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     一

 

幼い頃から病的な空想癖に囚われていた私には、自身の最初の記憶、その映像さえも、空想による産物であるように思われた……。

 

 

 

私の生涯最初期の記憶……二十二年という長く短い月日の中で淘汰されながら今もはっきりと脳裏に焼きついたまま離れぬ記憶の中の最も古い記憶……その映像は私にとって、今後の人生の命運を決定づけ、その存在の基盤を形作った、己という人間の根源とも言える、一つの呪いのような、ある苛烈な、悲劇的な、哀れな事実と共に虚しく意識の底流を漂っていた……。

 

 それは即ち、肉体の弱さ……。

 

 

 

 

 

病弱、虚弱、軟弱、脆弱……とかく弱い体を持って生まれた私は、殊運動や健康に関して全くというほど良い思い出がなく、毎日のように何らかの身体的症状に見舞われ、事ある毎に病院へと駆け込み、近所の子供達と外で遊べばいつも自分がゲームに負け、体育の授業でも体が付いていかず一人取り残され、とにかく運動という運動に関し徹底的に劣悪な結果を残すのだった……。

 

軟弱な肉体が他者との繋がりを希薄化させるのは必然的な事であろう――子供という存在が、如何に運動能力や健康且つ頑強な肉体を重視するかは誰もが知る所である……特に男子であればそれがその存在の評価の全てと言っても過言ではない……仕事も勉強も社会的地位も無縁の彼らにとって、その一人ひとりの存在を形作り、差異化し、評価を決定づける要素としては、身体能力以外によるものが無く、彼らは自由を許されながらも行動を制限されている幼年時代に、その肉体の健康さ、元気さを常に持て余している……彼らは皆それぞれが己の強さを誇示し、それぞれが英雄になりたがっている……腕力の強さ、駆け足の速さ、動きの機敏さ、体力の多さを培い、競い、勝ち上がり、周囲からの尊敬を得んと日々奮闘している……ヒーローに向けられるあの羨望の眼差しを、あの賞賛を、あの憧れを、誰もが我がものにせしめようとする……だからこそその点において惨めな結果を残せば、行き着く果てに待ち受けるのは嘲笑であり、侮蔑であり、軽蔑であり、疎外である……彼らは徹底的に私を笑った……私の弱さを、私の女々しさを、私の情けなさを、私の不甲斐なさを笑った……私はまるで彼らに嘲笑の切っ掛けを贈与し、排他行為による集団的結束を高める生け贄として存在してるかのようだった……私がまともに仲間として扱われる事は無く、わざと私が醜態を晒すような遊びを彼らは好んで行い、私の方としても彼らと接触を取るのはわざわざ嫌われにいくようなものなのだから、近所の子供や同級生とは意識的に距離を取るようになっていった……。

 

このような経験もあってか、幼い頃から私は、スポーツによって賞賛を浴びる人間に対する曰く言い難い奇妙な反発を感ずるようになった……嫌悪と言おうか、嫉妬と言おうか、畏怖と言おうか、怨恨と言おうか……肉体派の人間は横暴で、無知で、非論理的で、愚劣で、野蛮な人々であると、そう思い込む事によって私という存在を正当化させ、彼らの侮蔑を強引に納得させる術を学んだ……それは強い人間に対する私なりの哀れな正当防衛であった……。

 

 

 

 病弱な体質ゆえ学校を休みがちになり、クラスメートとの交友の機会も奪われていき、学校に登校する度にクラス内の主要な話題は入れ替わっており、授業を受ける度に他の生徒との授業内容の進行の差は歴然とし、学校行事が開かれる度にクラスの輪からはじき出される……病院へ向かう為に授業の途中で抜け出そうとすると、周りの生徒からの羨望と侮蔑の入り混じったざわめきが聞こえ、そしてまた逆に授業の途中から出席すると、教室のドアを開ける際に多くの視線が一身に集中し、ひそひそと不穏な話し声が聞こえる……また、体育の授業の中で、子供には些か過酷と思える運動を生徒に課せられ、例の如く体調の優れない私が見学しようとすると、他の生徒からずる休みだとかさぼってるだとか、いわれなき中傷を浴びてしまったり、といってまた逆に変な同情や憐れみを掛けられるのも惨めな思いがして嫌だった為、様々な苦しい場面においても倒れそうになる程にぎりぎりまで我慢し、可能な限り他人と同じ扱いを受けようと奮闘し、肉体の欠陥を精神力によって補おうと努めていた……。

 

虚弱な体質の為あらゆる瞬間に一々他人との違いを認めざるを得ず、色々な場面において会話や交流が成立しないという事が多々見られた……彼らにとって私は居ても居なくてもどうでもいいような、奇妙な、おかしな、異質な存在だった事だろう……私は幼少の頃から既にある集団に属すという事が縁の無いものだったのだ……。

 

そんな私が唯一他人より秀でた結果を示すのは勉学であり、私はその点においては優等生であったが、子供というのは残酷なもので、無邪気な彼らにとって勤勉さは賞賛では無く揶揄の対象であり、秀才は秀才という理由の下に嘲笑されるのだった……。

 

学校を辞めたいだなんて幾らでも考えた事があるが、根は生真面目な性格であった為、身体的な理由で学校を休みがちになっても、精神的な問題で不登校になる事は無かった……。

 

 

 

運動能力の欠如と病弱な体質が、ほんの幼かった私に挫折感を味わわせた……他者に対する肉体的な劣等感が、私の人生における出発点と言っても過言では無かった……健康的な肉体に対する劣等感、肉体への軽蔑、思考と肉体との遊離、これこそが我が生涯における最大の苦難の源だったのだ……。

 

そうしてまた、その肉体の問題を精神的苦悩へとより転換させ、幼い私の記憶を浸食するあるおぞましき存在があった……それは、父であった……。

 

父は私とはまるで正反対のタイプの人間であり、繊細さや、神経質さ、ひ弱さ、敏感さなど欠片も見られず、徹底して屈強で、直情的で、図太くて、頑丈で、弱い人間に対する同情心など微塵も持ち合わせていないような、典型的な体育会系型、肉体労働者型の人間だった……父は私の肉体の弱さを私の精神の堕落へと結び付け、体調が優れないのはその人間の意志に問題があり、身体能力に劣るのはその人間の根性に問題があると決め付けて掛かり、事ある毎に私に罵声を浴びせた……実の父と生涯わかり合えないという事を幼い頃に確信してしまう事の恐ろしさが分かるだろうか……父と接すれば接する程、私は余計な存在なのだという自覚を感じざるを得なかった……。

 

体調を崩し、床に伏す度に、私の世話に手を煩わせる母の姿や、仕事から帰る父の姿を見て、私は一体、何の為に生きているのか、何の意味があって生まれてきたのか、私は社会の、学校の、家庭のお荷物に過ぎないのではないか、そういう罪悪感、孤独感に駆られずにはいられなかった……

 

 

 

斯くの如く、私の記憶はその最古の映像からして既に暗い影に満ちた陰鬱な様相を呈しており、私は生まれながらにしてその存在を奪われ、他人との不和や断絶によって過去が成り立ち、私の生涯の伴侶となる疎外感、孤独感、劣等感はまるで双子のように私と共に生まれて来るのだった……。

 

学校においても家庭においても居場所を奪われていた私が唯一安らぎに浸れた場所、それは私の一人部屋に他ならなかった……一人っ子であり、外で遊ぶという事を知らぬ私は、ひたすら一人空想に耽る事を何より望んでいだ……空想の世界に浸ってる時間こそが唯一にして最大の幸福であった……漫画やアニメ、ゲーム、文学、とにかく私を架空の世界へと連れてってくれるものを深く愛した……それは言わば現実からの逃避に他ならなかった……この醜い現実、楽しい事など何も無い現実……現実は私にとってあまりに味気なく、退屈で、残忍で、冷酷で、厭わしき世界でしか無かった……他者あるいは現実と自分という存在とが混和しない事を生まれながらにして知らされていた私には、現実における全ての出来事が自分という存在と甚だ乖離してるようにしか思えなかった……現実から弾き出された私にとって、空想こそが唯一の生活圏であり、安息の地であり、真の故郷であり、言わば現実は私にとって仮想世界――現実など虚像に過ぎず、空想こそが実像であり、この身体さえも実のない空疎な抜け殻でしかなかった……。

 

のろまで女々しく非力な自分が、現実において英雄となるのは甚だ困難であり、現実においては何ら力を持たぬ私でも、空想世界においては一人の勇者であった……私は日頃私をいじめる者達をコテンパンにやってのけた……理想を思い浮かべ、その世界が実在する事を信じ、自分自身をその世界に登場させて満足感に浸っていた……いつの日かこの現実が消え去り、私の夢想する世界が現実に取って代わる日が訪れるのだと、普通の子供以上に熱心な真剣な想いで待ち望んでいた……実世界において喜びや興奮を見出そうとする事はなく、外界における如何なるものにも興味を示さず、唯一関心を示すものと言えば、それはやはりただ内的世界との接続を持つもののみであり、現実にある一切は空想世界への入口としか意義を持たなかった……私はいつも空想の中を生き、人生の大半を空想に費やし、現実に目を向けるより空想世界に入り込む時間の方が長さにおいても深みにおいても遥かに上回っていた……私にとって空想は一つの快楽であり、退屈な時間など無いのも同然で、たとえ手元に子供の興味を惹くようなものがなくとも、底を知らぬ空想力によって目の前に魅力的な世界を作り出し、容易に時間を潰す事が可能だった……登校時、或いは下校時、私は確実に空想の中を歩いていた……何度も車にぶつかりそうになった……自転車に乗って転倒する事もしょっちゅうだった……あまりにボーっとしている私を見て母は心配になった……じっと動かず夢想に耽っている私の間抜け面を皆が嘲笑った……悪戯をされても気付かず、人の言葉に意識が向かわず、授業中も意識は黒板から次第に空想の世界へと移行し、教師は幾度となく私を叱責するのだった……。

 


 

     二

 

幼い頃から現実あるいは他者に対し悉く関心を抱かなかった自分が、況して異性という存在に関心を示す事などあろうはずが無かった……私は性における発達が少々遅かったように思われ、異性愛というものに誰よりも疎い存在だったかも知れぬ……小学生の間、ずっと女子という存在を異性として捉える視点に欠け、単純に表面的な部分において自分達の性別と些か差異が見られる存在、つまり中身の伴わぬ空虚な記号としての性差という認識しか持っていなかった……男子というものはこれこれこういう傾向にあり、女子というものはこれこれこういう傾向にある、そんな通俗的で無関心な男女論しかなく、単なる様々なクラスメートの分類の一つであり、友人自体を持つことも作ろうという意志もほとんど無かった私には、女子という存在が女子という存在として意識に現れることも限られていた……幼稚園に通いもすれば、異性を異性として好くという話題が、そこに本質的な恋愛感情を伴っているかどうかはさておき、自然と園児の間で一つの遊戯として発生するものだが、全く異性としての他者に興味を示す事が無かった自分は、中学生のある時期になるまで恋愛感情というものの肉感的な理解をする事が出来ないでいた……それは単純に、同性に対し好感を抱くのと同じ感覚を記号上の異性に適応させたに過ぎないのだと、漠然とその様に捉えていたし、それ以上深く考える事も無かった……小学生の頃の恋愛感情への理解は、他者の会話から、テレビの中から、漫画の世界から、小説の描写から、恋愛という一つの形式的な観念の存在を知得したに過ぎないのであって、決して己の内的経験から抽出したものではなかった……それは一つの空疎な理論であり、抜け殻であり、構造的、形式的な理解に過ぎなかった……もしも異性を好くという感情の表面的な提示と一度も出会わなかったら、そのような観念、発想の存在さえ認識する事は無かったであろう……漫画やアニメにおいても物語の展開上の一契機に過ぎず、共感というあり方によって楽しむという事を知らなかった……国語の授業で異性への恋愛感情に焦点を当てた教材を取り上げた事があったが、私はそこに描かれる主人公の初恋の描写がまるで理解出来ておらず、そもそもそれが初恋をテーマとした作品だという根本的な認識さえ後年になるまで気付かないでいた……。

 

誰でも一度くらいは経験済みであろうが、特にからかわれやすかった小学生時代の私は、周りの男子の話題が恋愛ごっこへと移る度に、その中の一人が私に向かって、お前は誰が好きなんだと意地悪そうな顔で一々執拗に迫ってき、その時点でもう何を言っても無駄だと分かってはいるものの、いない、誰も好きじゃない、と一応言い返すしか無く、しかし無論向こうは初めから私を馬鹿にして皆で笑い合うのを目的としているのだから、案の定私の言葉を素直に聞き入れる訳が無く、勝手な推論を断定的に言い渡し、嘘の情報をクラス中に言い触らされ、皆が笑い合うのだった……私にはこの一連の幼稚な問答がとにかく鬱陶しく、煩わしく、馬鹿馬鹿しく、その質問が投げ掛けられる度にまたかと些か呆れる風な感覚を覚え、異性というものが日常の中の違和感、問題として意識に現れる事のなかった私には、どうしてこんなにも彼らが異性の話題をしたがるのか一切理解出来ないでいた……。

 

もし自分が異性に対し一つの欲求を抱えるとすれば、やはりそれは空想世界に有り触れているような、主人公が悪を倒しお姫様を守るというような、全く以てプラトニックな、幼稚な夢想以外に無く、それさえも異性に対する欲求というより、単純に周囲の賞賛を得ようとする英雄願望の一つの皮相的な表れに過ぎなかった……。

 

 

 

日常的に取り沙汰される事の許される「恋愛」ではなく、取り上げる事の許されぬ禁忌、「性」に関してはどうであったか……私が性に対する明確な反応を見せ始めたのは他の男子と比べれば些かおくれを取っており、中学一年生の終わりに近付いた頃であった――が、しかし、それ以前に、一度だけ、たった一度だけ、私が幼い頃、それこそ私がまだ幼稚園に通っていた頃、何故だか唐突に性に対するある種異様な不穏な反応を垣間見せた事があった……ある朝、幼稚園に向う為に家を出るその直前に、私は子供部屋の奥の方で、一体の人形を――服を纏っていない、肉体の露わになった、小さな洋風の人形を、異様な興奮を持ってまじまじと見詰め、全身を撫でるように執拗に触り、何かぶつぶつと呟きながら、己の芯を捕らえて離さぬ底知れぬ熱い感覚に突き動かされていた……そうしてそれと共に、その様子を決して人に見られてはいけないという、偉く漠然とした、空気的な、奇妙な禁忌的感覚、ある種の罪悪感のようなものが心のどこかに漂っていた……それ以来、思春期にはっきりとした性欲の目覚めを経るまで、そのような激しいあからさまな性的反応を見せる事は一度も無かった――が、無論、あらゆる男子が経験するように、幼少期における、切っ掛けの分からぬ下腹部の一時的な不意の変容は稀にあり、ただその現象が何を示すのか、どのような場合に起きるのか、その意味、構造が何も分からず、意識に強い印象を残す事さえなく忘れ去られ、思春期に入ってようやくその記憶の謎が解けるのだった……。

 

しかし、性に対する知識が無くとも、性的なものに対するある種の拒否感、忌避感は幼い頃から敏感に感じ取られており、それは決して触れてはならぬもの、覗いてはならぬもの、口にしてはならぬ禁忌であるという事が、生まれながらにして漠然と意識の奥底にひっそりと染みついているのだった……誰にでも経験があるであろう――食卓で家族と共にテレビを見ながら食事を取っている最中、そこに少しでも猥褻さを感じさせるような特殊なシーンが流れる度に、あの何とも言えぬ不気味な、奇妙な、吐き気のするような、押し潰されるような、謎の緊張感、気まずさ、重々しさが部屋中を漂う瞬間……私はその例の雰囲気を味わうのが人一倍嫌で堪らず、家族と共にテレビを見る時は常にその事が気に掛かり、何か怪しげなシーンが映し出される予感を察知すると、出来るだけ自然な形でその場を離れるように心掛けていた程だった……。

 

そうしてまた、明瞭たる性の目覚め以前に覚えている性に対する記憶としては、漫画における猥雑な描写への強い関心があった……はっきりとした身体的反応として表れはしなかったものの、漫画雑誌の中に描かれている扇情的な場面を前に、私は手が震えるような異様な何かを感じ取り、心臓の高鳴りと共に食い入るようにまじまじと見詰め、どうぶつければ良いか分からぬ不可解な欲求に駆られ、そうしてやはりそこには、誰にも見られてはならぬ、という謎の危機感、緊張感が付き纏うのだった……そこに一体何が描かれ、そうして自分がその中の何に惹かれているのか、その具体的、論理的な解答は得ていなかったものの、私は訳も分からずその様な描写を何度も何度も繰り返し意識の中に取り入れようとするのだった……。

 


 

     三

 

小学生の頃の私は、友人に恵まれぬ事もあってか人からあからさまに性の話題を持ち掛けられた事が一度もなく、或いは私自身性に対する関心が人より些か低く、逆に性に対する忌避感が人一倍強かった為、性にまつわるキーワードや描写が出ても意識の中に取り込まれず流されてしまっている事が多かった……しかし、中学生にもなるとさすがに事情は変わってくる……思春期を迎えた男子達は、性的な事柄に関して表明される態度として主に二つのグループに分類される――一つは、性に対し積極的に言及する事を厭わぬ者、性的事柄を談笑の種として隠さず取り上げ、それを他者との一種の秘密、合言葉として共有せんとする者……そうしてもう一つは、性に対し頑なに禁忌的な態度を貫く者、生殖的成長を拒否し、幼さからの変化を受け入れず、保守的になって性的話題に参加せず、下劣な彼らに防御壁を築こうとする者……私は無論後者であった……私は中学生になっても相変わらず性に対する初歩的な理解さえ得られないでおり、周囲の男子達が猥談を繰り広げていても、ただ漠然たる嫌悪感を覚えるだけで、一つ一つの言葉が持つ具体的な意味が理解出来ておらず、常に不透明な違和感が付き纏っていた……思春期を迎えながらも未だ一人遊びに目覚めていなかった私は、生活の中で性というものがより身近に迫っている事を感じ取り、それに対する抵抗、反発が以前よりむしろ強まっていくのだった……ある日の保健体育の時間において性をテーマとした授業が行われ、次々と性的用語が教室を飛び交った時、多くの男子達はそれを笑い合っていたが、私はその遊びに参加する事が出来ないでいた……性的なものに対し開放的な態度を見せ合う彼らとの間で、私は己の置かれている立場として一種の戸惑いを、困惑を、危機感を覚えていた……何故なら私はこのクラスにおいてそちら側の人間では無かったからだった……私はこの賑やかな騒々しい空間の中無反応でいる事を強いられていた……好奇心旺盛な一部の男子は、性的な話題を開放的に行うのを厭うことなく、そんな中どの集団においてもいじめられやすかった私は、彼らからわざとらしく、意地悪そうに、嫌らしそうに性の話を執拗に持ち掛けられ、それに対する私の反応を、鼠をいたぶる猫のようにニヤニヤと楽しんでおり、もしもその際私が少しでも性に関心を持つような反応を示すと、その瞬間に彼らは多くの誇張をふんだんに混ぜ込んだ証言を、大声でクラス中に言い触らすのが分かり切っていた為、私は何を言われても決して反応を見せてはいけないという戒律を定められていたのだった……。

 

私は彼らに対して一つの不気味さを、おぞましさを感じ取っていた……小学生の頃は何も知らないような振りをしていたのに、中学に上がった途端に猥談に積極的に参加し出したりする人間を見て、私は何か裏切られたような感じを覚えた……彼らは全てを知っていたのに、彼らはそれを隠していた……彼らは向こう側の人間だ……彼はもはや私の知っている彼ではない……私は周りの人間がどんどん大人へと成長していくのを見て、何かたった一人置いていかれるような悲しく恐ろしい感覚に襲われていた……。

 

 

 

しかし、中学一年も終わりに差し掛かった頃、遂には私にも、性に対する明確な肉体的目覚めが訪れた……それは何の前触れもなく、普段通りの日常的な出来事の中に紛れて姿を現した……学校が終わり、自宅へと戻り、部屋の中でくつろいでいた私は、いつもの様に何気なく漫画雑誌を手に取り、床にうつ伏せになるような状態で淡々と読み進めていた……それは、その中で連載されていたある漫画の途中で、一人の女性キャラクターが――些か淫猥な、性的魅力にあふれた、肉感的な、一人の女性キャラクターが登場した、その時だった……私がそのシーンに目を通した瞬間、自分の中で何か熱い、激しい、荒々しい衝動が巻き起こった……私の心は煮えたぎり、身体中に熱気を帯び、心臓が強い鼓動を打ち始めた……私の目はその漫画の描写を食らい尽くさんとするばかりに見詰め、身体全体がその中に飛び込んで行くかのような欲動に駆られ、私の中のあらゆる欲求が一点にそのキャラクターの姿へと集中した……私の体は何かに急き立てられるように、うつ伏せの状態のまま自然と小刻みな運動を始め、少しずつ少しずつ下腹部に刺激が加えられ、息を荒くしながら、終着点の分からぬ規則的な運動を繰り返していた……そして……。

 

 

 

その日以来、私は事ある毎に同じ行動を繰り返した……それが一体何を示し、どのような原理で動き、どんな意味を持っているのか、その正体は全く理解出来ないでいたが、その行為を行う度に下腹部から激しい刺激や快楽と共に何か液体のようなものが発射されるのが分かった……確信は持ててなかったものの私は初めそれを小水であると何となしに認識していた……何故なら今までの人生において陰部の機能としてそれ以外に思い当たるものが無いからだった……そしてまた、今回も今まで性的反応を覚えた時と全く同じように、人に知られてはいけない、という強い隠匿の感情が働くのだった……。

 

 

 

しかし、それは飽くまでも純然たる性欲的反応であって、「異性を好きになる」という恋愛としての感覚は未だ経験せずにいた……それが訪れるのは、自涜の目覚めから数ヶ月経った、中学二年生のある時期であった……いや、それさえも、世間一般で言う恋愛感覚とは少々性質を異にしていたかも知れぬ……それは性欲の開花と共に、向かうべき場所を知らぬ欲求が、その本体である私自身における、日常の身近な空間に衝動のぶつけ所を定めただけなのかも知れぬ……つまり持て余す性欲の捌け口として彼女への恋愛感情が要請されただけなのかも知れぬ……なぜなら彼女はそれ以降私が好きになるようなタイプの女性とはまるで違っていたし、その時彼女に対し私が抱いていたのは、彼女と話がしたいとか、彼女のそばに居たいとか、そのような和やかな恋愛的夢想ではなく、飽くまで彼女の美しい肉体へと直接的に向かい、彼女を見詰めていたい、彼女の体に触れたい、というような専ら肉感的な欲動であったからだった……。

 

私はただただ彼女を見詰めた……それ以外に何の手立ても目的も無かった……端から彼女と付き合おうとか話し掛けようとかそういった意志は無く、とにかく彼女を見詰めていたい、とにかく彼女の肉体に触れたい、ただただそれだけだった……彼女と同じ空間にいるだけで、自分でも気付かぬ内に自然と目線が彼女の方へと向けられ、例の一人遊びをする際の登場人物は、空想世界のキャラクターから彼女へとその座を奪われるのだった……。

 

 

 

斯くして、二つの性的、内的体験を通す事により、私はようやく性に対する理解を少しずつ深めていくのだった……幼い頃から感覚的に理解出来ず、常に不可解さが付き纏っていた、性に対するありとあらゆる言葉、ありとあらゆる描写、ありとあらゆる反応が、一定の理解と共に消化されていくような感じがした……クラスメートの会話、テレビのシーン、漫画の描写、小説の言葉などから感じ取られていた、妙な違和感の付随するバラバラな記憶や知識が、己自身による肉体的経験によって、性という一本の糸で一つに結び付けられた……なるほど、そういう事だったのか……これまで意識の奥へと着実に積み上げられてきた性に関する記憶と、私の経験から来る性の知識とが一致し、何か今まで長年解けなかったパズルが大きく解けたような気がした……。

 

 

 

しかし、性というものを身近に感じ出す事によって、性がもたらす恍惚の感覚と共に、性がもたらす新たな謎、疑念、悪意、嫌悪、恐怖、忌避的感情もまたより過激さを深めてゆくのだった……それは、私が自分なりの性欲の消化方法を覚え始めてから数ヶ月程経ったある日の事――その時、私はお風呂場にて、体を洗っている最中にふと自分の玩具を手で直接的にいじり、異性の肉体、交わりを思い浮かべ、性的な興奮を駆り立てていた……すぐに快楽が体の奥からこみ上げて来るのを感じ、次の瞬間、私の下腹部から何かが噴き出した……私はその時初めて己の体液をはっきりと目の前に見た……吐き出された液体は、私という存在とは別の、悪意に満ちたおぞましい、この身に寄生する病原菌のように思えた……吐き気のするほど気持ちの悪い不可解な無数に蠢く虫を目にしたような不気味さを感じ、そこには一つの恐怖が付き纏った……あの色、あの臭い、あの感触……私は何か他言してはならぬ重大な秘密を抱えてしまったように思えた……。

 

こうしてわたしと性との出会いという一つの特異な経験が終わりを告げるのだった……。

 

 

 


 

     四

 

中学を卒業し高校に上がると、自身の置かれた環境が大きく変化するのと共に、私の内面もまた激しい変貌を遂げた――幼少の頃から抱えていた孤独感がさらに苛烈さを増し、外側からは想像も付かぬ程に、自己の内奥ではあまりに独特で、異様で、私的な空間がひしめいており、私の心はより内向的に、より閉鎖的に、より偏執的になり、そうして私の内面世界はさらに深みを増し、さらに過激さを増し、さらに複雑さを増して行くのだった……。

 

その頃から私は、芸術というものを強く意識するようになった……幼い頃から空想世界に密接な関係を継続させてる内、芸術というものが何より高貴で、崇高で、上等で、偉大なものと思えた……私の空想癖は芸術家になる為の布石だったのだと解釈し、自分の居場所を空想の延長である芸術世界に求め、自分が選ばれた人間だという卑俗な特権意識を持ち、そうして世俗的な文化や、生活や、仕事を軽蔑し、憎み、疎む事を覚えた……私はその頃多くの人間達を嫌っており、表に出す事は無かったものの、私は心の中で密かに同級生や教師を強く軽蔑していた……教室で聞こえるクラスメートの騒々しいおしゃべりを下らないものと思い、彼らを自分より低いレベルに位置する人間と捉え、私は高いプライドを、自尊心を持ち続けた……しかしその自尊心は、彼らに対するある種の劣等感や負け犬意識を素材として生み出されたねじ曲がった自尊心だった……実際の所、私の方こそ彼らから軽蔑されるような存在だった事だろう――私が集団に取り残されている事、青春と混和出来ないという事、彼らのような平凡且つ穏和な日常を歩めないという事、それらに対する言わば「嫉妬」とも言える感情が、私の高い自尊心の形成へと繋がっていたと思われる……私は青春に対する激しい憎しみを持っており、あの生温さ、あの和やかさ、あの若々しさ、あの初々しさ、「青春」という言葉が想起させるありとあらゆるイメージを吐き気がする程に心から嫌った……芸術家たらんと決意する理由の一つに、惨めな青春への、軽薄な学友達への、高慢な大人達への、復讐という感情が大きく関わっていたに違いない――私を見下した者、私を疎外した者、私に見向きもしなかった者達への、私なりの孤独で悲しい哀れな復讐……。

 

 

 

その点から見ても分かるように、その頃の私は強い自意識に苛まれていた……自分の容姿、自分の居場所、自分の評価、他者の存在、他者との関係、他者の視線……それは特に異性に対する態度として深く表れていた……周囲の人々に対する敬遠の感情の中でも、私は特に女子という存在に対する強い軽蔑の感情があった……彼女達の会話、彼女達の身振り、彼女達の行動、彼女達の思想、全てが軽薄で愚劣なものとしか思えなかった……あの騒々しさ、あの奔放さ、あの愚鈍さが、一々私の癪に障るのだった……しかしまた、私が彼女達に強い反発を感じるのは、それは彼女達に対する強い関心の裏返しであった……私は私の異性への強い関心を隠蔽する為に、わざと異性と距離を取り、反発し、徹底的に無関心さを装った……女子を見掛けてもわざとらしく体を反らし、過剰な程に顔を背け、話し掛けられても無愛想に振舞い、自分が異性に些かも関心が無くむしろ拒否しているという事をアピールしようと必死になっていた……それは無論異性に対する関心の強さの裏返しであり、私は間違いなくどの男子よりも異性に熱意を抱き、またどの男子よりも異性に冷たい人間だった……恋愛を軽蔑し、男女が一緒にいるのを見ただけでも吐き気を覚えていた……。

 

 

 

この様に、強い自意識に苛まれていた私は、異性的事柄に関しある二つの特殊な性質を抱えていた――一つは、ロマンチシズム……そのロマンチシズムは、孤独や、不安や、絶望から生まれ出た、暗く、凄惨な、病的な、ネガティブなロマンチシズムだった……そうしてもう一つは、ナルシシズム――そのナルシシズムは、ナルシシズムと呼ぶにはあまりに惨めで、哀れで、残酷な、世界に対する寂寥や疎外感からもたらされた、自己嫌悪に彩られた消極的なナルシシズムだった……。

 

私の高校生活の大半は妄想に費やされたと言っても過言では無かった……尋常でないまでの孤独感が私を襲い、外面には決して表れてなかったが、地獄の底から必死で助けを請うように人間を求めていた……その頃の私は、とにかくありとあらゆる女性、自分の周辺に存在する異性という異性全てに対し激しい意識を持ち、まるでこの世の全ての女性を愛し、全ての女性から愛されたいかの如くだった……誰よりも異性に反発を抱きながらも、また誰よりも異性の存在を欲していた……あらゆる女性との出会いを一つの運命と信じ込み、街中で偶然見掛ける異性に毎日毎日幾度となく恋をし、彼女と身を寄せ合い孤独を分かち合う妄想を重ね、私は孤独感や寂しさに襲われる度に、一人の女性と偶然出会い、一人の女性と逃げ去り、一人の女性と生きる愛の逃避行を夢想した……そこには彼女の実像そのものに対する愛というより、私自身が抱える寂寥感、孤独感の反映が存在しており、学校生活や周囲を取り囲む人々への反発や孤立の感情が、余計に異性との日陰者的な、ナルシスティックなロマンチシズムを増加させたのだった……。

 

 

 

私は確信を持って言えるが、究極のロマンチストとは畢竟、一人のストーカーに過ぎない……私は街中である一人の異性に心を奪われると、取り憑かれたようにふらふらと彼女の後を自然と追っていた……別にどうする訳でも無く、途中で引き返さなくてはならないのも分かっているが、ただ、少しでも彼女を見詰めていたい、出来るだけ彼女の傍にいたい、という一心から、行けるとこまで彼女の後をゆっくりと追うのだった……私の夢想には行動力が決定的に欠けており、私の妄想や願望は全て現実にあり得ない事を前提としており、たとえクラスの女子に好意を抱いてもただただ遠くからひっそりと見詰める事しか無く、そもそも何らかの行動を起こそうという気さえ端から湧き起こらないのだった……。

 

病的なロマンチシズムに捕らわれていた私は、ある一人の女性に少しでも好意を抱くと、すぐさま彼女の肖像に極端な理想化を加え、彼女は私の思う通りの女性であり、彼女は私の理想の女性であり、彼女は私の運命の相手であると、激しい思い込みに駆られ、そうして何よりたちの悪い事に、彼女の実像と私の理想とにほんの少しでも隔絶があるのを知ると、それまで彼女に抱いていた愛情の分だけ急激に憎悪へと転化するのだった……私は彼女と何ら接点を持っていなかったにもかかわらず、こう思ったのだ――彼女は私を騙した、彼女は私を裏切った、彼女は私を見捨てた、彼女は悪い人間だ……如何に私が屈折した愛情の持ち主であったかを知るには、これだけでもう十分であろう……。

 

 

 

高校生になって性というものにより意識的になり出すと、性的なものへの欲望が日に日に募る一方で、それと比例するように性的なものへの反発や嫌悪感もまた増して行った……性をより知りたいという欲求と共に、性を知るのが恐ろしいという拒否感情があった……例えば映画で性的な描写のある場面を目にすると、肉体の方では単純な興奮を覚えるのに、理性の方では激しい反発を、嫌悪を、不気味さを感じ取っていた……この世の中で最も不気味なもの、最も触れてはいけないもの、最も忌避すべきもの、あらゆるタブーの中で最大のタブー、それが私にとっては「性」だったのである……。

 

それは肉体の直接的交わりだけでなく、口と口の接触、つまり接吻に関しても同じ事だった――ある男女を主人公とした一つの物語を取ってみると、その多くが最後は二人のキスによって終焉を迎える、それが私にはとても気味悪く映った……何て不道徳で、何て下劣で、何て軽薄な生き物なんだろうと思い、その二人が欲望に突き動かされる二匹の動物の様に感じ、そこに至るまで積み上げてきたものが私の中で全てぶち壊しになったような気がした……。

 

ある時はこう考えた――性に嫌悪感を抱くのは、精神的に幼稚である事の証であり、大人であれば、性に一々戸惑ったり、不安になったり、嫌悪したりしないものだ、性に拒否反応を示すのは、格好悪い事だ……プライドが高く大人振りたかった私は、大人にならんと精一杯背伸びをし、どんな性的な描写を前にしようと、決して嫌悪感など抱かず、動揺なくただ漫然と受け入れるように努めた……しかしそれは不可能だった、どうしても私は性欲を連想させるものを前にする度に、ある種の不快感が込み上げて来ずにはいられなかった……或いはそれは、自分の知らない世界に対する嫉妬や、劣等感や、羞恥のようなものかも知れなかった……不可解な性の話や映像を前にする事によって、性に対する己の無知が露呈させられる事に耐えられないのかも知れなかった……大人の世界に対する憧れと反発の相反する二つの感情、これが私を延々と苦しませ続けるのだった……。

 

 

 

我々男子にとって、女性の肉体には何か魔術めいた異様な神秘が秘められている……あらゆる男子が思ったように私もまた、女性の体を見たい、女性の体に触れたい、女性の体を抱き締めたいという通俗的な願望――しかしそれは単に願望と呼ぶにはあまりに切実で、残酷な、必死の、病的な、まるで死からの生還を祈るような、荒れ狂う激しさを帯びた願望を持つのだった……ただただ女性の肉体が見たい、ただただ女性の体に触れたい、それはもはや願望ではなく衝動、己の理性や道徳、自由意志とは隔絶された、どうにもならぬ爆発するような衝動だった……彼女に触れたくて、触れたくて、触れたくて、たまらない……私は自分の性欲を恐れた……場合によっては犯罪めいた行為に至っていたかも知れなかった……衝動的に罪を犯してしまうのではと不安に駆られた……私は幾度となく体の奥底から繰り返し湧き上がってくる欲動と必死の戦いを繰り広げていた……教室の中で、店の中で、電車の中で、通学路で、女子生徒の姿、匂い、声、感触、その存在をそばに感じ取るだけで、私の体は理性から切り離さんとし、奥底に眠る獣性が呼び起こされ、強力な磁石に引き寄せられるように、突発的に彼女の体に触れてしまう自分の姿が自然と想起され、強い不安に襲われた……自分が自分ではない何者かに乗っ取られてしまうような奇妙な不安……彼女に触れたいが決して彼女に触れてはいけないという荒れ狂う葛藤……対象へ触れんとする手をもう一方の手で必死で押さえるような自己内の苦闘……本能的欲動が規範意識を打ち負かし、人生の全てをぶち壊しにせんとする悪魔が現れ、自制心を排除し理性を侵食し、道徳を逸脱した行動を起こさせる……私は手が震えるような恐怖を感じていた……。

 

 

 

性への知識の変化は自涜行為への認識にも強い影響を及ぼしていた……中学生の時に一人遊びを覚え始めた頃は、その行為が生理的活動としてどのような意味を持つのか分からずただただ快感に呑まれたいが為に非常に素直な感情でそれを嗜んでいたが、高校生になってその行為の意義、構造、仕組みへの理解を深め、自慰行為としてのはっきりとした認識を持つようになると、単なる快楽の感情とは別の、強い否定的な感情に襲われる事になった……それは罪悪感であり、自己嫌悪であり、喪失感であった……それは自分が一人の女性を人間では無く単なる肉体として意識した事、快楽を求め欲望の向かうがままに想像を働かせた事、一時的にであれ自分が道徳を身に付けた理性的な人間から本能に身を任せる動物へと成り下がった事、それらに対する罪悪感、嫌悪感、虚無感、失望感……私が性欲の衝動に駆られ自涜に没頭してる時、私の自制心は明らかに失われていた……私ではない何者かに変貌する、未知の領域へと足を踏み入れる瞬間……私は何かおかしな病気になるのではと思った……突発的に取り返しの付かぬ重大な過失を犯してしまったのだと、私は何て愚かな人間なんだと、私は何て下劣で、野蛮で、最低の生き物なんだと、そう思った……。

 

私は体液のあの匂いを感ずる度に脳裏に欲望のおぞましさが焼き付き、激しい吐き気を覚えた……性欲あるいは己の性器に対する過剰な憂慮……己の生殖器が、宇宙の何処かに潜む、不気味で、恐ろしい、不可解な、得体の知れぬ、未知の生き物の様に思えた……私は寄生生物に乗っ取られているのだ……私という理性的存在に性器という欲動的存在が侵略する……私は自身の性器を切り取ってしまいたいとそう感じた……生殖器が私という存在の絶対者であると……私に性器が付いているのではなく、性器に私がくっついているかのようにさえ感じた……私の性欲は私とは別の存在だという欺瞞に駆られ、己の性欲衝動を隠蔽し、誤魔化し、切り離そうと躍起になっていた……つまり私は性欲という根源的な生理現象を素直に受け入れる術を知らなかったのだ……理性と肉体の対立、この葛藤こそが半生にわたって私を苦しめる最大の問題だったのだ……。

 

 

 

高校生にもなると、私は自身が恋愛感情を抱く幾人かの相手に漠然とした共通項を見出すようになり、私がどの様な女性に惹かれるかその輪郭が自然と浮かび上がって来るのだった……例えば私が一年生の時、それは決して恋と言うほど大袈裟なものでは無かったが、同じクラスに一人、私の意識を強く惹きつけるある女子生徒がいた……彼女は見るからに病弱で、虚弱で、貧相な見た目をした、地味で、目立たぬ、幸の薄そうな、悲しげな雰囲気のする女の子だった……彼女はいつも具合悪そうにしていたし、頻繁に体調不良により欠席していたし、押しただけでも倒れそうな程のひ弱な感じを与えていた……一人の異性という明確な意識を持って彼女を見ていた男子が他にいただろうか? 世間的な価値観からすれば決して容姿に秀でているとは言えないような子であったし、彼女自身恋愛に興味があるようには到底思えず、況して自分が男子からその様な意識で見られる事など考えもしなかっただろう……どうしてそんな彼女に私が心を惹かれる事があったのか……それは正に彼女を彼女たらしめるその性質に依拠していた……つまり私は彼女の弱さに、彼女の儚さに、彼女の悲しさに、彼女の貧しさに心を惹かれていたのだった……。

 

私はその頃からおぼろげに、何らかの苦しみを背負いながら生きる人間に惹かれるようになっていた……それは私の脳裏にこびりついた幼少期の陰惨な経験から発せられたものなのか、或いはその時私自身が抱えていた孤独や疎外感を相手に反映させたものなのか……か弱く繊細な心を持った人間、辛い過去に縛られている人間、孤独を抱えながら生きてる人間、影を背負い疎外されている人間……気弱で、繊細で、傷つきやすい、純粋な人間……私は弱さを抱えた人間に対する偏執的な屈折した愛情を持っており、肉体的あるい精神的に大きな闇を抱えている者に対する寵愛の心が特別強かった……例えばテレビでとある少女のドキュメンタリーのようなものを見ると、私はその人物に強く心惹かれるのだった……ある少女は重い病に冒され、ある少女は人格障害を患い、ある少女は拒食症で痩せ細り、ある少女はリストカットの常習者で、ある少女は学校に馴染めぬ引きこもりで、ある少女は両親から虐待を受けていて……誰にも見向きされず、虐げられ、疎外され、孤独の中で人知れず苦しんで生きている彼女……彼女は世界に絶望し、社会から弾き出され、暗闇と共にひっそりと自分の部屋にこもる……彼女は底へ墜ちた人間だ……彼女は私と同じ世界の人間なのだ……彼女は俗世の穢れを知らぬ……彼女には絶望した者の美しさが、堕落した者の美しさが、日陰者の美しさがある……彼女の苦しみの中に私の抱える深い孤独を重ね、彼女と私自身との存在を同一化し、互いの痛みを分かち合う……私は彼女と二人だけの世界を形成し、彼女と共に生き、彼女と共に死ぬだろう……。

 

それはある種のフェティシズムのようなものだったのかもしれない……車椅子や包帯などの病や障害を想起させる装備品を見ると私はそれに強く心を奪われた……私が魅せられたのは彼女自身であったのか、それとも彼女の抱える痛みそれ自体であったのか……つまり私はある一人の女性への「可哀想」という純粋な哀れみの感情が、そのまま彼女に対する不純な異性愛へと転化するという特異な体質を持っていた……彼女が可哀想な境遇にあればあるほど私は彼女に愛情を抱き、彼女を慰め、彼女を励まし、彼女に付き添い、彼女を介護し、彼女を守りたい、そんな哀れみとも愛欲とも判別の付かぬ異質の感覚に捕らわれていた……そうして残酷な事に、彼女の抱える苦痛が緩和されると共に、彼女への興味が徐々に失われていくのだった……。

 

 

 

私は性に関し幾つもの特異な体質を抱えていたが、その中の一つとして、極端なロマンチシズムから発せられたある強烈な感情を常に持っていた……それは即ち、処女崇拝であった……。

 

私は処女崇拝者の中でも極端な処女崇拝者であった……その処女という言葉には、ただ具体的な性交に及んだ事が無いという直接的な特性を意味しているだけで無く、性交どころか、接吻も、抱擁も、恋愛も、交流も、会話も、とにかく男性という男性と一切接触を持つべきではないという最も厳格な意味における処女性という宗教の熱心な信仰者であった……例えば私は、ある一人の女子生徒に恋情を抱き、その子が誰かと交際中だと、いや過去に交際経験があると、そう知っただけで、諦めるとかがっかりするとかいうレベルでは無く、吐き気がするほどの嫌悪感に駆られ、必要以上の反動的な抵抗を覚えた……また、好意を抱いた女子生徒が一人の男子と何気なく会話しているのを見ただけでショックを覚え、何てふしだらで、軽薄で、下劣な人間だと感じ、そうしてまたその相手の男子がその女子を騙し狙おうとしていると被害妄想に駆られ、激しい憎悪を覚えた(しかし初めの内はこの異性観が特別変わったものだという認識が私には無かった)……。

 

 

 

私はその頃からぼんやりと、私自身の性的特質の中でも最も自身を苦しめ続け、私という存在、その人生を堕落させた最大の原因となる、一つの大きな倒錯的性欲を意識するようになっていった……それは即ち、小児性愛――世間の言うところのいわゆる、ロリータコンプレックス、という奴だった……。

 

その頃私はもう高校二年生になっていたにも関わらず、主に女子児童を対象としたとあるアニメを毎週の様に見ており、内容的にはこれといって特別な要素もない非常に単純なものであったが、私はその中の小学生のヒロインを明らかに普通ではない特別な意識を持って見ていた……私はそのアニメを鑑賞する際、まるで猥褻な本をこっそり隠れて見る少年のような気持ちで周囲を執拗に警戒しながら見ていた……もしも誰かがそのアニメに没頭している私の姿を見掛けても、例えば私を幼稚だと言って馬鹿にする事はあっても、まさか私が主役のキャラクターに対し特殊な目線を持って見ているなどとは思わなかっただろう……それは確かに一つの恋の感情だった……私はその子を保護者として見守るような愛情を持って眺めていた……まるで離れて暮らす恋人と会うのを待ち続けるかの様にそのアニメを鑑賞するのを楽しみにしていたのだった……。

 

その頃、友達のいなかった私に何故だか積極的に話し掛けてくる一人の男子(彼もまたクラスで些か浮いていた)がおり、彼はある日、彼自身の特殊な性癖を隠さずに自嘲的な雰囲気を交えながら、例のアニメが大好きでよく見ているなどとべらべら話を持ち掛けてきた……その話題を私は些か呆れる風な様子で苦笑しながら、何ともない感じを装って聞き流していたものの、内心私は大きな焦りと不安を感じていた……私は自分から決してそのアニメに関する話を他人にした事などないし、その様な文化に興味があるような素振りも一切出してないにも関わらず、なぜ彼は私個人に向かって直接その様な話を打ち明けたのか、それは彼が私を同じ穴の狢であるとどこかで感じ取ったからなのか……。

 

私はその頃から幼さの残る、小柄な、か弱い、素朴で無邪気な、子供らしさを持った異性に惹かれる傾向にあった……アニメや漫画やゲームに出てくる幼い女の子のキャラクターに度々熱を上げ、時には恋と言っても良い程に夢中になり、その世界に自分自身を一つのキャラクターとして登場させ、彼女達と触れ合う妄想を重ねた……子供の頃から付きまとって離れぬ妄想癖と、思春期を迎えた事によって生み出された性的要素が混じり合い、私の世界の多くを占めるのだった……。

 

しかし、無論私は自身が児童性愛的傾向にある事を他人に隠したかったし、また私自身素直に認めず否定しようとしていた……社会的にタブーの領域に位置するであろうその様な特殊な嗜好は、自尊心の強かった私にとって一つの脅威となり、世人に馬鹿にされる事、白い目で見られる事、レッテルを貼られる事に耐えられなかった……無理に心の中で同族の者達を嘲笑い、自分と彼らとの差別化を図ろうと必死になっていた……私が高校生だった当事、世間では女子児童を誘拐する事件が相次いで発生しており、そのニュースを目にする度に、私は自身が共犯者として攻撃されてるような加害者及び被害者感覚に襲われていた……その犯人と似たような欲望、嗜好を抱えてしまっている事、その特異な性を理解出来てしまう事、ある種の共犯意識、後ろめたさ、罪悪感……コメンテーターや世間の反応が、私自身に向けられ、糾弾されてるような、そんな奇妙な錯覚……。

 

ある日私が道を歩いていると、向こうから幼稚園の先生と共に園児達が列になって向かってくるのが目には入った――何も私とてそんな小さな子供に性的欲望を覚えた訳じゃなかった、しかし己の特殊な性癖に対し過剰な意識を抱えていた私は、周囲の人々の視線に対する被害妄想的な緊張から、平常心を保ったまま何気ない態度ですれ違う事が出来ず、その純粋無垢な生き物達が悪魔の行進の様に感じ、瞬間的に私の中で警報装置が鳴り、思わず路地へと逃げ込み、その集団を避けて通って行くのだった……。

 

 

 


 

     五

  

高校卒業後、私は一端のロマンチストらしく、ここは自分の居るべき場所ではないと信じ、一刻も早く故郷から逃れる事を望み、実家を遠く離れた大学への進学を希望した……それは私にとって刑務所からの脱走であり、弾圧からの解放であった……私は私の存在すべき場所を探していた――私が安心して身を預けられる場所、私の持てるものを十分に発揮できる場所、私を求めている人がいる場所、私が私としていられる場所……。

 

人生の様々な時期において凡そ最も自由を堪能出来ると思われる大学生活において、私はそこに奔放さや溌剌さ、活発さなど少しも見られず、一人暮らしという外的自由を得るに反して、以前と変わらぬ内的な窮屈さと孤独感を帯びて生活していた……。

 

高校生までは様々な規則や色々な抑圧によって、どの生徒も個性や道筋にほとんど差異が出ず、誰もが同じような服装、同じような髪型、同じような体験、同じような速度で同じような道を歩んでいた……しかし大学生にもなると、一人ひとりの生活スタイルは多様化し、日常の中で出会う選択肢が大幅に広まり、それぞれがそれぞれの道を歩み、それぞれの速度で大人への階段を駆け上がり始めていた……。

 

そんな中、私は周囲を取り囲む無数の学生との間で、ただ一人取り残されて行くような感覚、自分だけが「社会」という人として辿り着くべき終着駅的な次の世界へと向かわず、ただ漫然と虚しく年齢的成長を重ね、終わりのない日常が無味乾燥に淡々と流れているだけのように感じられた……。

 

ある側面において同年代の誰よりも大人であり、またある側面においては同年代の誰よりも子供であるように感じられた……良い意味でも悪い意味でも、私は子供であり続けた……私はいつまで経っても自身が大人になったという感覚を獲得できずにいた……大人というのは、こんなものだっただろうか……私が小学一年生の時、小学六年生は立派な大人に思えた、私が中学生の時、高校生は完全に自立した社会人のように見えた、私が高校生の時、二十歳の人間は酸いも甘いも覚えた老人のように感じた――しかしいざ私がそれぞれに応じた年齢に達した時、私が過去に感じたあの堂々たる大人の肖像には少しも近づけてないように感じられた……外社会への関心の乏しさが私を大人へ成長させる事を妨げた……如何に己が表面的な成長を遂げようと、本質的な部分において変化という変化は何も見られないように感じた……。

 

人というものは年齢を重ねていく内に何もせずとも「大人」という生き物へ成長するものと思っていた……しかしそうではなかった……世の中に触れる事、関心の幅を広げる事、人との交流を深める事、ありのままの現実を認識する事、それが子供から脱する不可欠の要素であり、私にはそれら全ての条件が悉く欠けているように思われた……。

 

 

 

私は大学という生活空間において明確な友人というものを持つ事が無かった……ひたすら空想の中を生きてきた私には、もはや現実において他人と交友を結ぶ術が失われてしまっていた……他者と関係を持つという行為は歴とした一つの能力なのだ……身体能力に優れてるとか、知能指数が高いとか、芸術的センスに秀でてるとか、そういう先天的に与えられた一つの才能なのであって、決して万人に可能な当然の行為では無く、私にはそれがただ与えられてないだけなのだ……。

 

表面上の何気ないコミュニケーションが交わされていても、精神上においては会話が会話として成立しておらず、文化も言語もまるで違う相手を前にしてるような感覚に襲われていた……周囲の様子を見渡す度に住む世界が別のように感じられた……これ程にも多くの学生が目の前を行き来しているというのに、まるで互いが異なる空間に位置し、触れる事の出来ぬ透明な光の集まり、実体のない薄っぺらな映像のように感じられた……。

 

誰もが私を前にした瞬間に、この人間には触れてはいけないと、近づくべきではないと、深く関わるべきではないと、別の空間から混入させられた異物であると、奇妙なものを見るような目で敬遠するのだった……私は己自身がこの空間の中で異分子的存在である事を理解し、他者と交わりを持たぬよう防御壁を築くのだった……それは己自身への防衛でもあり、自分という未知の生物を身近にする事を余儀なくされている周囲の人々への、ある種の気遣い、優しさの積もりでもあったのだった……。

 

 

 

同性に対して根強い不和を覚える自分が、況してどの様にして異性と交遊を結ぶ事が出来るというのか……「子供」というレッテルから解放された男女達は今まで以上の奔放さを持って互いに交流を深めていた……。

 

友人という友人がなくとも、極平凡に大学生活を送っていれば自然と若い男女の一般的な恋愛観が耳に入ってくる……どの様な異性を好み、どの様に異性と出会い、どの様に異性と付き合っていくか、世の中における「恋愛」の概念、その構造が少しずつ見え始めるのだった……それにより私は自身と世間一般との恋愛観を自然と対比させて考えるようになり、その両者との間に大きな隔絶がある事にゆっくりと気付き始めた……。

 

第一に、私は恋愛に関し驚くほど古い考え方の持ち主なのであった……それは私の抱える逸脱したロマンチシズムから発せられたものだった……私は男にしては異常に貞操観念が強く、しかもそれは当たり前のものだと思っていた……私の恋愛観はどの女性よりも女性的であったかも知れぬ……一方では成人男性としての純然たる強い性的欲求に囚われていたが、また一方では敬虔なクリスチャンの如き根深い貞操観念が働いていた……私の貞操意識はまるで厳格な家系で育った無垢なる乙女の様に堅固なものであった……私は全生涯において一人の人間しか愛してならず、また一人の人間としか肉体を交えてはならぬという戒律を生まれながらに己に課していた……それを破る事は運命への冒涜、神への反逆、贖い切れぬ最大の罪であるとそう信じていた……。

 

私にはそもそも遊びとしての交際という発想も浮気という選択肢も全くなかった……決して自分から探しに行くものではなく運命的に自然と出会うものだと信じていた……それ故に私は恋愛に対し異常な程の慎重さ、懐疑、躊躇、優柔不断さを抱えていた……もしも私がある一人の女性に恋心を抱き、その人もまた私に同じような感情を抱き、相思相愛の間柄にあるとこちらが密かに知っていたとしても、それでも私は何の行動にも出る事もなく、それどころか彼女からのアプローチさえも恐れ、彼女をどこか避けるような形を取ってしまう事だろう……それ程に私は異性と身近な関係になる事に対し重大且つ厳格な意味合いを感じていたのである……つまり、その人間が――さすがにこの様な言葉を吐くのには些かの羞恥を感じずにいられないが、「運命の相手」ではなかったら……? それは一種の裏切り、背信行為では……? 他者という存在に異常に臆病で不器用な私は、一度でも深い関係に陥った相手とは生涯を終えるまで絶対に決別してはならぬという暗黙の誓約を交わしており、その誓いを破れば、私が過去に他の女性と関係を持ってしまった事に対する深い罪悪感を覚えてしまうと思われた……。

 

しかしそれはいわゆる結婚前提の付き合いというものとも違っていた……そもそも結婚という概念自体が私固有の文化には存在しないのだった……互いに深い愛を持ち続けているからといってなぜ「結婚」という関係に組み込まれなければならないのか……私は結婚というものが文明による作為的で空疎な社会制度以上のものと感じる事が出来ず、人間本来の純粋な感情から湧き出た自然の結果とは思えなかったのである……私は冠婚葬祭などの人工的な儀式や仕組みを実感的に理解する事が出来ず、偽善的なまやかしに過ぎないと感じられていた……世間の愛情というものを私は信用していなかったのだ……。

 

 

 

確かに私にも恋愛に縁のない多くの青年達が抱えるように、己が童貞である事に対する俗な羞恥や劣等感がない訳ではなかった……しかし、だからと言って実際に体験を済ませたいという明確な現実的願望を持つ事も無かった……私はむしろ性行為を経験する事へのある種の恐れのようなものを感じていた……取り返しの付かない事をしてしまった、己の抱える秘密を相手に握られてしまった、私はもう永遠にこの人間の手から逃れる事は出来ぬ、という恐怖……今まさに性交に及んでいる際の相手の視線が、相手の意識が恐ろしい……普段の自分で無い自分に変わる瞬間……自分が人間から動物へと変わる瞬間……もはやそれは本能に突き動かされた純粋な性欲の表出ではなく、感情の伴わぬ形式的な通過儀礼へと化してしまう事だろう……或いはそれは自分の性に関する知識や経験の乏しさが暴露される事への恐れのようなものかもしれなかった……それ程にセックスというものが私にとって重大な意味を持っていたのである……。

 

私は性の経験者に対するある種の憎悪や軽蔑のようなものがあった……それは決して嫉妬などという軽薄な感情から派生したものではなく、己が一人の人間ではない一匹の動物であると認めた事への生理的反発のようなものだった……それは私にとって人間としての敗北宣言と同等の意味合いを持っていた……どれだけピュアな交際を重ねようと行き着く所は結局肉欲であるのか……ある一人の女性を愛すれば、いずれ性欲の衝動が必ず襲ってくる……どれだけ性欲に嫌悪感を持とうと、異性との恋愛において必ずその問題と直面しなければならず、それが悔しくて悔しくてたまらなかった……私は彼女の心を愛しているのだと言い聞かせた……どれだけ純潔な恋愛を保とうと、恋愛感情それ自体が既に性欲の一顕現に過ぎないのであれば、異性と触れ合う事自体がもはや不純な行動ではあるまいか……。

 

 

 

十八という年齢は男子にとって大きな区切りの一つであろう、何故ならその数字に達する事によって我々は性を覗く領域を遥かに拡大させる事が出来るからだ……。

 

レンタルビデオ店にていかがわしい商品の立ち並ぶコーナーに初めて入る時、私は周囲の人々の視線に対する自意識の気持ちと、まるでお化け屋敷に立ち入るような、未知の領域に足を踏み入れるような奇妙な恐怖と不安を感じながら中に入った……覗いてはならぬもの、触れてはならぬもの、開けてはならぬパンドラの箱、禁断の世界へと飛び込む瞬間……私は何か犯罪に手を染めるような気持ちで商品を眺めていた……。

 

そうして私は初めて成人向けの猥褻な映像をはっきりと鑑賞した……無論それまでも漠然とセックスの描写を映像で垣間見た事はあったものの、ここまでまじまじと明瞭に鑑賞するのは初めての事だった……私はそれをホラービデオを干渉する時のような興奮と不安に駆られながら、いささか震える手でセッティングしていた……。

 

そこには判然たる性的興奮と、動物本来の暴力性に対する恐怖にも似た緊張とが内包しており、体中の血潮と心臓の鼓動を囃し立てるのだった……初めは目の前で繰り広げられる男女の営みに対し、ほとんど不安に彩られた否定的、反発的、軽蔑的な感情を覚え、迫りくる獣性に対し警戒の目線を持って眺めていた……しかしそれに少しずつ慣れて来ると、次第に反発の感情の中にある強い欲求の感情が生まれ、それが徐々に肥大化し、はっきりとした性的興奮へと形を変え、自制心を侵食し出し、嫌悪の感情を締め出し、動物性が心と体を覆い尽くし、私の内部は混じり気のない性的欲求に彩られ、体中が映像の中へ飛び込まんとするような激しい焦燥に駆られていた……そうして私は自然と例の動きを規則的に繰り返していた……私の性的興奮は終点に達した……。

 

性的絶頂を超え、欲望を処理し終えた後、すぐに私という存在は不快感に呑み込まれた……ついさっきまで見ていた映像が、性的欲求の感情を完全に排した状態で想起され、そこにはただただ動物的暴力性しか感じられず、残虐性に満ちたグロ描写を目にしたような、そんな激しい吐き気を覚えた……人間性が剥ぎ取られ、剥き出しの獣性が露わになる瞬間……二人の人間が、二匹の動物、二つの肉体へと化す瞬間……解し難い不気味な未知の生き物、気味の悪い無数の昆虫、奇妙な深海生物を見るような恐怖感……性器と性器が結合するあの非人間的感覚……幽霊や魔術のような超現実的、宗教的、蛮習的、呪術的なおぞましい非合理に満ちた世界観に取り囲まれる感覚……二匹の動物、二つの肉体、あの生々しさ、あのおぞましさ、あの不気味さ、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い……吐きそうになる……あんなの、人間じゃない……そうして正に私自身が今さっきその様な状態にあった事への、憎悪にも似た罪意識……。

 

 

 

性欲は、悪霊が取り憑くかの如くやってくる……性欲の衝動は突発的な殺意に似ている……カッとなって目の前にいる人間を殺す為に体の奥底から飛び出さんとする抑え切れぬ情動……性欲を満たす為であればこの世の全てを犠牲にしても構わないとそう思える程の激しい欲動……どれだけ普段温厚で、正義感が強く、人格者で、誠実で、真面目な人間であろうと、性の衝動には何を以てしても勝つ事は出来ない……プライド、ポリシー、羞恥、道徳心、自意識、世間体、どんな感情によってでも抑える事は出来ぬ……目の色が変わるとは正にこの事を言うのだ……自分が獰猛な化け物に変貌してしまうのではという恐怖感……まるで満月を見て変身する狼男である……己が性欲という原動力によって突き動かされるだけの機械に感じる……生殖器こそが我が肉体の全てを司る絶対者なのだと……。

 

性欲は快楽であるという者を私は憎む……性欲は快楽では無い……それは苦しみだ、障害だ、病なのだ……こんなにも欲しくて欲しくてたまらないと願っているのに、決して手にする事が出来ないという葛藤が、どうして快楽と言えるのか……。

 

自涜行為に耽る度に私は激しい吐き気を覚えた……性欲に駆られている時の自分と、性欲を処理し終わった時の自分との激しい変わり様……瞬時に世界が一変する……理性から獣性へ、獣性から理性へ……底知れぬ自己嫌悪、罪悪感、虚無感……今の私は一体なんだったのか、どうしてあれ程までに周りを見ずただただ性へと体が向かっていったのか……結局私の感情も、意識も、思考も、理性も、肉体的欲望に左右されてるだけに過ぎないではないか……だとすれば、私という存在は何なのか……私は何の為に生きているのか……私は本当に私と言えるのか……私などという存在は虚妄に過ぎないのではないか……自涜を遂げた直後には、去勢されても一向に構わないと体の芯からそう思えた……もう二度と性衝動に振り回されぬと誓った……しかし、どれだけ自己嫌悪に駆られようと、どれだけ後悔に駆られようと、どれだけ反省に駆られようと、時間が経てばまた自然と欲求が湧き上がり、同じ事を繰り返す……。

 



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