ、素直な心情をみせるアトラスに、畏れ多いと思いつつも弟に感じる親近感も感じてきた。ただ、今日はその最愛の弟から裏切りの言葉を告げられたのである。彼の心が憎しみや悲しみで曇らないはずがなかった。そんなザイラスはリダル王が議会から帰り、今日のアトラスとエリュティアの面会の顛末を王に報告しようとした矢先、王の下僕リウスが王の指示を伝えに来た。

「同道に及ばず」という。

 明日、アトラスの議会参内に、ザイラスは同行せずに館に残れと言うのである。

(今までアトラス王子の第一の従者として、お仕えしてきたものを)

 ザイラスは唇をかみしめる思いでそう考えた。リダル王らしく、その命令は短い。ただ、今朝からの状況を合わせて考えれば、アトラスが言った「お前の顔は見たくない」と言う言葉を、リダル王が実行に移したのだろうと考えたのである。

 

 王子の近習の役割を解かれてしまえば、ザイラスにこの館での仕事はない。気分転換を求めて街に出ようとしたザイラスは、館の入り口に近い一室で人影を見つけて足を止めた。

「老ウルスス殿」

 旅装を解く男を見つけたザイラスが発した声に、懐かしさや親しみがこもっている。感情を抑えることから周囲から「石の人」とも揶揄されるザイラスが素直な感情を表すのは珍しい。それほど、ザイラスがこの老ウルススに寄せる信頼が大きいのだろう。

「おお、少し見ぬ間に、ますますお父上に似てきたようだ」

 老ウルススはザイラスの両肩に手をかけて引き寄せ、祖父が孫を抱くようにザイラスの体を引き寄せて抱いた。

「しかし、また、何のご用で?」

 意外な再会の理由を尋ねるザイラスに、老ウルススは体を離して向き合って答えた。

「うむ。我らが王から留守居役を賜った。これからはランドス殿に代わり、儂がこの館を取り仕切る」

 会議を終えて帰国する王に代わってこの館に常駐し、他国と様々な折衝を行う役割である。忠実。純朴。飾らない老ウルススの人柄は、その役割に相応しい。ただ、ザイラスは名残惜しそうに言った。

「久々にお会いできましたが、私はこれから王子と共に帰国する身です」

 老ウルススは静かにザイラスを眺めた。故郷では父母はすでに亡く、寄るべき家系も持たないこの青年を待つ家族も家臣もない。老ウルススはその点には触れずに語りかけるように言った。

「いや、ザイラスよ。王からそなたをもらい受けた。儂の領地は辺境故に宮廷の事情に通じて居らぬ。しかし、ザイラス。お前ほど王子のそばに侍り、宮廷の状況に通じている者は居らぬだろう。私の片腕として私を支えてくれ」

「しかし、アトラス王子の近習のお役目は?」

「王子には悪いが、その任は解いてもらう。お前はこのシリャードで、留守居役の任を学ぶのだ」

 

 ザイラスの表情は輝いた。次の王となるアトラスの近習を勤めるのは出世ルートだが、この聖都シリャードというアトランティスの政治の中心部で、国の代表としてのつとめを果たすことは、一段階出世したと言うことに違いない。そして、それよりも、心を許せる上役の下で働けるというのはザイラスにとってありがたいことだった。しかし、そのザイラスの表情が一瞬曇るのをウルススは見逃さなかった。

「ザイラスよ、何か気がかりでも?」

「いえ、どうして我らが王が私を王子から引き離してこのシリャードにとどめたのかと」

「お前の知略や忠誠が認めされているということだ」

「ウルスス殿ならご存じでしょう。我らが王と私の父の経緯を」

「そなたの父は、比類無き勇者であった」

「しかし、父は我らが王に見捨てられ、犠牲となって戦場に消えました」

「誰がそんなことを?」

「クイグリフス様のお話を、その家臣から伝え聞きました」

 クイグリフスとはリダル王の年の離れた義弟である。老ウルススはその言葉の内容を即座に否定した。

「クイグリフス様は当時歳若く、戦場には出ておられぬ。それなのに、どうしてお前の父の事を知っていようか」

「では、あれはでまかせですか」

 ザイラスのそんな言葉に老ウルススは頷きながら考えた。見るべき家系を持たないまま、王子の側近に取り立てられたこの若者を妬む者は多い。そんな者どもによからぬ出来事を吹き込まれたのだろう。そして、ザイラスを今の身分に取り立てたリダル王は、ザイラスの父に対する感謝や敬意を、その息子のザイラスへの好意として向けては居ても、その理由を長々と話して聞かせたことはあるまい。そう考えた老ウルススは、ザイラスに花壇の縁を指し示し、そこに並んで座りながら、思い出をたどるように話し始めた。


老ウルススの思い出

「退却戦の中、我らを追う敵は五百。我らは手負いの者も含めて三十人に減じていた。 普段は従者として、片時もリダル王子の傍らを離れなかったお前の父は、あの時、何故か隊列の最後尾にいた。そして立ち止まったのが、左右が切り立った崖になった一本道の入り口だ。敵は五百とはいえ、そこなら一度にかかってこれる敵は数人。一人でも敵の足止めができると言うわけだ」

「死ぬまでは?」

「その通り。お前の父は槍を構え、黙ったまま儂を振り返って黙ったまま、笑いおった。生死を超えた満面の笑みでな。命を捧げるのに悔いはないという笑顔じゃった」

「その後は?」

「ザイラスよ、この年寄りの臆病ぶり、笑うてくれ。お前の父を見捨てたというなら、我らが王ではなく儂こそ、お前の父を見捨てた。お前の父を一人残して、王の跡を追った」

「老ウルスス殿。貴方も列の最後尾に居られたと言うことは、私の父が敵の足止めをしなければ貴方がその役をするつもりだったのでしょう。私の父が勇敢だとするなら、貴方もまた」

 

 ザイラスの言葉に老ウルススは、苦渋のため息をつくように答えた。

「いや、それだけではない。私が我が王に追いついたとき、王はお前の父がいないのに気づいて、救出に戻ろうとされるところだった。そのままでは、戻って、お前の父が足止めした敵の中に突入しかねない勢いじゃった」

「それで、戻られたのですか」

「いや、儂は目撃もしなかったお前の父の最後を、我が王に語って、あの者の命を無駄にしたくなければ、留まるようお諫めしたのだ。この儂の一世一代の嘘じゃった。迫る敵をお前の父は一人で支え、退却の時間を稼いだ。もしお前の父がおらなんだら、儂も我らが王も無事に生きて帰国は出来なかったかもしれぬ」

「では、我らが王が私の父を見殺しにしたのではないと?」

「お前の父は、他の誰よりも強く、勇敢で、そして、忠誠心に満ちていた。父親を誇りにせよ」

 

 ウルススはそう言い置いて、その場を去った。ウルススは未だリダル王にも明かしていない真実をザイラスに明かしたのである。長年隠してきた秘密を明かした老将軍の背は、おいて疲れ果てて見えた。

 もちろん、ザイラスにはリダルの信頼を裏切り、フローイに内通しているという自覚がある。全て、父親がリダル王に殺されたと信じたために行った行為である。その復讐の根拠がザイラスの心の中で音を立てるように激しく崩れた。心を失ったように静止し、その姿は夜の闇に包み込まれていった。 


失意のザイラス

 明くる日の朝、アトラスの命でザイラスを探すアトラスの近習の一人、オウガヌは館の入り口にザイラスの姿を見つけて声をかけた。

「ザイラス。我らが王子がお呼びだ」

 その声に怯えるように振り向いたザイラスの表情は、焦燥感に満ちていて、目は充血し、髪は乱れて、普段の理知的なイメージがなかった。昨夜から近習仲間の居室に戻っていなかった。何を思い悩んでいるのかは分からなかったがこの場所で一晩を眠らずに過ごしたらしい。オウガヌは再び声をかけ、ザイラスはよろりと不安定な足下を踏みしめるように立ち上がった。オウガヌはザイラスを先導して歩きながら声をかけた。

「ザイラス。良い気持ちか? お前はウルスス殿の進言で出世するそうだな」

 このオウガヌという若者はザイラスより年若く、王子の近習としての経験も浅いがザイラスと対等以上の物言いをする。それがオウガヌという青年をよく表していた。度胸もあり剣の腕も卓越している。そして、そんな彼がアトラス王子に抱くのは紛れもなく純粋な忠誠心だが、そのより所は、アトラスがルージ王家の正当な世継ぎだという事である。彼にとって血筋の正しさが全てで、ザイラスは見下す相手である。

 

「ザイラス。どうした?」

 近習仲間のテウススが、オウガヌにつれられて近習の居室に戻ってきたザイラスを眺めてそう声をかけた。普段は誰より身だしなみはしっかりしていて隙を見せない。近習たちも初めて観るザイラスの姿だった 。

「とりあえず、身だしなみを整えよ。我らが王子が余計な心配をする」

 オウガヌが洗い桶に水をくんで、ザイラスに顔を洗えと差し出した。テウススはブラシを手にして大あわてでザイラスの髪を梳いた。この時、自室でザイラスを待ちきれなかったアトラスが、この部屋に姿を現した。

 二人は一瞬見つめ合い、すぐに互いに相手の視線を避けてうつむいた。アトラスには昨日ザイラスに言ってはならないことに触れてしまったという罪悪感があり、ザイラスにはこの王家の人々や仲間を裏切り続けていたという秘密が心の底にわだかまっていた。

 

 アトラスが笑顔を作ってザイラスの声をかけた。

「ザイラス。聞いたぞ。ウルスス殿の部下として聖都シリャードに残るとか」

 そういうアトラスの表情は、まるで出世する兄を褒め称えるような様子がうかがえた。しかし、返事を返すザイラスにはいつもの元気がなかった。

「ありがとうございます」

 ザイラスはそう言った後、つまらないことだと言わんばかりに話題を変えた。

「何か、私をお呼びとか」

 ザイラスは表情にはわずかに作り笑顔を浮かべてはいたが、その声には感情が感じられない。

(昨日の私の言葉を気にかけているのか)

 アトラスはそう思ったが、他の側近の手前、素直に謝罪することもできず、笑顔を浮かべたまま口ごもるように言った。

「今日、私はアトランティス議会に召し出されることになった」

「おめでとうございます」

「それで、議会にゆくに辺り、何か気にかけておくことはないかと……」

 アトラスは信頼するザイラスに何かアドバイスが欲しいというのである。ザイラスはアトラスの意図を察し、自嘲的に考えた。

(裏切り者で内通者の自分に、アトラス王子にアドバイスなどできようか)

 ただ、その思いを口にはせず、感情を交えず言った。

「我らが王子よ。思うがままになされませ。ご自身の信念の赴くままに」

 ザイラスは近習仲間の間でも飛び抜けて思慮深く勉強家で、礼儀作法にも詳しい。ひょっとすれば、同僚から蔑まれる血筋を補うために、身につけたという悲しい過去があるのかもしれない。普段なら、兄のように心のこもったアドバイスをしただろうが、この日のザイラスにはその配慮が欠けていて、アトラスの判断のみに委ねたのである。その冷たく見える態度はアトラスの心に罪悪感を生んだ。

(やはり、私はザイラスを傷つけてしまった)

 この時に、リダル王に仕える小者が、王の指示を伝えに現れた。

「我らが王子、出発の時間でございます」

 会議に招かれるという嬉しさに相まって不安やザイラスに対する罪悪感が入り乱れたまま落ち着かず、アトラスは議会に向かうことになったのである。リダルは先に議会におり、列席する関係者とともにアトラスを待っている。


アトランティス議会へ

 アトランティス議会の様子など、アトラス自身は噂で聞き知っていたのみである。その光景が今のアトラスの目の前に広がっている。議会の門をくぐった所に控えの間があり、各国の侍従たちはここから奥へは入れない。

 この先は神々が支配する神聖な場所として、神に仕える巫女や神官、各国の王のみしか入ることが許されない。その奥は神々の像が建ち並ぶ、幅一トリスタン(20m弱)、長さ五トリスタンの長い廊下があり、最も奥には巨大な真理の女神ルミリア(ルミリア)像を安置する会議場があるという構造である。神官に導かれながらその廊下を歩くアトラスは、無言のままその精緻さに息を飲んでいた。神々の像が建ち並ぶ巨大な通路というだけではなかった。意図的に小さく設計された窓によって、日中だというのに廊下はやや薄暗い。しかし、さの小さな窓から差し込む日の光がそれぞれの時間に応じて、特定の神像を明るく照らし出すように仕組まれている。外部の水路から引き込まれた水が、川を模して神々の足下を潤し、そこには水草が美しい花を咲かせていた。

「ルージ国アトラス王子のお着きでございます」

 アトラスを導く神官がそう伝えると、左右の門戸を守る僧兵が叫んだ。

「開門」

 衛士が左右の観音開きの扉に手をかけて開くと、そこに会議場の景色が広がっていた。アトラスは左右を見回すように眺めたが、圧倒されるようで声が出ない。最も奥に見える弓を構えた女神の神像は真理を司るルミリア神である。天井にもうけられた大きな円筒形の明かり取りの窓から差し込む光が像の表情を照らしていた。照らされる角度によって神像の表情のイメージがかわる。像の真正面上部から日の光が差すこの時間帯は、柔和だが人の心の底まで見通すほどの洞察力を感じさせる表情だった。その像の両脇には2本の樹木があり、それを囲む大きな鳥かごの中で十数羽の小鳥がさえずっていた。

 

 そんな像の手前の席に着く者は神帝スーイン、その左右に三人ずつ控える者たちは神帝スーインを補佐する諮問機関六神司院ロゲルスリンの者たちだろう。更にその手前に円卓があり、九カ国の王たちの席があった。いまは、ルージ国王リダルと、フローイ国王ボルススが席を離れて門の内側でアトラスを待っていた。

 リダルが息子に声をかけようとする寸前、ボルススは祖父が孫を扱うように、満面の笑みを浮かべて大きく広げた腕でアトラスを抱きしめた。

「おおっ、勇者よ。よくぞ、我が孫娘を救ってくださった」  その感嘆ぶり、アトラスを抱きしめる動作の大きさなど、孫娘のリーミルに示す愛情より激しい。ボルススの演出である。リーミルとアトラス、ひいてはフローイとルージの関係を諸国に印象づけておこうというのである。  ボルスス王はアトラスの手を引くように、部屋の奥の国王たちより一段高くなった神帝スーインの玉座の前に導いた。アトラスは神帝スーインを仰ぎ見た。

(ほぉ……)

 様々な考えは、神帝スーインから放たれる雰囲気の前で薄れて消えて、感嘆のみが残った。アトラスと距離を置いて眺めれば、アトラスの前と左右にいる3名の人物、昔オタールという名で呼ばれていた神帝スーインと、アトラスの父リダル、フローイ国のボルススは、この神帝スーインの座に推され、各国の投票によってオタールが選ばれたという。アトラスはそのオタールにアトランティスをまとめ上げるに相応しい人柄を感じたのである。ただ、神帝スーインの両脇に3名づつ控える神帝スーインの諮問機関ロゲルスゲリンを構成するロゲルスゲラたちから、何故か隠す様子もない悪意が感じられる。  一方、神帝スーインも目の前のアトラスに好意的な興味を抱いていた。エリュティアが嫁ぐ相手かもしれないという興味である。神帝スーインはアトラスに声をかけた。

「おおっ、そなたがアトラスか」

「左様です」

 その短い返事を聞くやいなや、神帝スーインの傍らに控えていたロゲルスゲラの一人グリポフが、アトラスを遮るように声をかけた。

「王子、無礼はなりません」

 神の座に列する神帝スーインに直接に返事ができるのは、各国の国王のみ。たとえ、神帝スーインから声をかけられた王家の者であろうと、直接返事を返すなど許されないというのである。もちろん表向きの儀礼で、神帝スーインはエリュティアとは叔父と姪の関係で直接に話をしている。神帝スーインはグリポフを制して言った。

「まぁ良い。儂はこの若者と話して居る。アトラス、勇敢な戦士よ。リーミル姫を救ったとか。その勇気と剣はお父上譲りか?」

「勇気と信念は父から、剣と格闘技は師から学びましてございます」

「そなたが受け継いだものと、学んだものを大切にするがよい」

 神帝スーインはそう声をかけながら、これがエリュティアの婿になるのに相応しい青年かどうか値踏みをしてもいた。神帝スーインは続けて答えた。

「そなたは、何のために力を得、誰に仕えるために知恵を得る? 愛する者を守り、その者の敬愛を勝ち得ることができるか?」

 神帝スーインは今の神に連なる立場では、エリュティアを姪とは呼びにくいが、その姪を妻に迎えて幸福にできるのかと問うのである。模範解答をすれば神々に仕えるという返答をしなければならないし、神帝スーインが示唆するものを察していれば、妻とともに神の導きによって歩むという回答をすればいいのかもしれない。ただ、この日のアトラスは、このシリャードで起きた様々な出来事で心が落ち着かず、神を奉る神聖な場で、神ではなく、自らと人々の存在に心を奪われた。

「私はこの大地と、ここで受けるた生を見守る者に、仕えるのみ。神々にはその姿をご照覧いただきたく」

「聞き捨てなりませぬ」

 ロゲルスゲラの一人ガークトがそんな言葉でアトラスを遮って、侮辱のこもった疑問を投げかけた。

「未熟な王子よ。そなたが仕えるのは、この世界におわします神々か、それとも、己の野望にか」

「このアトランティスを害そうとする者があれば、それが例え神であろうと私の敵です」

「またれよ、若き王子よ。それは、神々を冒涜しているのか」

「我らはそなたの神々への侮辱は聞き流せぬ」

 神帝スーインの右傍らに控えるロゲルスゲラの一人、クジーススが席を立ち、憎々しげにそう叫んだ。アトラスの発言は激しいが、神々への侮辱というほどではない。これだけならクジーススという男が、アトラスを非難することで、自分自身の信仰の篤さを喧伝しようとしたのかともとれる。しかし、ロゲルスリンの狡猾さはこの男だけではなかった。神帝スーインの左傍らのブクススも立ち上がりアトラスを糾弾した。

「如何にそなたが勇敢であろうと、神に対する不敬は許されぬ。王子よ、履き物を脱いで、即刻、神に謝罪されよ」



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