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傲慢な虚飾

 ルージ国では、アトラスには女性にまつわる噂は皆無だった。父親の歓心を買うことが常に彼の頭の片隅にあり、武人として女性を遠ざけてきたばかりではなかった。彼の傍らには、蛮族タレヴォーの女に夫の愛を奪われたと嫉妬する母の存在があり、男女の色恋沙汰には密かに嫌悪感を抱いていたのである。

 

 ところが、周囲の人々の思惑で、妻に迎えることになるであろう女性と突然に引き合わされた。この種の経験の浅いアトラスには、洗練された愛の言葉など持っているはずがない。アトラスがまとった小賢しい誇りはアトラスに愛の言葉ではなくて政治の言葉を口にさせた。

「私はルージ国の代表として、エリュティア王女をお迎えに参りました。」

 アトラスの言葉にもかかわらず、エリュティアの興味は無邪気で、目の前の男性が本当にアトランティスの救世主かどうかと言うことである。

「それがアトランティスを救うことになるのですか?」

「アトランティスを救うですって? いいえ。まずこの大地に覇を唱え、自らの意志を意志を行き渡らせるのです。この剣にかけて」

「ならば、貴方はすでに剣をお持ちだわ。私は必要とはされていません」

「お分かりですか。私の国ルージと、あなたの国シュレーブが手を携えれば、このアトランティスの覇権を握れるのですよ」

 アトラスはそう言った。子どもの頃から父の歓心を買うために大人びた武人の姿をまとってきた。しかし、昨日、リーミルによって子供じみた一面を露呈して、アトラスの薄っぺらな誇りが傷ついていた。その反動かもしれない。アトラスはエリュティアにそんな大人びた言葉を投げかけたのである。ただ、その内容はリーミルの言葉の受け売りでしかない。  エリュティアは素朴な疑問を口にした。

「アトランティナ(アトランティス人)は、幸せになれるのですか?」

 アトラスは口ごもった。最初に発した言葉自体、いわばリーミルからの借り物で、アトラス自身は自分の考えを持たなかった。エリュティアの問いは素朴だが、アトランティスという規模の視野にあり、アトラスの小さな思考をゆったり包み込んでしまっていた。そのことが、アトラスに自己の矮小さを自覚させて彼の小さなブライドを傷つけた。彼は心の整理が着かぬまま、頭の中から武人の言葉だけを選び出して口にした。

「アトランティナの幸福ですって? 私の意志は私の剣にのみあります。必要なら剣を血で浸し、私の全身に敵の返り血を浴びようと、必要な物は戦い取ります」

「それでは多くの人々が死にます」

「幼いことを! 人の死など当然のこと。勇者の死の上に幾多の国が築かれてきたのではないですか」

「幸福が死の上に築かれるなんて。それが真理と公平を司るルミリアの意志とは思えません」

 そう答えた次の瞬間、エリュティアは小さく悲鳴を上げた。アトラスが彼女の腕をとり、かき抱くように顔を近づけたのである。王族の姫に対する行為としては、強引で無礼な態度に違いなかった。エリュティアは予想もしないアトラスの態度に怯えを見せた。

「エリュティア様。私の妻となって、この大地を真理の女神ルミリアの名の下に治めればいいのです」

審判の神ジメスに誓って。真理の女神ルミリアから遣わされたレトラスなら、そんな思い上がったことは口にはしないでしょう」

 そう言ったエリュティアはぎごちなく身を交わしてアトラスと距離を置こうとし、アトラスはそれを止めて、エリュティアの手を引いて言った。

審判の神ジメス? 私は誰かの審判を受ける気はありません。人の運命は人が切り開くのです」

 この時、二人から距離を置いて控えていたザイラスが、見かねるように王子に歩み寄ろうとしたのだが、ドリクスはその腕を取って、首を横に振り、ささやくように言った。

運命の神リズムスの御心のままに」

 ザイラスの位置からアトラスとエリュティアの会話は聞き取れないが、アトラスの行為がやや乱暴なのがわかる。他国の姫に礼儀を失しているのではないかというザイラスに、エリュティアの教師ドリクスは、二人の関係を運命のまま任せるようにと言うのである。ドリクスの言葉にザイラスは無言で頷いたが、納得したわけではなくアトラスの軽率さを注意するような視線を注いでいた。そんなザイラスとドリクスの様子に気づかないまま庭園の中央ではアトラスとエリュティアの会話が続いていた。

 エリュティアはアトラスに腕を捕らえたまま言った。

「死を見るのは嫌です。ルミリアが死を喜ぶとは思えません」

「人の命など、羽毛も同然の軽さ。人が成し遂げたものにこそ、神が喜ぶ価値があるのではないですか」

 話が同じ所を巡って、二人の意志は噛み合わず会話がとぎれかけた時、ドリクスがにこやかに手を叩いて二人に歩み寄った。ザイラスは人の呼吸を読むようなドリクスの絶妙のタイミングに感心した。たしかに、面会を終わらせるには絶好のタイミングに違いない。

「時には距離と時間をおく方が、愛する男女を結びつけるとされています」

 ドリクスはさりげなくアトラスの手をエリュティアから振りほどいて言った。

「近々、本日のご訪問の返礼に参る所存です。お二人のお話は機会を改めて」

 今日のアトラスの訪問と贈り物の返礼に、時を変えてエリュティア側からもアトラスを訪問するというのである。エリュティアはドリクスに促されるまま、アトラスに別れの一礼をして静かに背を向けた。ドリクスは手を叩いて合図をし、侍従を呼び寄せてアトラス主従に言った。

「では、この者に館の外まで案内させましょう」

 アトラスとザイラスはドリクスの言葉に頷いた。エリュティアとアトラスの初めての出会いはこうして終わりを告げたのである。


エリュティアの疑問

 アトラスは館から去り、ドリクスはうつむき加減に歩くエリュティアに寄り添いつつ、彼女の心理を窺った。エリュティアがぽつりと呟いた。

「本当にあの方が、真理の女神ルミリア(ルミリア)に遣わされたレトラスなのでしょうか?」

 

 救世主が自分の目の前に現れる。そういう期待は裏切られていた。エリュティアうつむきながら発したそんな問いかけは、独り言だったのだろうか。しかし、ドリクスはその独り言に介入した。

「それは、まだ分かりません。ただ、抜き身の刃という自らの姿に気づかぬうちは、触れる者を傷つけましょう。剣を振るう目的に気づかぬうちは、その切っ先が思いもかけぬ方向に向くこともございましょう。ですから、刃には鞘が、力にはそれを正しく使う意志が、必要なのです」

 ドリクスはそんな表現でエリュティアの疑問を制したあと、思いついたように付け加えた。

「そうそう、今日、アトラス王子にお越し頂いた返礼に、こちらからも王子を訪問せねばなりませんな。手みやげは何がよろしいでしょう」

「また、あの方と会わねばならぬのですか?」

「早いほど、お二人の気持ちは高まりましょう。いかがでしょう、今から宝物庫で王子への手みやげを選んでは?」

 ドリクスはエリュティアに問うという形を取ったが、すでに返礼の贈り物はフェルムスの剣と決めていた。シュレーブ王家に伝わる宝刀である。剣の前でさりげなく、そのすばらしさを説けば、エリュティアはドリクスの意志に沿って剣を選択するだろう。

 

 日当たりの良い庭園から館の出入り口が見える。その出入り口の門のように2本の樹木があって葉を茂らせていた。ドリクスは驚いたように目を見開いた。樹木に向き合うように背を見せている少女の姿がある。

 傍らにいるエリュティアが元気を失って存在感がない。ドリクスにはその彼女がいきなり別の場所に現れたかのような気がしたのである。その新たな少女の後ろ姿は、それほどエリュティアとよく似ていた。背後の人の気配に気づいて振り返った少女は親しげな声を上げた。

「エリュティア様」

 エリュティアも親しげに彼女の名を呼んだ。彼女の表情は一転して明るくなったところに二人の少女の関係が窺われる。

「フェミナ」

 エリュティアにそう名を呼ばれた少女は、王家の血筋を引いて現国王のアルトオ家に次ぐ格式の高い家柄の貴族の娘である。年齢が近いことがあり、幼い頃から仲が良い。エリュティアは許可を求めるようにドリクスの顔を振り仰いだ。

「先生」

 幼なじみと二人で話し合いたいというのだろう。ドリクスはそれを察して笑顔を浮かべた。

「エリュティア様。私は急用を思い出しました。後はお二人でお過ごしください」

 ドリクスはそう言って足早にその場を立ち去った。ドリクスは自分たちが意図的に操作した二人の少女の運命を考えた。フローイの王家に嫁ぐフェミナと、ルージに嫁がせる予定のエリュティア。姿形の似通った二人だが、もし、エリュティアがフローイ国に嫁ぐようにし向けていたら、この二人の少女の運命はどう変わったのだろうと。

 ドリクスはその足を彼の報告を待っているジソーの元に向けた。


謀臣ドリクス

「首尾はどうであった?」

 シュレーブ国王ジソーは、執務室に戻ってきたドリクスに面会の様子を問い、ドリクスが答えた。

「上々かと存じます」

「王子の左の手首を見たか」

「気がついておられましたか」

「儂の目は節穴ではないわ。銀の細工に緑の宝石」

 細やかな作りの銀細工がフローイを連想させた。装飾品に興味を示すことがないルージ国の男が、あれを身につけていたと言うことは、フローイがアトラスに接近を図っているということに違いあるまい。油断はならない。ジソーは言葉を続けた。

「さすれば、アトラス王子への返礼の日取りも、早いほうが良いの」

「さようでございます」

「その日取りと、返礼の品を決めておいてくれ」

「いえ、返礼の宝物も、日取りも、エリュティア様のご意志にて」

「なるほど」

 当事者のエリュティアの意志を尊重しようという言葉の裏で、意味深に微笑みあうジソーとドリクスの表情は、エリュティアを意のままに操って誘導すればいいと語っているようなものだった。結論は決まったとでも言うようにドリクスは話題を変えた。

 

「さきほど、フェミナ様のお姿を拝見いたしましたが」

「フローイ国に嫁ぐ前の挨拶に参ったよ。あと数日は滞在するとのことだ」

「それは、ようございました。エリュティア様にとってもいい話し相手、よい気晴らしになりましょうな」


ザイラスの内通

 街道を歩くアトラスの両側に、各国の王族や貴族の館が並んでいた。館の造りに各国の習慣や独特の意匠が凝らされていて、アトラスは興味深げに眺めて歩いた。ルージ国王の館があるのはこの辺りから水路と街道を挟んで東北の区画である。

 

 その中を連れ添って帰るアトラス主従だが、ザイラスの表情が険しい。気さくに物を言う主従関係だが、アトラスに意見を具申する時のザイラスが、これほど不快感情を露わにすることは珍しかった。

「王子。言っておきたいことがある。先ほどは冷や汗をかいた」

「すまぬ」

 幼い頃から生活を共にし、兄弟のように育ったザイラスの言いたいことは分かる。先ほど、アトラスがエリュティアに示した態度である。

(私の尊大さが、エリュティア姫を怯えさせてしまったのではないか)

 内側に秘めた素直さは、ザイラスに指摘されずともアトラスを反省させている。

(次に会った時には、今回のことを詫びねばならぬ)

 そう言う意識がアトラスの動作ににじみ出すように感じられ、ザイラスはそれ以上の主人に対する苦情を控えた。

「ご自分で分かっていればよいのです。ご婦人に接する時には、敬意と優しさを忘れぬ事が肝要かと存じます」

 

 ザイラスはそう言いながら、もう一つの自分の任務を思い出している。ルージ王家の内情を密かにフローイに伝える密偵という役割である。フローイのボルススは、この面会の事の次第について興味を示すだろうし、情報は早いほど価値がある。

「王子、テウススらが館でくすぶっております。私が連中に何かシリャードの旨い食い物か酒でも見繕って参りましょう」

 幼い頃から顔なじみの信頼できる側近たちが、アトラスとザイラスより遅れてこのシリャードに着いていた。しかし、ザイラスの見るところ、連中にはアトラスほどの好奇心は無いようで、聖都シリャードという大都市に圧倒される田舎者のように、館に閉じこもるように遠出を避けている。その者どもにルージでは食べられないものを食べさせてやろうというのである。

「それはよい考えだ。大食らいのラヌガンが腹を満たせるように頼む」

 アトラスは笑顔で賛同した。幼なじみの側近の名はアトラスから暗さを振り払っていた。ザイラスは僅かに頷いて、一行から離れ、足をシリャードの東の市に向けた。もちろん、市を素通りして戻り、フローイ国王の館に向かうのである。


ザイラスの情報

 リーミルがルージの密偵の来訪を知って、祖父の執務室に姿を見せた。

「彼の者が来ているそうね」

 彼女にとってもアトラス行動には興味がある。中央のテーブルにボルススがおり傍らに侍るマッドケウスに、孫娘のいつもの強引さに肩をすくめて笑って見せた。

 

 館を訪れたザイラスは謀略の子宮、フローイ国王の執務室の入り口にいる。部屋に飛び込むようにやってきたリーミルは傍らに居たザイラスに笑顔を浮かべた。

「ご苦労様。それで、状況は?」

 王をさしおいて話を進めようとする孫娘に苦笑したボルススが、ザイラスに顎をしゃくってみせて話を進めよと指示をした。

「シュレーブ国王の館の庭園で、王子はエリュティア姫との面会を果たされました」

「それで?」

 言いかけるボルススをさしおいて、リーミルがザイラスに続きを促した。

「様子はどうだったの」

「何事もなく」

「何事も? エリュティア姫は王子の腕輪に何か、」

「いえ、お話の内容までは分かりかねませんでしたが、お二人とも熱心にお話をしておいででした」

 そんなザイラスの報告にリーミルは眉をひそめて言った。

「姫は腕輪には気づかなかったと?」

 ザイラスが頷くのを見て、リーミルはエリュティアを評する言葉を続けた。

「なんと鈍い女」

 アトラスの腕輪さえ見れば、どこかの女がアトラスという男の所有権を主張しているのが分かりそうなものだし、その腕輪が精緻な銀細工なら、フローイの女だと分かりそうなものだ。リーミルはそう考えたのである。 「それ以外には? 」

 他の情報を求めるマッドケウスにザイラスは首を横に振った。

「いえ、それだけでございました」

「なるほど、何かあれば、また知らせよ」

 そのボルススの言葉に、ザイラスは頷いて、深くフードをして顔を隠したかと思うと、足早に部屋から姿を消した。その後ろ姿を見送りつつ、リーミルは祖父に尋ねた。

「おじいさまは、ずいぶん役に立つ密偵を飼っておられるのね。報酬はいかほど?」

「報酬など払っておらぬわ」

「では、あの男、ただ働き? そんな男が信用できるの?」

「いや、恨みさ。あの男は父親をリダルに殺されておる」

「ふうん」

「分かりにくく信用できないとすれば、最高神官ロゲルスゲラ(*1)の連中よ。あの者どもは陰湿な陰謀を飲み食いして生きておる」

 そんな祖父の言葉に、リーミルはふと思い出した。聞き慣れない言葉を話す男が六神司院ロゲルスリンの中に姿を消したことである。

 

*ロゲルスゲラ:神帝スーインの諮問機関の六神司院ロゲルスリンを構成する六人の最高神官のこと。



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