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tovo plus〜あおもりの100家族、わたしたちのこれから。[season 6] No.061

今号(62 家族目)のご家族 ▶

赤平 立基さん・智子さん・潤くん・圭くん

撮影場所 ▶ 八戸市白山台

 

【インタビュー】

●2011年3月11日のこと、憶えていますか?

▶智子さん(智子さんは看護師)「勤務先の医院にいて、まずは患者さんを帰さなきゃと対応しました。患者さんも動揺して、すぐにも出たい、という感じで。いつもは18時半までの診療なのですが、停電してたし、その日はすぐ閉院。一通り片づけて、子供たちが心配だったので、ともかく車で出ました。信号が止まっていたので、そろりそろりと…。車内のワンセグテレビで、他県に津波が来ているのを知りました。でも実は、職場のある城下(しろした)から道路をはさんだ沼館まで津波が来ていたのを知らなかったんです。情報がないので。もし城下まで来ていても分からなかったと思う。」

▶圭くん(当時白山台小6年)「揺れがものすごくて、金魚の水槽が廊下にあったんですけど、水がばっしゃばっしゃとあふれて。積んでた辞書が崩れて、教室はちょっとしたパニック状態だった。」

▶潤くん(当時白山台中2年)「教室の蛍光灯が割れて、本棚から本が思いっきり崩れて。自分は図書館から借りた本を読んでたんです。返却期限が迫っていたので、早く読まないとと思って、机の下に隠れながらも本を読んでて。」

▶智子さん「小学校で圭と、近所のおばあちゃんがお孫さんを迎えに来ていたので一緒に乗せて送って、圭を乗せたまま、お兄ちゃんの中学校に行ったんです。ただ、いつもは何かあれば中学校から保護者に連絡メールがくるんですが、あの日は(停電や携帯電話メールが滞るなどの影響で)それがなかった。中学生の子がいる近所の人に知らせにいったら、『えっ、だってメールきてないよ』と。学校から連絡がくるもんだと思ってた保護者も多かったんですよね。」

▶立基さん「石油会社勤務で、当時は長苗代のガソリンスタンドの店長でした。いったんは電源回復までの待機を命じられたんですが、情報は入ってこないし、お客様は『ガソリン入れたい』と来るけどできなくて…。15時半とか16時ごろだったかなぁ、近くの馬淵川が逆流しているという情報が入り、本社から帰宅・避難の指示が出ました。」

▶智子さん「帰宅後は近所の仲の良い家に3家族で集まったんです。ちょうど潤が技術の実習で作った、電池とUSB充電で点くランプと、手回し充電器があったんだよね。それが大活躍(笑)。ガスと水道は大丈夫だったので、土鍋でご飯を炊いて、カップラーメンやレトルトを食べて。子どもたちはそこに泊まって、私たち夫婦は寝るときだけ家に帰っていました。近所で集まったから助かったよね。子どもたちも怖い思いしないですんだし。」

▶潤くん「電気は3日後に点いたんだよね。学校は1週間ぐらい休みになって。」

▶立基さん「母親が小中野という海沿いの地域に住んでいて、次の日探しに行ったんですが、家はもぬけの殻。避難所にいるんだろうと、小学校など何軒も探し歩いて… 結局公民館に避難していたのを見つけたんですけど、情報がない中で本当に大変だった。職場もガソリンを求めてひっきりなしにお客様が来るので、連日出勤して情報を待って…。当時外資系の卸会社と取引していて、そこは『危険地帯には安全が確認されるまでタンクローリーも運転手も絶対に出さない』という方針で、結局、販売再開は3日後から。」

▶智子さん「友人や親せきから『なんとかガソリンを買いたい』ってひっきりなしに電話はくるしね。」

▶立基さん「自分で買ったガソリンや灯油を分けてあげたりもした。あんなに感謝されたことないな(笑)。」

 

●震災後、どんなことを感じましたか?

▶智子さん「やっぱり家族が大事だな、って思いました。実家のことも改めて考えましたし。」

▶圭くん「当時小学生で、それまで避難訓練とかめんどくさいなと思って、訓練のときわざとゆっくり避難したりしてた。だけど、実際の地震のとき辞書が倒れてきたりして、机の下に避難するのって大事だなって実感した。」

▶智子さん「いちおう、なんかあったら、自宅の地域の避難所は白山台中学校だったから、そこに行こうって決めたよね。」

▶立基さん「そのころはいろいろ思ったんだろうけど、忘れちゃうもんだね。こうやって風化していくんだろうね。」

▶智子さん「いろいろ準備したりはしたんだよね。災害持ち出し袋買ったね。電池とか、ガスコンロとか、電気使わない灯油ストーブも必要だよねって買って。」

▶立基さん「いまでもね、大きめの地震があると、まずお客様がガソリンを買いに来るんですよ。」

 

●10年後はどうなっているでしょう?

▶立基さん「おれ、生きてるよね?(笑)。孫がいればうれしいな。」

▶圭くん「仕事を辞めないで、やりたいことをやって、のびのびとしていたい。」

▶潤くん「分かんないな、未来のことは…」

▶智子さん「自分の趣味を楽しみたい。趣味はいまからつくるの、子どもが巣立ったら(笑)。」

 

【取材後記】 「自分たちは八戸だけど、被害らしい被害はなかった」という赤平さんご家族。でも、お話を伺ううち、本来必要な情報を得られないまま苦労したり、間一髪で被害を免れたりした様子が浮かび上がってきました。何かのとき、私たちはどのように情報を得たらよいのか(得られるのか)、考えさせられたインタビューです。

 この3月に専門学校を卒業した潤くんと、高校を卒業した圭くんが2人とも就職で自立。このタイミングで“家族写真”を撮らせていただいたことに、私から感謝です。(今号No.061の撮影とインタビュー:前田ふひと)

 

【寄付総額】2011年6月〜2017年2月22日まで「¥4,867,700」を、あしなが育英会「あしなが東日本大震災遺児支援募金」へ寄付することができました。ご支援に深く感謝致します。

 

【定期購読のご協力を!】1年間の定期購読を承ります。1,800円(送料・寄付含)/1年間(12号)です。このフリーペーパーは定期購読の皆様のご支援で発行されております。ご支援の程、宜しくお願い致します。ご希望の方は、ウェブショップ(http://shop.tovo2011.com)よりお申し込みください。


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最終更新日 : 2017-04-22 17:40:16

この本の内容は以上です。


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